学位論文要旨



No 118701
著者(漢字) 原田,一宏
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,カズヒロ
標題(和) 自然資源をめぐる政府と地域住民の紛争管理 : インドネシア・グヌンハリムン国立公園における生物多様性と文化の相克
標題(洋)
報告番号 118701
報告番号 甲18701
学位授与日 2004.03.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2662号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 箕輪,光博
 東京大学 助教授 井上,真
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京農工大学 助教授 土屋,俊幸
内容要旨 要旨を表示する

序章では、既存の文献により、環境破壊の現状および、それを阻止するための手段としての保護地域の設定の経緯や問題点について論じた上で、本論分の課題および内容について明示した。昨今の世界規模での森林破壊を阻止するために、アジアをはじめとした世界各地で、多くの保護地域が設定されている。元来、保護地域は生物多様性の保全と文化の保全を両立させるものでなければならない。しかし、現実には、保護地域の設定による隔離された自然保護政策が、地域住民の生活に脅威を与えたり、保護地域の設定が、政府に多くの外貨獲得の機会をもたらすのとは対照的に、地域住民への経済的利益にはほとんど貢献しなかったり、国の政策として取り上げられたエコ・ツーリズムが、地域住民を見せ物や商品といった客体としてしかとり扱っていなかったりするなど、保護地域は多くのジレンマを抱えている。

1章では、既存の文献により、フィールドワークの意味や方法について概説した上で、自らのフィールドワークをその中に位置づけた。フィールドワークの方法については、(1)フィールドワークの種類、(2)フィールドへの調査者の関わり、(3)フィールドワークの方法という3つの視点から整理した。また、仮説検証型、仮説発見型、意味解釈法の3つのフィールドワークのプロセスについて説明した。

本研究では行政官、地域住民、NGO という国立公園をめぐる3つのアクターに対して調査を行った。政府については、インドネシアの保護地域管理政策や調査対象地に関する法制度に関する資料を収集したり、行政官にインタビューを行ったりして、保護地域の概念や特徴について明らかにした。地域住民については、フィールドでの参与観察や聞き取りをもとに、彼らの農地の所有および利用の仕方、植物の利用や依存の実態、保護や国立公園に対する考え方について明らかにした。NGO については、活動に関する情報を収集した。これらの収集したデータをもとに、既存の理論をもとに分析を行うこととした。

2章では、既存研究を批判的に検討しつつ、本論文の分析のための枠組みを提示した。論文全体の枠組みには紛争管理論を援用した。紛争管理論は、紛争当事者自身の特性および、そのような特性をもった紛争当事者どうしの利害関係に注目して、紛争の実態を解明しようというものである。本論文では、紛争当事者間の利害関係に注目するだけではなく、紛争に介入する第三者の役割や、紛争当事者と第三者との関係にも留意しつつ、紛争の実態を解明できるモデルを作成した。紛争管理論は、政策に関わる要因を研究対象とする政策科学や、ローカルな事象とグローバルな事象の関連性を解き明かすポリティカル・エコロジーとも関連している。しかし、紛争管理論はアクターどうしの関係をより詳細に、かつ、具体的に分析するのに有益である。

また、紛争に関連する各アクターの詳細な特性は、既存研究を用いて議論された。政府による保護地域管理については、政策科学の政策評価を、地域住民の文化生態系については、コモンズ論およびポリティカル・エコロジーを、NGOの草の根支援については、NGO論を援用した。

3章では、既存文献や資料などを利用して、インドネシアの保護地域の実態について明らかにするとともに、行政官へのインタビューに基づいた政府の論理について解明した。さらに、インドネシアのグヌンハリムン国立公園をとりあげ、国立公園管理制度および森林や土地の所有や利用の実態について明らかにした。インドネシアの保護地域は、1970年代になって面積および数ともに急激に増加し、その中でも、とりわけ、国立公園の面積の占める割合は高かった。保護地域の増加は、地域住民のアクセスできる森林がどんどん奪われることを意味した。

1997年にスハルト政権崩壊後、現行の森林管理が限界に達した。政府は、地域住民の慣習法や地域住民による資源利用など、地域住民の権利の容認や、NGOとの協力体制の強化などの方策を主張し始めた。しかし、現在でも、基本的には、地域住民による保護地域での資源利用は認められていない。また、中央政府にとって、住民の排除を伴った保護地域管理は、生物多様性保全を実現するだけではなく、森林管理の独裁的権威や外貨獲得による利益をも可能にするものであった。

4章では、インドネシアのグヌンハリムン国立公園の内部および周辺の村落を対象として、地域住民による慣習的な農耕地および資源利用の実態および、地域住民による国立公園や保全に対する意識を明らかにした。村の近くには、私的所有権が明確な水田、焼畑、菜園、混交園、樹木園、叢林が存在し、さらに、その周辺には叢林、二次林、老齢二次林、原生林が広がっていた。彼らの生業は、(1)水田や焼畑における主食としての米を栽培するための農作業、(2)焼畑や菜園などでの、副食または、商品作物としての野菜や果樹を栽培するための農作業、(3)森林や菜園などでの日常的、補完的な食料としての植物の採取、(4)森林や菜園などでの日常的な調理用の燃材採取、(5)薬、建築、農機具や調理用具の作成、儀式などのために利用される不定期な植物の採取であった。

水田や焼畑にはタイトな私的所有権が確立されているものの、所有者以外の土地へのアクセスを排除するものではなく、地域共同体内での村人どうしの土地の貸し借り、農作業労働慣行を通じた、土地の共的利用が実践されていた。また、焼畑や菜園などでは、日常的な食料や燃料を確保するために、土地所有者が管理していない半栽培種や野生種を、誰の土地からでも比較的自由に採取することができた。このような私的所有の基層に埋め込まれている、村全体での所有や利用の概念は、コモンズとしての資源利用であるといえる。また、この慣習的な土地制度は、貧しいものにも食料を獲得する機会を提供し、資源の偏りを緩和する機能も備えているとともに、資源の持続的な利用にも貢献していると考えられる。このような慣習的な資源利用は、国立公園が設定された後でも、今日まで変わることなく実践されてきた。

しかし、村落は、耕作地の中にある資源だけでは、日常生活の必要性を満たすことは困難であり、慣習的に何の規制もない森林にも資源を求めた。しかも、これらの森林の一部は、法的に利用が規制されているはずの国立公園内に属していた。地域住民は国立公園内の資源の利用規制については心得ていたものの、国立公園による生物多様性が地域住民に何ら利益をもたらさないものであれば、今までどおりにこれらの資源を利用するだけのことであった。

5章では、既存研究の文献サーベイをもとに第三者としてのNGOの位置や役割について検討し、評価基準を設定した上で、グヌンハリムン国立公園で活躍するNGOの活動を評価した。発展途上国で活躍するNGOの特徴としては次の2つがあげられる。第一に、地域共同体の視点を重視し、住民の積極的な参加(「住民参加」)を促しつつ、プロジェクトを実施する(「事業の供与」)ということである。第二に、現行の政府の方策に対して異論を申し立て、政府の政策に影響力をもつ(「政治的影響力」)ということである。これをもとに指標を提示した。

調査対象は、グヌンハリムン国立公園で活動しているNGOである。調査の結果、彼らの活動は、概して、活動当初の目標および地域住民のニーズを達成することができたが、活動の周辺地域へのインパクトはそれほど大きくはなかった。また、プロジェクトを後押しする外部要因が存在したものは、活動の持続性が高かった。いずれのプロジェクトでも、活動実施前および活動中は、NGOのスタッフが住民に対してある程度の説明はしており、NGOの責任またはアカウンタビリティーはかなり高かった。さらに、プロジェクトの趣旨が村人に十分に伝わり、十分な成果がでたものは、地域共同体内のキャパシティービルディングにもつながっていた。しかし、NGOの政府の政策に対する批判はまだ根強く、ほとんどのプロジェクトは国立公園との協力関係がないために、プロジェクトが政治的な影響を持つまでには至らなかった。

終章では、本論文の枠組みに基づいて、政府、地域住民、NGOという3つのアクターの関係について論じた。政府は、世間的に注目された生物多様性保全というグローバルな利益に関心をおくという姿勢を保ちつつも、森林資源を独占的に管理することによって、自分たちの地位や利益を確保しようとする裏の論理にも支えられて、今日までに多くの保護地域を築いてきた。その陰で、政府は地域住民によるローカルな資源利用は保全の理念にそぐわないと切り捨ててきた。一方、地域住民は、コモンズとしての慣習的な資源利用を実践してきたが、彼らの営みは国立公園の保全の概念と必ずしも直結しなかった。このような、政府と地域住民の間の潜在的紛争は、相手の利益というよりも、自らの利益を最優先しようという意識によって生じたものである。

また、NGOは活動の資金集めおよび、自らの組織としての満足いく成果の達成ということに大きな関心を持っていた。さらに、NGOは、弱者の立場にある地域住民の生活改善を支援してきた一方で、政府による地域住民を排除する政策に対する反目は相変わらず根強かった。また、地域住民からみれば、NGOの活動は彼らに役立ち、彼らはおおむねNGOに対して好印象を抱いていた。一方、政府は、NGOとの協力による住民参加型プロジェクトの実施の必要性を徐々にではあるが認識しつつあった。

今後、的確な保護地域管理を実現しつつ、地域固有の発展を遂げていくためには、保護地域管理の一部地方分権化および、関連するアクターどうしの紛争管理のためのネットワーク構築が不可欠である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、フィールド調査に基づいて、保護地域における自然資源をめぐる「政府による生物多様性保全」と「地域住民による文化の保全」の相反する理念の相克による紛争の実態を明らかにするとともに、紛争管理論の観点から、紛争当事者および第三者としての NGO を含んだ紛争管理のあり方を考察したものである。

序章では、多くの既存研究のサーベイをもとに、環境破壊の現状や生物多様性保全の意味、保護地域設定の歴史的変遷や現状・役割について批判的な検討が行われている。開発と保護は、ともに人間中心主義に基づいた「切り取られた自然」として自然を支配するアプローチであるとし、本論文の課題を導き出している。

第一章では、フィールドワークの意味や方法について既存の文献を整理したうえで、著者がとったアプローチを位置づけている。第二章では、既存研究を批判的に検討し本論文の枠組みを提示している。政策科学とポリティカル・エコロジーとの関係に留意しつつ、全体の枠組みとして紛争管理論を援用している。紛争当事者の特性や紛争当事者間の利害関係にだけ着目するのではなく、紛争に介入する第三者の役割にも注目し、第三者の特性や第三者と紛争当事者との関係についてのモデルを構築した点が独創的である。

第三章では、政府関係資料や文献、行政官へのインタビューを通じて、インドネシア政府による保護地域管理の実態について明らかにした上で、ケーススタディとして、西ジャワ・グヌンハリムン国立公園の事例を取り上げ、政府による国立公園政策について論じている。

第四章では、申請者が実際にグヌンハリムン国立公園の内部および周辺の村落に滞在しながらフィールド調査を行った結果に基づいて、地域住民によるコモンズとしての農耕地および自然資源の利用、地域住民の自然資源への依存、地域住民の国立公園および保全に対する態度について明らかにしている。申請者は、私有地を「共有制を内包する私有地」であると位置づけ、このような資源利用をコモンズとしての利用であると結論づけている。同時に、この共有制は結果的に共同体内での貧富の差を軽減するのに役立ち、さらには、私有地の周辺に広がる土地をむやみに開拓することを防ぎ、資源の持続的な利用に寄与していることを明らかにしている。しかし、「共有制を内包する私有地」の利用だけでは地域共同体全体のニーズを満たすのには不十分であるため、国立公園内の資源利用をめぐって地域住民と公園管理当局との間に軋轢が生じることが実証的に示されている。

第五章では、既存研究のサーベイをもとに、第三者としての NGO の位置や役割について次のような結論を導き出している。(1)NGO は地域の視点に立って地域の生活や福祉が向上することを優先する「専門性を兼ね備えた第三者」としての役割を果たしている。(2)NGO は地域住民を排除するトップダウンの国立公園管理政策を厳しく批判する態度を貫いている。(3)しかし一方で NGO の活動はいずれも小規模なものでありプロジェクトが持続的に管理されていない。(4)NGO は政府との距離を置くあまり活動における政府との関係が希薄になり、活動が十分な政治的影響力をもたらすまでには至っていない。

終章では、第二章で提示した紛争管理論の枠組みにしたがって、政府と地域住民による潜在的な紛争の実態、および NGO の潜在的紛争への関与について分析した上で、内発的発展論を援用しつつ、保護地域における内発的発展のあり方ついて議論されている。本章において申請者は、第三章の政府、第四章の地域住民、第五章の NGO というそれぞれのアクターの論理をもとに、紛争管理の実態についてさらに議論を展開し、実現可能な政策提言を試みている。

以上のように、本論文は、十分なフィールドワークと豊富な既存研究のサーベイに基づいた保護地域の実態の把握や問題設定、詳細な分析枠組みの設定、政府・地域住民・NGO といったアクターの論理の詳細な把握などによって、保護地域の資源をめぐる紛争の実態について解明しており、学術上および政策実践上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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