学位論文要旨



No 118710
著者(漢字) 洪,炳喆
著者(英字) HONG,BYONGCHUL
著者(カナ) ホン,ビョンチョル
標題(和) ラット自律神経系に及ぼすパルス磁気刺激効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 118710
報告番号 甲18710
学位授与日 2004.03.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2219号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 講師 柴田,政廣
 東京大学 講師 岩坂,正和
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景

磁気刺激 (Magnetic Stimulation) は、従来使用されていた電気刺激と比べて非侵襲的に神経や筋を刺激でき、痛みが少ない利点がある。特に脳に磁気刺激を与えるいわゆる経頭蓋磁気刺激(Transcranial Magnetic Stimulation; TMS)により様々な神経反応を起こさせることができるが、一般的に多く用いられているものは運動電位 (Motor Evoked Potential: MEP) の誘発であろう。つまり、脳神経を非侵襲的に刺激でき、皮質脊髄路を下行したインパルスが末梢の筋肉にMEPを生じさせることができるので、皮質脊髄路の興奮性や伝導速度などを検討することができ、生理学研究及び臨床分野で広く使われている。

このような脳を無侵襲刺激できるという大きな特徴をもつTMS手法を最近は自律神経反応をみた研究も幾つかなされている。近年、皮膚交感神経、筋交感神経など自律神経系の応答への影響などが報告されている一方、20Hz、運動閾値上 (129-140%) の連発経頭蓋磁気刺激(repetitive transcranial magnetic stimulation; rTMS)が心拍や血圧に影響を与えているという結果も報告されている。しかし、この結果が脳を刺激することで上位中枢を介して直接血圧と心拍数に影響を与えたかどうかを示すものではなかった。また、血圧・心拍の変動の原因となる自律神経調節への関与に関しては検証されていない。従って、rTMSによっておきる血圧・心拍変動が自律神経調節によるものであるかどうかの知見を得るためには、何からかの方法を取ってそれを調べる必要がある。

研究の目的

10Hz、運動閾値上 (120%) のrTMSによって、ラット血圧と心拍の変動が見られる。その原因は刺激によって、心臓と血管系を司る自律神経活動の変動が起こった可能性がある。一般に血圧は様々な要因によって変動すると言われているが、本研究では血圧・心拍の神経性調節に注目し、ラットの頭部に急性パルス磁気刺激時の血圧・心拍変動に伴う心臓迷走神経、心臓交感神経そして血管収縮交感神経の活動を調べることを主な目的としている。さらに、20日間の慢性磁気刺激を行い、刺激後の血圧・心拍とカテコーラミンを計測することで、急性的に起きる血圧・心拍及び自律神経変動の持続効果を調べた。

方法

実験はWistar-Kyoto(WKY)ラットの頭部に、刺激強度1.88-2.44Tesla(運動閾値の120%)、10Hzのパルス磁気刺激を0.904秒間与えた急性刺激と、1日に30分間の間、刺激強度2.16Tesla、刺激周波数10Hz、1 train の持続時間0.904秒、各 train の間隔は1分の条件で刺激を与え、1日に300パルス、20日同じ刺激を行ない、1匹につき合計6,000パルスの刺激を与えた慢性実験で構成されている。

急性実験

ラットをウレタン麻酔下で右大腿部動脈にカテテール挿入後、動脈血圧と心拍数を計測した。動脈血圧と心拍数は磁気刺激前10秒、刺激中約1秒、刺激後10秒、計21秒間計測した。磁気刺激は円形コイルをラットの頭部に非接触で置き、刺激強度1.88-2.44Tesla、刺激周波数10Hz、10パルスを与え、これを自律神経遮断薬投与前実験とした。上記の実験が終わるとラットを4群に分け、自律神経遮断薬投与下の磁気刺激を行なった。自律神経遮断薬としては、硫酸アトロピン(迷走神経遮断薬)、アテノール(心臓交感神経遮断薬)、プラゾシン(血管収縮交感神経遮断薬)、そしてプラゾシンと一酸化窒素合成酵素阻害剤 (L-NMMA) を投与し、再び上記刺激パラメータをもって刺激を与え、自律神経遮断薬前実験同様動脈血圧と心拍数を21秒間計測した。シャムコントロール実験時には刺激の影響が少なくなるよう、コイルを頭部から10cm離して固定した。

慢性実験

ラットは刺激強度2.16Tesla、刺激周波数10Hzで1日に30分間、強度2.16Tesla、300パルスの刺激をラットの頭部に与えた。このような刺激を20日間与えた。実験では、刺激群とシャムコントロール群がら1匹ずつ選び、同時に刺激を行なった。全ての刺激が終わった日に、pentobarbital sodium 麻酔下で右大腿部動脈にカテテール挿入を行い、刺激後1日目、3日目、6日目、そして8日目の午後4時から6時まで、実験群 (n=7) と対象群 (n=6) において、1匹当たり、1日2時間動脈血圧と心拍数を計測した。また、慢性実験後3日目の午後6時〜6時30分の間、ラットの採血を行い、交感神経活動の指標として、血漿アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン濃度を計測した。

結果

急性実験

自律神経遮断薬投与前の磁気刺激では、刺激前の10秒間のベースラインに比べ、刺激後10秒間において血圧が下がることが確認された。収縮期血圧が6.5%、拡張期血圧8.1%、平均血圧が7.7%有意に下降している。心拍数は有意差が認められなかった。しかし、自律神経遮断薬投与後の磁気刺激においては、全ての血圧・心拍数の反応が自律神経遮断薬投与前の磁気刺激に対する結果とは必ずしも同一反応を示すことはなかった。以下、各々の実験において刺激後10秒間の平均血圧・心拍数変化を刺激前10秒間のベースラインと比較した結果をまとめると(1)自律神経遮断薬投与前実験群(n=22):平均血圧7.7%下降 (p<0.01)(2)硫酸アトロピン投与後実験群(n=6):平均血圧6.3%下降 (p<0.01)(3)アテノール投与後実験群(n=8):平均血圧2.4%下降 (P<0.05)(4)プラゾシン投与後実験群(n=8):平均血圧1.4%下降(有意差なし)(5)プラゾシン+L-NMMA投与後実験群(n=9):平均血圧2.3%下降 (p<0.05)(6)シャムコントロール実験群(n=8):平均血圧変化なし となり、(1)群の実験における平均血圧の下降率と(2)〜(6)の実験群の10秒間の平均血圧下降率を比較すると、(1)と(2)群間では有意差がなく、(1)群と(3)〜(6)群間には有意差が認められた。心拍数の変動率においには(1)群と他の群((2)〜(6)群)との間には有意差がなかった。

慢性実験

急性実験において、約10秒間の血圧下降と有意的ではないが心拍数の変化が交感神経の抑制による結果である可能性が示唆された。長期間にわたる慢性経頭蓋磁気刺激が血圧下降の作用があるか否かをみるため、血圧・心拍及び交感神経活動の指標である血漿アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン濃度を計測した。慢性実験後1日目、3日目、6日目、8日目の8日間にわたり、実験群 (n=7) と対象群 (n=6) において、同じ測定日の血圧と心拍数を比較した結果、1日目から8日目まで両群の差は認められなかった。

また、刺激後3日目の午後6時〜6時30分の間に、血液を採取し、血漿アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン濃度を計測したが、これらのデータも両群間に差は認められなかった。

結論

自律神経遮断薬投与前後に、ラットに急性経頭蓋刺激を与える急性実験で、血圧・心拍数を解析し、以下のことが分かった。10Hz、0.904秒間の急性磁気刺激によって約10秒間血圧の下がる理由は、迷走神経活動の影響が少ない、心臓交感神経と血管収縮交感神経の抑制による可能性がある。しかし、慢性経頭蓋刺激を与えた後の血圧・心拍数と血漿カテコーラミン濃度が変わらないことから、20日間の慢性刺激によって血圧・心拍数及び交感神経に影響がないことが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、「ラット自律神経系に及ぼすパルス磁気刺激効果に関する研究」と題し、連続経頭蓋磁気刺激(repetitive Transcranial Magnetic Stimulation: rTMS)によって起きる血圧・心拍変動の神経性調節を解明することを目的としている。それを達成するため、急性及び慢性実験を行ない、血圧・心拍と自律神経への影響を調べたものである。

急性実験では、刺激周波数10Hz、1train の持続時間0.904秒(刺激 pulse 数10)、刺激強度1.88-2.44T(運動閾値120%)を用いて、心臓迷走神経、心臓交感神経そして血管収縮交感神経の活動を見ており、慢性実験では、1日に刺激強度10Hz、300pulses, 刺激強度2.16Tを、20日間与え、刺激後の血圧・心拍とカテコーラミンを計測し、下記の結果を得ている

急性実験の結果

自律神経遮断薬投与前の磁気刺激では、刺激前の10秒間のベースラインに比べ、刺激後10秒間において血圧が下がることが確認された。収縮期血圧が6.5%、拡張期血圧8.1%、平均血圧が7.7%と有意に下降している。心拍数は有意差が認められなかった。しかし、自律神経遮断薬投与後の磁気刺激においては、全ての血圧・心拍数の反応が自律神経遮断薬投与前の磁気刺激に対する結果とは必ずしも同一反応を示すことはなかった。

各々の実験において刺激後10秒間の平均血圧・心拍数変化を刺激前10秒間のベースラインと比較した結果をまとめると以下のようになる。(1)自律神経遮断薬投与前実験群 (n=22):平均血圧7.7%下降 (p<0.01)(2)硫酸アトロピン投与後実験群 (n=6):平均血圧6.3%下降 (p<0.01)(3)アテノール投与後実験群 (n=8):平均血圧2.4%下降 (p<0.05)(4)プラゾシン投与後実験群 (n=8):平均血圧1.4%下降(有意差なし)(5)プラゾシン+L-NMMA投与後実験群 (n=9):平均血圧2.3%下降 (p<0.05)(6)シャムコントロール実験群 (n=8):平均血圧変化なし となり、(1)群の実験における平均血圧の下降率と(2)〜(6)の実験群の10秒間の平均血圧下降率を比較すると、(1)と(2)群間では有意差がなく、(1)群と(3)〜(6)群間には有意差が認められた。心拍数の変動率においには(1)群と他の群((2)〜(6)群)との間には有意差がなかった。

慢性実験の結果

20日間の慢性経頭蓋磁気刺激が血圧下降の作用があるかどうかをみるため、血圧・心拍及び交感神経活動の指標である血漿アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン濃度を計測した。慢性実験後1日目、3日目、6日目、8日目の8日間にわたり、刺激群 (n=7) とシャムコントロール群 (n=6) において、同じ測定日の血圧と心拍数を比較した結果、1日目から8日目まで両群の差は認められなかった。

また、刺激後3日目の午後6時〜6時30分の間に留置状のカテテールから自然滴下によって血液を採取し、血漿アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン濃度を計測したが、これらのデータも両群間に差はなかった。

以上、本論文はラットにパルス磁気刺激を与えた際に生じる血圧下降と心拍変動の神経性調節に注目し、ラットの頭部に急性パルス磁気刺激時の血圧変動に伴う心臓迷走神経、心臓交感神経そして血管収縮交感神経の活動を調べるため、自律神経遮断薬を用いた実験で、血圧下降の理由を迷走神経活動の影響が少ない、心臓交感神経と血管収縮交感神経の抑制による可能性があるとの知見を得ている。慢性刺激では、血圧・心拍数及び交感神経に影響がないことから、血圧下降と交感神経抑制の持続性がないことが示唆された。本研究は、磁気刺激の自律神経研究分野に重要な貢献をなしており、学位の授与に値するものと考えられる。

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