学位論文要旨



No 118699
著者(漢字) 奥島,真一郎
著者(英字)
著者(カナ) オクシマ,シンイチロウ
標題(和) 環境政策の一般均衝分析 : 地球温暖化政策、廃棄物リサイクル政策が日本経済に与える影響
標題(洋)
報告番号 118699
報告番号 甲18699
学位授与日 2004.02.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第462号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,則行
 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 丸山,真人
 東京大学 教授 松原,望
 甲南大学 教授 藤川,清史
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、環境政策、具体的には地球温暖化政策、廃棄物・リサイクル政策が日本経済に与える影響について分析、評価し、適切な対策を行うための政策提言を目的とするものである。近年我が国においても、環境問題に対する手段として経済的手法の導入が検討されている。炭素税や廃棄物税などの経済的手法は、価格メカニズムを利用することによって人々のインセンティブに直接作用し、バッズ(二酸化炭素や廃棄物等)の排出量を経済効率的に削減できる手段であると考えられる。ただし、このような経済的手法の実行可能性を考える際には、それが我が国の経済に与える影響、つまり、副次的影響をも含めた政策の経済的影響をできるだけ定量的に評価することが必要となる。さらに、実際の政策として経済的手法を考える場合、分配の公平性など経済効率性以外の視点も欠かせない。なぜなら、望ましい環境政策とは、単に決められた環境保全目標を達成するためのものではなく、人々が互いの価値観をもとに広い意味での持続可能な社会を共同で構築することそのものであるからである。このような問題意識のもと、本論文では、計量的手法や独自の応用一般均衡モデルを用いて、炭素税や廃棄物税などの経済的手法が日本の経済社会に与える影響について定量的な分析を行った。

第一章と第二章は理論篇である。まず第一章では、先行研究を振り返りながら、環境政策、特に環境税について、経済理論面、またその背景にある思想面から考察した。具体的には、環境税の特徴とその思想的背景、他の政策手段との比較、環境税の価格インセンティブ機能と財源調達機能、環境税が分配面に与える影響などについて論じた。次に第二章では、ミニ一般均衡モデルを構築して、環境政策の一般均衡分析について、すなわちその手法やそれから得られる含意などについて考察した。その意図は、できるだけ簡単なモデルを用いることによって、一般均衡モデルのメカニズムとその本質を明確にすることにあった。本章では、そのミニモデルを使用して、一般均衡モデルの定式化、そして一般均衡モデルを用いた政策分析について、炭素税や廃棄物税の場合を例に考察を行った。さらに、一般均衡モデルをパラメータ推定に用いるといった新しい分析手法(ダブル・カリブレーション法)についても論じた。

第三章では、日本経済の生産・代替構造、具体的には我が国におけるエネルギーの価格弾力性、代替弾力性の値を多層 Translog 関数を用いて推計し、環境政策、特に地球温暖化政策における経済的手法の有効性を過去のデータから検証した。エネルギーの価格弾力性はエネルギー価格と需要の関係を、エネルギーの代替弾力性はエネルギーと他の生産要素との代替可能性の程度を数量的に表現するものである。これらを推計、評価することによって、我が国において経済的手法が有効に機能しうるかを過去のデータから検証することが可能になる。分析結果は以下の通りである。まず、エネルギーの自己価格弾力性の値は負であり、エネルギーと他の生産要素とは資本を除いて代替関係にある。これらの推計結果から、経済的手法の導入によって、エネルギー需要は減少すること、また要素需要がエネルギーから他の生産要素へと代替する可能性は低くないことが示された。次に、各化石燃料の自己価格弾力性の値は負であり、特に石炭の自己価格弾力性の絶対値が大きい。また石炭からガス、石油からガスへの代替可能性も低くない。これらの推計結果から、経済的手法の導入によって、炭素含有量の多い石炭の需要が大きく減少すること、さらに石炭や石油から炭素含有量の少ないガスへのエネルギー代替可能性は低くないことが示された。以上の結果から、経済的手法はエネルギー需要、ひいては二酸化炭素排出量の削減に確かに有効であるとの含意を得ることができた。すなわち、我が国においても経済的手法は有効に機能しうることが、過去のデータから実証された。

第四章では、応用一般均衡モデルODIN-GWを構築して、地球温暖化政策、具体的には炭素税が我が国の経済社会に与える影響について評価した。本分析の特徴は、独自のモデルを用いて地球温暖化政策の影響をマクロ的視点からだけではなく、マイクロな視点、すなわち産業部門別、家計階層別の視点から定量的に評価したことにある。本章の分析においては、政策導入による各産業部門の負担と軽減措置の効果、また各家計階層の負担と税収還流の効果に焦点を当てた。さらに本分析では、分配の公平性について、Atkinson 流の不平等指標(社会厚生関数)アプローチを用いて定量的に評価した。

分析結果は以下の通りである。まず、我が国において京都議定書目標達成のために必要な炭素税率(排出許可証価格)は、2010年に炭素1トン当たり約18000円、それに伴うマクロ経済的費用は実質GDPで約0.3%(BaU比)であった。次に、政策導入による産業別の影響は大きく異なり、特にエネルギー集約型製造業(紙パルプ、化学、窯業土石、鉄鋼、非鉄金属)の負担が大きい。実際の政策として炭素税を考える際には、負担の公平性や構造調整の痛み、また国際競争力の観点等から、エネルギー集約型製造業に対して一定の負担軽減措置(税減免等)が必要となろう。分析結果から、エネルギー集約型製造業に対する負担軽減措置(税半免)の効果は確認できる。しかし、軽減措置による負担の平準化には限界があるため、同時に雇用対策などの直接的政策も必要となろう。また、炭素税による影響を家計階層別にみるとやや逆進的である。その点を考慮すると、炭素税の導入にあたっては、少なくともそれがもたらす分配の不公平を是正するような税収還流策(所得税減税等)が必要となろう。経済的手法の受容、実行可能性を考える際には、経済効率性だけでなく分配の公平性にも配慮する必要がある。さらに本章では、一つの試論として、炭素税収をより平等促進的に還流するといった政策、つまり炭素税によって環境保全と経済格差是正の両方を追求するという政策についても考察した。分析結果によれば、不平等是正策の効果、ひいては望ましい税収還流策は人々の公平性に対する価値観に大きく依存することが示された。地球温暖化政策を考えるにあたっては、我が国の経済社会構造の在り方にまで踏み込んだ議論が求められるのである。

第五章では、応用一般均衡モデルODIN-WRを構築して、廃棄物・リサイクル政策、具体的には、廃棄物税とリサイクル補助金のポリシーミックスが我が国経済に与える影響について評価した。本分析の特徴は、静脈産業を含んだ独自のモデルを用いて、価格インセンティブ政策の導入による我が国の脱物質化の可能性について定量的に評価したことにある。すなわち、経済的手法による価格代替効果の評価を通じて、経済構造の脱物質化を実現するためには、我が国の価格構造、経済循環をどのように変えていかなければならないかについて考察した。

分析結果は以下の通りである。まず、廃棄物税とリサイクル補助金のポリシーミックスを実施することによって、我が国における廃棄物最終処分量を経済効率的に削減できることが示された。政策導入によって静脈産業が大きく成長、リサイクルが進展するため、動脈産業の生産に対する悪影響は軽少で済むのである。この結果は、我が国の廃棄物最終処分量を削減するためには、一次財間(動脈産業間)の価格代替よりも、一次財から二次財(動脈産業から静脈産業)への価格代替の方が圧倒的に経済効率的であることを示唆している。廃棄物税とリサイクル補助金を組み合わせて用いれば、我が国においても経済効率的に市場リサイクルを促進できることが示されたのである。次に本章では、産業間の相互依存関係を考慮しながら、政策による影響を産業別、再生資源種類別に評価した。それによれば、政策導入により静脈産業、特に静脈鉱業、静脈食品、静脈紙パルプの生産が増加する。これは再生資源でみると、二次鉱物(鉱滓、ばいじん、ガラス屑)、動植物性残さ、古紙のリサイクル量の増加に対応している。一方、動脈産業への悪影響は軽微に留まる。その中で比較的負の影響が目立つのは、生産単位あたりの廃棄物排出量が多く、加えて二次財との競合が激しい鉱業などである。注記すべきは、政策導入により窯業土石の生産が増加することである。窯業土石は生産過程で再生資源を大量に利用できる産業であり、リサイクル基盤として重要な役割を担っている。分析結果からも、窯業土石は二次鉱物の利用先としてリサイクル量の増加に大きく寄与することが示された。政策導入による動脈産業への影響は各産業の廃棄物集約度だけではなく、静脈産業との競合関係や二次財の利用可能度によっても規定される。一方、静脈産業の成長は、その二次財を投入する、またその二次財と競合関係にある動脈産業に依存する。廃棄物・リサイクル政策の影響を考えるにあたっては、まさに人体と同様、動脈と静脈双方を含めた総合的な観点が必要となるのである。

本論文では、独自の応用一般均衡モデルを用いて、地球温暖化問題、廃棄物問題における価格インセンティブ政策の有効性について定量的な評価を行った。本論文の分析結果が、現在及び将来の環境政策を考える際のよき材料となることを期待したい。

審査要旨 要旨を表示する

論文題目「環境政策の一般均衡分析-地球温暖化政策、廃棄物・リサイクル政策が日本経済に与える影響」

本論文は、経済学の中心的な手法である一般均衡分析の応用により環境政策の経済的評価、より具体的には炭素税や廃棄物税などの経済的手段に依拠した温暖化対策が日本経済に与える影響をシミュレーション・モデルによって推定し、我が国が採用すべき望ましい政策の模索を行ったものである。そのなかで、一般に経済学の理論的枠組みの中では取り扱いが困難な「公平性」の観点を考慮に入れた分析、そして得られた結果に基づく政策提言という意欲的な挑戦も試みている。

論文が対象とする問題を取り巻く全般的な状況として、地球温暖化対策は2008-12年という京都議定書(まだ未発効ではあるが)で定められた対策シナリオの第一期実施期間が近づくにつれ、議論から実行の段階へと移りつつあり、現実的な視点から具体的な数量的評価を踏まえた対策策定の必要性が高まっている。温暖化問題の主因とされる二酸化炭素(CO2)の排出抑制は、直結的にエネルギー消費量の減少や資源代替を通じてあらゆる経済活動、そして人々の日々の生活にまで広範な影響をおよぼすため、いかなる政策手段、制度の導入を実施する場合でも事前の十分な影響評価、負担の極端な偏りが予想されるならばそれを是正すべく社会的、政治的観点からの補完的緩和措置に関する議論が不可欠であり、そのための有用な情報が広く求められている。

こうした情勢を背景に、本論文と意図を分かちもつ類似の研究は最近少なからず見受けられるが、はじめに本研究の主たる特徴であり、かつ評価すべき点を要約しておくと、(1)現実的要請が高まりつつあるとは言え、アカデミズムにしっかりと軸足を据えた研究として、理論と現実(実証)の統合という社会科学における永遠の課題を常に思考の中心に置き、テクニカルな細部の吟味と全体のバランスへの配慮を慎重に両立させながら、設定した目標に向けて独自の分析モデルを構築したこと、(2)こうした着実なステップを踏んだことにより、諸前提条件と方法論的限界に依拠しながら数値結果に関する高水準の考察と議論が展開されており、さらに廃棄物・リサイクルという静脈産業を自らの一般均衡モデルに組み入れて拡張するという、まだ研究例が乏しい高い水準にまで到達し、方法論的進展への寄与のみならず現実的観点からも有用な新しい情報を提供していること、そして、(3)恐らく唯一の模範解答なるものは存在しないであろう「公平性」と「効率性」という2つの理念の政策的統合に向け、敢えて挑戦的な試みを行ったこと、が挙げられよう。

本論文は、次の5章で構成される。第1章:環境政策の経済分析-理論的背景、第2章:環境政策の一般均衡分析-ミニモデルによる考察、第3章:日本経済の生産・代替構造分析-地球温暖化政策の経済的影響を評価するために、第4章:地球温暖化政策の一般均衡分析-経済効率性と分配の公平性、第5章:廃棄物・リサイクル政策の一般均衡分析-静脈産業の可能性。

第1〜2章はいわば理論篇であるが、基礎になる経済理論の十分な理解とそれらの応用に向けた方法論に関する周到な説明に続き、先行ならびに関連研究の丹念なサーヴェイと整理を基礎に本研究の目的と意義が適切に位置付けられている。そして、簡便な抽象モデルの数学的解析により、以下に続く各章で展開される分析・評価への橋渡しとして、その理論的基盤と分析の枠組みが簡潔に提示、議論されている。

第3章では、エネルギー消費(利用)の価格・代替弾力性の推計を行っている。課税等の経済的手段を中心とする温暖化対策の有効性を左右する鍵は、言うまでもなく人々や経済主体(産業、各企業)がエネルギーの価格変化に対してどの程度、そしてどのように反応するかである。もし確実にこれが予想できれば、議論の半分は終了したと言っても良いくらいである。著者は多層トランスログ型生産関数という理論的には最も包括的な(自由度の大きな)モデルを用いた弾力性の推計に挑戦している。得られた分析結果として、第1にエネルギー消費の自己価格弾力性は負であり(弾性値=-0.40)、エネルギーと他の生産要素とは資本を除いて代替関係にあること、したがって価格上昇によりエネルギー需要は減少し、またエネルギーから他の生産要素への要素代替が起こることが過去のデータから実証された。次に、各化石燃料の自己価格弾力性は負であり、特に石炭に関して値が大きく、また石炭からガス、石油からガスへの代替性も低くない(弾性値石油=-0.09、弾性値石炭=-1.12、弾性値ガス=-0.83)。これらの推計結果から、炭素税などの経済的手法の導入によって、炭素含有量の多い石炭の消費量が大きく減少すること、さらに石炭や石油から炭素含有量の少ないガスへのエネルギー代替が期待されることが経験的事実として検証された。もちろん、過去の経験則がそのまま未来に当てはまるという確固たる保証はないが、次章以降における議論の現実的妥当性を支える1つの根拠を提供するものである。

第4章では、大規模な一般均衡モデル (ODIN-GW) を構築し、それを用いて温暖化対策の影響評価を行っている。本章での分析結果を要約すると、まず、我が国において京都議定書公約達成のために必要な炭素税率(排出枠取引制度を想定した場合には排出許可証の均衡価格、理論的には排出抑制の限界費用に相当)は、2010年時点で炭素1トン当たり約18,000円、それに伴うマクロ経済的費用は実質GDP比で約0.3%(対非課税ケース)と比較的軽微であること、しかし政策導入による産業別の影響は部門によって大きく異なり、特にエネルギー集約型製造業(紙パルプ、化学、窯業土石、鉄鋼、非鉄金属)の負担が大きいこと、などが推定された。これらのシミュレーション結果に基づき、マクロ的には経済的費用を小さく抑えることが可能であるにしても、実際の政策として炭素税の導入を検討する際には負担の公平性や構造調整の痛み、また国際競争力の観点等から、エネルギー集約型製造業に対して一定の負担軽減措置(税減免、財政的補助など)が必要となるであろうことが導かれる。次に、炭素税による民生部門への影響を家計階層別にみると逆進的傾向を呈し、その点を考慮すると、炭素税の導入にあたっては少なくともそれがもたらす分配上の不公平性を是正するような補完措置(所得税減税、選択的税収還流など)の必要性が示唆される。これを受けて、さらに本章では一つの試論として、炭素税収をより平等促進的に還流するといった政策、つまり炭素税によって環境保全と経済格差是正の両方を追求するという政策について考察されている。分析結果によれば、こうした政策パッケージの有効性は高い。

続く第5章では、さらに静脈産業を統合し拡張を加えた応用一般均衡モデル(ODIN-WR)を構築し、廃棄物・リサイクル政策、具体的には、廃棄物税と補助金のポリシー・ミックスが我が国経済に与える影響について分析を試みている。分析結果によれば、第1に、廃棄物税とリサイクル補助金のポリシー・ミックスを実施することによって、我が国における廃棄物最終処分量を効率的に削減できることが示されている。政策導入によって静脈産業が大きく成長、リサイクルが促進されるため、その相殺効果として動脈産業の生産に対する悪影響も軽微に抑えられる。この結果は、我が国の廃棄物最終処分量を削減するために、一次財間(動脈産業間)の価格代替のみならず、一次財から二次財(動脈産業から静脈産業)への価格代替をきわめて経済効率的に促進できること、したがって廃棄物税とリサイクル補助金を組み合わせることにより、費用効果的に市場リサイクルを促進できる可能性があることを示している。産業別により詳しく見ると、政策導入により静脈産業、特に静脈鉱業、静脈食品、静脈紙パルプの生産が増加する。これは再生資源では二次鉱物(鉱滓、ばいじん、ガラス屑)、動植物性残滓、古紙のリサイクル量の増加に対応している。とりわけ注記すべき新知見は、政策導入により窯業土石の生産が増加することである。窯業土石は生産過程で再生資源を大量に利用できる産業であり、リサイクル基盤として重要な役割を担いうる可能性が示されている。

以上が、本論文の概要である。寸評を加えると、第3章は、論文の構成上は前段的外見を呈するが、内容的には研究の柱の一つと評価してよい。論文が対象とする温暖化対策の評価においてエネルギー消費の価格・代替弾力性がもつ重要性を十分に理解し、敢えて作業の至難な多層トランスログ型生産関数の推計を行ったことは、表面的には目立たないが、著者の問題認識の確かさを証明するものと評価できる。ちなみに、トランスログ型生産関数は必ずしも独創的なものではなく、特に1970年代に石油危機を発端として起きたエネルギー問題への対処という必要性から、多くの研究者によって利用が試みられた経緯がある。しかし、同関数のもつ理論的な内容の豊かさは、推計において高い自由度を制御するために必要な膨大なデータの収集ならびに加工に伴う労苦とトレード・オフの関係にあり、主として付随する推計作業の困難さから、今日では膨大なデーター・ベースを背景にもつ組織的な研究機関を含め、片手の指でも足りるほどわずかな研究者しか利用していないのが現状である。なお、本章での主要な推計結果と考察は、別個にレフェリー論文としてまとめられている(「日本経済研究、No.42、2001年」)。

第4章における一般均衡モデルの構築については、他の類似研究の大半が部分均衡モデルでの妥協、あるいは先行モデルの拡張(最近では、広く知られるモデルのいくつかは購入、あるいはダウンロード等で入手可能である)という省力化を指向する傾向にあるのに対して、ゼロから丹念に大規模な一般均衡モデルを構築した著者の努力をまず高く評価したい。言うまでもなく、モデルは仮定の集合である。そして、諸仮定は当然ながらモデルの特性と機能(ならびに、限界)を決定する。したがって、ある目標に対してそれに相応しい分析モデルを構築することは、本来不可避な研究のステップである。それが必ずしも顕著な成果に即座に結びつく保証がないにもかかわらず(数値結果自体に直接表出するとはかぎらない)、こうした王道を進むことに理論と現実、そして分析目的と方法論の関係に対する著者の学問的深慮が反映されている。本論文で満開とまではゆかなくとも、こうした姿勢と経験は著者の研究者としての将来には大きく寄与するであろう。

第5章は、ある意味では第4章における努力があってこその成果であり、廃棄物・リサイクルという静脈産業の一般均衡モデルへの統合による独自の拡張版モデルの開発、およびその現実問題への適用という新地開拓に一歩を踏み出し、多くの新知見を提示している。

以上、各章とも深い理論的考察と骨身を惜しまない重作業の積み重ねを基礎に、十分高い水準の方法論的進展を成し遂げるとともに、その適用によって現実的観点からもきわめて情報価値の高い有意義な分析結果を提示している。こうした業績に対して、高い評価が可能である。ただし、全般的な印象として、「公平性」という社会的にはきわめて重要な理念であるが経済学の理論的枠組みには必ずしもしっくりと当てはまらない観点を重視したために、各章の議論に少なからぬ不釣り合いが生じてしまった観は否めない。これは、多くの審査員が指摘するところである。しかし、この点については著者も研究の当初からある程度は覚悟しており、むしろ挑戦的意欲のあらわれとも理解できよう。その他、各審査委員から本論文の弱点として、(1)第4章と第5章の分析では前提条件およびモデル構造が異なっており、前提条件が異なれば結果も異なるのは当然のことながら、温暖化対策によるCO2の削減効果、産業別影響の評価に食い違いが生じてしまい、両者の統合が必要であること、(2)「公平性」を経済学のみで議論するのは不可能であり、たとえば社会学や政治学の援用という方向もあったのではないか、そして、(3)関連する研究は少なくなく、分析結果の相互比較を通じた諸前提条件の吟味、本研究で用いたモデルの長・短所を踏まえた一段階上の政策的議論への進展が望まれる、などが指摘された。

著者には課題が多く残されたという印象かも知れないが、むしろ今後研究者の道を歩まんと決意する著者に対する各審査員の期待の高さと激励を示すものでもあろう。最終結論として、提出論文の水準は十分な高さに到達しており、その業績は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと、審査委員全員が一致して判断した次第である。

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