学位論文要旨



No 118706
著者(漢字) 橋本,祐一
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,ユウイチ
標題(和) 視細胞G蛋白質トランスデューシンαサブユニットの不均一なN末端脂肪酸修飾の意義
標題(洋)
報告番号 118706
報告番号 甲18706
学位授与日 2004.03.08
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4435号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 南,康文
 東京大学 講師 名川,文清
 東京大学 教授 深田,吉孝
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物の網膜には桿体と錐体という2種類の視細胞が存在する。このうち桿体はおもに薄明視を担い、わずかな光を高度に増幅する。ロドプシンが光を吸収するとメタロドプシンII (Rh*)が生成し、Rh*はさらにGDP結合型の三量体G蛋白質トランスデューシン(Gt1α/Gβ1γ1)と結合してGt1αのGDP/GTP交換反応を触媒する。この反応でGTP結合型に変換されたGt1α (Gt1α-GTP)はGβ1γ1やRh*との親和性を失い、両者から解離したGt1α-GTPがcGMP分解酵素を活性化する。その結果、過分極性の受容器電位が発生する。この過程で、Rh*はさらに別のGDP結合型Gt1α/Gβ1γ1と会合し、同じサイクルを繰り返すことによりGt1α-GTPを次々に生成する。Rh*によるトランスデューシンの活性化(増幅)効率は極めて高く、1分子のRh*触媒作用により500分子ものGt1α-GTPが生成する。つまりGt1α・Gβ1γ1・Rh*という3つの蛋白質の解離・会合プロセスは、この数百倍にも及ぶ光シグナルの増幅過程において極めて重要なステップとなっている。

Gt1αのN末端Glyには、C14:0(ミリスチン酸)の他にC14:1 (5-cis)、C14:2 (5-cis, 8-cis)、C12:0(ラウリン酸)という4種の脂肪酸のいずれか1つが結合している。このように不均一な脂肪酸修飾は極めて珍しいが、Gt1αのほかに、視細胞の光情報制御に関与するリカバリンやグアニル酸シクラーゼ活性化蛋白質、cAMP依存性蛋白質キナーゼ(Aキナーゼと略す)の触媒サブユニットにも見られる。しかし、同じAキナーゼ触媒サブユニットであっても、心臓や肺由来の蛋白質からは、ミリスチン酸のみが検出されることより、Gt1αに見出されたような不均一な脂肪酸修飾は、視細胞(網膜)に特異的な現象であると考えられている。

一般に、蛋白質に共有結合した修飾脂質は、蛋白質を細胞膜につなぎ止めるアンカーとして機能すると考えられている。しかし、アシル化ペプチドを用いた実験から、N末端の修飾構造が異なる4種類のGt1αは、それぞれGβ1γ1に対して異なる親和性をもつ可能性が示された。これらのことから、蛋白質同士または蛋白質と脂質膜との相互作用を介して、Gt1αの不均一なN末端構造は、桿体視細胞に特徴的な機能(例えば光シグナルの高度な増幅)に大きく貢献している可能性がある。

そこで本研究では、Gt1αのN末端脂肪酸の構造とGt1αの機能との相関に関して次の2点に注目した。つまり、1)Gt1αのN-アシル基はトランスデューシンの機能にどのような役割をもつか。2)N末端の脂肪酸構造が異なるGt1αアイソフォームの機能は異なるのか。これらの疑問に答えるためには、N-アシル化Gt1α (C14:0-Gt1α)を調製することが必須である。そこで、N末端脂肪酸修飾型の発現が困難なGt1αに代えて、Gt1α/Gi1αキメラ(以下Gt/iαと表記)をSf9細胞に発現させ、N末端修飾型Gt/iαの調製を試みた。Sf9細胞は内在性のN-ミリスチル基転移酵素(NMT)活性を持つため、N-ミリスチル化Gt/iαの発現が期待できる。Gt/iαをSf9細胞に発現させると、発現したGt/iαのおよそ10%が水溶性画分に回収された。5段階のカラムクロマトグラフィーにより、水溶性画分からGt/iαを高純度に精製できた。精製した水溶性Gt/iα(cyosolic Gt/iαと表記)をエンドプロテイナーゼAsp-Nにより完全消化して逆相HPLCにロードし、全てのピーク画分をMALDI-TOF/MS分析に供したところ、N末端未修飾型(N末端はGly)であることが判った。つまり、N末端脂肪酸部分のみを欠いたGt/iαを調製できた。上記の結果より、N-アシル化Gt/iαが発現しているとすれば膜画分に蓄積すると考えられた。そこで、Gt/iαを発現させたSf9細胞の膜画分からGt/iαを精製することを試みたが、強い凝集のために可溶化することができなかった。そこで、Gβ1γ1をGt/iαと共発現させたところ、発現したGt/iαは、その80%が膜画分に局在し、そのうち20-30%が界面活性剤CHAPSにより可溶化された。CHAPS可溶化画分に含まれるGt/iα(membrane Gt/iαと表記)は3段階のカラムクロマトグラフィーにより高純度に精製できた。membrane Gt/iαは、ゲル濾過カラムにおいてGβ1γ1と共溶出されたことと、クマシーブルーにより染色したGt/iαのバンド強度は共精製されたGβ1のバンド強度とほぼ同じことから、membrane Gt/iαはGβ1γ1との三量体として精製されたと考えられた。membrane Gt/iαのN末端構造を決定するため、リジルエンドペプチダーゼ(API)を用いてmembrane Gt/iα/Gβ1γ1三量体を完全消化し、消化産物を逆相HPLCに供した。Gt/iαのN末端ペプチドを同定するため、全てのピーク画分をMALDI-TOF/MS分析に供するとともに、逆相HPLCにおいて、合成したN-ラウリル化およびN-ミリスチル化ペプチド(Gt1αのN末端9アミノ酸残基;それぞれC12:0-αN9、C14:0-αN9と表記)と保持時間の比較を行った。その結果、C14:0-αN9だけでなく、C12:0-αN9に保持時間と質量値の一致する断片を見出した。逆相HPLCにおけるこれら2種のペプチドのピーク面積よりC14:0とC12:0修飾型のモル比は9:1と算出された。また、C12:0-Gt1αのN末端部位を特異的に認識するモノクローナル抗体(LA4)を用いたイムノブロット解析によっても、membrane Gt/iα標品の中にC12:0修飾型Gt/iα (C12:0-Gt/iα)が存在することが確認できた。さらに、C14:1およびC14:2によりN-アシル化されたペプチドの質量値に一致する断片は、membrane Gt/iαのAPI消化産物からは検出できなかった。よって、membrane Gt/iαは2種の脂肪酸、つまりC14:0 (〜90%)とC12:0 (〜10%)により不均一に修飾されていると結論した。この結果は、Sf9細胞のNMTが基質とし得るC14:0-CoAとC12:0-CoAが細胞内に存在することを示している。そこで、発現培地の組成を換えればGt/iαのN-アシル基組成を制御できると考え、Gt/iα発現培地にC14:0を添加し、回収した細胞のCHAPS可溶化画分に含まれるC12:0-Gt/iα量をLA4を用いたイムノブロット解析により推定した。その結果、C12:0-Gt/iα量は検出限界以下に減少した。一方、C12:0を添加すると、その濃度に依存してC12:0-Gt/iαの含有率は上昇した。よって、C12:0あるいはC14:0をGt/iα発現培地に添加すれば、Sf9細胞に発現するGt/iαに占めるC12:0-Gt/iαの含有率を変化させ得ることが判った。続いて、大量の培養液(各々2〜6L)から調製した数種のmembrane Gt/iα標品を、上述と同様に分析したところ、C12:0-Gt/iαの含有率が互いに異なる複数のGt/iα標品を得ることが出来た(表1)。このことにより、N-アシル基がG蛋白質αサブユニットの機能に及ぼす効果を直接的に評価することが初めて可能となった。そこで、再構成系においてRh*が触媒するsteady-state GTP水解反応速度を、種々のGt/iα標品について測定した。その結果、cytosolic Gt/iαは、網膜Gβ1γ1存在下においてGTP水解速度(GTP-turnover 速度)は非常に遅かった。さらに複数のmembrane Gt/iα標品の中で、membrane Gt/iα-1が最も速いGTP-turnover速度を示し、membrane Gt/iα-2、membrane Gt/iα-3、membrane Gt/i-4の順にその速度は減少した(図1)。このGTP-turnover速度の順序は、C14:0-およびC12:0-Gt/iαの含有率と相関を示し、精製標品に含まれるC12:0-Gt/iαの含有率の上昇に伴い、その速度は減少した。さらに、C12:0-Gt/iαのGTPase活性はC14:0-Gt/iαより一桁も低いと推定された。以上より、第一の疑問に対する答えとして、トランスデューシンがシグナル伝達という機能を果たす際にGt1αのN-アシル基は必要不可欠であることを明らかにすることができた。さらに、第二の疑問に対して、Gt1αアイソフォームはそれぞれ、機能的に不均一な光シグナル伝達・増幅特性を持つことを強く示唆する結果を示すことができた。Gt/iαのN-アシル基がGTP-turnover速度に影響を及ぼす原因としては複数の可能性が考えられる。しかしながら、Gt/iαへのGTPγS結合反応速度はGt/iαのN-アシル基によって大きな影響は受けないことと、先行研究の結果を併せて考えると、一旦解離したα・βγサブユニットの再会合、あるいはこのステップとほぼ同時に起こる脂質膜(活性化ロドプシン含む)への結合に対してGt/iαのN-アシル基構造が強い効果を及ぼすと考えられる。

Sf9細胞を用いて発現・精製したGt/iαのN末端構造 Gt/iα-1,-2,-3,-4および-5標品は、ミリスチン酸(Myr)あるいはラウリン酸(Lau)添加培地を用いて発現させ、CHAPS可溶化画分からGt/iα/Gβ1γ1三量体として精製した。一方、cytosolic Gt/iαは、Gt/iα単量体として発現させ、水溶性画分から精製した。C12:0修飾型 (C12:0-modified)、C14:0修飾型(C14:0-modified)および未修飾型(unmodified)Gt/iαの含有率は、Gt/iαの酵素消化産物から逆相HPLCカラムによって分離したN末端断片のピーク面積から推定した。Gt/iα-4および5に含まれるC12:0修飾型Gt/iαの含有率の推定は、Gt/iα-3を標準物質として作成した検量線を用いて行なった。membrane Gt/iα-5は、ウイルス感染から24時間後に培地にLauを添加して発現・精製したものであり、それ以外のmembrane Gt/iαはいずれもウイルス感染後すぐに脂肪酸を添加した培地を用いて発現・精製した。

Steady-stateのGTP水解速度に及ぼすGt/iαのN末端アシル基の効果 PCリポソームに再構成したウシロドプシンに4℃下で1分間光(>540nm)を照射することにより、メタロドプシンIIに変換させた。メタロドプシンIIを、精製した種々のGt/iα標品、大豆トリプシンインヒビター、CHAPS、[γ-32P]GTPと混合して反応させた。cytosolic Gt/iαを用いた反応においては、これと等モルの網膜から精製したGβ1γ1を混合して反応を行なった。反応は、[γ-32P]GTPとメタロドプシンIIの混合溶液を反応チューブに加えることにより開始し、25℃にて保温した。反応開始から20分後に5%(w/v)の活性炭を含む50mM NaH2PO4を反応チューブに加え、充分に混合することにより反応を停止した。続いて[γ-32P]GTPの加水分解によって生じた遊離の32Piを含む上清を回収した。用いた条件下では、[γ-32P]GTPの水解量は反応開始から20分間は、ほぼ直線的に上昇したので、縦軸は水解反応速度で示した。

審査要旨 要旨を表示する

桿体視細胞G蛋白質トランスデューシンαサブユニット(Gt1α)のN末端は、不均一な脂肪酸(C12:0・C14:0・C14:1・C14:2)によってN-アシル化されている。ロドプシンが受容した光シグナルを伝達・増幅する際に、蛋白質同士または蛋白質と脂質膜との相互作用を介してGt1αのN-アシル基は重要な役割を果たすと考えられるが、その生理的意義は不明である。そこで論文提出者は、Gt1αのN末端脂肪酸の構造とGt1αの機能との相関に関して次の2点に注目して研究を行なった。1)Gt1αのN-アシル基はトランスデューシンの機能にどのような役割をもつか。2)N末端構造が異なるGt1αアイソフォームの機能は異なるのか。これらの疑問に答えるためには、N-アシル化Gt1αの調製が必須である。そこで、調製が困難なGt1αに代えてGt1α/Gi1αキメラ(以下Gt/iαと表記)を用い、N-ミリスチル化Gt/iαの調製をまず試みた。Gt/iαをSf9細胞に発現させ、その水溶性画分からGt/iαを高純度に精製した。精製Gt/iα(cytosolic Gt/iαと表記)のN末端構造を分析すると、N末端未修飾型 (N末端はGly) であった。次に、膜画分からGt/iαの可溶化を試みたが、可溶化されなかった。そこで、Gβ1γ1を共発現させたところ、Gt/iαは大部分が膜画分に発現したためCHAPSにより可溶化し、Gβ1γ1との三量体として高純度に精製された(membrane Gt/iαと表記)。そこで、membrane Gt/iαのN末端構造を定量的に分析し、C14:0とC12:0によって不均一にN-アシル化され、両者のモル比は9:1であることを明らかにした。この結果は、Sf9細胞のNMTがC14:0-CoAのみならずC12:0-CoAも基質とすることを示している。そこで論文提出者は、発現培地の組成を換えればGt/iαのN-アシル基組成を制御できると考え、Gt/iα発現培地にC14:0を添加し、CHAPS可溶化画分に含まれるC12:0-Gt/iα量をイムノブロット解析により推定した。その結果、C12:0-Gt/iα量は検出限界以下に減少した。一方、C12:0を添加すると、その濃度に依存してC12:0-Gt/iαの含有率は上昇した。よって、C12:0あるいはC14:0をGt/iα発現培地に添加すれば、Sf9細胞に発現するC12:0-Gt/iα量を変え得ることが判った。そこで、大量の培養液(各々2〜6L)から数種のmembrane Gt/iα標品を調製してN末端構造の分析を行い、C12:0-Gt/iαの含有率が互いに異なる複数のGt/iα標品を得た。この成果によって、N-アシル基がG蛋白質αサブユニット(Gα)の機能に及ぼす効果を直接的に評価することが初めて可能となった。そこで、Rh*が触媒するsteady-state GTP水解反応速度を、種々のGt/iα標品について測定した結果、cytosolic Gt/iαは、網膜Gβ1γ1存在下においてもGTP水解速度(GTP-turnover速度)は非常に遅かった。一方、複数のGt/iα標品の中で、C14:0-Gt/iαが最も速いGTP-turnover速度を示し、精製標品に含まれるC12:0-Gt/iαの含有率の上昇に伴い、その速度は減少した。さらに、C12:0Gt/iαのGTPase活性はC14:0Gt/iαより一桁も低いと推定された。以上より、第一の疑問に対する答えとして、トランスデューシンがシグナル伝達という機能を果たす際にGt1αのN-アシル基は必要不可欠であることを明らかにした。さらに、第二の疑問に対して、Gt1αアイソフォームはそれぞれ、機能的に不均一な光シグナル伝達・増幅特性を持つことを強く示唆する結果を示した。

以上のように、論文提出者は本研究において、N末端未修飾型GαおよびN末端脂肪酸組成の異なる複数のN-アシル化Gαの調製・分析方法を確立し、N-アシル基構造がG蛋白質の機能に大きな影響を及ぼすことを初めて明らかにした。なお、本論文は松田孝彦氏・松浦善治氏・芳賀達也氏・深田吉孝氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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