学位論文要旨



No 118714
著者(漢字) 阪口,功
著者(英字)
著者(カナ) サカグチ,イサオ
標題(和) 地球環境レジームと集合的政策決定プロセス : ワシントン条約レジームと象牙取引規制問題
標題(洋)
報告番号 118714
報告番号 甲18714
学位授与日 2004.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第464号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,吉宣
 東京大学 教授 山影,進
 東京大学 教授 古城,佳子
 東京大学 教授 後藤,則行
 東京大学 助教授 遠藤,貢
内容要旨 要旨を表示する

近年の地球環境レジーム研究ではオゾン層保護レジームや地球温暖化防止レジームなど歴史の浅い事例に関する研究が精力的に行われている。しかし、歴史の浅いレジームと比較的長い歴史を持ちアクターの社会化(レジームの基本的構成要素の受容)が進んだレジームでは、アクター間の相互作用の形態は異なる可能性が高い。本論文の目的は社会化が進んだレジームとしてワシントン条約(1973 年締結)を取り上げ、特にアフリカ象の象牙取引規制問題に関して設定された3 つの基本的疑問の分析を通じて、地球環境レジームの集合的政策決定プロセスの解明に貢献することである。3 つの疑問とは、(1)COP6(1987 年)まで尊重されていた科学的知識と付属書掲載基準がなぜCOP7(1989 年)で突然を無視され、付属書I掲載基準を満たさない南部アフリカ諸国を含めたすべての国の個体群が付属書I(取引禁止)に掲載されたのか、(2)COP8(1992 年)でなぜ象の保護に関する協力が崩壊の危機に達し、またレジーム全体が不安定化したのか、(3)COP7~COP9まで無視され続けた科学的知識、基準がなぜCOP10(1997 年)では尊重され、南部アフリカ諸国の個体群が付属書II(取引許可)に格下げされたのか、である。

以上の疑問に解答するために、既存の地球環境レジーム研究から、知識共同体アプローチ、利益に基づくアプローチ、パワーに基づくアプローチを導入し、最後に新たなアプローチとして討議アプローチを導入した。第一の知識共同体アプローチは、科学的知識と(知識を政策決定者に媒介する専門家の役割に着目してアクターの利益認識、さらにはレジームの形成・発展を説明しようとするアプローチである。このアプローチでは、知識共同体の一致した知識とその成員の(各国の)官僚組織への埋込が重視される。第二の利益に基づくアプローチは、地球環境レジームに参加するアクターは利己的な利益を追求する国家であると仮定して、利益の各構成要素(生態学的脆弱性、削減コスト、世論)に基づきアクターの行動を説明しようとするものである。第三のパワーに基づくアプローチは、レジームの規定はパワーにおいて優位に立つアクターの利益を反映すると仮定し、(援助や制裁を通じた)パワー・ポリティクスによりレジームの形成や発展を説明しようとするものである。

以上3 つのアプローチは、アクターの行動の動機として利益を中心に置き、レジーム(規範、ルール)の効果を考慮していないため、アクターの社会化が進んでいない状況で説明力を持つと考えられた。しかしながら、社会化が進んだ状況ではレジームがアクターの選好形成に強い影響を与えることがある。この社会化が進んだレジームの集合的政策決定プロセスを分析するために第4 のアプローチとして導入したのが討議アプローチである。

討議とは具体的にはレジームの規定(規範、ルール)と事実・科学的知識に基づき合意を形成することを目的として行われる議論を指す。討議はあくまでも理念型であり、実際の集合的政策決定プロセスではアクターの利己的な利益を強く反映した主張が繰り広げられる。しかしながら、主張がレジームの規定(規範、ルール)から逸脱していたり、科学的知識に基づいていない場合は、討議プロセスで他のアクターから厳密な検証を受け、修正を迫られることになる。もちろんそのアクターは討議に応じず利己的な利益をひたすら追求することも可能である。ところが、討議への従事は間接的にそのアクターがレジームの目的(原理、規範)を共有していることを示す行為であるため、討議の断絶は期待の収斂を困難にし、レジームを不安定化させる。それゆえ、そのアクターがレジームの目的を共有しているなら、レジームの不安定化を避けるために討議による合意形成に応じざるをえなくなり、逸脱行動は修正されていく。このようにレジームの規範やルールは討議プロセスを通じてアクターに強く作用するようになる。なお、討議で中心となるのはレジームの規範やルールであり、科学的知識は規範やルールを通じて具体的な意味を持つようになる。

以上の4 つのアプローチに基づき各基本的疑問に対する作業仮説を作成し、検証を行った。その結果、知識共同体アプローチとパワーに基づくアプローチは3 つの基本的疑問すべてに対して説明力を持たなかった。利益に基づくアプローチは第一の基本的疑問に、討議アプローチは第二と第三の基本的疑問に効果的な説明を提供することができた。

仮説検証により明らかになったことは、状況により説明力を持つアプローチ、また強く作用する要因は大きく異なるということである。まず、知識共同体アプローチは、従来地球環境レジーム研究で主流のアプローチとして認知されていたが、利益認識に作用する要素として環境悪化の影響(生態学的脆弱性)しか考慮していない。ところが、アクターの利益認識は規制のコスト(削減コスト)や世論によっても影響を受ける。それゆえ知識共同体アプローチが説明力を持つのは、知識共同体の考えと国内集団(産業、世論、政府組織)の考えが対立していない状況であった。

例えば、COP6 まではこの状況が成立しており、知識共同体の勧告に異論が出ることはなかった。しかし、高い価値を持つ象牙のための密猟が大部分の生息地域国で制御不能なほどにエスカレートした結果、個体数の減少を懸念する生息地域国および象牙取引に反対する強い世論が形成された欧米諸国はCOP7 で全面的な取引の禁止を求めるようになる。その結果、付属書I掲載基準を満たさない一部の南部アフリカ諸国の個体群を付属書IIに据え置くことを求めた知識共同体の勧告は非常に多くの締約国諸国により無視されていた。これは、知識共同体の考えと国内集団の考えが対立する状況下で政府が官僚組織に埋め込まれた共同体の成員に政策決定権を委譲しなくなったためである。それゆえ、COP7 では知識共同体アプローチは説明力を失い、代わって利益をより包括的に分析する利益に基づくアプローチが効果的な説明力を持つようになった。

COP8 ではCOP7で決定された付属書IIへの格下げ基準と手続きに基づき、 (格下げ提案を評価する役割を与えられた)専門家パネルが一部の南部アフリカ諸国は格下げ基準を十分に満たすと勧告していた。しかし、取引禁止の継続を望む非常に多くの締約国が、専門家パネルの分析と格下げ基準を完全に無視する戦略をとり、討議に全く応じようとしなかった。その結果、南部アフリカ諸国はこれまで自発的に行ってきた取引のモラトリアムを取りやめ、留保下または条約から脱退して象牙取引を再開する意思を示し、アフリカ象の保護に関する協力が崩壊の危機に陥った。これは討議の断絶はレジームを不安定化させると予期する討議アプローチが予想する展開であった。もし、利益に基づくアプローチが妥当するなら南部アフリカ諸国はCOP7 後も留保下での取引を継続していたはずである。しかしながら、南部アフリカ諸国は格下げ基準を満たし、COP8 で承認を得た上で取引を再開することを目指していた。南部アフリカ諸国がCOP8で協力を停止する意思を示したのは、討議に応じようとしない取引反対派の議論を聞いて、もはや期待が収斂することはないという結論に達したからであった。

COP8 ではそれだけに留まらず、非常に多くの種に関する提案が付属書掲載基準や科学的知識に基づき議論されることなく撤回に追い込まれ、レジーム全体が不安定化するという事態が発生していた。これはアフリカ象の提案をめぐる極化した議論を聞いて、他の締約国諸国が基準や科学的知識とは無関係に自国が利益を持つ種の取引が禁止に追い込まれることを恐れ、舞台裏のロビイングや討議を拒否することにより提案の採択を阻止する戦略をとったためであった。このように、討議の断絶は期待の収斂を困難にし、協力やレジームを不安定化させることになる。

しかしながら、この協力の崩壊とレジームの不安定化の事態を回避するために、その後締約国諸国は利己的な利益の追求を慎み、格下げ基準と科学的知識に基づく討議による合意形成に協力するようになる。その結果、COP10 で南部アフリカ諸国の個体群の格下げに成功する。このように、社会化が進んだレジームではアクター間で目的(原理、規範)が共有されているため、次第にレジームの規制的効果が強く働くようになり、討議を通じて逸脱行動は修正されていく。

利益に基づくアプローチは(社会化が進んだレジームでも)逸脱行動の発生を説明することができるが、それが修正されていくプロセスを説明できない。この修正のプロセスを説明するには討議アプローチが効果的となる。また、社会化が進んだレジームでは、知識は知識共同体論者が想定するアクターの利益認識を通じてではなくレジーム(規範、ルール)を通じて強い影響を与えることができる。また、パワーに基づくアプローチは3 つの基本的疑問すべてに対して効果的な説明を提供できなかったが、これは社会化が進んだレジームでは、自国の利益のために援助や制裁を通じた影響力の行使を行えば、その国は名声を失い、環境を保護すると言うより大きな目的を達成することが困難になるためであった。

このように、知識共同体アプローチ、利益に基づくアプローチ、パワーに基づくアプローチは社会化が進んでいない状況では効果的な説明力を持ちえるが、社会化が進んだレジームではレジーム(規範、ルール)の効果に着目した討議アプローチが有効となる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1973年に形成されたワシントン条約レジームの中で展開した象牙取引の規制問題を取り上げ、それを国際レジーム論の観点から分析したものである。象牙取引規制問題は、ワシントン条約レジームの中で当初から重要な問題であったが、1989年の第7回締約国会議(COP7)で科学的な知識やレジームのルールが無視され、取引全面禁止(付属書Iへの掲載)がなされた。そしてCOP8(92年)では、対立が激しく、ワシントン条約レジーム全体が極めて不安定化した。しかし、COP9(94年)での検討を経て、1997年のCOP10において、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア3カ国の個体群を付属書IIへ格下げする決定が行われた。この過程のなかで、阪口氏は、(1)なぜCOP7で、突然ともいえるように全面禁止の決定がなされたのか、(2)COP8でなぜアフリカ象に関する協力が崩壊の危機に瀕し、さらにワシントン条約レジーム全体が不安定化したのか、そして(3)COP10でなぜまた突然のように科学的知識や付属書掲載基準にもとづいた決定がなされたのか、という3つの疑問に答えようとする。

このような問題設定を第1章で行い、これらの疑問に答えるために、第2章では、阪口氏は、レジームの形成、維持などを分析する場合に提示されているいくつかの要因(およびアプローチ)を整理し、疑問に対する答えを仮説の形で提示する。それらの要因とは、利益、力、知識、レジームに組み込まれた規範・ルールである。利益を重視するアプローチは、レジームにおける国家の行動は、その国が認識する(経済的な)利益によって決まるとし、力を重視するアプローチは、レジームにおける集団的決定は、メンバーの力の行使、それも強い力を持つ国の力の行使によって決まる、と考える。そうすると、前記三つの疑問に表されるようなレジームにおける変化は、加盟国の利益が大幅に変化した、あるいは、力関係に大きな変化が生じた、ということに帰着する。知識は、当該の問題に関する事実、因果関係、予測などいくつかの種類が存在するが、それは、知識を共有する知識共同体をとおして、またそれが官僚組織に組み込まれることによって、各国の利益に影響し、その行動を規定する。したがって、レジームにおける変化は、共有されている知識が大きく変化したか、あるいは知識共同体のメンバーの各国の官僚組織への組み込まれ方が大きく変化したかである、ということで説明される。このような議論(仮説)に対して、筆者は、レジームの規範やルールそのものが各国の利益や行動に大きな影響を与える可能性を指摘し、それを取り扱うアプローチとして、討議アプローチを提示する。討議アプローチは、ある規範やルールが存在し、加盟国に共有されている場合、各国は、それに準拠し、知識、利益を基にしながらも、コンセンサスを形成していく、というものである。そしてそこでは、討議の内容に関して、事実に即したものか、規範、ルールに合致したものであるか、等によって妥当性が判断され、妥当性が無いものは排除されていく、というプロセスをとる。このような討議が成り立つためには、規範、ルールが(ある程度)共有されていること(社会化)、また他の国がその規範やルールに従うという信頼があることが必要である。また、集団決定のルールも、コンセンサスに近い方式を取っていることが必要である。

第3章においては、ワシントン条約レジームに関して、その生成発展、機構、決定のあり方、基本的なルールが詳述される。以上の準備段階(第1部-第1章から3章)を経て、第2部(第4章から第10章まで)では、COP1(1976)からCOP10までの象牙取引問題を詳細に分析し、疑問(1)−(3)を解こうとする。

第4章はCOP1からCOP6までをとりあげ、そこではアフリカ象は付属書IIに掲載され、基本的に、共有された知識とワシントン条約レジームの規範(conservation−−継続的な利用を目的とし、そのために必要な個体数を維持すること)とルール(ベルン基準)に沿って、また、知識共同体の勧告に沿って決定が行われていたことが明らかにされる。第5章において、COP7では、科学的な知識が無視され(南部アフリカ諸国の個体群は安定しておりルールからいえば、付属書Iに掲載される根拠は無かった)、アフリカ象がすべて付属書Iに掲載されたことをめぐっての分析が行われる。それはそれまでの規制(輸出割当制など)が効果をあげえずアフリカ象が大幅に減少したということと、欧米のpreservation(動物を殺すこと自体を禁止しようとすること)を掲げるNGO(非政府組織)が活発に活動し、アメリカ、ヨーロッパ諸国が全面禁止に動いたこと、アフリカのなかでケニアなど全面禁止に利益を見出す国が増大したこと、が理由であった。アメリカ、そしてとくにフランスは、アフリカ諸国に影響力を行使したが、基本的には、個別の利益に基づいた行動(利益の構造)が、突然COP7において、全面禁止の集団決定が行われた一番の理由であった(疑問(1)に対する回答)。そして、COP7での議論は、(利益に基づいた)バーゲニング、あるいは(最初から固定した立場で会議に臨む)レトリックが支配的なものであった。

第6章においては、COP8で、象牙だけではなくワシントン条約レジーム全体が不安定化したこととその理由が検討される。COP7の全面禁止の決定の際、付帯条項として、条件を満たした国を付属書IIへ格下げすることが明記されていた。この決定に沿って、南部アフリカ諸国は、COP8で付属書IIへの格下げを提案した。そしてそれは前回の決定、ルール、また科学的な知識に沿ったものであったが、それに対する反対は極めて強く、提案は撤回されざるを得なかった。南部アフリカ諸国の不満は強く、そのなかには、ワシントン条約レジームからの脱退をほのめかす国も現れた。さらに、アフリカ象だけではなく、他の種においても、ルールや科学的な知識に基づかない議論が横行し、ワシントン条約レジームは大いに不安定化したのである。この時期、科学的知識は無視されていたため、また科学的知識の内容はそれほど変化していないため、知識(の変化)が各国の行動やレジーム全体に大きな影響を及ぼしたとは考えられない。また、利益もCOP7に引き続きアフリカ象、またワシントン条約レジームの不安定化に大きな役割を果たしたが、もし各国(特に南部アフリカ諸国)が利益のみに基づいて行動したならば、脱退とか、モラトリアムをやめて象牙の取引を開始した国も出てきたはずである。ワシントン条約レジームが不安定化したことは、科学的な知識やルールが無視され、将来に対する不安が増大し、それが不安定化を増進した、という討議の失敗によって説明できる(疑問(2)に対する回答)。

第7章は、COP9が分析される。COP8で見られた象牙取引に関する協力の失敗やワシントン条約レジームの不安定化は、各加盟国に共通の目的を達成することが困難になることを認識させ、また、将来自国の利益がかかる種に関して、規範、ルール、科学的知識を無視した決定がなされ自国の不利益になることを恐れさせるようになる。このようななかで、ECのなかの幾つかの国がイニシアティブをとり、生息国を交えて対話のプロセスが展開することになる。そこでは、利害が対立する生息国の間に相互理解を進展させ、生息国の間の調整、合意を促進するような措置が取られるようになる。COP9では、南アフリカの格下げ提案が導入された。しかし、そこでは専門家パネルの勧告を十分に取り入れた議論も見られるようになったが、ルール、知識、などを無視する議論も多く見られたため、将来への含みを残しつつ、南アフリカは提案を撤回する。しかし、COP9においては、シロサイの格下げの提案(付属書IIへの格下げ)が受け入れられルールに従った行動が再確認され、付属書修正に関する新基準が採択され、ルールの明確化がはかられた。アメリカやECは、アフリカの合意を尊重するという行動原理を明確にするようになる。

第8章では、COP9後、格下げへの合意を達成するためにアフリカ諸国の対話が盛んに行われたことが分析される。96年には、ナミビアのエトシャで会議が行われ、そこには南部アフリカ諸国にとどまらず、過去に格下げに反対した国を含めてワシントン条約において象の保護問題に関心を持つ幅広い国及び専門家たちが招待された。そこでは、格下げに関してさまざまな国からの意見を聴取していく協議プロセス(計画)が作成される。そして、この計画に基づいて、格下げを目指すジンバブエは、フランス語圏諸国を訪問する。96年にはダカールで第1回アフリカ象生息地域国対話会議が開催され、アフリカの格下げに関するコンセンサスが形成され、相互理解と信頼関係が構築される。

第9章ではCOP10が分析される。COP10では、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア3カ国の格下げが提案された。そしてCOP10が開催される直前第2回アフリカ象生息地域国対話会議がジンバブエのダウェンダールで開催され、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビアの3カ国の格下げ提案が検討された。COP10では、舞台裏の会合なども密に行われそれを通して格下げ提案に対する東アフリカ諸国、西アフリカ、中央アフリカ等の支持が次々と取り付けられる。3ヶ国の提案は、付属書IIへの格下げ基準に即したものであり、取引上の管理を強化したり、予防措置をとったりするなど科学的な根拠のある妥当な議論として提示された。ただ、南アフリカは、付属書IIへの格下げが効力を発した後、18ヶ月間の取引を禁止し、輸入国と輸出国の取引管理に対する独立した査察を行うなどの内容の修正案を提出した。輸入国の取引管理は重要な要素であり、唯一の輸入国とされる日本の取引管理の強化についても詳述される。Preservation規範に基づく反対論や、最初から格下げ反対という立場を固定した議論も見られたが、議論の妥当性を重視し、それにもとづき意見や態度を柔軟に変更するという討議が広く見られた。このような過程を経て、いくつかの条件のもとに3カ国の格下げが認められた。

第10章においては、COP10に関して、利益、力、知識共同体、という観点からの分析を行い、そのいずれもが3カ国の付属書IIへの格下げに収斂して行った過程を説明することができないことが明らかにされる。そして、規範、ルールに基づいた妥当な議論の展開が収斂を可能にしたと論ぜられる(疑問(3)への回答)。

第3部(第11章)は結論である。COP7で、付属書Iに格上げされたアフリカ象の取引規制問題は、COP8で、ワシントン条約レジーム自体をも揺るがすようなものとなったが、COP9、そしてその後、ルールや科学的知識に基づく議論と、相互理解や信頼を向上させようとするいくつかの方策が採られる。そして、CO10においては、ルール、科学的知識に沿って、議論を行い、合意を得ていく、という討議が広く見られ、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア3カ国の付属書IIへの格下げが認められる。このような過程のなかで、通常国際レジーム論で国家の行動を規定されるとされる利益、力、知識、規範・ルールは状況と、レジームの発展段階によって、それらが作動するあり方(作動するかしないかを含めて)が異なる。そして、筆者は、それらの要因のいずれかが常に国際レジームにおける国家の行動を規定するのではなく、状況により、またレジームの規範やルールがどのくらい社会化されているかによる、と結論付ける。

エピローグにおいては、COP11(2000年)とCOP12(02年)が取り扱われ、象牙取引に関していまだ付属書Iへの再格上げの提案が見られるものの、基本的には付属書掲載の基準が守られ、それに基づいた議論が支配的であることが示される。

阪口氏の論文は、2つの点から高く評価されよう。一つは、ワシントン条約レジームのなかの象牙取引規制問題の歴史的展開に関する、一次資料、インタヴューなどの綿密に集められた資料に基づく記述と分析である。とくにCOP7からCOP10までの8年間にわたる詳述は、それが基づく資料とあわせて、世界で初めてのものである。そして、このようなきわめて密なる資料(綿密でかつ通常では手に入らない会議資料)の分析は、阪口氏の理論的な志向と密接にかかわるものであった。二つには、理論的な貢献である。阪口氏は、国際レジームにおける国家の行動を規定するとされる利益、力などいくつかの要因を分析しているが、氏の理論的な焦点は、討議アプローチによって、国際レジームの規範(ワシントン条約レジームでは、conservation)やルール(付属書I、II等への掲載基準)がどのように、またどのくらい国家の行動を規定するかを明らかにしようとすることである。討議アプローチは、会議等の議論の中で、発言者が規範、ルール、科学的な知識を如何に捉えているかを明らかにすることによって、規範やルールの国家の行動に与える影響を明らかにしようとするものである。このことは綿密な資料をもってはじめて可能になる。討議アプローチは、近年いくつかの分野で応用されようとしているが、阪口氏は、実証的にこのアプローチを応用して実際の政治過程を明らかにした初めてのケースといっても過言ではない。もちろん、初めての討議アプローチによる実証研究の故もあって、今後つめていかなければならないいくつかの点も存在する。たとえば、「社会化」という概念を取り入れた点は評価できるが、国際レジームの規範やルールがいかにして、またどのくらい参加国が受け入れているのか、これを如何に実証していくか、将来の大きな課題である。また、発言からそれを規範やルールに従っているのか、あるいは従っていないのかをいかに判定していくか、技術的な問題ではあるが、論証上さらに工夫する必要がある。

阪口氏の論文は、理論、実証双方に優れたものであり、ゆうに国際的水準に達し、国際レジーム論、環境をめぐる国際政治の分析に多大な貢献をするものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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