学位論文要旨



No 118717
著者(漢字) 森本,幸子
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,サチコ
標題(和) 大学生における被害観念の形成に関する研究
標題(洋)
報告番号 118717
報告番号 甲18717
学位授与日 2004.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第467号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 丹野,義彦
 東京大学 教授 繁桝,算男
 東京大学 教授 長谷川,寿一
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 助教授 酒井,邦嘉
内容要旨 要旨を表示する

健常者でも精神疾患患者の妄想と類似した内容の観念 (以下,妄想的観念) を持つことが報告されている.本論文では,妄想的観念の中でも特に被害的な内容を示すもの (以下,被害観念) に関して研究を行った.被害観念が非行少年の心理・性格的な特徴として見られることが報告されており (岡本, 2001),被害観念を持つことによって,対人関係などに様々な問題を生じやすいことが推測される.被害観念の予防・介入法を探るためには,被害観念の発生メカニズムを解明することが重要だと考えられるが,これまでのところ,被害観念に関する研究は少なく,その発生メカニズムは明らかにされていない.そこで本論文では,大学生にみられる被害観念の発生について検討することを目的とした.本論文は二部構成となっており,第一部では,被害観念の特徴を明らかにするために記述研究を行った.第二部では,被害観念の発生に関する研究を行った.

記述研究

研究1 被害観念と他の妄想的観念との多次元比較

精神疾患患者を対象にした妄想の研究では,妄想の内容によってその特徴が異なることが指摘されているが (Appelbaum, Robbins & Roth, 1999),妄想的観念の研究では,観念の内容ごとに分けて扱われておらず,観念の特徴を比べた研究はほとんどない.そこで研究1では,様々な観点より測定可能な多次元尺度を作成し,大学生471名を対象に被害観念と庇護観念とを比較した.庇護観念は被害観念と同じく妄想的観念の一種であるが,その観念の内容は誇大妄想と類似している.被害観念と庇護観念を比較した結果,被害観念は苦悩 (抵抗感・違和感)や関心 (証拠探し) が強く,庇護観念は,観念の強さ (確信度・訂正不能性) によって特徴づけられることがわかった.よって研究1の結果より,妄想的観念の内容によって特徴が異なるため,妄想的観念の内容ごとに分けて研究を進めていく必要があることが明らかとなった.また,得られた結果は,精神疾患患者において被害妄想と誇大妄想とを比較した結果と一致しており,妄想的観念と妄想とが連続的であるという先行研究 (Strauss, 1969) を支持すると考えられる.

研究2  被害観念と抑うつ自動思考,強迫観念との多次元比較

統合失調症の他にも,うつ病や強迫性障害において妄想との区別が不明瞭である観念が存在することが知られている.妄想の発生モデルはまだ確立途中の段階であるが,うつ病や強迫性障害の発生モデルはすでに確立されており,モデルに基づいた治療も行われている.被害観念を抑うつ自動思考や強迫観念と比較することで,被害観念の発生モデルに有用な示唆を得ることができると考えられる.そこで,研究2ではこれらの観念と被害観念の比較を行った.大学生35名を対象に,研究1で作成した多次元尺度を被害観念,抑うつ自動思考,強迫観念について実施した.その結果,被害観念は抑うつ自動思考や強迫観念に比べて,苦痛度や違和感が高く,訂正不能性や頻度が低いことがわかった.また,被害観念と抑うつ自動思考とは,苦痛度の高さと訂正不能性の低さで類似しており,一方,被害観念と強迫観念は,確信度の低さで類似していることが明らかとなった.臨床的に重要であると考えられる苦痛度や違和感に注目すると,被害観念は強迫観念よりも抑うつ自動思考にちかいと考えられる.よって第二部では,抑うつの代表的な発生モデルである素因ストレスモデルを用いて,被害観念の発生を検討することとした.

発生研究

研究3 素因ストレスモデルの検討1

研究3では,素因ストレスモデルを用いて被害観念の発生について検討を行った.素因ストレスモデルとは,ある一定の素因を持つ人がストレスを体験したときに精神病理を発症するというモデルである.大学生117名を対象に,3回の質問紙調査を実施した.第1回調査では被害観念の素因を測定し,第2回調査では被害観念を測定した.第3回調査では被害観念と,第2回調査から第3回調査までの間に体験したネガティブなライフイベントを測定した.素因としては,先行研究で被害観念との関連が指摘されている幻覚様体験尺度,パラノイア猜疑心質問紙など4つの質問紙の下位尺度を用いた.階層的重回帰分析を行った結果,“恨み (例:幸運をつかむのはいつも他人だ)”と“否定的内容の幻聴様体験 (例:頭の中で,自分を悪く言う声のようなものを聞いた)”において,ストレスとの有意な交互作用が得られた.つまり,これらの素因を持つ人は,ストレスを体験したときに被害観念を持ちやすくなることがわかった.

研究4 素因ストレスモデルの検討2

先行研究 (Martin & Penn, 2001) において被害観念の素因とされている心理社会的変数を用いて,被害観念の素因ストレスモデルを検討した.調査の手続きは研究3と同じである.大学生117名を対象に,社会的場面回避傾向など4尺度を素因として用いて調査を行った.階層的重回帰分析を行った結果,“社会的場面回避傾向 (例:社会的場面を避けようとする)”を素因とした場合において,素因とストレスの交互作用が有意であった.社会的場面回避傾向の強い人は,社会的場面での不安が強く,そういった場面を避けるために対人スキルをうまく習得できず,対人的な問題などストレスを体験したときに,他者を脅威的に感じて被害観念を持ちやすくなるのかもしれない.

研究5 被害観念と過去のいじめ体験の関連

被害観念を持つ人は,実際に他人から様々な被害を受けるような体験をしたために被害観念を持つのかもしれない.そこで研究5では,被害体験として学校におけるいじめ体験をとりあげ,大学生78名を対象に,被害観念と過去のいじめ体験との関連を調べた.いじめ体験は,いじめられる体験 (いじめ被害体験),いじめる体験 (いじめ加害体験),いじめを見たり聞いたりした体験 (いじめ見聞体験) に分類される.いじめ体験による影響は,情緒的不安定,同調傾向,他者評価への過敏さといったマイナスの影響と,他者尊重,精神的強さ,進路選択といったプラスの影響の両方が存在し,いじめ被害体験者は,いじめ加害者などに比べて,いじめによるマイナスの影響だけでなくプラスの影響も強く実感していることが報告されている (香取, 1999).

いじめ体験の頻度や種類,そしていじめ体験による影響と被害観念との関連を調べた結果,いじめ被害体験の種類や情緒的不安定といういじめによるマイナスの影響が被害観念を予測した.この結果より,過去のいじめ被害体験や,いじめによって情緒的に不安定になったことが現在の被害観念に関係していることがわかった.この結果は,いじめの長期的なマイナスの影響を報告している先行研究の結果とも一致する.

審査要旨 要旨を表示する

被害妄想は臨床場面で頻繁にみられる現象であり、最も極端な形態として統合失調症の被害妄想がある。被害妄想ほど強い確信ではないものを被害観念というが、これは健常者にも見られる。被害観念は他の精神病理との関連も強いことが知られており、被害観念のメカニズムの解明と介入方法の開発は臨床的にみて大きな意義がある。本研究は、青年期後期にあたる大学生における被害観念の特徴を記述し、その発生メカニズムを明らかにしたものである。論文は二部より構成される。第一部(研究1と研究2)では、被害観念の特徴を明らかにした記述研究であり、第二部(研究3〜研究5)は、被害観念の発生メカニズムを体系的に調べた発生研究である。

第一部の研究1では、まず、先行研究を総説し、被害観念の特徴を包括的に記述するための多次元尺度を開発した。この尺度を用い、大学生を対象として、被害観念と、同じく妄想的観念であるがその内容が大きく異なる庇護観念とを比較した。その結果、被害観念は苦悩や関心が強く、他方、庇護観念は観念の強さによって特徴付けられることが明らかとなった。こうしたことから、妄想的観念を研究する際には、内容ごとに発生メカニズムを検討する必要があることが示された。

研究2では、研究1で作成した多次元尺度を用いて、大学生を対象に、被害観念と、抑うつ自動思考と強迫観念を比較した。その結果、被害観念は、抑うつ自動思考や強迫観念に比べて、苦痛度や違和感が高く、訂正不能性や頻度が低いことがわかった。また、被害観念と抑うつ自動思考とは、苦痛度の高さと訂正不能性の低さで類似し、一方、被害観念と強迫観念は、確信度の低さで類似することが明らかとなった。臨床的に重要であると考えられる苦痛度や違和感に注目すると、被害観念は強迫観念よりも抑うつ自動思考に近いことが明らかになった。こうした知見は、被害観念への治療的介入において示唆に富むものである。

第二部では、大学生における被害観念の発生に関する3つの研究を行った。研究3と研究4では、素因ストレスモデルを用いて被害観念の発生について検討を行った。素因ストレスモデルとは、ある一定の素因を持つ人がストレスを体験したときに精神病理を発症するというモデルである。先行研究では、被害観念の素因となる心理的要因を特定したものもあるが、こうした研究は、横断調査法を用いているために、その心理的要因が、果たして被害観念の素因なのか、あるいは被害観念の結果にすぎないのかを区別することができなかった。そこで、本研究では、縦断調査法(パネル調査法)を用いて、2時点において被害観念を測定し、その両時点の被害観念の差を、前もって測定しておいた素因が果たして予測できるかを調べた。これによって、横断調査では得られない因果関係に一歩踏みこんだ知見を得ることができる。データの分析に当たっては、第2時点の被害観念を従属変数とし、第1時点の被害観念を共変量とし、素因、ストレス、素因とストレスの交互作用をそれぞれ独立変数とする階層的重回帰分析を用いた。こうした研究の結果、「恨み」「否定的内容の幻聴様体験」および「社会的場面回避傾向」という3つの素因において、ストレスとの有意な交互作用が得られた。すなわち、これらの素因を持つ人は、ストレスを体験したときに被害観念を持ちやすくなることがわかった。したがって,こうした素因を持つ人に対して介入を行うことで被害観念を予防できる可能性があることが示唆された。

研究5では、大学生における被害観念と、小・中・高時代のいじめの被害体験の関係について調べた。過去のいじめ体験の頻度、いじめ被害体験の種類、そしていじめ体験による影響との関連を調べた。その結果、いじめ被害体験の種類や情緒的不安定といういじめによるマイナスの影響が被害観念を予測した。この結果より、過去のいじめ被害体験や、いじめによって情緒的に不安定になったことが現在の被害観念に関係していることがわかった。

なお、以上の研究の実施にあたって、倫理的な配慮は十分になされていると確認された。

本研究においては、とくに次の諸点が高く評価された。

1)被害観念について、包括的に測定できる多次元的尺度を作成し、その信頼性と妥当性を明確にするなど、質問紙データの信頼性を高めるために細心の注意を払い、また、800名に及ぶ多数の調査データを積み重ねて、実証的な議論を組み立てていること。 2)先行研究のような横断調査ではなく、縦断調査を取り入れることによって、因果関係に踏みこみ、先行研究の限界を越えようと試みたこと。これによって、被害観念の素因となる心理的な変数を初めて因果論的に同定することに成功したこと。これによって、被害観念の発生メカニズムについて因果にふみこんで記述することができたこと。 3)こうした実証研究を積み上げることによって、被害観念の治療や早期介入に役立つ確実な情報を提供したこと。

これらの成果により、本論文は博士(学術)の学位に値するものであると審査員全員が判定した。

なお、研究1は「心理学研究」誌上への掲載が決定しており、研究4はすでに「性格心理学研究」誌上にて公表済みである。さらに、研究5は「心理学研究」誌上での掲載が決定している。

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