学位論文要旨



No 118692
著者(漢字) 久保,大作
著者(英字)
著者(カナ) クボ,ダイサク
標題(和) 商法上の会計規範の決定に関する一考察
標題(洋)
報告番号 118692
報告番号 甲18692
学位授与日 2004.02.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第177号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩原,紳作
 東京大学 教授 神田,秀樹
 東京大学 教授 中里,実
 東京大学 教授 斎藤,誠
 東京大学 助教授 浅香,吉幹
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、商法会計法における会計規範がどのように決定されるべきかについて、基本的な視座を獲得すること、とりわけ、最近の日本における企業会計制度の変化が商法会計法にどのような影響を与えているかを解明し、そのなかにある問題点について検討を加えることを目的とするものである。

まず考察の基礎として、日本法における従来の考え方、そしてその変遷を、おもに立法時の議論から引き出すことを試み、次のような結論を得た。まず従来の商法会計法には、次の2つの特徴があるということが明らかになった。第一に、会計規範の決定に際して追求される会計目的が、原初商法を除いては二元的であったという点である。原初商法においては会計処理については専ら情報開示の観点から規範を定立し、配当可能利益の制限による債権者保護に関しては配当の段階になって初めて考慮していた。それが明治44年改正商法以降、会計処理の段階においても配当可能利益の調整という目的への考慮が働くようになってきた。第二に、商法会計法における会計規範の決定において、会計慣行が相当の影響力をもつ存在として考えられてきた。明治44年商法改正以降の資産評価規定等の改正における議論において「会計慣行を商法上も認容する」という理由付けによって改変されることが多く、また昭和49年商法改正によって導入された包括規定において一般的な解釈指針とされたのも「(公正な)会計慣行」であるといった具合である。

これに対して、近時の一般条項に対する解釈論の変化、あるいは会計基準設定手続過程の変化によって、次のような変化が生じつつあることを確認した。第1に、包括規定を通じた会計規制において決定的だった会計慣行の意義が後退し、替わりに会計基準が独自の位置を占めるものとして重要になってきたということ。そして第2に、商法上の会計処理の規定の決定についてももっぱら開示目的からその内容が決定され、配当可能利益の調整というもう1つの目的については会計処理ではなく配当計算の段階においてのみ規制するという二分的規制への回帰の種子が存在することである。

本論文はこの変化のうち第1の点について妥当なものであるかどうか検討することとした。すなわち、法律でも商慣習法(商法第1条参照)でもない単なる記述に過ぎない会計基準が商法において拘束力を持ちうるのか、特に民間の会計基準設定主体によって言明される会計基準が商法上も一定の拘束力を持ちうるのかといった問題である。

以上の問題を検討するための足懸かりとして、アメリカ法およびドイツ法における会計規制のあり方について検討することとした。アメリカはわが国で新たに導入された民間会計基準設定機関制度のモデルとなった国であること、またドイツはわが国と類似した商法会計制度を形成してきており、かつ最近になってわが国と同様に民間会計基準設定機関制度を導入していることから、それぞれ比較対照する価値があると考えられる。

アメリカ法については、証券規制における会計基準設定制度、および会社法上の配当規制における会計原則の認識のされ方についてその歴史的展開を検討し、それぞれ次のような結果を得た。

まず証券規制において、実効性のある企業情報開示制度が定められたのは1930年代の証券二法が最初であった。そこでは専門行政機関が柔軟に会計基準の設定を行なうことが予定されていたが、態勢の不備や実務の反発から、民間機関による会計基準の統一が図られることになった。その試みはたびたび挫折したが、民間機関による会計基準の設定に積極的意義を見出した証券取引委員会は、自ら積極的に会計基準の設定に乗り出すことはしなかった。これに対しては、会計基準設定権限が私的な利益に囚われているとの批判が起こった一方で、政治機関よりも民間機関のほうが政治的影響を受けにくいという擁護論も行なわれた。

一方、会社法上の配当規制に関する会計原則の内容決定に関して、20世紀初頭までの判例法上の資産評価原則は会計実務と一致していたものの、積極的に一致させることを意識してなされていたかどうかは不明であった。これに対して1923年ニューヨーク州株式会社法を解釈した Randall v. Bailey 判決は、配当の適法性の判断において会計実務が何らかの支持を与えるとの考え方が明確に否定され、法と会計実務・会計原則とは全く無関係のものとして理解された。この考え方には、表示資本制度に基づく配当規制の基礎にある信託基金法理の考え方の影響が窺われた。

この Randall v. Bailey 判決の考え方は、後に表示資本制度に基づく配当規制を維持する立法においても引き継がれている。一方で、1977年カリフォルニア州一般会社法や1980年模範事業会社法典など、表示資本制度を廃棄し新たな配当規制を敷いた立法においては、「一般に認められた会計原則」が配当の適法性を判断する際の基準としても直接に引用されるようになった。

ドイツ法については、商法典における会計規制上の一般概念たる「正規の簿記の諸原則」概念に対する解釈論の変化、および1998年商法典改正によって導入された民間会計基準設定機関によって制定される会計基準が「正規の簿記の諸原則」概念を中心とした商法会計法の中でどのような地位を得るものとして制度設計されたかを検討し、次のような結果を得た。

すなわち、1897年商法典の立法者は、1861年一般ドイツ商法典の考え方を引き継ぎ、商人の慣習に依存する形で「正規の簿記の諸原則」という包括規定を設けた。伝統的学説は立法者の考え方を引き継ぎ、会計規定において明文化されていない部分については慎重な商人の慣習からの帰納によって会計規範が導き出されると解していた。しかし不正な会計行為が行われるようになった結果伝統的学説は支持を失い、替わりに会計の目的から会計規範を演繹するという演繹説が主流となり現在にいたった。しかし演繹説にも、法の規定そのものからは一義的に会計の目的を導き出すことができず、それゆえに複数の会計目的の優先順位について解釈上・立法上の争いが存在し得るし、現在も存在している。

一方、1970年後半にも会計規定の柔軟化を目標とした会計基準設定機関制度導入論が存在したが、近年における導入論への支持の拡大の背景となったのは、資本市場の世界的統合の進展と国際的会計基準の急速な発展であった。そこで1998年商法典改正によって会計基準設定機関についての定めをおき、その中で当該機関の任務について規定するとともにその基準定立方法についても若干の定めをおいた。そしてこの定めに従って設立された会計基準設定機関が定め且つ連邦法務省が公示した会計基準を遵守して作成されたコンツェルン決算書は、コンツェルンに関する正規の簿記の諸原則を遵守して作成されたものと推定されるものとした。しかし民間機関による会計基準の効力はあくまでも推定的効力であり、最終的に正規の簿記の諸原則を確定する権限が立法者と裁判所に属することについてはこれまでと替わらないものとされていた。このような制度内容となった背景には、ドイツにおける国家権力行使の正統性原理、とりわけ法規範設定における民主国原理と法治国原理に対する配慮があった。

以上の比較法から、次のような示唆を得られた。

会計基準の定立においては会計の目的をどのように考えるかが重要な意味を持っている、という点。これには2つの意味がある。

第1に、実効的に会計規範を形成していく上で考慮の中心とされるべきなのは「どのような会計慣行が存在しているか」よりも「会計目的からどのような会計規範が導かれるか」であるという示唆を得た。その意味で、企業会計原則や各種の意見書が「公正な会計慣行の要約」であるがゆえに商法規範の一部となるのではない、と解しているように見える我が国の最近の考え方はその限りで正しい方向を向いているように思われる。

第2に、会計基準の定立は、異なる政策目的間の優先順位の選択という政治的な問題になりうる。ここから更に2つの示唆が生じる。第1に、商法会計が企業情報の開示と配当規制による債権者保護という複数の政策目的を担っている限り、企業情報の開示を専らの目的として作成される証券取引法会計上の会計原則がアプリオリに商法上の会計原則として妥当するという結論を支持することは適当でないという点。第2に、目的の内容の特定や目的間の優先順位を法解釈によって導き出すことは必ずしも容易ではないため、明確な基準が必要ではないかという点である。

民間の会計基準設定機関によって設定された会計基準が「そのまま」商法上も妥当すると考えることは、正統性の問題が生じうる、という点。これにも2つの意味がある。

第1に、会計の目的が単一であったとしても、民間会計基準設定機関に対しては「私益の追求ではないか」という観点からの批判が生じうるということ。

第2に、仮に民間会計基準設定機関が公正誠実に基準設定に当たっていたとしても、商法会計の目的の内容や、複数ある目的の間の優先順位を決定できるのは誰か、という観点から正統性が問題となりうるということである。具体的には、国家機関が関与しなければならないのか、民間機関に委譲できるのか、はたまた市場に委ねることができるのか(すべきなのか)、という点である。

以上の示唆から、今後の研究における2つの課題が導かれる。第1に商法会計の目的に関する更なる解明、そして第2に、民間機関による基準定立についての正統性をめぐる議論についてのさらなる検討である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、商法会計法における会計規範は、誰によりいかに決定されるべきかにつき、わが国における商法会計法の歴史、及びアメリカ法・ドイツ法との比較法的研究を通じて、総合的・包括的な研究を行なったものである。そのような論文としては、初めての本格的論文と言えよう。

まず第1部「日本法」において、わが国における商法会計法の歴史を綿密に検討する。それによって、現行法における商法会計法がいかなるものとして形成されてきたか、その過程で商法会計法の設定のあり方や設定主体がいかように定められてきたかが明らかにされる。

すなわち、明治23年商法と明治32年商法においては、債権者保護は配当の段階において初めて考慮することとし、会計規範は情報開示の観点から定められたのに対し、明治44年改正商法以降は、会計処理の段階から配当可能利益の算定という債権者保護も考慮するようになった。会計規範の定立は明治23年商法以来基本的に会計慣行によるという姿勢がとられていた。昭和49年改正商法32条2項が、いわゆる包括条項を設けて企業会計審議会が定めた企業会計原則に商法の計算規定の解釈指針性を認めたといわれるが、それもあくまで企業会計原則が「一般に公正妥当と認められた会計慣行の要約」であるという理由によるのであった。解釈指針となりうる理由とされたのは、企業会計原則が会計慣行であることであって、その会計理論としての妥当性ではなかった。商法会計法と会計実務・理論の関係につき、その学問的考察の開拓者である田中耕太郎博士の説を発展させ、今日の商法学説の基本となっている矢沢惇博士の説も、そのような考えを基本にしていた。

しかし平成8年からの金融ビッグバンの中で、金融商品等に関するディスクロージャーの強化が図られ、平成11年商法改正において金融商品に関する時価会計や税効果会計が導入されてからは、(企業会計審議会などが定めた)会計基準は、(妥当な会計理論に基づく)会計基準であるがゆえにアプリオリに商法32条2項でいう『公正なる会計慣行』になる、という理解へと移行している。これと時を同じくして、平成11年頃から国際的な開示目的の会計基準の統一を目指す民間組織である国際会計基準委員会の組織再編やその影響力の拡大に応じて、わが国がそれに参加して国際的な影響力を失わないためには、会計基準設定主体を常設化し民間化しなければならないという主張が高まり、企業会計審議会に替わる民間会計基準設定主体として、平成13年に財団法人財務会計基準機構が設立された。

第1部の総括として、わが国の商法会計は会計慣行の重視から会計基準の重視に移行したとする。また会計基準が、開示と配当可能利益算定という二つの目的の追求から、もっぱら開示目的から決定され配当可能利益算定は配当計算の段階においてのみ規制するという、二分的規制に回帰する芽生えがあるとする。そのうえで、法律でも商慣習法でもない民間の会計基準設定主体が定める会計基準が商法において拘束力を持ちうるか、という本論文全体の問題提起を行っている。

第2部「アメリカ法(その1)-証券二法の制定と「実質的な権威ある支持」」においては、国際的に民間会計基準設定主体のモデルになっているアメリカの証券諸法における会計原則設定の歴史を検討する。まず連邦証券諸法における財務諸表に用いる会計基準の設定方法の形成過程が紹介される。

アメリカにおいて大恐慌以前は一般に通用する会計原則というものはなく、会計原則の採用につき個々の企業が広範な裁量を有していた。そのことが大恐慌における州会社法や証券取引所の機能不全を促進したことから、大恐慌に対処するための1933年証券法と1934年証券取引所法は、情報公開を基本思想に、財務諸表の開示を要求するとともに、その会計基準に関する規則制定権をSECに与えた。行政機関たる証券取引委員会 (SEC) の専門性の発揮に期待したものであったが、会計実務の完全な統一の困難性、SECにそのための時間と人員が不足していること、厳格な会計ルールの設定は会計の発展にとって有害である等の理由から、SEC内外からの強い反対にあい、結局、SECがその権限を行使して会計基準に関する規則を制定することは差し控えられた。そのため会計基準に関する会計専門家によるいかなる勧告も承認されうることとなり、会計基準設定が民間機間に委任される結果となった。

そこでアメリカ会計士協会が中心となって、会計手続委員会 (CAP)、次いで会計原則審議会 (APB) が設置されて会計原則の形成を試みた。しかしいずれも個別問題ごとの断片的アプローチをとったことから、当該論点に関する会計原則によって影響を受ける関係者からの圧力を受け、それに抗しきれずに失敗に終わった。そこで1972年にアメリカ公認会計士協会は、会計士団体からの独立性、利害関係者の参加、手続の公開という原理に基づく財務会計基準審議会 (FASB) を設立し、FASBが会計基準を設定することになって今日に至っている。あくまで民間機関とした理由としては、政府機関の方が政治的圧力を受けやすい、投資家の必要に対する反応が非弾力的になる、会計専門家の活力を削ぐ結果になる、等が挙げられていた。そしてFASBは、個別問題アプローチではなく概念的アプローチを取ることにより、公的機関その他外部からの圧力に対抗しようとしている。SECはCAP、APB、FASBいずれについても、背後から監督する姿勢をとっている。

しかしこのようなFASBという民間会計原則設定機関に対しては、連邦議会から厳しい批判が加えられている。すなわち上院のメトカーフ委員会は、会計業界に大きな影響力を持つ8大会計事務所が会計的権力機構を通じて自らに都合のよい準拠・適用すべき会計原則を決定しており、SECはそれに傍観者的立場をとっていると批判し、議会および連邦政府(新たな機関か会計検査院)が会計原則の制定に積極的に関与することを求めた。これに対し会計士側からは、政府機関の方が政治的働きかけの対象になりやすい、専門家が関与しないと効率的な会計基準の設定ができない、財務報告以外の政策目的に影響されることになる、等の反論が加えられている。

さらに基準設定権限を民間に委譲していることそのものに対して、基準設定を立法の一種と捉えて、私益の追求のためにそれが行使される可能性があること、公職者に課される憲法上・法律上の制約がないことや、選挙による国民のコントロールがないこと等も問題にされている。明確な原則なしに立法権の委譲を行えば違憲とされるし、基準設定が国家行為とされれば、憲法に拘束され、適正手続に従わなければならないからである。そこで利益相反に対する司法的チェック等が必要だとする主張や、すべての利害関係者の基準設定過程への参加、連邦・州の機関による審査、損害賠償請求権の許容等の主張がなされている。

しかしこれに対し、公私を厳密に区別する考えをとらず、内部手続規則、市場からの圧力、他者との合意・交渉、コンプライアンスルール、第三者による監督、強力で独立した専門家の存在、行政機関による介入の可能性、等のチェック機構の組み合わせにより、行政による厳格なコントロールなしに制度の正統性を保障するアカウンタビリティを生み出せるという主張がある。また、経済学的観点から法形成の民営化を主張し、法制度を提供する私的主体が競争関係にある場合には、競争により最適な法制度の組み合わせを達成できるとして、商事法に市場原理を導入する立場もある。

第3部「アメリカ法(その2)- 一般に認められた会計原則と会社法の関係」においては、アメリカの州会社法の配当規制において民間基準設定機関が公表した会計原則がいかなる地位を占めてきたかを検討する。

すなわち、アメリカの州会社法の判例や学説においては、会計理論や会計実務が配当規制の法準則の根拠とはされず、資産評価に関する法解釈はそれと独立に考えるという分離主義が採られていた。しかし1977年カリフォルニア一般会社法は、法律家が会計の専門知識に乏しいこと、会社法上の会計規制を時代に即応したものにすること、会社に開示目的の会計と会社法のための会計の二重帳簿を作成させる負担を負わせないために、SECが証券諸法上の「一般に認められた会計原則 (GAAP)」として認めるFASB策定の会計原則に従って解釈され、作成されなければならないとした。また1980年模範事業会社法典も、分離主義から離れ、取締役は配当にあたって「その状況において合理的な会計実務と原則」によることができるとして、会計専門家による会計原則が配当基準の計算を定める会社法においても指導的原理として機能することを認めた。GAAPが事実上のセーフハーバーとして取り扱われているわけである。その理由は、大部分の企業がGAAPによって規律されており、現金配当支払能力情報を提供するGAAPは配当規制目的と合致していること、裁判所は会計原則を選択することに不向きであること、1977年カリフォルニア一般会社法がGAAPを認めていること、等であった。

このようにGAAPを配当の適法性基準として受け入れる変化が生じた背景として、本論文は、1977年カリフォルニア一般会社法も1980年模範事業会社法も、資本制度を廃止したことを挙げる。表示資本を超える財産を債権者の利益のために保存しなくてもよくなったからである。

以上のような第2部、第3部において検討したアメリカ企業会計法の経緯から、次のように総括を行っている。まずアメリカにおける民間会計基準設定機関によることの是非に関する議論を整理して、わが国で議論されているのと同様の諸点が問題になっていることを確認する。そのうえで、アメリカの民間会計基準設定機関が、CAPやAPBのように個別問題アプローチをとると成功せず、FASBが概念的アプローチをとることによって初めて機能していることからは、会計慣行に依拠することの限界と、概念フレームワーク、さらにはその基礎となる会計目的の明確化が、会計基準の設定には必要であるとする。そして会計目的が複数になると、それを一つの会計基準によって追求しようとすると、当該会計基準の設定が政治的選択の問題となって困難になることを指摘する。そこでニューヨーク州会社法等においては、企業情報開示のための会計基準と異なる債権者保護のための会計基準を選択したし、カリフォルニア一般会社法のように、開示のための証券諸法の会計原則であるGAAPによった場合は、配当規制の方法に工夫をする必要が生じたとする。また会計基準の設定において異なる政策目的が追求されると、会計基準の設定は技術的問題から離れて政策判断の問題になることから、そのような判断を行う機関として民間機関が適切か問題になること、そのような機関としては、民主制の下、政治的正統性を有する議会なり行政機関がふさわしいという議論が避けられないとする。民間機関は私益の追求に利用される議論に対しては、何らかのチェック機能がそれに備わっていれば、正統性を有しうるという反論がなされているが、チェック機能を備えていたとしても、民間機関が複数の政策目的の優先順序を決定してよいということには直結しないと指摘する。

第4部「ドイツ法」においては、わが国における「公正なる会計慣行」という一般条項に類似した機能を営む「正規の簿記の諸原則」という会計基準に関する一般条項を商法に有するドイツにおいて、民間会計基準設定機関が導入された過程の検証を行い、わが国への示唆を求めている。

1861年一般ドイツ商法典は会計に関する規定はきわめて限定的で、商人の実務を基準とする解釈に委ねられていた。1897年商法典の会計規定もほぼ同様の内容であるが、正規の簿記の諸原則に従って帳簿を作成しなければならないことを規定した。これは慎重な商人の実務慣習が基準になることを明らかにしたものであった。その認定は事実認定の問題であるとされた。しかしこのような実務への信頼は、不適切な会計処理が横行するようになって裏切られた。そこで商人の実務に委ねる伝統的学説に対し批判が高まった。商人と第三者の利害に関わる会計基準を一方当事者の商人自身に決めさせてよいのか、どの商人の実務を基準とするのか、新たな会計問題については実務が存在しない等の問題が指摘されている。そこで伝統的学説に替わり、会計目的から演繹的に正規の簿記の諸原則の内容を定めるべきであるとする演繹説が通説となった。それは事実認定ではなく法律問題であるとされた。1985年商法典の下においても、演繹説の考えが解釈学的方法として採られている。株式会社に関する株式法の会計規定の解釈についても同様の考えが採られている。しかし演繹説も、複数ありうる会計目的のどれを優先させるかをめぐって考え方が分かれている。配当可能利益算定目的と会計報告(開示)目的のいずれを優先させるべきかが特に問題となっている。

ところがドイツにおいても1990年代に入ると、国際会計基準の制定にアメリカの影響が強くドイツの影響力が弱いことが憂慮され、その一因としてドイツに会計基準設定機関が存在しないことが問題にされた。またドイツの金融上の地位強化のため、アメリカの会計基準や国際会計基準をドイツ企業会計でも使用できるようにするとともに、会計規範透明化のためドイツに会計基準設定機関を設立すべきだということから、1998年に商法典342条が設けられ、民間の会計原則設定機関が規定された。これはコンツェルン会計に限って商法典が規定する「正規の簿記の諸原則」の解釈に関する会計原則を開発する民間機関と位置づけられている。同機関の策定した会計原則は、連邦法務省によって審査され公示されることによって、それを遵守して作成されたコンツェルン決算書に正規の簿記の諸原則を遵守して作成されたものと推定されるという効力を有する。このような限定的な効力のみを与えたのは、民主国原理、法治国原理といった立法権に関する正統性原理からくる制約があると考えられたためである。そして会計原則設定において独立性や公開性を要求していることも、公的セクターと民間セクターによる協同的規範定立に対する憲法上の正統性の確保を目指したものである。

第4部の総括として、日独の企業会計法がほぼ同一の思考に基づいており、民間会計基準設定機関が設立された経緯も類似していることを指摘したうえで、ドイツでは会計基準設定機関に関して法の規定を設けて、国家権力行使の正統性原理につながる構造を挿入して、会計基準の正統性の強化を図っているのに、わが国がそのような手当てを行っていないことの問題を指摘する。

最後に本論文全体の結論として、アメリカ、ドイツとの比較法から以下のような示唆が得られるとする。第一に、会計基準の定立において重要なのは、会計慣行ではなく会計目的であるとする。アメリカのFASBが概念的アプローチを採ることによって機能するようになったこと、ドイツの正規の簿記の諸原則に関し演繹説が採られるようになったように、会計基準の中身の決定には会計慣行でなく会計目的が重要だというのである。また複数の会計目的が同時に追求される場合には、会計基準の定立が政策の優先度の選択という政治的な問題になると指摘する。ここからわが国の商法会計が企業情報の開示とともに配当規制による債権者保護という政策目的を担っている限り、証券取引法会計上の企業会計原則が商法上の会計原則としてアプリオリに妥当することを認めることはできないとする。妥当することを認めるためには、商法上の債権者保護の内容をいかなるものにするか、商法の目的をどのように設定するか、目的の間の優先関係をいかに考えるか、等につき明確な基準が必要であるとする。

第二に、民間機関によって定立された会計基準をそのまま商法上も妥当させることは、商法の目的適合性の問題のほか、米独で指摘されているように、正統性の問題を生じさせうるとする。私益追求ではないかという批判がありうるし、商法会計の目的の内容や、複数ある目的の間の優先順位を決定できるのは誰かという問題があるからである。そうだとすればドイツに倣って、何らかの形で国家機関が民間会計基準設定機関をコントロールしなければならないのではないかと結論付けている。これに対しアメリカにある議論のように、何らかのチェック機能を内蔵することによって民間機関による政策判断も正統性を有しうるとか、最適な法制度の組合せは市場における競争によって獲得されるという考えもありうるが、いかなるチェック機能が組み込まれるべきか不安定であり、複数の目的の間における政策の選択も民間に委ねることができるかにつき、不透明であると指摘する。

本論文の長所としては、次の諸点が挙げられる。

第一は、会計規範の設定の在り方と主体という、商法会計法の根本的かつ喫緊の課題につき、正面から取組み、その分析枠組みを提示していることである。このような問題を理論的に取り上げるのは、商法と会計技術の問題を論じた田中耕太郎博士や矢沢惇博士の論文等以来のことである。本論文は、両博士の議論を商法会計法の歴史の中で位置付けたうえで、その後の変化、特に民間の財団法人財務会計基準機構の設立とそれへの商法会計規範設定の委任といった最近におけるこの問題の大きな進展を受けて、それを理論的にいかに受けとめるべきかという明確な問題関心の下で研究を行ない、政策目的や効率性と正統性の問題等、新たな観点からこの問題を捉えることに成功している。

第二には、会計規範の設定の在り方と主体という問題の分析に当たって、複数の視点から重層的に分析しており、そのことがこの論文に深みを与えていることである。第一の視点は、会計慣行の尊重から、開示目的や債権者保護、更にはその他の政策目的への配慮、会計理論の尊重といった、会計規範設定思想の変化である。このような視点からは、政策目的を追求すれば、会計規範は単一のものでなければならないのかとか、開示を専ら目的とする証券取引法の会計原則が債権者保護等をも目的とする商法の会計原則等になってよいのか、といった指摘に繋がっていく。第二の視点は、効率性と正統性の相克である。アメリカに見られるように、国ないし行政機関が自ら会計規範を設定するよりも、会計のプロフェッショナルによる民間の会計基準設定機関、更には市場に、会計規範の選択に委ねた方が、より効率的・スピーディに適切な会計基準の形成ができるという見方と、アメリカでも政治的に繰り返し問題とされ、ドイツでは民主国原理や法治国原理といった国家権力行使の正統性の問題と問われているように、民間の会計基準設定機関は、結局、私益に奉仕することになり、そこが定める会計基準は法規範としての正統性を勝ち得ないのではないか、といった見方が紹介され、また複数の政策目的の調整を果たすことができるのかといった指摘を行っている。前者から後者への再反論として、国自身が会計規範を設定すると経済合理性に政治が介入することになるのではないかとか、市場による選択ということ自体が正統性をもち得るのではないかといった論点も示される。最後の論点は、公法的な正統性の論理といわばソフト・ローの衝突という極めて注目すべき最先端の論点を示すものである。

第三に、アメリカ法、ドイツ法に関し、会計基準の設定の在り方とその主体といった観点にいての着実な歴史的研究がなされているが、これは従来にない研究である。特に、アメリカにおける連邦証券諸法における会計基準に関する法制の形成とその在り方への批判や論争、ドイツにおける正規の簿記の諸原則に関する理解の変遷や1970年代以降における民間会計基準設定機関導入を巡る議論や経緯は、わが国で殆ど紹介がされたことのないものである。

もとより本論文にも短所がないわけではない。

第一に、正統性の問題をどのレベルで分析するか、例えば、商法32条2項の解釈問題としてか、国法体系全体においてか、それを超えるメタ正統性のレベルにおいてかとか、会計の問題を法規範の問題と捉えるのではなく、事実の問題として捉える可能性はないのかとか、公権力の行使問題と私的自治の問題とがいかに交錯しているか等、分析の視点をより明確にすることが望まれるところである。

第二に、丹念な歴史的・比較法的分析を行なっているものの、なお、国際会計基準委員会が何故純粋な民間機関として設立され、それが証券監督者国際機構 (IOSCO) の承認を得て国際的会計ルールとして承認されるようになった背景は何かとか、アメリカの独立行政委員会に関する法規範的分析、アメリカにおける法規範設定の委任問題の正統性を扱う際の連邦と州における違いなどといった点に関し、比較法的研究における調査や配慮の足りない点が散見される。また歴史的・比較法的分析から一定の結論なり、問題解決への方向性を導くことに慎重に過ぎて、物足りない感が残る。しかしこの点については、却って学問的慎重さとして評価する考え方もありえよう。

このような問題点がないわけではないが、これらは本論文の学術的価値を必ずしも損なうものではない。本論文が提起した視点は、商法会計法だけでなく、公法的な公権力の行使の正統性とソフト・ローの問題等、新たな学問的地平を開くものでり、学界に対し重要な貢献をなすものと評価できる。従って、本論文は博士(法学)の学位にふさわしい内容と認められる。

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