学位論文要旨



No 118722
著者(漢字) 杉浦,未樹
著者(英字)
著者(カナ) スギウラ,ミキ
標題(和) 近世期オランダの流通構造 : 1580-1750年のアムステルダムにおける商品別専門商の展開を中心に
標題(洋)
報告番号 118722
報告番号 甲18722
学位授与日 2004.03.12
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第178号
研究科 経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 馬場,哲
 東京大学 教授 廣田,功
 東京大学 教授 小野塚,知二
 東京大学 助教授 石原,俊時
 東京大学 教授 深澤,克己
内容要旨 要旨を表示する

近世期にオランダが急成長を遂げヨーロッパ商業の頂点に上り詰め、「中心ステープル(世界市場)」としてヨーロッパの商品分配を担った点に異論はないが、その流通・商業については仲継貿易による交易圏の拡大とそれを担う貿易商の成長から評価され、それ以外の商業部門は貿易に偏重する経済体制の下に発展をゆがめられるか極めて緩慢に成長したと両部門が乖離するなかで、位置づけられてきた。

しかしながら、中世−近世期の商業・流通拡大を市場圏の拡大・深化として捉えていく上で、流通上のリスクがいかに克服されて新たな商業専業職種が機能分化し、商品の価値付けが変化し商品化し、商品を交換する場所の中心性が機能するのかという点が問題となる。中心地理論やそれを批判的に摂取した我が国のこれまでの研究が示すように、在地流通と遠隔地貿易を峻別せずに地域的な商品流通のメカニズムを見出していく必要がある。)

研究史上、近世期のオランダでは、後背地/国内流通を統合していく中間商人理論が欠落してきた。中心ステープル機能の見直しが図られ、アムステルダムを商品がいったん集積・貯蔵されて供給調整しながらリスクを減らして再分配される「ステープル」としてよりも、後背地に商品流通網を広げ情報の供給・伝達・蓄積を促すことによってリスクを減じる「ゲートウェー」としてみることが提言されるなかで、後背地への流通を担った商業専業職種の展開が問題となる。オランダにおいて近年さかんになってきた小売業史研究はイギリス消費革命論に強く刺激され、18世紀後半の一部の嗜好品の専門店舗の展開に注目する。しかしその様な限定したアプローチでは近世期のオランダの流通構造を捉えることはできない。本論文ではそこで、流通拡大期の1580- 1750年のアムステルダムの商業職種全体の構成変化を捉えることを通じて、とりわけ商品別に専門化した商人の展開に注目して、その扱った商品を総体的に検証しながら、オランダの流通構造を考察する。

流通構造を位置づける前提として、オランダの近世期成長の内部構造を、第1章では中産層と労働者層の成長を中心に社会構成と所得分配の観点から、第2章では移民労働力が包摂し在住層が形成される過程から、論じた。

近世期のオランダは市民社会の開花と位置づけられる一方で、中産層成長の限界、労働者層の窮乏化から国内消費が成長しなかったと指摘されてきたが、この2章で、オランダの産業発展を概観した後に、複合的な中産層・職人・労働者層の職種の成長とその所得分配と、労働のあらゆる側面での移民の定期・継続的な流入があり労働市場が分断していたという観点から、検討を行った。

第3章−第5章までは、商品別専門商から商業専業職種の機能分化を検討した。貿易商コープマンの貿易総合商人としての専業化が強まるともに商品別専門商が成長した。商品別専門商は貿易商コープマンの成長とともに16世紀から増大し始め、1580−1750年には商業専業職種の過半数を占めるまでに躍進し、商品種数は16世紀の市民権登録簿全体で40種であったのに対し、1742年定年では、都市の平均以上の収入層だけで120種に広がっていた。このように商品別専門商の成長は、細分化された商品種名と、一部の商品の商人数の多さ、そして所得の平均的な高さが特徴的であった。

この商人は複数の貿易商から商品を一手に集中させて独占を目指すのではなく、一人の貿易商の供給する商品を競りや商品取引所を通じて複数の商人間で振り分けながら成長していた。

これらの商人が商品別に専門化した理由も、第1に貿易商から振り分けられたとしてもなお大口量で供給される商品を複数種類は引き受けられなかったからであり、第2に貿易商コープマン、定期市、製造業者・生産小売などの他商業業態と分担するなかで、商品を限定されて成立していたからである。すなわち分配するリスクが十分に低く、マージンが見込めれば、商品別専門商に託すことなくコープマンや生産者は自ら流通を担った。商品別専門商が成長した商品は、他商業業態が流通を担うのに適さない性質を持つものに限定され、それゆえ商品別化していたのであり、従来想定されている大量生産の後に専門化が起こるという「専門化」とは異なっている。

商品別化しながらも、多数の商人が比較的高収入を確保できた最大の要因は、内陸河川網とその商品運送システムが発達し、拡大する後背地に向けて、海上貿易の大口量よりは少ないが小口量や陸上輸送の扱う量よりもはるかに多い「中口」の量で効率よく販売できたことである。定期便運行システムによるこの商品運送網は、頻繁に運行されたばかりではなく定時・定額制によって商品の運送リスクを著しく減少させ、個人が少量で商品注文も可能にしていた。

商品別専門商は、分配局面の仲買として、後背地・都市内と多方面の卸売・小売を同時に担うことが可能になった。いったん安定した収益を確保できれば、地域間流通にも他商品別専門商や貿易商人と共同しながら参画し取引を広げることもできた。商品別専門商は商品取引所の商品別に分かれたブローカーを通して分配のため商品を受け取る側であると同時に、手持ちの商品を貿易商へと渡すことも珍しくなかった。その意味では商品別専門商は貿易に関わり、問屋機能も一部担っていたのである。

また特筆すべきことは、この商品運送網が利用できたことで、商品別専門商は定住の商人層として各都市に分散して成長したことである。このため巡歴卸売商が発達した場合に比べて国内全体の人数の総数が増加したと考えられる。各都市の商品別専門商同士の横断的な商品交換がさかんとなり、それによって商品供給が安定しまた同一商品の中でも各商人が多品種、多銘柄を取り揃えることを可能とした。

図6-II はこの商品別専門商のありかたを図式化したものである。商品別専門商の特徴はここに示されるような多層性・多方向性・多機能性にあったといえる。海上貿易を通じて他の品物とともにもたらされた商品は、それを専門とするブローカーを通して商品別専門商にもたらされ、商品別専門商は都市内外の商品別専門商同士・小口売り・消費者と多方向に販売を行った。またブローカーを通して商品取引所へ商品を再び海上貿易にのせる方向性もありえた。これは、イギリスの中間商人論において想定されている卸売−小売による正統的配給組織とは異なる。また商品別専門商は、多方向に商品を供給しているが、それは独占を目指して商品を貯蔵して供給調整したというよりも、多人数でリスク分散をして、供給の安定を図っていたといえる。

このような特質をもつ商品別専門商の発展から、アムステルダムの中心性や、そのヨーロッパの商業・流通構造上のありかたも、商品を集結させて貯蔵する面よりも、周辺への流通を促進していく面をより重視して考察される必要があるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、16〜18世紀、とりわけ1580〜1750年の時期におけるアムステルダムを中心とするオランダ商業の発展とその構造を、商業専業職種の機能分化に着目しながら考察することを課題としている。本論文の構成と各章の内容を紹介すれば以下のようになる。

序章

第一部 近世期オランダ成長の内部構造 第1章 社会構成と所得分配 第2章 移民による在住層の形成

第二部 1580〜1750年のオランダの商業専業職種の機能分化 第3章 アムステルダムの商業専業職種構成と商品別専門商 補論 貿易商人コープマンの移住形態と内部構成 第4章 商品別専門商の成長要因 第5章 後背地の商業専業職種の展開

終章 近世オランダの流通構造と商業専業職種の機能分化

序章では、内外の研究史の整理とそれに基づく課題の設定が行われる。 まずわが国における近世ヨーロッパ商業史研究が検討され、研究の一定の進展にもかかわらず、イギリスと比べて大陸の内国流通史の研究が遅れており、中継貿易以外の商業を含めた近世オランダ商業の全体像を説明する枠組みがないことが指摘される。次いでその手がかりを中心地理論などの「市場圏の設定」をめぐる議論に求め、商品・商人・情報の中心地への集中とその機能分化のなかで、いかに新しい質をもった商品流通が近世オランダで成立したのかという問いが提起される。そのうえでオランダ史プロパーの研究史が検討され、中継貿易の意義が注目されすぎた結果、国内の流通構造と商業組織の発展の研究が遅れていること、「ステープル(指定取引市場)」の理論的研究の進展により貿易と内国流通を統合した新しいモデルが提示されたにもかかわらず、それが実証研究に結びついていないこと、近年の小売業史研究もオランダ全体の流通構造のなかに小売業を位置づけていないことが指摘され、後背地への流通を担う商業専業職種の機能分化をイギリスの「中間商人論」との対比を念頭に置きつつ考察することが、本論文の課題として設定される。

第1部は、流通構造を検討する際の前提となる内部構造を解明する部分と位置づけられる。第1章では、経済拡大によって得た富が近世オランダにおいてどのように分配されたのか、あるいはそうしたなかで中産層や労働者層がどの程度育ったのかが検討される。1580年以降オランダでは人口が顕著に増加し都市化が進展した。それと並行して、都市と農村の双方において農業、工業、商業に及ぶ複合的かつ長期的な発展がみられたが、工業の発展は部門の多様性とサイクルの短期性によって特徴づけられ、1650年以降は競争力を低下させた。オランダはすでに16世紀から都市でも農村でも住民の約1/3が中産層に属する社会であったが、17〜18世紀の経済拡大によって社会構成はさらに多様化した。アムステルダムでは1560〜1670年に社会的格差が拡大し、労働者層の実質賃金の推移については諸説があるとはいえ、利子収入などによって補われたため購買力は必ずしも低くなかった。これに対して、農村では社会的格差が広がらず比較的安定した中産層が形成されており、消費文化を都市と共有していた。したがって、オランダの中産層や労働者層がイギリスと比べて安定性を欠いていたことは否定できないとしても、国内流通が発展していなかったかどうかは立ち入った検討が必要ということになる。

第2章は、近世オランダ経済の拡張と移民の関係を検討している。移民は永住移住民、一時滞在移住民、通過流出移住民に分けられ、半径500km圏内の地域の出身者が中心であった。オランダへの移入民の特徴は持続性と複数のタイプの移民が併存していたことであり、それはヨーロッパ大陸諸国の労働力移動にも影響を与えた。アムステルダムへの移民をみると、一貫して移入民の割合が高く、1580年以降は出身地の範囲を拡大しつつ、内陸出身者に重心を移した。注目すべきは、職種によって移入民の割合に違いがあり、工業職種では職種によって移入民の出身地域が偏る「地域特化」が見られたことである。アムステルダムは開放的な都市ではあったが、移入民は職業を自由に選択できたわけではなかったのである。これは地縁や血縁をつなぐ移住のネットワークが移入民の動向に影響したからであり、この傾向は17世紀後半に強まった。移民がオランダの社会経済構造に与えた影響としては、人口の自然増加率の一層の減少、労働市場の分断化、労働者や中産層の基盤の不安定化が挙げられる。近世オランダの成長は、商品貿易だけでなく国内流通や労働力移動においても共和国の枠を越える地域を巻き込んで進展したことがわかる。

本論文の中心部分である第二部は三つの章からなる。まず第3章ではアムステルダムの商業専業職種の構成と商品別専門商の成長が検討される。中世以降アムステルダムの商業は「フロート・ハンデル(大口の遠隔地向け卸売取引)」と「クレイン・ハンデル(小口の都市内小売取引)」に峻別され、両者に対応する商業専業職種はそれぞれコープマンとクラーメルと呼ばれた。16世紀に入ると商業の拡大とともに新たな商業専業職種が成立し、両者の区別は弛緩した。1580年以降この傾向はさらに進み、コープマンの貿易への専業化やコーパーやヴィンケルなどの商業専業職種の多様化と商品別の専門化が生じた。とりわけワイン商、煙草商、書籍商、食品雑貨商の数は増大した。また、こうした貿易の多角的な展開と商品別専門商の成長が密接に関連していたことに留意する必要がある。18世紀半ばにはヴィンケルの一層の増大が確認されるが、それは「消費革命」への対応というよりも、17世紀からすでに扱っていた商品を新たに組み合わせて販売する商人が増加したためである。この点も「消費革命」によるインパクトが専門店舗を発展させたイギリスの展開とは異なっていた。ここから商品別専門商の成長要因を探るには1580〜1750年の展開が重要であるという展望を得ることができる。

これに続く補論では、貿易商人コープマンの移住形態と内部構成が検討され、「受動的なアントルポ」アントウェルペンと対比してアムステルダムが「能動的なアントルポ」と呼ばれた理由が問われている。アムステルダムでは、その開放性のゆえに、コープマンに占める移入民の割合が高く、出身地域も非常に分散していたが、定住志向が強かった。定住したコープマンの商業活動は小規模な家族経営を基本とし、入れ替わりの激しい存在であったが、逆にそのことが活動を持続的に発展させる原動力となった。

第4章では、第3章の末尾で得られた展望を確認することが課題とされ、商品別専門商は、1580〜1750年の時期に、他の商業形態と分業して商業専業職種が成立しうる商品が特定・限定されたために成立したとされる。すなわち、コープマンも多角的な経営の一環として大口・小口売りを行ったが、ワイン、煙草、書籍などの商品の取引には手をつけず、ここに商品別専門商が成長する余地が存在した。定期市や生産小売りとの関係では、多方面への多機能的な販売と多品種・多銘柄を陳列できた商品、例えば食品雑貨商が扱わない生鮮食品取引において、商品別専門商は伸びることができた。また商品別専門商は、貿易、後背地への供給、都市内小売と複数の商業ルート・需要に対応したが、なかでもその成長を可能にした理由として重視すべきは、後背地への河川商品運送網の発達に支えられた地域内流通において、大口取引でも小口取引でもない「中口」取引を担ったことである。

第5章では、後背地において商品流通の担い手がどのように形成されたかが問題とされる。北ネーデルラントでは16世紀半ばまでにアムステルダムに商人が圧倒的に集中していったが、1580〜1750年の時期には商人がアムステルダムと後背地の間で再編され、地域内流通が形成された。後背地への地域内流通が拡大しつづけたからこそ、アムステルダムやオランダは経済的に躍進できたのである。コープマンはアムステルダム、主要都市、小都市、農村のすべてに存在したが、商品別専門商は都市部に集中していた。それは、都市の農村に対する商業規制の結果という面もあるが、都市と農村の間で商品流通が円滑に行われていたからでもあった。後背地で成立した商業専業職種は、(1)織物、(2)ワイン、(3)食品雑貨、(4)木材・染料・鉄製品、(5)煙草・書籍、(6)コーヒー・紅茶に分けられるが、農村では(4)(5)(6)を扱う商人は成立しなかった。こうした近世オランダの商業専業職種の展開をイギリスのそれと比較すると、イギリスでは複数の商品を扱う商人や生産小売の傾向が強いのに対して、オランダでは早くから商業専業職種の機能分化が進んでいたことがわかる。

終章では、本論から析出された商品別専門商の特徴が多層性、多方向性、多機能性として整理され、その成長によって成立した流通機構の特徴が総括される。近世オランダでは、少数の商人が独占によるハイ・リターンと引き換えにリスクを引き受けるよりも、多数の商人がリスクを分散しあう仕組みが形成されたのである。

以上のような内容をもつ本論文の学問的意義としては次の三点を挙げることができよう。第一に、16〜18世紀のオランダの社会構成、流通機構および商業形態に関する新たな全体像を打ち出そうとしていることがまず挙げられる。従来この時期のオランダの経済構造は中継貿易による交易圏の拡大とそれを担う貿易商の成長に焦点を合わせて理解されてきたが、本論文は貿易だけでなく、国内流通、小売業、アムステルダムと後背地との商業関係をも視野に収めて、オランダの流通構造を出来る限り包括的に捉え直そうとしており、その意欲的な姿勢は高く評価することができる。

第二に、わが国とオランダの双方における理論的・実証的研究の最近の成果を踏まえて16〜18世紀のオランダ経済史・商業史研究の現段階を反映していることが指摘される。わが国においてオランダ経済史は従来から重要な研究領域と見なされてきたが、研究者の絶対数が少なく、オランダでの研究動向も十分に紹介・摂取されているとはいいがたい。そうしたなかで、本論文は多くの研究を利用して、これまで知られていなかったオランダ商業史に関する多くの史実を提示している。しかも、オランダにおける研究動向の単なる紹介にとどまることなく、婚姻登録簿、市民権登録簿、収入税徴税簿などの一次史料を広汎に用いてオリジナルな史実の発見に努めるとともに、例えば婚姻登録簿を移入民分析だけでなく商業専業職種分析にも利用するなど、オランダにおける研究を乗り越える試みも行っている。現地での長期に及ぶ史料収集とオランダ人研究者との継続的な交流の成果と見ることができる。

第三に、イギリスとの比較を強く意識することによって、16〜18世紀におけるオランダの流通構造の歴史的特質に新たな切り口を与えていることが注目される。イギリスとオランダの貿易構造・経済構造はこれまで「内部成長型」対「中継貿易型」として対比されてきたが、本論文は、移入民の役割、商業専業職種の機能分化、国内流通組織、中間商人論あるいは消費革命の影響などを基準として、従来とは異なる角度からの比較を試みて一定の成果を挙げている。比較史という歴史学の一手法がもつ可能性を改めて示すものとして評価されるべきであろう。

もとより本論文は意欲的な作品であるだけに、それに随伴する問題もないわけではない。第一に、内外の多様な研究を踏まえて立論していることは本論文のメリットでもあるが、論点相互の関係づけあるいは用語の整理が不十分と思われる箇所が散見される。例えば、第一部における社会構成や移入民の分析はそれ自体興味深い内容をもっているとはいえ、第二部の商業専門職種の分析とどのように関わるのかは必ずしも明らかではない。「近世」とは如何なる時代を指すのか、前後の時代とどのような関係に立つのかといった基本的な問題の内容にも曖昧さが残っている。また、「商業専業職種」や「中口」など日本語として生硬な表現も数多く見られる。著者が打ち出そうとしている歴史像をより説得的なものにするためにも、こうした問題点の改善が望まれる。

第二に、全体像を打ち出すことに主眼が置かれていることもあるが、本論文が主として用いている一次史料は、婚姻登録簿にしても市民権登録簿にしても集計的なデータしか得られないものであり、そのために本論文の分析は具体性にやや欠けるきらいがある。今後個別商人の経営文書や書簡などの史料を用いた個別研究を行うことにより、集計的データの分析だけでは埋めることのできない欠落を補う必要があるように思われる。例えば商業専業職種の機能として、少数の商人による供給調整・独占よりも多数の商人によるリスク分散のほうが強調されるが、この点もより立ち入った実態分析を経てはじめて主張しうることであろう。

第三に、イギリスとの比較が一定の成果をあげていることはすでに述べたとおりであるが、それを意識するあまり、オランダの流通構造の特殊性だけを強調する結果に終わっている点が惜しまれる。本論文が移入民を通じたヨーロッパ大陸の隣接地域とのつながりを強調しているだけに、ヨーロッパ大陸の商業に共通する特徴を取り出したり、イギリスの特殊性を逆照射したりする視点も必要だったのではないかと思われる。

以上のような問題点をもつとはいえ、本論文の著者が、今後自立的な研究者として研究を継続し、経済史研究の進展に理論的・実証的に貢献しうる能力を備えていることには疑問の余地がない。審査委員会は全員一致で杉浦未樹氏が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいという結論に達した。

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