学位論文要旨



No 118693
著者(漢字) 櫻庭,涼子
著者(英字)
著者(カナ) サクラバ,リョウコ
標題(和) 年齢差別禁止の差別法理としての特質 : 比較法的考察から得られるもの
標題(洋)
報告番号 118693
報告番号 甲18693
学位授与日 2004.02.19
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第178号
研究科 法学政治学研究科
専攻 民刑事法専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅野,和夫
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 フット,ダニエル
 東京大学 教授 長谷部,恭男
 東京大学 教授 荒木,尚志
内容要旨 要旨を表示する

日本では現在、年齢に着目した雇用管理を年齢差別として禁止することの是非が議論されている。この議論は当初、年金支給開始年齢が60歳から65歳に引き上げられ、法によって保障される定年年齢(高齢者雇用安定法は60歳未満定年を禁止する)との間に開きが生じる状況の下で、定年制を撤廃すべしとする論拠として用いられた。近年では、中高年齢者の再就職の促進を目的として、募集・採用年齢の上限を禁止することが検討されている。

年齢差別を禁止すべしとする有力な論拠として援用されるのは、1967年に米国で制定された、雇用における年齢差別法 (Age Discrimination in Employment Act ; ADEA) である。また、EU加盟国(アイルランドとフィンランドを除く)では従来、年齢差別禁止というアプローチをとってこなかったが、2000年に出された指令(2000/78/EC指令)により、各国は将来的に年齢差別を禁止しなければならなくなっている。

それら諸外国の法規制は日本の議論に際しても参照されるが、その前提として、それら諸規制の差別法理としての特質を考察し、年齢差別規制とは何であるのか、その性格を明らかにしておくことが必要である。年齢差別は他の差別(人種差別や性差別など)とは異なり、全ての者が必ず老齢になる、年齢は職務遂行能力の指標となりうるといった特殊性がある。そうした特殊性は法規制のあり方にも反映され、年齢差別の禁止と伝統的な差別禁止法との間には相違があると考えられるからである。

本稿はこうした問題関心から、第一に、米国とEUの年齢差別規制の趣旨について、それが人権保障としての差別禁止の一つとして(人種差別禁止などの延長線上にあるものとして)把握されたのか、雇用促進の政策手段として導入されたのか、あるいはそれらの趣旨が併存しているのかを分析する。そして第二に、仮にそれらの規制が人権保障としての差別禁止の一つと把握されるとしても、それは雇用保障のあり方や人事管理・処遇制度など雇用システムの根本的な変革を迫るものなのかを検討する。そして、それらの比較法的考察を通じて、第三に、年齢差別禁止の差別法理としての特質を析出することを試みる。EC指令が加盟国に及ぼす影響に関しては、ドイツをとりあげて検討を行っている。

第一の点(規制の趣旨)については、ADEAと2000/78/EC指令は、年齢差別規制を、人種差別、性差別の禁止などと同様、人権保障としての差別禁止の一つとして把握するものといえる。

ADEAについては、人種差別などを禁止する1964年公民権法第7編が制定されていたことが影響して1967年に制定された。そこでは、募集・採用、労働条件、解雇などの局面における年齢差別が包括的に禁止された。そして1978年、1986年法改正を経て人権保障を目的とする法規制としての性格を強め、定年制を撤廃するに至っている。

また、EUでは、年齢差別は他の差別(人種、性、宗教・信条、障害、性的志向を理由とする差別)と等しく取扱うという「水平的アプローチ」がとられている。それゆえ、年齢を用いたあらゆる雇用管理が原則として差別禁止の対象となりうる。逆差別(若年者に不利益を及ぼす年齢差別)、そして間接差別(中立的な雇用上の行為・措置が特定の属性をもつ集団に対してより不利益な影響を及ぼす(差別的効果がある)場合)をも禁止の対象としている。

もっとも、ADEAとEC指令の年齢差別規制は、一定の政策目的実現の手段としても捉えうる。ADEAは制定当初、中高年齢者の失業が問題になっており、その状況を改善することを主たる目的とした。それゆえ法の適用対象は40歳以上の労働者に限定されており、ADEAにおいて逆差別(若年者に不利な差別)は禁止されないと判示する裁判例もある。

EC指令では、年齢差別禁止により高齢者の就業率を引上げ、年金財政の改善に寄与することが期待されている。そして、中高年齢者に対する解雇からの手厚い保護、年齢給・勤続給などが、差別禁止の例外とされる可能性が高くなっている。ここから中高年齢者の利益増進をめざすという性格が看取される。

このように、ADEAでもEC指令でも基本趣旨としては、人権保障を目的とする差別規制であるということが前面に出されているが、雇用政策と共通する側面があるのである。さらに、ADEAとEC指令は、雇用システムに及ぼす影響にかかわりなくあらゆる差別を禁止するものではない。

つまり、諸外国の年齢差別規制が及ぼすインパクト(第二の点)については、それらの諸規制において、雇用システムのあり方との整合性が慎重に吟味されていることを指摘することができる。

ADEAでは、現在では定年制も禁止するに至っているが、法改正時には、定年制を撤廃したとしても、そのことにより新たに雇用を不安定化することはないと予測されていた。それは、解雇に正当事由を要しないとする随意雇用原則が支配するアメリカでは、高齢者の能力欠如を理由として解雇することが容易であり、被用者も定年に至る前に自発的に退職しているという雇用システムのあり方を前提とするものであった。さらに、ADEAの法的介入の程度を弱めるような法解釈の展開もみられる。差別的効果法理を用いて年齢差別を立証することが困難になっているのである。それにより、勤続年数が長く高額な賃金を受取っている者を解雇したり、あるいは賃金額を引下げたりすることが、違法な年齢差別であるとされる可能性が低くなっている。これは実際上、中高年齢者に対する解雇や賃金減額を許容することにつながりうる。

EC指令では、老齢年金の支給年齢に接合した定年、退職までの合理的な雇用期間が必要である場合の採用時の年齢制限など、年齢差別規制の例外が広範に認められている。実際、EC指令を国内法化したフランスは、老齢年金支給に接合した定年を年齢差別禁止の例外としている(従来から年齢差別を禁止しているフィンランド・アイルランドも同様である)。また、たとえばドイツでも定年制が年齢差別禁止の例外とされるとすれば、指令の国内法化が雇用終了の局面に関して甚大な影響を及ぼすのではないといえる。なぜなら、ドイツでは、アメリカとは逆に、すでに中高年齢者を保護する解雇制限が存在するため、これに年齢差別規制が新たに加わったとしてもその雇用保障の手厚さに変わりはないと考えられるのである。

以上の検討を踏まえると、年齢差別禁止の差別法理としての特質(第三の点)は、次の点にあると考えられる。すなわち、(1)極めて明白な年齢差別ともいえる定年制を許容する場合が多いこと、(2)逆差別、すなわち若年者に不利な年齢差別が規制の対象外とされ、あるいは正当化されやすいこと、(3)差別的効果法理によって違法な年齢差別が認定される可能性が低いことである。

これらの点は年齢差別規制の雇用政策としての側面の表れであると考えられる。まず、定年制が許容されるのは(EC指令)、定年年齢に到達すると通常ほとんどの労働者が労働市場から引退するため、それ以上の年齢の高齢者雇用を促進する必要性が低いからであると考えられる。逆差別が禁止されない、つまり年齢差別禁止の適用対象が一定年齢以上の者に限定されたり (ADEA)、中高年齢者をより手厚く保護する解雇制限規制が年齢差別禁止の例外とされたりするのは(EC指令)、それらを禁止することが、中高年齢者の保護や雇用促進を妨げるからであろう。差別的効果法理によって年齢差別を立証することが困難になっているのは、そこで問題となる場面が、中高年齢者の賃金コストを理由とする解雇・賃金引下げ等であり、それを差別として規制すると、賃金制度や人件費削減をめぐる企業の経営判断に介入することになるからであると考えられる。つまり、政策的配慮の結果として強力な法的介入を控えているといえる。

以上のような諸外国の法規制の考察は、次のようなことを示唆するものといえよう。すなわち、一般に、ある事由に基づく差別が違法であるとすると、その事由に基づく差別が包括的に禁止されるように思われるが、年齢差別に関しては、それが定年制なのか、若年者に対する差別か、設定されている年齢が何歳か、直接差別なのか間接差別なのかにより、規制の必要性・許容性を区別して議論することが必要になる。そして、年齢差別規制は、たとえその主たる趣旨が人権保護にあるとしても、それぞれの国の雇用システム・労働市場に甚大な影響を及ぼさないからこそ、包括的に年齢差別を規制すること、換言すれば、人権アプローチによる年齢差別規制が可能になるとみられる。

したがって、日本において、年齢差別禁止の是非を議論する場合には、日本の雇用システム・労働市場の状況を念頭に置いたうえで、定年制、募集・採用時の年齢制限、解雇、年功的賃金・人事処遇などを個別的に検討することが必要不可欠である。とりわけ定年制については、諸外国でもそれを年齢差別規制の例外とする場合が少なからずみられた。それゆえ日本でも、定年制は、その雇用保障機能(定年年齢に至るまでは個別労働者の能力欠如・成績不良を理由とする解雇を避けることができるという機能)にかんがみると、それを年齢差別として撤廃することは却って雇用の不安定を招来するおそれがあり、慎重な検討が求められるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

近年、日本においては、年金支給開始年齢引き上げによって60歳定年制と年金支給開始時期が接合しなくなることや、企業が募集対象として40歳未満等の上限年齢を設定する結果、中高年齢者の転職・再就職が阻害されていることから、アメリカやEUのように、年齢差別禁止規制を導入すべきではないかとの議論が高まっている。本論文は、このように立法政策上重要な検討課題となっている雇用の場面における年齢差別禁止の是非を検討するため、アメリカ法、ドイツ法・EU法を主たる対象として、第一に年齢差別禁止が規制目的において、人権保障としての差別禁止なのか、それとも雇用促進の政策手段なのかを検討し、第二に、年齢差別禁止規制は雇用システムを大きく変容させるようなインパクトを持つものとして制定・運用されているのかを分析し、第三に、これらの検討を通じて明らかとなる年齢差別禁止の差別法理としての特質を析出する。これによって、年齢差別規制については、包括的差別禁止のみならず、雇用システムとの関係を十分に考慮した多様な規制の仕方がありうることを明らかにして、日本の年齢差別規制の議論に示唆を与えようとするものである。

「第一章 問題の所在」は、本論文の問題意識と年齢差別規制の日本および諸外国の状況を概観し、本論文の検討課題を提示した部分である。日本では、年齢差別禁止に関する法規制は存在しない。しかし、年金支給開始年齢引き上げによって60歳定年制と年金支給開始時期が接合しなくなること、企業が募集対象として40歳未満等の上限年齢を設定する結果、中高年齢者の転職・再就職が阻害されているといった事情から、近時、年齢を基準とする人事管理を年齢差別として禁止すべきかどうかが議論となっている。その際、年齢差別禁止を支持する有力な論拠として、アメリカの年齢差別法(Age Discrimination in Employment Act、 以下「ADEA」)やEUで2000年に採択された「雇用および職業における平等取扱いについての一般的枠組を設定する、2000年11月27日の理事会指令2000/78/EC」(以下「EC指令」)等、諸外国の年齢差別禁止規制が援用される。しかし、本論文は、諸外国(アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アイルランド、フィンランド、ドイツ、フランス、イギリス、そしてEC指令)の年齢差別禁止規制を検討し、定年制の取扱い、法の適用対象年齢の上限等について相違が見られるなど、様々なアプローチがありうることを指摘する。

その上で、本論文は検討課題として次の三点を設定する。第一に、米国とEUの年齢差別規制の趣旨について、それが人種差別や性差別の禁止などと同様の人権保障としての差別禁止を目的とするものか、それとも、中高年齢者の雇用促進の政策手段として導入されたものか、あるいはそれらの趣旨が併存しているのかの解明である。第二に、年齢差別禁止規制は、雇用保障のあり方や人事管理・処遇制度など既存の雇用システムの根本的な変革を迫るものなのか否かの検討である。そして第三に、これらの比較法的考察を踏まえて、年齢差別禁止の差別法理としての特質を析出し、日本法への示唆を探ることである。

「第二章 アメリカ法」では、まず、1967年にADEAが制定されるまでの立法過程、および、その後の改正を膨大な一次資料を用いて分析し、その立法趣旨の解明を試みている。本論文は1967年制定のADEAにも不公正な差別を禁止するという趣旨が存したことを認めつつも、当初のADEAの主たる目的は、募集・採用時の年齢制限を禁止して、中高年齢者の能力に基づいた雇用促進を図ること、つまり、雇用促進という政策目的を達成する手段としての年齢差別規制であったことを指摘する。それゆえ規制対象は40歳以上65歳未満の者に限定し、定年制も禁止されていなかった。しかし、その後、高齢者の利益団体の活発な運動を通じて、年齢差別や定年制が人種差別や性差別と同様に人として生来有する人権に関わる問題であるという考えが広まり、1978年改正は適用対象上限を引き上げ、年金プラン上の定年制を違法化し、1986年改正は適用対象上限を撤廃するに至る。このようにADEAは次第に人権保障としての差別規制の性格を強め、包括的な年齢差別規制法へと発展していく。しかし、現在でもなお、適用対象を40歳以上の者に限定し、早期退職奨励給付を高齢者のみに提供することは明文で許容されるなど、中高年齢者の利益増進を目的とする性格は維持されている。

次に、ADEAの規制とその解釈運用が検討され、同法の雇用システムへのインパクトが分析される。ADEAが人権保障として年齢差別規制の性格を強めてきたといっても、例えば定年制撤廃に際しては、定年制を禁止しても解雇が一般に容易なアメリカでは高齢者の雇用管理や引退行動への大きな影響はないことが慎重に検討、確認されていた。また、解釈上も、年齢自体に着目した明白な差別を行わない限り、年齢と関係する要素を理由とする採用拒否・解雇・賃金減額等が年齢差別であることの立証は困難とされており、差別的効果法理についても一般には認められないなど、ADEAの雇用システムへの介入はそれほど強力なものではない。

これらの検討から、筆者は、公民権法第7編の人種差別や性差別と比較した場合のADEAの規制の特色を次のように指摘する。すなわち、人種差別や性差別では逆差別も禁止され、アファーマティブ・アクションは明白な不均衡の存在と逆差別となる集団の機会を過度に妨げないことが必要と解されているのに対し、ADEAの年齢差別規制では、逆差別(若年であることを理由とする年齢差別)が禁止されていないとする裁判例があり、少なくとも明らかではない。差別的効果法理についても、公民権法にはない「年齢以外の合理的な要素」の抗弁が設けられるなど、一般には認められていない。さらに、ADEAでは福利厚生給付における異別取扱い、高級管理職の65歳定年制等、人種差別や性差別では認められないような正当化や例外が許容されている。

「第3章 ドイツ法・EU法」では、まず、EC指令採択前のドイツ法の状況を概観し、年齢を基準とする異別取扱いは、判例においても法政策においても、性差別のような人格に関わる差別とは把握されていなかったことを明らかにしている。

これに対して、EC指令は、年齢差別規制は人権保障のための差別禁止の一つとして把握された。EC指令の根拠となるローマ条約13条は、年齢差別への取組みを「性別、人種または出身民族、宗教または信条、障害…性的指向に基づく差別」についての取組みと並んで規定しており、基本権憲章21条(差別禁止条項)においても、年齢差別は差別禁止事由のリストに加えられている。その結果、EC指令は、募集・採用から労働条件、解雇、退職にいたる雇用のあらゆる局面における年齢差別を包括的に規制対象としている。また、年齢差別の概念には、若年者に対する差別や間接差別も含まれる。しかし同時に、指令に年齢差別禁止が含まれた背景には、高齢化の進展の中で中高年就業率を引き上げて社会保障財政の改善を図る必要、年齢問題は労働市場政策に関連するという使用者団体の主張への配慮など、中高年齢者の雇用促進政策としての趣旨も認められる。

他のEU加盟国同様、ドイツは2006年12月までに指令を実施するため、雇用のあらゆる局面における年齢差別を包括的に禁止する国内法を整備しなければならないが、それはドイツの雇用システムに大きな影響を及ぼすとは予想されていない。2000/78/EC指令は、年齢差別規制の例外を広範に認めており、定年制についても指令前文の「引退年齢を設定する国家による定めを妨げない」という規定により許容される可能性が高いからである。

2000/78/EC指令の差別規制としての特徴としては、あらゆる年齢差別を原則として包括的に禁止しつつ、例外を広範に認めていること、とりわけ、人種差別や性差別においては、限定的にしか許容されない直接差別をも、他の差別における間接差別に関する正当化基準と同様の緩やかな基準で許容する点が注目されるとする。

「第四章 年齢差別禁止の差別法理としての特質」では、アメリカ法とEU法の検討を日本との比較を念頭に再度整理し、年齢差別禁止の差別法理としての特質を指摘し、日本法への示唆を探っている。まず、年齢差別禁止の差別法理としての特質としては、第一に、極めて明白な年齢差別ともいえる定年制を許容する場合が少なくないこと、第二に、逆差別、すなわち若年者に不利な年齢差別が規制の対象外とされ、あるいは正当化されやすいこと、第三に、差別的効果法理によって違法な年齢差別が認定される可能性が低いこと、を指摘する。そして、これらの点は年齢差別規制の雇用政策としての側面の表れであるとする。すなわち、定年制が許容されるのは(EC指令)、定年年齢に到達すると通常ほとんどの労働者が労働市場から引退するため、それ以上の年齢の高齢者雇用を促進する必要性が低いためと考えられる。逆差別が禁止されない、つまり年齢差別禁止の適用対象が一定年齢以上の者に限定されたり (ADEA)、中高年齢者をより手厚く保護する解雇制限規制が年齢差別禁止の例外とされたりするのは(EC指令)、それらを禁止することが、中高年齢者の保護や雇用促進を妨げるからであると解される。差別的効果法理によって年齢差別を立証することが困難になっているのは、そこで問題となる場面が、中高年齢者の賃金コストを理由とする解雇・賃金引下げ等であり、それを差別として規制すると、賃金制度や人件費削減をめぐる企業の経営判断に過度に介入することになるからであると考えられる。つまり、政策的配慮の結果として強力な法的介入を控えているといえる。

以上のような諸外国の法規制の考察から本論文は、次のような示唆を導く。ある事由に基づく差別が違法であるとすると、その事由に基づく差別が包括的に禁止されるように思われるが、年齢差別に関しては、それが定年制なのか、若年者に対する差別か、設定されている年齢が何歳か、直接差別なのか間接差別なのかにより、規制の必要性・許容性を区別して議論することが必要になる。そして、年齢差別規制は、たとえその主たる趣旨が人権保障としての差別禁止にあるとしても、それぞれの国の雇用システム・労働市場に甚大な影響を及ぼすほど強力な規制ではありえず、常に雇用政策的考慮とのバランスにおいて法規制の在り方を考えることが要請される。

したがって、日本において、年齢差別禁止の是非を議論する場合には、日本の雇用システム・労働市場の状況を念頭に置いたうえで、定年制、募集・採用時の年齢制限、解雇、年功的賃金・人事処遇などを個別的に検討することが必要不可欠である。そのような検討なしに、労基法3条の差別禁止事由の一つに年齢差別を加えたり、包括的な年齢差別禁止法を新たに制定することは適切でない。とりわけ定年制については、諸外国でも許容する例が少なくなく、その雇用保障機能(定年年齢に至るまでは個別労働者の能力欠如・成績不良を理由とする解雇を避けることができるという機能)にかんがみると、これを年齢差別として撤廃することは却って雇用の不安定を招来するおそれがあり、慎重な検討が求められる。

以上が本論文の要旨である。

本論文の長所としては、以下の点を挙げることができる。

第一に、本論文は、雇用における年齢差別の規制について、政策的アプローチと人権的アプローチとを対比させる独自の分析視角を設定し、また、これとの関連で年齢差別規制の雇用システムに与えるインパクトを検討することによって、高齢者雇用の問題に雇用政策として対処してきた日本やドイツと、年齢差別禁止規制によって対処するアメリカやEUのアプローチの違い、そしてその機能的類似性を明らかにしている。さらに、これらの検討から、年齢差別規制の特色を人種差別・性差別等の典型的差別禁止規制との対比で浮き彫りにしている。本論文は、これらの点で雇用における年齢差別について、独自の説得力のある分析を提示している。

第二に、これまでの日本における年齢差別禁止に関する議論は、定年制や募集採用における上限年齢設定という個別の場面において年齢を理由とする処遇の違いを禁止すべきか否かという論点から、一足飛びに年齢差別禁止の是非を論ずるなど、粗雑なものであった。これに対し、本論文は、諸外国の年齢差別禁止法制を包括的・横断的に比較検討し、年齢差別の規制については多様なアプローチがありうること、人権としての差別禁止を趣旨とする場合であっても、雇用政策的な考慮が十分に払われていることを明らかにした。この点で、本論文は従来の議論水準を大きく引き上げ、学界への貴重な貢献を行っている。

第三に、アメリカとドイツ・EUにおける年齢差別の法規制について、その沿革と現状を詳細かつ網羅的に明らかにしている。とりわけ、従来ほとんど検討されてこなかったADEAの立法過程の詳細な分析は学界に裨益するところ大である。

第四に、本論文の叙述は平明で論旨も明確であり、論文の構成もよく整理されている。

もっとも、本論文にも短所がないわけではない。

第一に、本論文の人権と政策の対比による分析は、人種や性の差別禁止法理との比較で年齢差別禁止の特色を浮き彫りにするという点で有効であったともいいうるが、そこでの人権の把握については、蓄積された人権概念に基づくさらなる精錬がなされていれば、より視野の広い差別禁止法理の解明となり得たであろう。

第二に、雇用システムへのインパクトの検討は、各国における企業の人事管理の諸側面により踏み込んだ分析を行ったり、経済学分野における分析の成果を取り入れる等、さらに掘り下げる余地も指摘できる。

しかし以上のような問題点も、本論文の価値を大きく損なうものではない。本論文は、年齢差別の規制のあり方という困難な課題に取り組み、その差別規制としての特色を明らかにし、雇用システムとの関係を考慮した政策選択の幅と可能性を提示することによって学界へ大きく貢献したことは明らかである。よって本論文は、博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと認められる。

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