学位論文要旨



No 118719
著者(漢字) 光松,秀倫
著者(英字)
著者(カナ) ミツマツ,ヒデミチ
標題(和) 物体認知の不変性に関する実験心理学的研究
標題(洋)
報告番号 118719
報告番号 甲18719
学位授与日 2004.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第428号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 横澤,一彦
 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 立花,政夫
 東京大学 教授 高野,陽太郎
 東京大学 教授 長谷川,寿一
内容要旨 要旨を表示する

人間が、物体を観察する場合、照明、視点、視線方向の変化によって、物体の網膜像は、変化する。照明が明るい場合には、物体の外側だけでなく、内部の輪郭まではっきりと観察できるのに対して、照明が暗いと、物体はシルエットとして観察され、内部の輪郭は、観察することができない。視点が変化すると、観察できる物体の部分や面が変化する。視線方向が変化すると、視線を基準にした物体の位置が変化する。物体の認知が、観察条件の変化の影響を受けないことを物体認知の不変性という。本論文では、物体認知の不変性に関する従来の研究が提示した問題に対して、実験心理学的手法を用いて検討した。第1章では、従来の研究を概説し、未解決の問題を指摘した。照明に関しては、斜めの角度から物体を観察した条件では、線画とシルエットの物体認知の成績が等しいのに対して、正面の角度から物体を観察した条件では、線画に比べてシルエットの認知成績が低下することが報告されている。視点に関しては、視点が変化すると認知成績が低下することが報告されている(視点依存効果)。位置に関しては、位置の変化に時空間的連続性が存在する場合と存在しない場合とで実験結果が異なることが報告されている。時空間的連続性とは、網膜像の変化の予測を可能にさせる、物体、又は、観察者の動きである。時空間的連続性が存在せずに位置がランダムに変化する実験環境では、位置の変化は、認知成績に影響を与えないのに対して、位置の変化が予測できる実験環境に関しては、位置の変化が予測と同じ条件に比べて、位置の変化が予測と異なる条件では、認知成績が低下することが報告されている。

本論文は、大きく3つに分けられ、それぞれ、照明、視点、位置の問題を扱った。第2章では、照明の問題を扱い、なぜ物体を正面から観察したときに限って、線画に比べて、シルエットの認知成績が低下するのかについて検討した。従来の研究から、シルエットに欠如する内部輪郭が物体認知に果たす役割に関して、2つの仮説が提唱されている。1つは、内部輪郭が、物体の長軸や対称軸などの主軸の方位情報を提供するという主軸抽出仮説である。もう1っは、内部輪郭が、ある物体の特徴的な輪郭を提供するという特徴輪郭仮説である。実験1では、2つの仮説の妥当性を検証することを目的とした。方法として、線画やシルエットの提示に先行して、物体の対称軸の方位を示す矢印を手がかりとして提示した。その結果、矢印の提示によって、物体の正面の画像における、線画とシルエットの認知成績の差は消失した。このことから、シルエットに欠如している内部輪郭は、物体の3次元的な方位情報を提供することが示唆された。この知見は、物体の形態表象の形式が3次元的であることを示唆している。

第3章では、視点の問題を扱い、物体の形態の表象形式について検討した。視点依存効果が、表象形式の視点依存性を反映しているかどうかという問題に関して、長い間論争が繰り広げられてきた。視点依存効果が形態の表象形式の視点依存性を反映していると主張する研究者たちは、表象形式が、テンプレート的であるという仮説を提唱している。一方、視点依存効果が表象形式を反映していないと主張する研究者たちは、表象形式が、視点に不変な構造記述であるという仮説を提唱している。構造記述仮説では、物体認知が、物体の部分の視点不変な特徴に基づいてなされることを仮定している。構造記述仮説によると、視点依存効果は、視点の変化に伴って、物体の各部分の知覚しやすさが変化することに起因しており、実験方法論的なアーチファクトであると解釈している。こうした論争は、現在に至るまで決着が付いていない。その大きな理由は、視点依存効果が非常に頑健であるために、視点依存効果を消失させる要因を特定することが困難であるからである。従来の実験方法では、静止した観察者の前に置かれた刺激提示画面上で、物体を奥行き回転させることによって、視点依存効果が報告されてきた。実験2では、視点の変化に時空間的連続性を導入することによって、視点依存効果が消失するかどうかを検討した。方法として、物体と観察者の位置関係を変化させることによって、網膜像の変化を予測可能にした。具体的には、物体が直線運動して、トンネルを通過する仮想的環境を構築し、通過前と通過後における網膜像の変化を操作した。その結果、トンネル通過前と通過後で網膜像が変化した条件の物体認知成績が、網膜像が変化しなかった条件と等しく、視点依存効果が生起しなかった。この結果は、物体の形態の表象形式が3次元テンプレート的であることを示唆している。つまり、トンネル通過後の網膜像を、脳内に作られた物体の3次元モデルを回転させることによって、予測することができたと考えられた。これは、物体が、観察者を中心とした観察者中心座標で表象ざれていることを示唆している。実験2で視点依存効果が生じなかったことは、構造記述仮説によって説明することはできない。実験3では、網膜像の変化を予測させる時空間的連続性の必要性を検討するために、トンネル通過後の網膜像を予測と異なるように変化させた。その結果、網膜像の変化によって、視点依存効果が生じたことから、視点依存効果の消失に、時空間的連続性が必要であることが示唆された。実験4では、トンネル通過前の物体の運動要因について検討した。トンネル通過前の物体の直線運動の要因は、位置の変化の要因と観察可能な面の連続的な変化の要因とに分けることができる。実験4では、位置の変化の要因を排除し、観察可能な面の連続的な変化の要因だけで視点依存効果が消失するかどうかを検討した。方法として、トンネル通過前の物体の位置を固定させた状態で、物体を連続的に奥行き回転させた。奥行き回転の方向は、直線運動した場合の観察面の変化の方向と等しくした。その結果、トンネル通過後に、網膜像を変化させても、視点依存効果は生じなかった。この結果から、トンネル通過前に、物体の位置が変化することは、視点依存効果の消失に必要ないことが示唆された。実験5では、トンネル通過前に、物体が運動すること自体が必要かどうかを検討した。方法として、トンネル通過前の物体を静止画として提示した。その結果、視点依存効果が生じたことから、トンネル通過前の物体の運動情報が必要であることが示唆された。しかし、実験5では、実験2と実験4に比べて、トンネル通過前の物体が静止していたために、物体の知覚しやすさの統制がとれていなかった。実験6では、物体の知覚しやすさを統制するために、実験4とは、逆方向に物体を奥行き回転させた。その結果、実験5と同様に、視点依存効果が生じたことから、トンネル通過前の物体の運動情報が必要であるという実験5の結論が支持された。以上の視点依存効果に関する実験から、形態の表象形式が3次元テンプレート的であることと、網膜像の変化を予測するために、物体の知覚的運動情報が必要であることが示唆された。

第4章では、位置の問題を扱った。物体認知が位置に依存する場合に、位置の表象の座標が、網膜上での位置を基準として表象されているのか(網膜座標)、環境内のある位置を基準として表象されているのか(環境座標)という問題は未解決である。実験7では、位置の表象が、網膜座標と環境座標のいずれで表象されているのかという問題について検討した。方法として、比較すべき2条件で、網膜に投射される物体の配置を等しく保ち、環境内での物体の配置が異なる実験環境を考案して,物体認知の成績に差が生じるかどうかを検討した。その結果、2条件間で物体認知成績に差が生じた。両条件では、網膜像が等しかったことから、位置の表象の座標が、環境座標で表象されていることが示唆された。

第5章では、物体認知の不変性の全体像に関して、総合的に考察した。本論文の研究から、不変性の全体像に関する従来の研究の仮説に対して、新たな示唆を与えることができる。従来の仮説では、脳内の視覚経路が2分岐し、1つは、形態の処理に特化し、もう1つは、視点、位置の変化の処理に特化していると考えられてきた。本論文では、従来の仮説では扱われなかった、照明の変化の問題を第2章で取り上げ、物体の形態が3次元的に処理されることが示唆された。さらに、視点の問題を扱った、第3章からも、形態の表象形式が3次元であるという、第2章と整合的な知見が得られていることから、照明と視点の変化に関する処理は、形態の処理と密接に結びついていると考えられる。したがって、従来のように、形態と視点の処理経路が分岐していると考えるのではなく、形態の表象は、照明、視点に依存しており、3次元的に処理されていると考えるのが妥当である。また、第3章から、視点依存効果が、形態の表象形式の視点依存性を反映していることが示唆されている。形態の表象形式が視点依存であることは、形態が、観察者中心座標で表象されていることを意味している。これに対して、位置の表象の座標系に関しては、実験7の結果から、位置が、環境座標で表象されていることが示唆されている。形態と位置の表象が、それぞれ、観察者中心座標、環境座標という異なる座標系で表象されていることは、2つの表象が、異なる神経経路で処理されていることを示唆している。以上の考察をまとめると、本論文の実験結果から,人間の脳内には、照明、視点に依存した3次元的形態の処理経路が存在し、それとは独立した処理経路として、位置の処理経路が存在する可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、照明、視点、視線方向などの変化を伴うときの物体認知の不変性に関して、心理学的実験手法を用いて研究したものであり、全5章から構成されている。

第1章では、物体認知研究の現状と課題を概説している。線画に比べてシルエットの認知成績が低下する現象、視点が変化すると認知成績が低下する現象、位置の変化が予測できる環境において、予測と異なると認知成績が低下する現象の究明を研究課題として取り上げると述べている。

第2章では、照明の問題を扱い、なぜ物体を正面から観察したときに限り、線画に比べて、シルエットの認知成績が低下するのかを検討している。物体画像に先行して、物体の対称軸を手がかりとして提示した結果、線画とシルエットの認知成績の差が消失したことから、シルエットに欠如している内部輪郭が、物体の3次元的な方位情報を提供することが示された。この知見は、物体の形態表象が3次元的であることを示唆している。

第3章では、視点の問題を扱い、物体の形態表象について検討している。具体的には、物体と観察者の位置関係を変化させることによって、網膜像の変化を予測可能にし、視点依存効果が消失するかどうかを検討している。その結果、網膜像が変化する条件と不変の条件での物体認知成績は差がなく、視点依存効果が生起しなかった。そこで、観察者中心座標で表象されている物体の3次元モデルを回転させることによって網膜像の変化を予測していると考察している。

第4章では、位置の問題を扱い、位置表象が網膜上での位置を基準としているのか(網膜座標)、環境内のある位置を基準としているのか(環境座標)について検討した。その結果は、位置表象が環境座標で表象されていることを示している。

第5章では、物体認知の不変性の全体像に関して、総合的に考察した。従来の研究の仮説に対して、第2章と第3章から、形態の表象形式が3次元であるという整合的な知見が得られたので、形態は3次元的に処理され、照明と視点の変化に関する処理と密接に結びついていると主張している。また、第3章から、形態が観察者中心座標で表象されていることが示されているのに対して、第4章から、位置が環境座標で表象されていることが示されている。形態と位置の表象が、それぞれ異なる座標系で表象されていることは、2つの表象が異なる神経経路で処理されていることを示唆している。

本研究は、物体認知において、照明、視点に依存した3次元的形態の処理経路の存在を明らかにすると共に、それとは独立した位置の処理経路が存在することを新たに示している。本研究成果は今後とも検証が続けられなければならないが、いずれもこの分野の研究における重要な知見を与えるものである。以上の点から、本審査委員会は、本論文が博士(心理学)の学位に値するとの結論に達した。

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