学位論文要旨



No 118687
著者(漢字) 石黒,格
著者(英字)
著者(カナ) イシグロ,イタル
標題(和) ネットワークの文脈効果とその帰結の検討 : 認知的過程と構造的過程を分離しての試みとして
標題(洋)
報告番号 118687
報告番号 甲18687
学位授与日 2004.02.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会心理学)
学位記番号 博人社第426号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池田,謙一
 東京大学 教授 秋山,弘子
 東京大学 教授 山口,勧
 東京大学 助教授 岡,隆
 名古屋大学 教授 広瀬,幸雄
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、人々のパーソナル・ネットワークにおけるネットワーク他者の構成を社会的文脈と考え、その効果を検討することを通して、社会的文脈が人々に与える効果を検討した。この社会的文脈の効果のモデルとして、Huckfeldt (1986)の文脈効果 contextual effect モデルを修正して用いた。

文脈効果モデルは、日常のなかで接触する他者の意見や行動に偏りが存在する場合、その偏りに応じた影響を人々が受ける,とするものである。たとえば、ある政治的争点について、政府を支持する人々が多数であったとしても、ある個人を取り上げたときにはその周囲の他者の多くが不支持の態度をとっていることは考えられ、この偏りがその個人の態度を不支持の方向に傾かせると考えるのである。

文脈効果モデルは同調・準拠と情報バイアスという二つの過程を想定していたが、本研究では人々が自らの社会的文脈を認知した結果として生じる認知的効果と、認知に依存しない、社会的文脈自体の構造的効果とに分離するという修正を施した。この修正によって本研究が目指したのは、厳密には未実証だった文脈効果モデル、特に情報バイアスという影響過程の妥当性を検証することであり、そして、実験的な社会心理学が明らかにしてきた、人々が自覚することなく他者や集団から受ける様々な社会的影響を、自然状況に置かれた人々に対する計量調査法によって示すことだった。それが、社会心理学的知見の、現実社会のなかでのインパクトを検討するのに極めて重要だと考えるからである。

人々の置かれた社会的文脈をパーソナル・ネットワークであると操作的に定義して研究は行われた。人々のネットワーク認知の測定には疑似ソシオメトリが、ネットワーク自体の測定には、スノーボール・サンプリング法が用いられた。これにより、認知的文脈効果と構造的文脈効果を独立して見積もることが可能となった。

第二章では、人々の社会的・政治的問題への態度が、どれだけ文脈効果を受けているのかという問題を検討した。その結果、ネットワーク認知を統制してもネットワーク他者の意見分布と回答者の態度とが相関することが示された。この結果は、構造的な文脈効果を示唆する。

第三章では、人々の社会的・政治的問題に関する知識量に対する文脈効果を検討した。社会ネットワークが人々の獲得可能な情報を質、量ともに規定することはネットワーク分析の分野では一般的な知見であるが、本研究では、そこに目的的で統制的な行動の結果としての情報獲得ではなく、Huckfeldt が提出した情報バイアスの視点を導入したのである。つまり、ネットワーク他者が保持している情報量の総和、または平均の差異が社会的文脈となり、そのなかにいる人々の知識量を、意図的な情報獲得行動とは独立に規定していると考えたのである。

スノーボール・サンプリング調査の結果、得られた知見の以下のようなものであった。

第一に、ネットワーク他者の知識量の平均と、回答者の知識量とが正相関していた。このことは、知識量への文脈効果の存在を示唆する。

第二に、知識量への文脈効果は、ネットワークに存在する情報量の認知や、社会的・政治的問題に関する会話量の認知とは独立だった。このことは、ネットワークからの情報獲得が、人々の目的的、統制的な行動の結果として生じたものではないことを示唆しており、情報バイアス・モデルからの予測を支持する。

第三に、知識量への文脈効果は、自らのネットワークに存在する知識量の多寡を回答者が正確に認知しているときに大きくなっていた。一方で、情報量の認知の正確性を規定する要因はデータには不在であり、他者が情報を有していることがわかるようなコミュニケーションが偶発的に生じたときにネットワークを情報が流れ、同時に他者の情報量が正しく認識されるという、同時的な過程の存在が推測された。

第四章と第五章では、文脈効果、特に構造的文脈効果の存在を、すでに確認されたものと仮定し、文脈効果の存在が我々の民主主義的政治システムに何をもたらすのか、という問を検討した。中心となったのは、Downs (1957)の問への回答が、Huckfeldt ら (Huckfeldt, 2001;Huckfeldt, Ikeda & Pappi, 2000) が主張するようにネットワークを資源とするという考え方から得られるのか、という議論である。

Downs は人々が投票に際して合理的な判断を下すために必要な情報は、その獲得も処理も認知的負荷があまりにも高いと主張し、民主主義が市民の自律した参画と意思決定を前提とすることに疑問を呈した。認知的負荷、すなわちコストが高いその一方で一票の重みは限りなく軽く、しかも自分だけが投票しなくても社会は運営されていくという特質がある以上、政治に対しては他者の努力にフリーライドすることがもっとも合理的であると論じたのである。

それでは、人々が投票に行くのはなぜか、という問は、社会科学にとって重要な問題となったが、Huckfeldt らは、ネットワークの情報提供機能が人々の認知的負荷を軽くし、投票を補助すると考えた。彼らの研究では、人々はネットワーク他者の中で誰が政治についての知識を十分に有しているのかを見抜くことができ、そうした他者を政治的議論の相手として選択していることを示した。このことから、人々は他者から情報を獲得することで情報獲得と、処理のコストを同時に低減していると論じた。また、他者の知識量を見抜くことで、人々はより質の高い情報を獲得できるため、判断の質が向上する、とも結論した。

しかし、構造的文脈効果が存在していることを考えたとき、他者から情報を得ることが判断の質を上げると、常に論じることはできない。人々が知識の多い他者を統制的な選択として選んでいたとしても、構造的過程によって情報の質が低い(あるいは絶対量が少ない)情報源から影響を受ける可能性があるからである。

では、文脈効果の存在を前提としても、ネットワークからの影響が民主主義的な政治システムの運営に寄与するのか。この問題を第四章では検討した。

結果として、知識量への文脈効果は、そもそも知識と関心が高い人々では生じにくいことが示された。よって、「オピニオン・リーダー」層は他者からの情報には依存せず、むしろ知識や関心が低い人々に情報を与えている可能性が示唆された。

態度への文脈効果については、はっきりとした影響の方向性は確認されず、人々は知識と関心にかかわらず、互いに態度への影響を与えあっていることが示唆された。このことは、ネットワークの利用によって人々の政治的意思決定の質が向上するとした Huckfeldt らの議論とは矛盾する。しかし、本研究では民主主義のもうひとつの理念である、参加の平等という側面については望ましい結果である。

オピニオン・リーダーが人々に一方的に影響力を及ぼす、というのはネットワークの中で垂直的な関係が成立していることを意味し、社会的・政治的問題に関する世論の形成に、ある種の「エリート支配」が成立していることを示唆する。これは、民主主義的な政治システムにとって、たとえ個々人の意思決定の質が向上したとしても望ましいとは言いにくい。しかし、本研究のデータは、意思決定に必要な情報についてはオピニオン・リーダーに依存しながら、しかし態度決定に際しては過度に依存していないという人々の姿を示唆している。この結果は、むしろ非現実的な過程の下に運営される民主主義的な政治システムの中で、人々がよく適応していることを示しているだろう。

第五章では、Huckfeldt らの「他者の知識量を正確に推測できる」という知見の妥当性を検討した。仮に全体として知識量の推測が正確だったとしても、特定の階層や社会集団に対して、知識量評価を押し下げるバイアスが存在していたとしたら、そうした人々は政治的会話の相手として選択されにくくなり、結果、自らの意見を他者に伝えることが難しくなる。それは現実には存在する差異や多様性を、世論形成の過程で見失わせる危険がある。

本研究では、ジェンダーに基づくバイアスが検討された。スノーボール・サンプリング調査によって得られた男女ダイアドを単位として行われた分析の結果として示されたのは、男性が女性を評価する際には、女性が有している社会的・政治的問題に対する知識量が、評価の規定要因にはならないということだった。男性が女性から評価される際には、知識が多いほど相手からも知識が多いと評価されていたのに対して、女性が男性から評価される場合には、評価は知識量によらず、低いままだった。このため、同程度の知識がある場合には、女性は男性よりも、政治的な会話の相手として選択される確率が低くなるというバイアスが確認された。

第四、五章の分析によって得られた知見から、人々が文脈効果によってその知識量や態度を規定されることは、全体としては民主主義的な政治システムの運営に寄与することが示唆された。しかし、このことは、文脈効果の存在が、あるいはネットワークが資源として利用できることが、常に望ましい結果をもたらすとは言えないことを示唆した。女性に限らず、偏見に基づく評価のバイアスによって、ネットワークのなかでの会話から排除され、他者の意思決定に及ぼす影響力を制限されている人々の存在が示唆される。こうしたバイアスは、ネットワークが重要な資源として機能していればいるほど、重大な問題を生みうる。

本研究はネットワークによって人々の態度、知識が規定されることを示したが、このこと自体は古くから多くの研究が共有してきた視点を継承するものである。しかし、そこに社会心理学的な社会的影響、特に被影響者にとって非自覚的な影響力を構造的文脈効果としてモデル化し、大規模計量調査の手法を用いて検討したことで、社会的影響が我々の社会にもたらすインパクトを検討することを可能にしたと言える。その結論は、容易に出せるものではないが、重要な視点と方法論を提供したと思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ソーシャル・ネットワークがもたらす効果に関する社会心理学の視点からの理論分析・実証分析である。なかんずく人々の態度・意見や行動がソーシャル・ネットワークという構造そのものに規定されたものか、そこで生ずる認知的なバイアスに規定されたものかを分析の対象としている。つまり、人はネットワークの中で得られる情報をもとに能動的にその適否を判断し、それを自らの態度形成や意思決定に用いており、ネットワークから影響を受けるのはネットワークの情報分布のバイアスに留まるのか、あるいはそうした過程は能動的にではなく構造的に意識の外で規定されており、人々は自らのおかれた情報環境のバイアスを認識しておらず、意識の外での同調行動として構造の影響は現れるのか、これを検討の対象としている。この研究のもたらすメリットは、認知的な過程と構造的な過程の区別を十分に行ってこなかった諸種の研究を評価する枠組みを提供することにとどまらず、社会的影響力と能動的な社会参加という民主主義の基本問題を議論しうるところにまで及ぶ。

論文では第1章において、これら二つの効果を必ずしも判別せずに議論してきた視点が文脈効果と名付けられ、その歴史的な研究の経緯をたどることで研究手法の問題点が指摘され、新たな研究へのアプローチが提唱される。第2章では、この課題が世論調査の手段を用いながらも、分析の単位を個人から広げることが示される。すなわち、調査の当該対象個人の周囲の第一次的なネットワークを占める他者自身のデータを取得するスノーボール・サンプリングテクニックを用いることによって、個人の主観的な情報環境認知とその環境そのものを構成する他者の意見や行動の実データ(当該個人にとっては客観データ)を取得して進められることが述べられ、実証上の手続きと人々の態度形成を対象とした基本的な分析が記述される。第3章はこれに続く応用課題として、人々の社会的知識の規定要因が検討される。第4章ではこれら全体を受け、民主主義システムの中でその熟考性を高めるモメントとして、人々が他者から知識量を補完され、なおかつ能動的で独立した判断を保ち得ているのかが、検討される。さらに第5章ではこの分析がジェンダーのバイアスという視点から分析され、社会において女性の政治的な影響力が限定されていることが実証される。最終章はこれら結果のもたらす意味の検討である。

結果として本論文は、これまでの態度研究やソーシャル・ネットワーク研究単体での研究の欠陥をつき、かつ高度な世論調査手法を通じて同調と情報バイアスに関わる諸仮説の実証を果たしえている。仮に問題ありとすれば、集団におけるいま一つの根本概念である社会規範の問題に触れ得ていない点であろうが、これは今後の課題としておきたい。以上によって著者が研究者として十分な能力を有することが示されているので、本審査委員会は博士(社会心理学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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