学位論文要旨



No 118713
著者(漢字) 厳,麗京
著者(英字)
著者(カナ) ヤン,リジン
標題(和) 近代日本における「神道」の変容 : 神道をめぐる諸言説とその流れ
標題(洋)
報告番号 118713
報告番号 甲18713
学位授与日 2004.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第463号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒住,真
 東京大学 教授 酒井,哲哉
 東京大学 助教授 村田,雄二郎
 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 三谷,博
内容要旨 要旨を表示する

問題と方法

戦後日本では、「近代日本神道」のイメージは、「国家神道」の語によってとらえられてきた。これまでの多くの研究は、国家神道概念の継承と充填をはかろうとする研究と、国家神道概念の否認と分割をはかろうとする研究とに分けられる。しかし、いずれにせよ、「国家神道」を捉えようとするあまり、研究の地平が制約されてきたと言える。また、研究の時期も、明治に限定されるものが多い。これに対して、本論文は、神道がとらえられ・生きられた様々な実質に踏み込み、明治のみならず明治以後にもおよぶ。このような意味で、本論文は「近代日本社会における神道」を考えとする。

具体的においては、近代歴史・社会における神道をできるだけ当時のあり方に即して観察しその姿を写し出すため、条例・政策だけでなく、現実社会のなかで神道を生きた多様な人々の意識や行動に注意し、その両者相互の交渉において、神道とされたものをとらえる。別言すれば、近代神道の発展・変容を「制度上」と「思想史上」の二つの側面から合わせて押さえる。時代設定については、明治時代から昭和七年までの間を、対象がある持続性を持って変容・形成された時期とし、その期間の動きを追った。

本論

明治初期には、神道を国教化する志向を持つ特別な「試行錯誤」期間があった。しかし、その志向に対する是正は早くも明治十五年の「神官教導職兼補廃止ないし葬儀不参与令」の頒布によって施されて、その後「神道非宗教」は公式見解となった。「神道宗教」が「錯誤」として認識されるに至る路程を思想史の面から考察するのが第一・第二章である。

第一章は、仏教者(島地黙雷を中心に)による「神道非宗教」論を考察した。「宗教」概念の初期的樹立にともなってあらわれた「教」、「大教」、「治教」といった類似概念に対する仏教者の言説から出てきた秩序構想を検討、その中での「神道非宗教」論をはじめとする、神道非政治・非教育など、神道を現実社会から全面的に棚上げして行く、神道に対する定位を明らかにする。

第二章は、神道人による「神道非宗教」論を考察した。明治十五年まで神道界に起きた神祇官復興運動・神道事務局成立・祭神論争という三つの運動を手掛かりに、日本風「信教自由」・祭政教一致などといった基礎理念の生成過程に反映された「(神道的)神道非宗教」論の原点をさぐる。「神道非宗教」論の提起をパターン的に捉えた上で、その(1)政治の領域において神道非宗教を求める、(2)政治理念を実現するための不可欠な要素として神道非宗教を位置づける、という二つの性格を明らかにする。

明治十五年以降、行政上における神道の性格は「宗教」から「非宗教」へと一転したことを契機に、国と神道との関係は再構造化されていく。その過程を分析するのが第三章の前半である。まず、明治十五年以後に続々と出された神社に関する具体策を手掛かりに、政策における関連性を探ることで、国と神道との間にあった(国の神道に対する)教化効用と(神道の国に対する)特別処遇が相求められた関係が、政府の神道に対する間接制御といった緩い単一の方向のものへと転じることを明らかにした。

次に、帝国憲法頒布後から教育勅語頒布に至るまでの特殊期間−−イデオロギー「空洞」期に注目した。その時期、神道側は「神道国教」論を以って「空洞」を充填するように政府に建白したが、第三章の後半では、それらの建白書に隠されている再構築された国との関係における失望を挽回しようとする神道側の意図と、政府がそれをなお幻滅させるように対応したことを明らかにした。その分析を通じて、その「空洞」期を転換点に、国と神道との関係は文面上だけでなく、実質上でも分化していったことを把握した。

その後、神道の教化効用は、国によって起用される可能性は完全になくなった。「空洞」期にはイデオロギーの注入措置が欠如していたが、教育勅語の発布とその効果によって問題はやがて解決を迎えた。以上を踏まえ、第四章は、教育勅語の発布をめぐるかの有名な「教育と宗教の衝突」事件を取扱い、自己弁護に立つキリスト教徒の言説を分析した。本事件を、キリスト教だけにかかわるものとして単純化するのではなく、対抗する諸言説上の意味においてとらえ、この事件を経過することによって、宗教の正当性に対する基準が国家主義的な方向へ調整され、社会環境が神道に有利な方向へ整えられ始めることを明らかにした。

「教育と宗教の衝突」事件後、神道は世論上に「上位」宗教としてまつり上げられた。現実においては日清戦争を契機に、官国幣社に限って経費政策が見直された。が、府県郷村社の経費と国との結び方が問題として残された。こうした問題の解決のために持ち上がったのが、明治四十年代から実施されはじめた府県郷村社を対象とした神社整理であった。第五章では、主に(1)神社整理の対象・基準・進み方および神社整理における「暗流」などを考察することで神社整理の過程を明らかにし、(2)以上をベースにして神社整理をとらえ直した。行政化しようとする政府側の働きとそれに呼応する民衆側の働きとが相俟って、明治三十年代以来神社の社会性を向上させようとする課題が整理期の十年間を通してほぼ解決に近づいたことを明らかにした。

神社整理後、国と結びつき始めた府県郷村社は、国のイデオロギーを発揮する場となり、国を反映した神道道徳化は個々の個人に届いていく。それを体験する個人には、近代における、伝統信仰上の神の放棄と、放棄後の信心の再創造という問題が次第に迫ってきた。その時期の神道思想は、こうした課題の解決を探るために大きな流れが巻き起こった。第六章では、その流れのなかでとくに目立つ一人の人物・川面凡児に焦点を合わせ、「直霊」・祓禊・宗教定義などといった彼の神道思想における原理を明かし、その上で彼の実践活動を解釈し意義付けた。「公人」の性格を付与された個人を「神人合一」の境地に達するように導くことによって、川面神道は「教育と宗教の衝突」以来に斥力の両端にあった個人における国家主義的義務と宗教的信心を、連続的に結びつけたのである。

1920年代に入り、「社会神道政策会」が現われてきた。その会では、川面神道で明確にしなかった「宗教の社会的還元」方法が摸索された。第七章の前半では、彼らの主張を取り上げる。個人的宗教原点に立ち戻りしかもそれを強化するように努める「神道社会化」は、「民衆神道化」さらに「神道国教化」に走ったことを、論理的に分析した。

第七章の後半は、「神道国教」論が現実社会における個人の信心レベルと、国の行政レベルでともに反映されはじめた時期に、遭遇した仏教側(真宗)の抵抗を、仏教者の著書:『現在の神社問題』と『神社現状の考察』を手掛かりに、取り上げた。神道国教化と既成宗教との対決を、個人をめぐる争奪ととらえ、それを指導する立場に立った仏教の、近代社会における最後の「堡塁」とも言える姿を浮き彫りにした。

1930年代に入ってから、神道における「進化」は、かつては宗教問題の周辺にあるかに思われた神道を、宗教問題における独立した中心に押し出すことになった。第八章は、その独立問題として、すでにあった「二元化」という神道の実在をめぐって、神道を改めて論理化・行政化するために開催した「神社制度調査会」を取り上げた。調査会から出て来た神社信仰を発揮するために教育を用いて神道を国教化しようとする参考案が、国の志向と合致したことを把握した上で、あらたな戦争への態勢があらわれる直前にすでに「神道国教化」が日本におけるある必然性として生成していたことを論証する。

そして最後に、近代神道の「全体像」として、近代において神道の主要部分は、国家からの分離を経ることでむしろ下位の神社や個々人からの上への力として発現したことを結論として提示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文(近代日本における「神道」の変容──神道をめぐる諸言説とその流れ)は、明治より昭和初年までの日本で、近代神道がどのように形成され変化したかを、おおくの資料によって明らかにしたものである。論文では、「神道」を、制度と思想──国家・行政側の制度・政策と、宗教人たちの思想・意見表明との交錯においてとらえている。

第一部では、明治初期の国教化の運動が挫折し、「神道非宗教」論が形成される過程を扱う。神道のもつ広い意味での宗教的機能のうち、信仰(狭義の宗教)が民間および下位の神社・教派神道に、政治(および教育)が公的機関に委ねられることで、それ以外に局限された公的祭祀が神道の本質として非宗教化される。そのプロセスを、第1章では仏教者、第2章では神道人の言説を追いながら、丁寧に描き出す。

第二部では、第3章で、明治15年以後、国家の官僚制と憲法・教育勅語の成立に向けて、政治および教育が神道の領分でなくなっていく過程を描く。第4章では、憲法成立後、キリスト教との関連でイデオロギー的空洞が意識されたことを指摘し、第5章では、神社整理が国家意志を下から支えるようにして行われたことを明らかにする。

第三部では、第6章で、明治末年より、社会問題の発生にも相応じながら、神道を主体的・道徳的なものとして立て直す動きが生まれたことを、川面凡児の神道思想と実践を例に描いている。第7章では、さらに、有力な神道人たちにより、神道の社会化を図る動きが出てきるとともに、神道の民衆化・個々人の生活習慣への浸透が立ち上がって来たことを述べ、あわせてこれに対する、仏教側からの抵抗の動きをとらえる。仏教の抵抗は、あくまでも国家に対する神道非宗教堅持を要請する規範論に過ぎなかったことを指摘する。第8章では、神社問題調査会の審議記録をもとに、国民精神作興の動きとも連動しながら、神社が個々人の生活世界に広がるとともに、その能動性を調達するようになって、一種の実質的な神道国教化の段階に達しており、昭和初年には、神道が席巻する後の戦時期の下地が作られていたことを指摘する。

以上のような議論は、いずれも新たに得られたものを含む各種の資料を博捜して堅実な調査と推論の展開によって行われており、その資料操作・議論展開に力があり、あらたに明らかにされた数多の知見があることが、まず高く評価された。さらに、研究史的意義として、本論文は、神道を主導する諸主体が、国家から保護を得ないにもかかわらず、それゆえいっそう下から神道を社会化していく動きと力を担っていったという屈折した経過を歴史的・構造的に明らかにしている。この点は、従来の制度派神道論に依拠しながらもその敷居を乗り越え、また従来の国家神道論の概括論的な不十分さを具体的レベルで充填しており、高く評価できる。

他方、言説分析に拠っているにもかかわらず、発言者の範囲、そのコンテキスト等についての分析が不足である点、議論が宗教史をたどる形で行われており、その時代の政治・社会への目配りが不足していることなどの問題点が残る。また、神道論としては、祭祀や教育・メディアへの展開、社会的勢力等についての具体的な調査や裏付け等をもっと行なう必要がある。ただ、そのような視野の狭さがあるにもかかわらず、全体としては、扱った問題を、きわめてねばり強く追っていく力量と意志、また外国人(中国人)にして、近代神道に対して安易にレッテルを貼ることなく、その内実に深く学問的に踏み込んでいく態度は、多くの審査委員が感心するところであった。

本論文は、近代日本の諸宗教・政治・思想・社会の中における神道というきわめて重要でまた困難な問題に果敢に取り組んで、その歴史的動態を明らかにした研究として、高く評価できる。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認める。

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