学位論文要旨



No 118690
著者(漢字)
著者(英字) Zuiki Murano,Emi
著者(カナ) ズイキ ムラノ,エミ
標題(和) 構音運動中における口輪筋反射の電気生理学的検討
標題(洋) An Electrophysiological Study of Perioral Reflex during Speech Movements
報告番号 118690
報告番号 甲18690
学位授与日 2004.02.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2217号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 高山,吉弘
 東京大学 講師 宇川,義一
 東京大学 講師 伊藤,健
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、発話時の構音運動の仕組みのなかで、感覚運動情報調節のメカニズムを検討しようと試みたものである。発話は人間特有の運動の一つであり、滑らかな発話動作を行うためには、極めて正確に調和した複数の筋の動作が必要である。そしてそれを実現するためには洗練された感覚情報と運動情報の統合が必要であると考えられる。

運動の結果生じた感覚情報は、求心性神経線維(いわゆる一階の中継細胞)により、上行性経路を通じて局所神経回路および脳中枢部(高次中枢)に上向に伝播される。この際、感覚情報の伝わり方は中継細胞が他の細胞から受ける入力の状態によって変化する。すなわち、動作タスクに依存して中継細胞の状態を変えることにより、感覚情報の伝わり方に大きな変化が生ずる。上位中枢は、この中継細胞を介して感覚情報の伝達を調節することにより、感覚情報から運動情報への変換を制御している可能性がある。このようなメカニズムの1つとして四肢の制御では Hoffman 反射 (H-reflex) が知られているが、発話器官の運動においてもこのような感覚情報調節のメカニズムが使われている可能性が考えられ、本論文ではその仮説について検討する。

これまでの感覚運動情報の調節に関しての研究は歩行や咀嚼運動の分析にとどまり、人間に特有の運動である発話動作に関しては検討がまだ不十分であった。本研究では、皮膚感覚系からのフィードバック情報がいかに高次中枢指令に調節されて運動出力に現れるかという現象を観察することにより、発話時の運動情報に対する感覚情報との関係を分析することを試みた。

本研究は以下の2つの内容によって構成される。

構音器官の求心および遠心経路の脳幹ループを観察するための電気生理学的検査。オトガイ神経内の電気的刺激による口輪筋反射及び顔面筋反射を誘導する実験パラダイムを構築するための基礎データの検討。

口輪筋反射の、唇運動中の求心性感覚情報の制御の有無を明らかにするための実験。静止中(構え保持)および運動中の構音タスク間での応答の違いの観察および記述。

これらの詳細について以下に述べる。

構音中の感覚運動制御の観察を可能にする実験パラダイムを作成するために、口輪筋反射を発生させる方法を提案した。口輪筋反射を発話研究のために使用する研究報告はいくつか存在するが、これらの研究では、口唇の皮膚あるいは粘膜に対する機械的刺激が用いられている。機械的刺激は、実験を通して制御された類似の刺激を加えることが困難であるため発話動作中の検査を行うには問題がある。異なった試行においても、同一の長さ、加速、減速の条件を獲得するためには、高度な装置が必要とされる。本論文では、発話中の口唇運動中の応答振幅変調を調べるために、Gandiglio and Fra (1967) にもみられるような電気生理学的方法を検討した。応答計測は、(a)発話動作が困難にならないことを考慮して新たに開発した電極を用いて行い、(b)詳細なデータを収集するため高サンプリング周波数で取得し、(c)複数の脳幹レベルの応答を得るために、口唇その他の顔面筋の筋活動を記録した。解析では、オトガイ神経の電気刺激により発生する筋電図信号の応答を検討した。オトガイ神経の電気刺激を行うと、口輪筋、眼輪筋、口角下制筋及び咬筋の筋電図信号に応答がみられた。具体的には、口輪筋では Early Response (R1) 及び Silent Period (SP)、眼輪筋では Early Response (R1) 及び Late Response (R2)、咬筋では Silent Period (SP)、そして唇角下制筋では Silent Period (SP) が記録された。この結果から、オトガイ神経の電気刺激を行って口輪筋で得られた Early Response (R1) は短潜時の応答であることが観察された。眼窩上神経の電気刺激で眼輪筋に現れる Early Response (R1) は脳幹でループが構成されていると言われていることから、我々が観測した口輪筋 Early Response (R1) も脳幹レベルで感覚から運動への信号伝達が行われていると推測される。

オトガイ神経の電気刺激に伴って現れる口輪筋反射活動を発話の検査に応用するための方法論を検討した。触覚系の感覚情報が発話運動中に調節されていることを確かめるために、構音動作の静止中および運動中それぞれの状態においてオトガイ神経に電気刺激を与え、口輪筋反射の Early Response (R1) を検査した。静止中及び運動中の構音動作を検討するため、2種類の実験を行った。静止状態では母音の /a/ 及び /o/、子音の /m/、/Φ/ 及び /s/ を連続的に唇や舌の形を保ちながら発声を行った。運動中では /pa/、/ba/、/ma/ 及び /Φa/、いずれも12回母音-子音の繰り返しを課題とした。このタスクを選んだ理由は、これらの母音及び子音の発話時の唇、舌、喉頭の動作が必ず筋活動の変化を伴う典型例だからである。運動中に電気刺激によって得られた反射応答は、各タスクで要求されたEMG活動に依存して変化した。静的タスク実験では異なった発声タスクにおける反射応答を比較し、動的発話タスクでは一シラブル内でのEMG活動の変化による反射応答を比較した。大きな傾向としては、口唇部筋活動が激しいほど、口輪筋反射振幅が大きいことが観測された。発話時の筋活動の最中に電気刺激をして応答の大きさを計測すると、筋活動が高まることにより、応答が大きくなることが分かった。一般に、反射応答振幅量は運動ニューロンプールの興奮レベルに比例すると考えられている。すなわち、筋活動が高まっている時には運動ニューロンプールの活動レベルが高く、その際に電気刺激が与えられ感覚神経からの入力があると、反射応答が強く現れることになり、本研究で観察された反射応答の振幅の変化の多くの部分はこの考えに一致する。しかし、この現象は全ての構音状態に当てはまるものではなかった。口輪筋の筋活動が高い発話のなかにも反射応答が低いものも含まれていた。それらは静止状態の /m/ と /Φ/ タスクであり、このうちもっとも顕著なのは運動中の /Φa/ タスクであった。

動的発話状態の /Φa/ における反射応答を他のシラブル発話時のそれと対比させた場合、反射応答が背景筋活動量に比例しなかったということは、/pa/、/ba/ 及び /ma/ を用いたタスクと比較して /Φa/ の発話における感覚信号から運動生成までのプロセスの違いを示した可能性がある。両唇破裂音である、/p/、/b/、/m/ と異なり、/Φ/ は、両唇摩擦音で、口唇間開口部を通る空気流のより緻密な制御が要求される。このような状況において、感覚入力に対して運動が出現してしまうと、目的とするタスクが阻害されかねない。実験結果から、感覚から運動に変換される量を減少させて、感覚信号が生じても余計な運動が出現しないように合目的に調整を行っているという可能性が示唆された。

以上述べたように本論文では、オトガイ神経内の電気刺激によって誘発された口輪筋反射は、発話運動を観察する貴重な手段であることが示された。そして以上の結果から、発話動作中では単純に上位中枢からの運動指令のみで運動が成立しているのではなく、同時に、もっとも短い脳幹ループにおいてさえも感覚入力から運動出力までのループがタスクに応じて上位中枢から制御されているという説が導かれた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、構音運動中の感覚運動情報調節のメカニズムにおいて重要な役割を演じていると考えられる感覚情報と運動情報の統合を明らかにするため、発話運動中の口輪筋反射の変化の観察を試みたものであり、それによって下記の結果が得られた。

構音中の感覚運動制御の観察を可能にする実験パラダイムを作成するために、口輪筋反射を電気生理学的手段を用いて発生させる方法を提案した。解析では、オトガイ神経の電気刺激により発生する筋電図信号の応答を検討した。オトガイ神経の電気刺激を行うと、口輪筋、眼輪筋、口角下制筋及び咬筋の筋電図信号に応答がみられた。具体的には、口輪筋では Early Response (R1) 及び Silent Period (SP)、眼輪筋では Early Response (R1) 及び Late Response (R2)、咬筋では Silent Period (SP)、そして唇角下制筋では Silent Period (SP) が記録された。この結果から、オトガイ神経の電気刺激によって口輪筋で得られた Early Response (R1) は短潜時の応答であることが観察された。眼窩上神経の電気刺激で眼輪筋に現れる Early Response (R1) は脳幹でループが構成されていると言われていることから、我々が観測した口輪筋 Early Response (R1) も脳幹レベルで感覚から運動への信号伝達が行われていると推測される。

オトガイ神経の電気刺激に伴って現れる口輪筋反射活動を発話の検査に応用するための方法論を検討した。さらに触覚系の感覚情報が発話運動中に調節されていることを確かめるために、構音動作中においてオトガイ神経に電気刺激を与え、口輪筋反射の Early Response (R1) を検査した。

静止中及び運動中の構音動作を検討するため、2種類の実験を行った。静的タスク実験では異なった発声タスクにおける反射応答を比較し、動的発話タスクでは一シラブル内でのEMG活動の変化による反射応答を比較した。

静止状態では母音の /a/ 及び /o/、子音の /m/、/Φ/ 及び /s/ の発声を唇や舌の形を保ちながら連続的に行った。大きな傾向としては、口唇部筋活動が激しいほど、口輪筋反射振幅が大きいことが観測された。発話時の筋活動の最中に電気刺激を施して応答の大きさを計測すると、筋活動の高まりにより、応答が大きくなることが分かった。一般に、反射応答振幅量は運動ニューロンプールの興奮レベルに比例すると考えられている。すなわち、筋活動が高まっている時には運動ニューロンプールの活動レベルが高く、その際に電気刺激が与えられ感覚神経からの入力があると、反射応答が強く現れることになることになり、本研究で観察された反射応答の振幅の変化の多くの部分はこの考えに一致する。しかし、この現象は全ての構音状態に当てはまるものではなかった。口輪筋の筋活動が高い発話のなかにも反射応答が低いものも含まれていた。それらは静止状態の /m/ と /Φ/ タスクであった。

運動中では /pa/、/ba/、/ma/ 及び /Φa/、いずれも12回の母音-子音の繰り返しを課題とした。このタスクを選んだ理由は、これらの母音及び子音の発話時の唇、舌、喉頭の動作が必ず筋活動の変化を伴う典型例であるからである。運動中の電気刺激によって得られた反射応答は、各タスクで要求されたEMG活動に依存して変化した。このうちもっとも顕著なのは運動中の /Φa/ タスクであった。動的発話状態の /Φa/ における反射応答を他のシラブル発話時のそれと対比させた場合の反射応答が背景筋活動量に比例しなかったということは、/pa/、/ba/ 及び /ma/ を用いたタスクと比較して /Φa/ の発話における感覚信号から運動生成までのプロセスの違いを示した可能性がある。両唇破裂音である /p/、/b/、/m/ と異なり、/Φ/ は、両唇摩擦音で、口唇間開口部を通る空気流のより緻密な制御が要求される。このような状況において感覚入力に対して運動が出現してしまうと、目的とするタスクが阻害されかねない。実験結果から感覚信号が生じても余計な運動が出現しないように感覚から運動に変換される量を減少させて合目的に調整を行っているという可能性が示唆された。

以上、本論文では、オトガイ神経内の電気刺激によって誘発された口輪筋反射は、発話運動を観察する貴重な手段であることが示された。そして、発話動作中では単純に上位中枢からの運動指令のみで運動が成立しているのではなく、同時に、もっとも短い脳幹ループにおいてさえも感覚入力から運動出力までのループがタスクに応じて上位中枢から制御されているという説が導かれた。本研究は、上位中枢が感覚入力から運動出力をタスクによって制御し、正確な発話運動に重要な役割を果すものであると考えられることを示した。この結果はこれまで未知に等しかったことで、学位の授与に値するものと考えられる。

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