学位論文要旨



No 118696
著者(漢字) 野村,崇弘
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,タカヒロ
標題(和) 中国の移行経済における腐敗問題 : ロシアの事例との比較
標題(洋)
報告番号 118696
報告番号 甲18696
学位授与日 2004.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第459号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 若林,正丈
 立教大学 教授 高原,明生
 東京大学 教授 恒川,惠市
 東京大学 助教授 木宮,正史
 東京大学 助教授 田原,史起
内容要旨 要旨を表示する

腐敗は時代や社会は違っても存在する普遍的現象であるが、中国やロシアのように計画経済から市場への移行過程にある社会では、しばしば支配的システムに込みこまれた「制度」となる傾向がある。本論文では、腐敗を「公的権限(およびそれへのアクセス)を利用して個人や集団の利益を追求する行為」として、レントシーキングと同じ範疇で捉え、その要因や過程よりは経済的効果に注目し、移行経済におけるその機能を分析している。

経済学者の多くは腐敗の弊害を指摘するが、そもそも政治的要因によって市場が不完全であるとか、民間部門の財産権が制約されているなど取引費用が高い条件下では、腐敗(賄賂、横領および形式的には合法的な私有化)を通じて資本蓄積を促進するとか、官僚との個別的関係を通じてビジネスに必要な便宜や「保護」を得ることで不確実性を緩和し、結果的に市場化や民間部門の発展を促進する側面もある。これは1960 年代の近代化論(機能主義論)の論点であるが、中国については少なくとも90 年代半ばまでは、こうした仮説がある程度適合する条件があった。問題はその「条件」はいかなるものなのかである。

本論文の中心的議論は、腐敗の経済的効果は、一定の初期条件(資源賦存、投資環境、市場や財産権制度の状況)を背景に、独立変数であるアクター(官僚、企業)の行動に作用する媒介変数(誘因とコントロール)のバランスによって変化するということである。

ここでアクターに対する誘因とコントロールを与えると同時に、長期的にシステムの効率を改善するために適切な改革を進める国家(指導者)の役割が重要となる。

第1章では、初期条件として移行期の不完全な市場とそれが生み出すレントシーキングの機会と誘因について論じた。市場システムが導入されても国家による介入や規制がなくなったわけではない。「市場の機会」が官僚的特権と結びついたとき、レントシーキングを拡大する。80 年代の中国でレントシーキングの大きな要因になったのは二重価格制である。二重価格制は、市場の発展が制約を受けている状況では、資源配分を効率化する効果があるが、レントシーキングによる弊害もある。同じレントシーキングでも、中国は、生産過程に介入して収入を最大化する官僚ビジネス型のレントシーキングが主流であったのが、ロシアではエネルギー産業や銀行による、天然資源や金融レントをめぐる収奪的レントシーキングが多かった。ロシアでは国家による資源の独占の解体によって、レントの分配をめぐる競争が激化したが、中国ではレントを抽出する経済的余剰をつくるためにある程度は生産的企業活動を促進した。また中国では獲得されたレントの多くが国内の投資や消費に回されたのに対して、ロシアでは投資環境の劣悪さのために資本流出が深刻となった。

第2章では、腐敗の政治的コントロール(反腐敗)の問題について、政治指導者の戦略を中心に論じた。腐敗の取締りは、経済的社会的弊害というよりは指導者レベルの政治的関心(政権の安定と正統性)から行われることが多い。取締りとしての反腐敗は、腐敗の制度的誘因を減らすというよりは、腐敗に対する選択的な摘発・処罰を進めることで民衆の不満を緩和することに重点が置かれ、政敵に対する攻撃の手段として使われることも多い。指導者が十分な資源と意志を持っていれば、権威主義体制のほうが腐敗取締りに有利な部分もある。しかし権威主義体制の指導者は民主体制よりも正統性の基盤が弱いので、体制内外の反対者からの腐敗の追及に対して脆弱である。指導者は腐敗の取締りに努力しなければならないが、他方で追及を強めると既得権益者である体制エリートの反発を受ける危険があるので、反腐敗の広がりには自ずと限界がある。指導者の役割が重要だという点は、エリツィンとプーチンの腐敗問題への取組みの違いに明確に見られる。江沢民は経済構造の変化を背景として〓小平よりは腐敗取締りに真剣に取組むことを求められているが、権力闘争の手段として反腐敗が利用されるという点ではむしろ顕著になった。

第3章では、分権化と腐敗、経済パフォーマンスの関係について論じた。分権化は国家内部における資源と権限の再分配によって中央と地方の力関係を変える。ロシアでは、ソ連末期の混乱によって地方の自律性が高まり、知事や議員が選挙で選ばれるようになるとそうした傾向がますます強まる。中央は財政的集権制を維持し、地方をコントロールするために補助金を利用した。このため地方は税収基盤を拡大する誘因が弱く、企業に対しては保護するのではなく収奪の対象とした。このため取引費用が非常に高い環境となり、生産的投資は制約を受けた。中国では財政請負制によって地方財政の収入と支出がリンクするようになった。地方政府は財政収入と雇用の拡大をめざして郷鎮企業の発展、外資の誘致を通じて経済成長を追求した。この過程で地方政府は、行政機関の企業化、地域的独占を組織することなどを通じて経済的収益の最大化をめざした。地方開発主義と保護主義は、不完全な市場に対する政治的な介入と操作をともなうレントシーキング行為である。中央政府は、地方を厳密に監視する能力は持たないが、地方主義が結果として経済発展に寄与する限りは容認してきた。しかし過度の腐敗や犯罪行為に対しては、党の組織的規律と人事権を通じたコントロール能力を維持した。腐敗の分権化という点では同じだが、ロシアでは経済的集権制と政治的分権制の組み合わせが経済的停滞をもたらした。中国では逆に経済的分権と政治的集権制によって誘因とコントロールのバランスを維持した。

第4章では、国有企業改革と民営化をめぐる腐敗について論じた。ロシアでは92年以後急速に民営化が進んだが、中国は公有制の基本構造に手をつけないまま、国有企業の経営自主権を拡大し、収益と待遇をリンクすることで効率化と生産拡大を誘因付けようとした。同時に国有部門の外部に非国有部門を発展させることで、市場競争を促進した。経営請負制は生産面ではある程度成果をあげるが、情報の非対称性を拡大し、企業経営に対する監督が困難となったことで、国有財産の流出(事実上の私有化)が進んだ。しかし非公式の財産権の移転は国家内部の資源の再分配に留まり、エージェントは既得権を守るために公有制にコミットする。中国の資本家階級は国家に寄生する官僚資本家か国家に収奪される脆弱な私営企業である。これに対してロシアでは、民営化によって莫大な国有資産がオリガーキー、マフィアなどの「民間部門」に合法的に移転した。その結果国家と社会の力関係が大きく変化する。バウチャー民営化も結果として、企業経営の効率化には結びつかなかった。小規模な民間企業は腐敗と犯罪の犠牲となってインフォーマル化し、投資や生産活動が制約を受けた。民営化の最大の受益者となった大企業は、既得権益を維持・拡大するために政治に影響力を行使しようとし、キャプチャー型腐敗が深刻化した。

第5章では、中国における市場化、分権化、国有企業改革の矛盾が集約的に表現された典型的な腐敗・レントシーキング行為である密輸について論じた。中国では1980 年代以降、高関税や輸入規制などの貿易障壁のために割高になっている消費財や生産財の密輸が急増した。中央政府は、密輸が財政収入を奪い、「不公正な競争」によって国内産業に打撃を与えるとして、とくに1998 年から取締りが強化された。中国の密輸活動は地方幹部の腐敗と一体化していることが多い。密輸は個別の地方や集団にとっては大きな経済的利益をもたらす。その収益性は国内需要の状況を背景に、商品の内外価格差と腐敗の程度に応じて増加し、摘発や処罰のリスクによって制約を受ける。密輸はレントシーキング活動であり、非合法的な手段によって政府と国有企業によって独占されている経済的レントを密輸者(および賄賂を受け取る官僚)と消費者の間で再分配する行為である。これに対する取締りは、政府の側で奪われたレントを取り戻そうという試みであるが、不完全な市場がもたらす誘因と機会を取り除かなければ、根本的な解決にはならない。

筆者は、中国の移行期経済における腐敗の「機能」的側面を強調したが、経済パフォーマンスは構造的、制度的、政策的要因の複合的作用によるものであり、腐敗との因果性は明らかでない。ここで指摘されるのは、ある発展段階においては腐敗が経済成長と両立しうる蓋然性 (plausibility) があり、中国は相対的に有利な初期条件を背景に、アクターに対する誘因とコントロールのバランスにおいて、ロシアよりは「うまくやった」ということに留まる。またこうした政策上の「利点」は、資本主義的発展の初期段階の特殊な歴史的条件に依存したもので、長期的に持続可能ではないことも事実である。

1990 年代後半になると市場の統合と競争激化によって国有部門の特権とレントの幅は縮小している。市場が発展し、必要な物資や資金を自由に調達できるようになれば、競争力をつけた非国有企業にとっては政府との「関係」はむしろ重荷となるだろう。国有部門が事実上解体し、郷鎮企業が不振に陥り、外資と民間部門の重要性が高まることは、財産権を明確化し、政府と企業の関係をよりグローバルな市場経済の基準に近づける圧力になる。1980 年代の混合経済体制下で形成された中国の「腐敗経済」は、90 年代中期にそのピークに達したように見えるが、現在の中国は国有企業のリストラに伴う失業、貧富の差、銀行の不良債権など構造的問題を抱えている。計画経済の遺産が最終的に清算され、成熟した資本主義社会への転換が進むまでは不安定な状況が続くと予想される。

審査要旨 要旨を表示する

中国経済は、1980年代以降のいわゆる「改革と開放」の時期において、市場経済化と経済近代化という二重の移行過程にあり、この間急速な経済成長とともに、広汎な腐敗現象が現れている。市場経済化への移行とそれに伴う腐敗の蔓延という点では、同時代のロシアも同様であるが、経済パフォーマンスは中国のほうが優れているという差異が観察される。本論文は、この中国の移行期経済における腐敗現象と経済パフォーマンスとの関連を、政治経済学的観点から、しかもロシアの事例との比較において、検証した力作である。主として対象とされている時期は、1980年代から1990年代前半までの時期である。

筆者は、システム移行期の中国とロシアを比較する独自の枠組を作り上げ、それによって両者を比較するアプローチをとり、市場経済化とレントシーキング、中央指導者の腐敗取締、政治的・経済的分権化と地方政府の行動、国有企業改革と民営化と腐敗の関連、密輸問題など、関連する広汎な問題領域を分析した。その上で、移行経済国における腐敗の経済的機能(経済発展を阻害するかどうか)は、移行の初期条件および官僚や企業などのアクターの行動に作用する外的制約(腐敗行為の誘因と腐敗に対する政治リーダーによるコントロール)の間のバランスに依存し、中国の場合は1990年代前半まで経済発展に有利なバランスが存在し得たとの結論を得ている。その有利なバランスとは、移行の初期段階における市場や財産権の不完全度は高いが、エイジェント(特権的な党・政府官僚)を、ある程度生産的な活動に誘導するような経済構造と投資環境が存在し、同時にエイジェントが強力な既得権益層を形成して経済発展の障害となることを防ぐトップ政治エリートによる政治的コントロールが可能であるような、そういうバランスである。筆者によれば、こうしたバランスは、中国では1990年代後半からしだいに失われている。

論文は、論文本体A4版176頁(400字詰原稿用紙換算590枚)で、序章と結論を除き全5章で構成されている。文献注は本論中に埋め込まれ、その他の注は脚注として付され、本文に対して事例データ、関連文献の提示や補足的論点を示すものとなっている。また、本論の理解を助けるため8葉の図と19個の表が本論中に挿入され、巻末には文献目録が付されている。

序章では、上記の問題の提示が行われるとともに、分析枠組が提示されている。筆者は、腐敗を「公的権限及びそれへのアクセスを利用して個人や小集団の利益を追求する行為」と定義し、このような行為は、そのアクターにとっては、単なる個人的逸脱やモラルの欠如、あるいは一定の文化的要因に影響される行為ではなく、制度的制約下の合理的行為である、と捉える。その上で、腐敗の経済的効果は、資源賦存、投資環境、市場や財産権制度の状況などの初期条件を背景に、官僚・企業などの政治・経済的アクターの行動に作用する腐敗の誘因と腐敗に対するコントロールのバランスによって変化するという仮説を提起する。腐敗の誘因とは、腐敗の機会と収益性であり、コントロールとは、腐敗に対する中央政治エリートの監視と制裁である。腐敗から得られる収益が、浪費や資本逃避でなく生産的投資に回されるようなら、腐敗が必ずしも経済成長を妨げないと言える。

筆者が採用する腐敗の広い定義においては、レントシーキング、すなわち裁量権、コネ、賄賂などを利用して市場競争を制限することで生産の機会費用を超える利益を追求する行為も腐敗に含まれる。第1章「『市場』とレントシーキング」は、中国とロシアの移行期の不完全な市場がもたらす「市場の機会」において発生するレントの構造、レントシーキングの手段、獲得されたレントの再投資用途の違いについて論じている。筆者によれば、急激な市場経済化と民営化のため天然資源や金融業に巨大なレントが生じ、エリート間で既存資源の再配分による収奪型のレントシーキングが激しく展開され、投資環境の劣悪さのため獲得されたレントが深刻な「資本流出」へ向かったロシアに対し、80年代中国の混合経済体制の下では、レントシーキングはむしろ計画部門からより競争的な市場経済部門、非国有部門への資源の移転を促し、また獲得されたレントの大部分は国内に再投資された。このような対比から、筆者は「腐敗した市場でも市場が存在しないよりはましである」との命題に同意できるとしている。

第2章「反腐敗の政治」では、不完全市場におけるレントシーキングの政治的側面、すなわち中国の〓小平と江沢民、ロシアのエリツィンとプーチンによる腐敗の政治的コントロールの事例を検討している。筆者によれば、反腐敗の政治における最高リーダーの最優先の課題は、リーダー個人の権力基盤の維持や体制の安定であり、そのために腐敗に不満を持つ民衆をなだめるとともに、腐敗の受益者であり体制の担い手でもある幹部の支持を失わないようにしなければならないというジレンマに直面する。この点では、一応民主選挙という手続きで正統性を調達・更新できるロシアのプーチンに比して、中国共産党リーダーは総体的に大きな脆弱性を抱えているといえる。

第3章「分権化と地方政府」は、計画経済体制の改革とともに展開した分権化と地方政府(幹部や指導者)の機会主義的行動としての腐敗やレントシーキングと経済パフォーマンスとの関連を論じている。筆者によれば、政治的分権化が進む一方で財政的集権制が維持されたロシアにおいては、地方政府が中央からの補助金に頼りつつ企業を収奪の対象としたため生産的投資が制約を受けた。これに対し、政治的集権制は維持される一方財政請負制により地方財政における収支がリンクすることになった中国の地方政府は、地方開発主義と保護主義、すなわち行政機関の企業化と地域的独占の組織などを通じて経済的収益の最大化を目指した。中国の中央指導者は、腐敗が蔓延しても結果として経済発展に寄与する限りはそれを黙認してきたのであった。

第4章「企業制度改革と『民間部門』」は、財産権の基本制度と構造にかかわる改革、すなわち企業制度改革と「民間部門」の創設過程における腐敗とレントシーキングについて論じている。筆者によれば、1990年代初期のロシアでは、官僚による経済的独占を打破して民間部門を作り出すことが優先され、公有制の解体と民営化が急激な形で行われたのに対し、中国では、公有制の外部に企業を発展させ、市場競争を促進する形をとった。国有企業については、国家による生産手段の支配自体は変更せず、その企業資産を利用して利益を得る機会を与えた。これは、一種の国有企業経営の分権化であり、経営者に資金フローを増やすインセンティヴを与えると同時に、中央のコントロールの維持もしやすい改革であった。このため、中国では上からのコントロールのもとに国家内部における権限と資産の再配置を通じて官僚の「資本家」への転身が進行したが、ロシアでは、国家から民間部門に安価に大量の資産が移転され、国家は弱体化して「マフィア支配体制」あるいは「強盗資本主義」と称されるような奇形的な政治経済システムが形成された。

第5章「中国の特色ある腐敗:密輸」では、1980年代以降急増した消費財、さらには生産財の密輸入と98年以降強化されたその取締が分析されている。筆者によれば、ロシアにおいては、急速な貿易統制の撤廃により、国内生産を保護しない形で輸入により消費財不足の解消が行われているため、中国とパラレルな状況が現出していない。中国では、経済体制改革の進展が漸進的であって、商品の内外格差とそれを規制する官僚の特権が温存される状況が長く続いているため、市場化、分権化、国有企業改革の矛盾が集約的に表現されたレントシーキングとして密輸が続いている。密輸は、この意味で「中国の特色ある腐敗」である。密輸は、保護政策によって国内企業が得ているレントを非合法な手段によって密輸業者および彼らと癒着している官僚に移転するレントシーキング行為であり、その収益性は、国内需要の状況を背景に、商品の内外格差と腐敗の程度に応じて増加し、摘発や処罰のリスクによって制約をうけるものである。密輸取締は、奪われたレントを奪還しようとする政府側の行為であるが、不完全な市場がもたらす誘因と機会を取り除かなければ解決しない。

最終章は「結論」である。まず、各章での議論が、筆者が提起する仮説の3要素、すなわち(1)初期条件、(2)アクターの誘因、(3)コントロール、に沿う形で総括され、冒頭に紹介した結論と展望が確認されている。

以上が本論文の概要であるが、本論文の最大のメリットは、中国の移行経済における腐敗問題について、(1)独自の分析枠組を形成して、(2)腐敗と経済パフォーマンスとの関連という焦点をはずすことなく、(3)ロシアとの比較において、(4)関連する広汎な問題領域に対して統一的な分析を試みたという点に求められよう。換言すれば、筆者は、「腐敗」をキーワードにして、従来バラバラに扱われてきた経済の市場化、地方政府と地方企業の関係、国有企業改革、密輸などの個別トピックを統一的な枠組のもとに位置づけてクリアな線で結びつけ、移行期中国の政治経済的特質を浮き彫りにしているのである。

こうした分析のために、筆者は公開情報や二次文献の膨大なデータから事例を集め、それらを適切に自分の議論に当てはめて論述を展開している。また、中国の特色を浮きだたせるために、ロシアの事例についての研究を進め、中国の事例と対比できるところまで進んだこと、そして、結果として、腐敗問題の分析を通じて移行期中国の政治・経済システムの性格を、明確な輪郭で描くことに成功していることは、高く評価できる。開発途上国や旧社会主義国の経済移行期の腐敗を扱った研究は少なくはないが、経済パフォーマンスとの関係をここまで体系的に分析したものは少ない。中ロの腐敗現象を比較した論著も、数が少ないだけでなく、本論文ほど広汎な問題領域をカヴァーしたものは存在しない。その意味でも、本論文は現代中国政治研究に新たな貢献をなす成果であると評価できる。

本論文は、基本的には現代中国を対象とする地域研究であるが、前述のように、制度的制約の下でのアクターの合理的選択という基本的にミクロな観点から出発させる独自の分析枠組を形成して、腐敗の原因や様態を結局は研究対象社会の特殊性に帰する文化論ないし歴史論的還元論の陥穽を回避して比較分析を可能とし、そして実際にロシアとの比較を広範な問題領域において展開しきったことは、地域研究と比較政治学の理論との調和を高いレベルで達成したものであり、この点の意義も小さくないと言うことができる。

ただ、本論文にも問題点はある。第一は、分析枠組の問題である。前述のように、筆者は、制度的制約の下でのアクターの合理的選択というミクロな観点から、腐敗と一国の経済パフォーマンスの関係というマクロな問題の説明につなげているが、そのために、複数の媒介変数を用意しなければならず、ために関連する諸変数の相互関連や、結果としての経済パフォーマンスに与える腐敗の影響の意義などについて、曖昧な部分が残っている。特に、筆者の枠組で大きな重要性を持っているエイジェントの腐敗に対するプリンシパル(トップ政治エリート)のコントロール能力が、何に由来するのか、国家ないし政治体制のあり方との関連が、体系的に論じられていない。筆者が初期条件として、中国・ロシアの比較において当然考慮されるべき変数,例えば計画経済時代に形成された業界構造・産業立地における差異、すなわち一社独占・一極集中的な経済構造をもつロシアと、地域単位の多社分立・自給型の構造をもつ中国のあり方を十分に考慮に入れていないことも問題として残っている。

第二に、実証面の問題として、一部事実の記述に誤りが見られるほか、事象の意味の判断にも若干性急さが見られ、たとえば、中国の改革における国営企業の経営請負制などの政策に関して、それが執行の段階でどのような状況にあったかを十分チェックせず、中央の言明している文言のままの制度であったかのように取り扱っている。また、腐敗取締に関して、中国共産党・政府当局が取った制度的対応で、本論文の内容に関連すると思われるものの一部も、1990年代後半の動きであるせいか、視野から抜けていることも残念である。

しかしながら、これらの欠点は、本論文の成果を大きく損なうものではない。したがって、本審査委員会は、本論文の査読および口述試験の結果により本論文提出者が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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