学位論文要旨



No 118705
著者(漢字) 田中,義幸
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヨシユキ
標題(和) 熱帯性海草群集に対する物理的環境要因の影響
標題(洋) Effect of Physical Environmental Factors on Community Structure of Tropical Seagrass Meadows
報告番号 118705
報告番号 甲18705
学位授与日 2004.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4434号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 茅根,創
 東京大学 教授 大場,秀章
 北海道大学 教授 向井,宏
 千葉大学 助教授 仲岡,雅裕
 千葉大学 教授 多田,隆治
内容要旨 要旨を表示する

海草藻場は一次生産量が大きく、多様な動植物に生活の場を提供することから、沿岸生態系の主要な構成要素であるといえる。しかし、浅海域に分布するため人間活動の影響を受けやすく、全世界でその分布面積は減少傾向にある。海草藻場を保全・復元するためには、環境要因に対する海草の応答を明らかにする必要がある。これにより、地形改変・赤土の流入・富栄養化・地球温暖化などの環境変動に対する藻場の分布および種構成の変化を予測できる。

複数種が狭い範囲に混生する事が熱帯性海草藻場の特徴のひとつである。これまでに、水深や底質の粒度組成(シルトの量など)に対応した分布種の変化が指摘されている。しかし、分布に影響を与える要因はひとつひとつ個別に扱われることが多く、各種の分布に差をもたらす機構を実験によって検証した例は少ない。これまでの研究では環境に対して各種が固定された応答を示すかのように捉えられてきた。しかし、実際にほ海草各種は環境勾配に応じて形態や生理特性に種内変異を示す。ある環境要因に対して有効な種内変異の幅が大きい種は、小さい種よりもそのストレスに適応しやすいと考えられる。

本研究は、主要な物理的要因である干出・弱光・堆積物の特性(粒度組成とその安定性)が、熱帯性海草の分布に与える影響を、各種の形態と生理特性の種内変異に着目して実験的に明らかにし、その分布範囲と複数のストレスとの関係をモデル化することを目的とする。調査地はインド洋・太平洋の熱帯性海草群集から、堆積物環境が大きく異なる沖縄県石垣島とタイ南西部を選択した。まず、石垣島で詳細に海草の分布を観測し、多変量解析により卓越種に注目して海草群集を類型化した。干出耐性については、石垣島白保で移植操作実験と室内乾燥実験を行った。弱光耐性については、白保とタイ南西部のMai Hang(MH)にて、光合成量・呼吸量を測定し、株全体の収支を種間と種内で比較した。次に、白保とタイ南西部の比較により、堆積物環境の変異と種内形態変異の関連性を検討した。これらを元に、複数の環境要因が同時に作用する条件下での各種の分布範囲を示すモデルを作成し、他地域、他種への適用性を検討した。

多変量解析による群集組成の類型化

本研究の目的は、多種が混生する熱帯性海草の群集組成を類型化し、環境要因との関係を解明することである。石垣島の周囲6測線上の26地点にて、海草の種数と各種の現存量(葉面積)を用いてクラスター解析を行い、環境要因と対比した。

石垣島の海草群集は4タイプに分類された。タイプIではT. hemprichiiとC. rotundataが、タイプIIではC. serrulataが、タイプIIIではE. acoroidesが,タイプIVではH. pinifoliaとH. ovalisがそれぞれ卓越した。各群集タイプと、水深・堆積物の厚さ・堆積物中のシルト率との対応を解析した。タイプIIIに分類されたのは1点だけだった。他の3つのタイプは出現水深が異なり、最も浅所(平均海面下60cm前後)ではタイプIVが、大潮最低低潮線(平均海面下123cm)以浅ではタイプIが、それ以深ではタイプIIが卓越した。堆積物の厚さと群集タイプとの間には明確な関係はなかった。シルト率については、タイプIVは低い地点に集中したが、他のタイプでは明確な傾向はなかった。

本研究では、海草群集を類型化して複数の物理的環境要因と同時に比較したため、これまでの個別の要因に着目した研究より熱帯性海草の分布と環境要因の関係を的確に表現することができた。

干出に対する3種の応答

海草の分布上限は、種毎に異なる。本研究の目的は、移植実験と乾燥実験により干出が海草の分布上限を決める機構を解明することである。

白保の潮下帯にはT. hemprichii, C. rotundata, C. serrulataの3種が分布する。一方、潮間帯にはC. serrulataを除いた2種しか分布しない。潮間帯にも分布する2種は、潮間帯で葉長が有意に短く(潮下帯の約50%),生長量が有意に小さかった(同25%)。潮下帯から潮間帯への移植の結果、干出ストレスの大きい冬季にC. serrulataの株数が大幅に減少した(移植後3週間で対象区の3%, 残りの2種は約55%)。また,潮間帯の2種では、潮下帯から潮間帯に移植した株の葉長が有意に短くなり、潮間帯の株の長さに近づいた。また、同種でも短い葉を持つ株の方が、干出時間が短かった。葉部の乾燥実験では、T. hemprichiiの水分保持能が高かった(気温24.5℃、湿度70%で、葉の水分の80%を失うのに要する時間は120分)。Cymodocea属の2種は同じ傾向を示し、水分を失いやすかった(同60分)。

分布上限が異なるCymodocea属の2種の水分保持能がほぼ同じ事から、葉の乾燥耐性だけでは実際の分布は説明できない。C. rotundataとT. hemprichiiが浅所に分布できる理由は、倒れやすい形態をしていること、ならびに葉部が可塑的に小型化しやすいことから、潮位が低下しても空気中に干出しにくく、干出しても底質に密着して水分を保持しやすいことによる。

弱光に対する3種の応答

海草の分布下限は、種毎に異なる。光は水深の増加やシルトなど水柱中の懸濁物の増加により減衰する。本研究の目的は毎草の分布下限を決める機構について、光合成特性の変化と葉・地下茎・根の各部位への生物量の分配の変化に着目して明らかにすることである。光条件のよい白保と、悪いMHにて、各部位の生物量を計測し、差働式検容計を用いて異なる光強度における葉の酸素発生量と葉・地下茎・根の酸素消費量を測定し、株全体の光合成-呼吸収支を計算した。

白保で採集した3種間には、葉の光合成や地下茎・根の呼吸に大差はなかった。一方、株全体の収支ではCymodocea属2種の光補償点が48〜64μmol m-2 sec-1であったのに対して、T. hemprichiiの光補償点は217μmol m-2 sec-1であった。白保とMHにてCymodocea属2種を比較したところ、地上部と地下部の比率や光合成特性の光条件に応じた変化幅は、深所にも分布するC. serrulataの方が狭い値を示した。

光条件の悪い深所でT. hemprichiiが卓越しない理由は、地下部の生物量が大きいために株全体の光合成収支が悪化する事に起因する。また、Cymodocea属2種の分布下限は、弱光耐生以外の要因が決めている事が示唆された。

堆積物環境に応じたCymodocea属2種の種内形態変異

C. serrulataは、長い垂直地下茎で草丈を高く維持するため、堆積物により埋没が起こる環境や、シルトの再懸濁や水深の増加による弱光環境で他種より生残しやすいと指摘されている。一方、C. rotundataは、長い垂直地下茎を持たず、シルトが多い環境や深い環境には分布しない。本研究では,底質中のシルト率が高く、水深が大きい地点ほどC. serrulataの垂直地下茎が長いとの仮説を立て、その検証を目的とした。シルト率と水深が異なる4地点でC. serrulataの種内形態を比較し、2地点だけに分布するC. rotundataとその変異幅を比較した。

地点によりC. serrulataは垂直地下茎の長さが有意に変異した。しかし、シルト率が大きい地点でC. serrulataの垂直地下茎が長いとは限らず,仮説は支持されなかった。C. rotundataでは葉の長さが地点により変異した。シルト率が大きい地点では、小さい地点より、C. serrulataの垂直地下茎から生える根が有意に多かった。

草丈を高くするために変異する部位は、種により異なることが明らかになった。底質の堆積だけでなく、侵食も起こっている地点では、根の比率をあげて底質を安定させることが,垂直地下茎を長くするよりも環境に適応した戦略だと考えられる。

総合考察

海草各種は、複数の環境に対して異なる形質を変化させることで対応し、またその変異幅は種により異なった。例えば、C. serrulataは垂直地下茎を長く伸ばす。これは埋没に対しては有利だが、干出に対しては不利である。このように、形質の変異はトレードオフの関係にあるため、各環境要因に対して各種が分布できる範囲が異なり、複数の環境要因が同時に働く条件下で多種が共存することが明らかになった。

上記の実験結果を統合し、水深とシルト率を軸に各種の分布範囲を模式的に表した。さらに、この模式図を利用して、陸域の開発にともなうシルト率の増加、地球温暖化にともなう海面上昇が海草群集に与える影響を予測した。水深が浅く・シルト率が小さい環境ではT. hemprichiiとC. rotundataが、水深が深く・シルト率が小さい環境ではC. rotundataとC. serrulataが、水深が深く・シルト率が大きい環境ではC. serrulataがそれぞれ卓越する。石垣島全域の分布と比較すると、浅所でT. hemprichiiとC. rotundataが卓越すること、深所でC. serrulataが卓越することは良く合致した。深所への分布が予測されたC. rotundataは、実際には深所で卓越しなかった。タイやフィリピンにおける分布にも、同様の傾向が認められた。モデルで実際の分布を完全に説明しきれない理由としては、栄養塩などの資源をめぐる海草種間の競争や相互作用、海草を直接捕食する動物の影響などの可能性がある。今後これらの要因をモデルに取り入れることにより、熱帯性海草群集の共存機構に関するより深い理解を得られることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,熱帯・亜熱帯に分布する主要な海草3種Thalassia hemprichii, Cymodocea rotundata, C. serrulataについて,干出ストレス,弱光ストレス,堆積物の安定性に関するストレスが海草の分布に与える影響を,現地調査と野外・室内実験によって明らかにして,複合したストレスと海草分布との関係のモデルを構築したものである.

熱帯・亜熱帯において海草は多種が混生して分布しており,水深におよそ対応した分布が見られることが知られていた.しかしながら,いくつかの物理条件が分布を規定する要因としてあげられていたが,複合的な要因との関係は不明であった.本研究で対象とした3種は,基本的な形態と分布範囲が類似した中型種でありながら,様々な物理的環境条件に対する耐性の差異によって,種内・種間の形質変異と分布域の差異が認められる.これら海草が分布する潮間帯から潮下帯上部においてもっとも顕著に働く干出,弱光,堆積物の安定性という物理要因に着目して,複数のストレスとそれぞれの種の耐性と形質的応答,分布の関係を明らかにした問題設定とアプローチは適切である.

手法と結果について,本研究では野外実験と室内実験とを組み合わせて,各種とそれぞれのストレスとの関係を明らかにした.干出に対しては,移植実験と乾燥実験とによって,倒れやすい形態を持ち葉部が可塑的に小型化しやすいT. hemprichiiとC. rotundataがより浅所に分布できることを示した.弱光については,葉と根の代謝量測定と各部の生物量の差異から,地下部の生物量が大きいために株全体の光合成収支が悪いT. hemprichiiが他の2種より浅所に分布が限られることを示した.堆積物の安定性については,底質が不安定な地点では垂直地下茎が長くなるという仮説を検討し,むしろ根の比率をあげることで底質の安定化をはかっていることを示した.

野外における異なる季節の複数回におよぶ実験を含め,データ数は結論を導く上で十分であり,統計的な検討も行っている.その結果,それぞれのストレスと各種の応答について信頼できる結果を得ることができた点は高く評価することができる.さらに,琉球列島の石垣島とタイの西岸の環境条件の異なる複数の地点において調査,実験を行っており,結果の一般性が高い.

総合考察においては,こうしたストレスと各種との間には,主に形質的な特徴による応答が成り立っていること,これは,種間の形質的変異だけでなく,種内の形質的変異としてもあらわれることを明らかにした.また,各種の形質的特徴と物理ストレスとの間には,短い垂直地下茎は干出に対しては有利だが,堆積物による埋没には不利であるといった「トレードオフ」の関係が成り立っていることを明らかにした.さらに,複数のストレスと海草の応答,分布範囲との関係を模式的に示して,実際の分布と比較した.これまで個々の物理環境条件との関係として個別に説明されていた海草の分布を規定する条件について,いくつかの要因の複合として示し,実際の分布との比較によって検証することができた.本成果によって,多種が混生する熱帯・亜熱帯の海草分布を規定する要因を,総合的に明らかにすることができる.またこのモデルを用いて,物理ストレスの変化に対する海草の応答を定量的に予測することができる.

本研究は,海草を対象として,物理環境によるストレスに対して植物が形質的に応答することを示し,さらにいくつかの物理環境条件の複合と植物の応答とを明らかにしたことによって,植物の分布をそれが生息する場の条件として解明することに成功した.全体として,本研究は海草の生態と生物地理に関するきわめてオリジナリティの高い研究として高く評価することができる.また本論文の成果は保全生態学にも応用できる.

なお本論文のうち,第3章の1部は茅根 創との共同研究(Ecological Research誌に投稿中),第4章の1部と第5章の1部は仲岡雅裕との共同研究(Marine Ecology Progress Series誌とBotanica Marina誌に投稿中)であるが,いずれも論文提出者が主体となって調査と結果の解析を行ない,筆頭著者として論文をまとめたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

上記の点を鑑みて,本論文は地球惑星科学とくに地球システム科学の新しい発展に寄与するものであり,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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