学位論文要旨



No 118730
著者(漢字) 加藤,耕一
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,コウイチ
標題(和) 脂質-PEG を用いた細胞膜へのタンパク質アンカーリング法及び細胞固定化法の開発
標題(洋)
報告番号 118730
報告番号 甲18730
学位授与日 2004.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5650号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 多比良,和誠
 東京大学 助教授 上田,宏
 東京大学 助教授 後藤,由季子
 東京大学 講師 新海,政重
内容要旨 要旨を表示する

脂質-PEGを用いた細胞表層へのタンパク質アンカーリング技術開発

【緒言】細胞膜上は細胞外の情報を細胞内へ取り入れるためのタンパク質が備わるインターフェイスとしての機能をもつ重要な部分であり、その細胞表面に任意の物質を導入する技術は細胞に新たな機能を付加できる可能性を秘めている。タンパク質を細胞表層に提示するために遺伝子導入法や化学修飾法などが報告されているが、それぞれ発現細胞を得るのに時間がかかること、膜タンパク質の本来の機能を損なう可能性があることなど問題を含み利用は限定されている。

これらの問題点を解決する方法として、本研究ではリピッドアンカー法を採用した。リピッドアンカーは細胞膜に結合する性質があり、これに結合させた物質を細胞表面に係留させることができる。リピッドアンカーは水溶性でないため細胞への投与が困難であったが、本研究では親水性のポリエチレングリコール(PEG)を結合させることにより水溶性化して用いた。この脂質(リピッドアンカー)-PEG誘導体は日本油脂株式会社と我々との共同研究で新規細胞膜修飾剤として開発され、 Biocompatible Anchor for Membrane (BAM) と名付けられた。BAMの構造式は図1Aに示した。またタンパク質のアンカーリングの概念は図2右に示した。

方法と結果と考察

タンパク質のアンカーリング ストレプトアビジン(64KDa)、EGFP(27KDa)または抗体(150KDa)のそれぞれにBAMを結合させることによりこれらの蛋白を細胞膜にアンカーリングすることができた(図3A, C, E)。(アンカーリングされたストレプトアビジンと抗体はそれぞれ Fluorescein-biotin と antigen-EGFP 融合タンパクにより検出した。)

BAMアンカーリングのメカニズムの考察 脂溶性リピッドアンカーはPEG鎖を持つことで水溶性化合物に変換できたが、ミセルの形成が予想された。動的光散乱(DLS)測定法でBAM溶液を観察した結果、長いPEGを持つBAMはミセル形成しないことがわかった。またミセル形成しないBAMはアンカーリング能が高いこともわかった。つまりBAM分子はモノマー状態に分散して溶解していて、細胞膜と接近したとき細胞膜にリピッドアンカーが取り込まれると考えられた。

アンカーリング処理時間 BAM90-EGFP が細胞にアンカーリングされるためにかかる時間について調べたところ30秒間の処理で十分に BAM90-EGFP は細胞に結合することがわかった(図4)。

アンカーリングの保持時間 アンカーリングされたBAMの細胞膜上での保持時間を調べた。BAM40及びBAM90は無血清培地中において4-5時間で細胞膜から消失した(図5)。また10%血清添加された培地中ではその保持時間は1-2時間に短縮された。そこで脂質鎖を2本持つジアシル型BAM(化学構造式:図1B)を調製しその保持時間を調べたところ、24時間以上(図5では8時間以上)に延長された(図5)。

細胞毒性 BAMの細胞毒性を細胞内乳酸脱水素酵素(LDH)の細胞外への逸脱により評価した結果、BAM15, BAM40, BAM90, DOPE型BAMすべてにおいて全く細胞毒性は見られなかった(図6 ; ANOVA p>0.05)。増殖に与える影響も調べたところ、10μM BAM (BAM90とDOPE-PEG) 処理NIH3T3細胞の増殖(48時間後)は無処理の細胞のものと全く差がなかった(ANOVA ; p>0.05)。

結言

遺伝子導入を伴わない細胞表層への速やかなタンパク質アンカーリングを実現した。アンカーリング保持時間を短くしたい場合にはモノオレイル型BAMが有効であり、また、血清存在下長時間アンカーリング効果を持続させたい場合にはジオレイル型BAMが有効であった。また、これらアンカーリング処理による細胞に対する毒性は全く見られなかった。この技術は、腫瘍免疫におけるターゲティングやワクチン療法等への応用が期待される。

BAMを用いた浮遊細胞固定化培養への応用

緒言

近年、遺伝子ライブラリーを効率良く機能評価するために遺伝子導入細胞を固相に高密度アレイした cell microarray が開発された。この方法は遺伝子機能を効率よく且つ網羅的解析が可能なため非常に注目された方法であるが、基板へ結合できる細胞は接着細胞に限定され、免疫細胞や幹細胞などに代表される浮遊細胞は利用できない。本研究では図2の概念図右に示したように、BAMを固相した表面に浮遊細胞を固定化できるのではないか検討を試みた。

実験方法と結果と考察

タンパク質のアンカーリング ストレプトアビジン(64KDa)、EGFP(27KDa)または抗体(150KDa)のそれぞれにBAMを結合させることによりこれらの蛋白を細胞膜にアンカーリングすることができた(図3A, C, E)。(アンカーリングされたストレプトアビジンと抗体はそれぞれ Fluorescein-biotin と antigen-EGFP 融合タンパクにより検出した。)

BAMアンカーリングのメカニズムの考察 脂溶性リピッドアンカーはPEG鎖を持つことで水溶性化合物に変換できたが、ミセルの形成が予想された。動的光散乱(DLS)測定法でBAM溶液を観察した結果、長いPEGを持つBAMはミセル形成しないことがわかった。またミセル形成しないBAMはアンカーリング能が高いこともわかった。つまりBAM分子はモノマー状態に分散して溶解していて、細胞膜と接近したとき細胞膜にリピッドアンカーが取り込まれると考えられた。

アンカーリング処理時間 BAM90-EGFP が細胞にアンカーリングされるためにかかる時間について調べたところ30秒間の処理で十分に BAM90-EGFP は細胞に結合することがわかった(図4)。

アンカーリングの保持時間 アンカーリングされたBAMの細胞膜上での保持時間を調べた。BAM40及びBAM90は無血清培地中において4-5時間で細胞膜から消失した(図5)。また10%血清添加された培地中ではその保持時間は1-2時間に短縮された。そこで脂質鎖を2本持つジアシル型BAM(化学構造式:図1B)を調製しその保持時間を調べたところ、24時間以上(図5では8時間以上)に延長された(図5)。

細胞毒性 BAMの細胞毒性を細胞内乳酸脱水素酵素(LDH)の細胞外への逸脱により評価した結果、BAM15, BAM40, BAM90, DOPE型BAMすべてにおいて全く細胞毒性は見られなかった(図6 ; ANOVA p>0.05)。増殖に与える影響も調べたところ、10μM BAM (BAM90とDOPE-PEG) 処理NIH3T3細胞の増殖(48時間後)は無処理の細胞のものと全く差がなかった(ANOVA ; p>0.05)。

結言

遺伝子導入を伴わない細胞表層への速やかなタンパク質アンカーリングを実現した。アンカーリング保持時間を短くしたい場合にはモノオレイル型BAMが有効であり、また、血清存在下長時間アンカーリング効果を持続させたい場合にはジオレイル型BAMが有効であった。また、これらアンカーリング処理による細胞に対する毒性は全く見られなかった。この技術は、腫瘍免疫におけるターゲティングやワクチン療法等への応用が期待される。

BAMを用いた浮遊細胞固定化培養への応用

緒言

近年、遺伝子ライブラリーを効率良く機能評価するために遺伝子導入細胞を固相に高密度アレイした cell microarray が開発された。この方法は遺伝子機能を効率よく且つ網羅的解析が可能なため非常に注目された方法であるが、基板へ結合できる細胞は接着細胞に限定され、免疫細胞や幹細胞などに代表される浮遊細胞は利用できない。本研究では図2の概念図右に示したように、BAMを固相した表面に浮遊細胞を固定化できるのではないか検討を試みた。

実験方法と結果と考察

BAM表面への固定化 BSAコートしたスライドグラスにBAM90を結合させた表面上に32DまたはK562細胞(無血清培地に懸濁)は速やかに固定化された。図7Aの0 dayの写真に示すように、BAM修飾領域にのみ細胞が固定化された。またオレイル鎖を持たないPEG表面では全く細胞が結合しないことも確認された。

BAM 表面での培養とその比増殖速度 上記の実験で固定化された32D及びK562を培養すると増殖が観察され、その増殖した細胞はBAM表面上に集密的に固定化された(図7A)。またこれらの細胞の生存率を確認したところ7日間固定化培養したK562細胞クラスターのすべての細胞が生存していることが観察された(図7A右下パネル)。更に7日間固定化培養されたK562には分化誘導などによる形態変化は観察されなかった。BAM表面での固定化培養が比増殖速度に及ぼす影響についても検討を行った結果、BAM90またはBAM180表面上で固定化された細胞は通常培養のものと比較して比増殖速度に全く差がなかった(ANOVA ; p>0.05)(図7B)。つまりBAM上での固定化は細胞増殖に全く影響を与えなかった。

細胞高密度アレイ  インクジェットプリンターを用いてBSAコートスライドグラス上にBAM溶液を20nlずつアレイした。このBAMがアレイ化されたスライドグラス上に32D細胞は固定化され、図8に示すように高密度マイクロアレイ状のフォーマットで細胞固定化ができた。

リポソームの固定化 BAM が細胞膜の脂質層と相互作用していることを示すため、リポソームのBAM上への固定化を検討した。 Fluorescein を封入した3種類の異なる表面荷電を持つ Cationic, Nonionic, Anionic liposome をそれぞれ調製し(サイズ100-300nm)BAM表面上に添加した。いずれのタイプのリポソームもBAM表面に結合した(図9)。

細胞固定化メカニズムの考察 リポソームの固定化結果より、BAMによる細胞固定化には表面荷電や細胞膜上の蛋白質が関与する可能性は低いと考察され、図2の右図に示したように細胞膜の脂質膜にオレイル基が相互作用しBAM表面に細胞が捕捉されているものと考えられた。

結言

BAM修飾表面を用いた接着細胞の接着能に依存しない速やかな細胞固定化法を開発できた。この方法により、接着能を持たない浮遊細胞も固定化しながら培養できた。また固定化は細胞増殖には影響を与えなかった。この技術はマイクロ流路内細胞分析等の分析技術分野への応用やパターン化細胞培養技術などティッシュエンジニアリング分野にも大きく貢献できると考える。

遺伝子機能解析のための細胞マイクロアレイ技術開発

緒言

第2章で得られた成果の浮遊細胞マイクロアレイへの応用性について検討した。固定化された細胞にそれぞれ遺伝子を如何に導入するかが大きな検討課題である。

方法と結果と考察

BAMによる固定化細胞への遺伝子導入方法 固定化細胞へ遺伝子を導入する方法を種々検討した結果、図10に示した方法が最も有効であった。発現ベクターとリポフェクトアミン2000(インビトロジェン)培地及び添加物を混合した溶液をBAM表面にスポットし乾燥させた。この乾燥した遺伝子アレイは乾燥密封低温保存で130日以上安定に保存できた。この遺伝子アレイ上に細胞を固定化し培養すると、遺伝子を固着した領域内でのみその遺伝子を発現した細胞が観察された (図11)。

クロスコンタミネーションの確認 BAM 固相(BSAプレコート)カバーグラス上に、EGFP及びDsRedIIの遺伝子をそれぞれ約500μm離して直径約1mmの円形に固着した。数分乾燥させてその上にK562細胞を固定化し48時間培養した結果、それぞれの遺伝子を発現した細胞は定義された範囲内でのみ観察され、クロスコンタミネーションも全く見られなかった(図12)。

固定化細胞へのsiRNAの導入 BAM表面上にEGFPに対するsiRNA (Qiagen) とリポフェクトアミン2000を含む混合物をスポットし、EGFP定常発現K562細胞(モノクローン株)をその上に固定化し42時間後に蛍光顕微鏡で観察した。siRNAをスポットした領域はEGFPの発現が抑制されていた(図13)。SiRNAがスポットされていない領域ではEGFPの発現の減少は観察されなかった。このことより、siRNAもBAM固定化細胞に導入できることが証明され、この技術の汎用性をさらに拡大できた。

結言

基板上の定義された位置で特定の遺伝子を発現させながら浮游細胞を固定化培養する方法を確立した。この技術は浮遊細胞を使った遺伝子導入細胞マイクロアレイを実現し、 Cell-based microarray 技術の応用性を拡大できた。

審査要旨 要旨を表示する

細胞工学分野において動物細胞の細胞膜に機能性タンパク質を導入することにより、細胞に新たな機能を付加する研究が行われてきた。特に免疫細胞を活性化するために、腫瘍細胞や免疫細胞の表面に抗原、抗体など機能性タンパク質を提示する研究は注目を浴びている。従来、細胞膜にタンパク質を提示するための方法として遺伝子導入法、細胞膜の化学修飾法が開発されてきたが、遺伝子導入細胞を得るのに時間や手間がかかる、化学修飾が細胞膜上のタンパク質、糖鎖などの本来の機能を障害するなどの問題点を含んでいた。近年、脂質を結合したタンパク質を細胞と混ぜるだけで細胞膜表面にアンカーリング提示する脂質アンカー法が開発された。しかし脂質アンカーは水溶液に不溶性でありミセルを形成するため、タンパク質との結合反応効率が低く、加えて細胞膜への導入効率も極めて低かった。

また、遺伝子導入細胞マイクロアレイは遺伝子機能を効率良く網羅的に分析するシステムとして近年注目されているが、利用できる細胞は接着性細胞に限られていた。浮遊細胞には免疫細胞、がん細胞、幹細胞など医学的、生物学的にも重要な細胞を含んでおり、これらの細胞への遺伝子導入細胞マイクロアレイ技術の応用が望まれていた。

本論文では両親媒性高分子であるポリエチレングリコール鎖(PEG鎖)を脂質アンカーとしてのオレイル基と結合させた誘導体が、水溶性の脂質アンカーとして利用できることを見出し、この試薬が細胞毒性を示すことなく細胞膜にアンカーリングできることからBiocompatible Anchor for Membrane (BAM)と名づけている。このBAMを利用した抗体などの機能性タンパク質の細胞表層への導入法の開発や、免疫細胞、幹細胞などの浮遊細胞を固相表面に固定化し、培養する技術の開発、さらにこの技術を発展させ、浮遊細胞にも適用できる遺伝子導入細胞マイクロアレイ技術の開発などの成果について述べている。

第1章は序論であり、研究背景、既往の研究について述べている。

第2章ではBAMを用いたタンパク質の細胞膜表層へのアンカーリング技術について述べられている。BAMを化学結合したタンパク質を細胞に添加することにより30秒程度の非常に短い時間で、そのタンパク質を細胞膜へアンカーリングできることを示している。またBAMのPEG鎖長が短いと、従来の脂質アンカーと同様にミセル形成により細胞膜への導入効率が低下するが、40モル重合以上のPEG鎖長ではミセル形成することなく細胞膜導入効率が向上することを明らかにしている。またBAMによるタンパク質のアンカーリングは、細胞培養で通常用いられる血清中に含まれるアルブミンとオレイル基との結合によって著しく阻害されるが、脂質アンカー部分をオレイル基からジオレイル基に変更することで、10%血清添加培地中でもタンパク質のアンカーリングを24時間以上持続できるBAMの開発に成功している。結論として、タンパク質を容易かつ速やかに細胞膜表層にアンカーリングするための細胞膜修飾試薬及び方法を開発できたと述べている。

第3章では、浮遊細胞適用型細胞マイクロアレイを開発するためのアプローチとして、固相化したBAM表面を用いて、浮遊細胞を生存状態で固定化する方法について述べている。固定された細胞を培養により増殖させることも可能であった。BAMによる固定化培養細胞と通常の浮遊培養細胞について、その比増殖速度を比較した結果、差はみられなかった。このことから、増殖シグナルや分化シグナルなど細胞増殖速度に影響を与えるシグナルが、BAMによる固定化によって誘導される可能性は低いと考察している。さらにBAM修飾表面にはリポソームも結合させることができたことから、BAMによる細胞の固定化には、BAMの脂質アンカー部位と細胞膜のリン脂質二重膜との相互作用が重要であると結論づけている。結論として、BAM修飾表面を利用して非接着性細胞の固定化培養が可能であったことを述べている。

第4章では前章の細胞固定化培養技術を利用して浮遊細胞適用型遺伝子導入細胞マイクロアレイを作製した結果について述べている。カチオニックリポソームである遺伝子導入試薬リポフェクトアミン2000(LF2000)と遺伝子の複合体をBAM修飾スライドグラスにスポットし、遺伝子を固定化した。その上に浮遊細胞であるK562を固定化し、培養することによって遺伝子を発現した固定化細胞が得られた。続いて遺伝子とLF2000の混合液をBAM修飾スライド上にマイクロアレイフォーマット状にインクジェットプリンターでプリントした上にK562細胞を固定化し、培養することで、遺伝子プリントパターンに対応した遺伝子発現細胞のマイクロアレイを作製することに成功している。また、この細胞マイクロアレイには、遺伝子のみならずsmall interfering RNAも利用可能であることも示している。結論として、BAM修飾スライドグラスを用いることにより、浮遊細胞適用型の遺伝子導入細胞マイクロアレイを開発できたと述べている。

第5章では本論文の総括及び将来展望を述べている。

本論文は細胞膜修飾剤BAMを開発し、細胞膜へのタンパク質導入、浮遊細胞固定化培養、浮遊細胞適用型遺伝子導入細胞マイクロアレイへと応用したものであり、化学生命工学、特に細胞表層工学、遺伝子機能網羅的解析分野の発展に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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