学位論文要旨



No 118695
著者(漢字) 筒井,美紀
著者(英字)
著者(カナ) ツツイ,ミキ
標題(和) 高卒労働市場の閉鎖化と就職指導・斡旋における構造と認識の不一致
標題(洋)
報告番号 118695
報告番号 甲18695
学位授与日 2004.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第98号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 苅谷,剛彦
 東京大学 教授 金森,修
 東京大学 助教授 廣田,照幸
 東京大学 助教授 恒吉,僚子
 社会科学研究所 教授 佐藤,博樹
内容要旨 要旨を表示する

本論文の目的と先行研究の検討(第1章)

本論文は、「積極的進路保障」という職業指導・斡旋上の目標が実現されているのか否か、実現されていないとすればなぜなのか、についての解明を目的とする。この進路保障は、「就職できればどこでもよい」といった消極的なものではなく、高卒就職者育成の方針を持ち、職域高度化の機会がある企業に就職させようとする積極的な目標である。高卒就職者は、わずか18歳で、諸個人にとって経済的・社会的・文化的に大きな意味を持つ職業世界へと、足を踏み入れていく。それゆえ高校が、彼らがより望ましいライフ・チャンスの第一歩を踏み出すのを、どれほど助力できているのかについての解明は、重要な課題なのである。

「高卒労働市場と高卒就職制度は大きくズレている。その原因は、高卒求人が質量ともに悪化したことにある」という、高校から職業へのトランジションに関する先行研究の命題からは、積極的進路保障の実現の困難さが容易に想像される。しかし、高卒労働市場の構造は、本論文の問いに対する解答の一部にすぎない。如上の命題は、以下3つの問題点を持つ。第1、高卒求人の質量悪化の原因分析が不充分である。第2、質の悪化を言うのであれば、入職口のみならず、入職後のあり方の変化について実証する必要がある。第3、高校斡旋による正規就職のシェア低下という意味でのズレはその通りとして、シェア内でのズレ=ミスマッチングの分析が不充分である。なぜ先行研究は、これら3点について必ずしも充分に解明してはこなかったのか。第1点と第2点は、企業規模に充分な注意を払わず、かつ企業内部に深くメスを入れていないため、分業体制・雇用行動の多様性が捨象されたことにある。第3点は、労働需要構造と教師によるその認識の一致を前提としたため、その不一致がもたらす積極的進路保障に相反する帰結が見落とされたことにある。以上の課題の解明に不可欠なのは、企業・労働研究の知見・視角・方法の積極的援用、ならびに「新しい組織論」(March=Olsen1976) の視角に基づく分析である。

知見

新規高卒求人の質量悪化の原因は、先行研究が指摘する高学歴代替、非正規雇用化ばかりではない。これらは大企業によく当てはまる現象であって、100-299人・300-999人規模の中小企業では、若年中途正規採用男性による新規高卒男性の代替が生じている。こうした労働力選好の理由としては、加齢による精神的成熟 (Osterman1980) がある。つまり、労働に対する適切な態度と、生活のために働く態度が重要であると見なされている。

新規高卒求人の質量悪化の原因として、非正規雇用代替も指摘されている。しかし非正規雇用については、直接雇用と間接雇用の相異にも留意すべきである。直接雇用による代替よりもその人数規模が大きい「間接雇用によるマス代替」は、周辺的職務のみならず、基幹的職務の求人をも停止させる。業務請負は、生産一式の受注を通して、入職後のキャリアや技能の形成機会を取り去っている。なお、業務請負企業において現場管理者の地位に達した若年者は、労働条件が相対的に劣り、かつ短期的な見通ししか立たない状況の中で、技能・知識と管理能力を積み上げてきている。第2章の知見と合せると、既卒若年層は新規高卒就職者に対して、精神的成熟ならびに技能・知識と管理能力の両面における労働力の質的ライバルである、と言える。

男性技能工内における、「柔軟であいまいな分業」から「明確で固定的な分業」への変化は、学歴をモメントに、大企業ではなくむしろ中小企業で起こっている。これが生じる企業外的条件は、高卒就職者の激減と大卒採用の易化という、2つの労働力供給源の組合せである。「明確で固定的な分業」への変化は、能力要件の上昇ではなくむしろ、新規学卒就職者の学歴構成とその人口規模の変化によって、上級学校卒の就職者が下位職務に降りてくることで生じている。大企業には、高卒者の間接工養成システムがあるのに対して、高等教育卒採用が可能であるような中小企業では、専修学校卒を越えて大卒を下位職務に配置している。他方、企業規模がさらに低下すると、大卒採用は非常に困難である。そうした企業では、高卒を現場作業者として採用し、そこから現場管理者や設計といった上位職務へと育てていくという従来の方法をとっている。しかし同時に、キャリア・ルートの急勾配化も生じている。初期段階の勾配は、過去も現在もほとんど変わっていないのに対して、初期段階を過ぎるあたりから、勾配がよりきつくなってきている。キャリア・ルートの急勾配化は、達成までの要求時間の短縮によるところが顕著である。その原因は資格社会化、知識社会化であり、企業の外部かつ上位に、評価・規制装置が制度化されることによって、企業内部の技能工労働者にする強制力が増す。キャリア・ルートの急勾配化への対応は、かつてより多くの技能工労働者に要求されるようになってきており、そのためには形式知の習熟が不可欠である。

就職指導担当教師は、労働需要の変化を、狭隘化・玉石混交化として捉えており、その中で「積極的進路保障」を達成するに望ましい就職先として「実績企業」が浮かび上がる。しかし、高卒者を育成する姿勢と職域高度化の機会が各々の「実績企業」に存在するか否かが、きちんと確かめられているわけではない。企業内部の構造について知識や情報が得られるような取引関係があるわけではなく、ここから構造と認識のズレが生じている。すなわち、職域高度化の機会が閉鎖化している企業に、教師は閉鎖化していないと思って生徒を就職させている。「実績企業」であるという認識が、人材ニーズの「質」について過大評価をもたらしているのである。他方で教師は、職域高度化の機会が閉鎖化していない企業を、閉鎖化していると思っており、これは他社の経験から抽象化した一般論の、継続性の低い企業への当てはめから生じている。外部環境すなわち労働市場の不確実性・不可視性におかれたとき、従来の移行システムが構築してきたところの、教育的価値観と認識の仕方が強化されるということ、具体的には、過去の遺産たる「実績企業」への依存というリアクションを、教師はとっているのである。

理論的インプリケーション(第6章)

近年のトランジション研究における問題点の1つは、「技術的機能主義とでもいうべき考え方」(Karabel=Halsay1977) によって、企業の分業体制・人員配置の多様性が欠落したこと、それゆえ構造と認識の一致という前提を導き出したことである。経済・技術の高度化→教育拡大→高学歴者需要・採用の増大→高卒者の職域閉鎖化という因果連鎖の命題は、全体的趨勢としてはそうであるにしても、高学歴者の採用が容易であることを前提としている点、ならびに、高学歴者の採用が常に技術の高度化に対応しているわけではないことに注意を払っていない点で、この命題は問題なのである。

「リンケージ・モデル」(Rosenbaum2001) は、情報の量ではなく質こそが、労働市場プロセスの改善において決定的に重要であることを浮かび上がらせた、と言う。これに対して本論文は、高卒就職者にとっての機会構造の悪化は、企業-高校間で交換されにくい情報は何かという問題を明るみに出し、情報の質に加えて種類もまた重要であること、さらには、どの社会関係がより効果的なのかは情報の種類に拠る、ということを加える。

繰り返せば、新規高卒就職者の質的ライバルはキャリアを積み上げた既卒若年層である。では、高卒就職者は今後ともこうした職業達成が可能なのだろうか。本論文の分析を踏まえると、それは疑問である。仕事に対する適切な態度は加齢の関数となり得ても、知識やスキル(特に認知的能力)については大きな疑問符が付く、と言えるのだ。それゆえ、職域高度化機会が閉鎖化した企業への入社は、次のようなパラドクスを生み出す。すなわち、職域高度化の機会がないとして早期離職すると、それが負の意味を帯びて転職が困難になる。アメリカのようには「アガキ・モガキ期」が当然ではない日本では、早期離職はアメリカと比べてずっと負の意味を帯び、人格特性的問題点のシグナルとして読まれかねない。それでは、負のラベルを貼られない程度まで勤続すればよいのかというと、職域閉鎖化のゆえ、必要な知識やスキルが身につかない。それで転職しても、能力不充分と見なされてしまう。新規一括採用・長期勤続という従来機能してきた制度が、若年労働市場の流動化に及ぼす影響として、如上のパラドクスがひとつの仮説として提示できる。

政策的インプリケーション(第6章)

「出口指導ではない指導」は、高卒就職者にとって客観的にあり得る労働移動や職業達成についての情報を必要とする。初職と後の時点 subsequent years との関係の解明は、高校から初職への移行の新たな異なる視点からの把握・評価を可能にするからである。

生徒の希望・意志尊重のみでは、ミスマッチは解消しない。キャリア・ルートの急勾配化に見られるように、形式知の習熟と密接に関連した、後々に顕在化するレリバンスが存在するからである。

「出口指導ではない指導」と「形式知の習熟」は、企業との協働において取り組まれるべきである。企業内部の分業体制・人員配置、教育訓練システムの中で、何が問題化しているのかについての情報交換は、企業と高校の双方を変容する力を持っている。責任主体から構造への発想転換に他ならないこの協働は、高卒就職者が一人の自立した責任主体となるプロセスに、大いに寄与するものである。

審査要旨 要旨を表示する

1990年代以後、無業者の増大など、高卒者の進路保障をめぐる問題が喫緊の課題となっている。高卒就職者への明確な育成方針を持ち、職域が高度化する就職機会へと生徒を就職させようとする積極的な意味での進路保障は、いかにして可能か。本論文は、このような問題意識に立ち、高校から職業への移行に伴う困難な課題を、進路指導に限らず、労働市場の構造的な変化や、企業内での人材育成システムの変化にまで射程を広げて、実証的に解明しようとするものである。

1章では、「積極的進路保障」の概念を提示し、先行研究の批判的検討とマクロ統計による新規高卒就職の変化の分析を通して、その実現をはばむ要因を分析するための問題設定と分析枠組みの提示が行われる。2章では、主にマクロ統計の分析によって、高卒労働市場の閉鎖化の実態が解明される。高学歴代替、中途正規採用代替といった現象に注目し、従来の研究が等閑に付してきた企業規模やジェンダーによる違いを考慮に入れた分析により、中小企業では若年中途正規採用男性による新卒男性の代替が生じていることが解明される。3章では、マクロデータと調査対象地となったある県の統計資料および企業インタビューデータを用いて、間接雇用の増大が、新卒者への代替を大量に引き起こしている事実が詳細に解明される。

4章では企業内部の分業の変化が、高卒採用の縮小に及ぼす影響について、企業の事例研究をもとに明らかとされる。資格(知識)社会化の影響のもとで、製造業技能工へのより高度なスキルの要請とその習得期間の短期化といった、初期キャリアの「急勾配化」が生じており、それが高卒者のキャリアルートを狭めているといった新たな知見が示される。5章では、労働市場及び企業内のキャリアルートの変化がもたらす、高卒者の職域閉鎖化が、進路指導担当教師に認識されない原因を、教師インタビュー調査を用いて分析する。その結果、高校-企業間の「実績関係」への依存が、職域の閉鎖化を見えにくくさせていることが判明する。6章では、各章の知見をまとめ、その理論的、政策的意義について考察する。職域閉鎖化がスキルの習熟の機会を狭め、若年労働市場の流動化を促していること、その事態が進路指導の場面で生かされる情報として企業-高校間のリンケージにのらないことなどが指摘され、その結果、積極的進路保障が阻まれると結論づけている。

以上のように、本論文は、労働市場と企業内部の変化にまで対象を広げ、学校教育にとどまらず、企業内の人材育成との関連から、現代の高卒就職者にとって知識・スキルの習熟とキャリア形成の機会が縮小する仕組みを明らかにし、さらには、この課題に高校の進路指導が応えることが困難になっているメカニズムを解明した点で、今後の教育研究に重要な貢献をなすものと考えられる。このような点から、博士(教育学)の学位論文として十分な水準に達しているものと認められる。

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