学位論文要旨



No 118731
著者(漢字) 細田,尚也
著者(英字)
著者(カナ) ホソダ,ナオヤ
標題(和) バイオミネラリゼーションプロセスをモデルとした自己組織性有機/無機複合体の構築
標題(洋) Preparation of Self-Organized Organic/Inorganic Composites by Mimicking Biomineralization Processes
報告番号 118731
報告番号 甲18731
学位授与日 2004.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5651号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,隆史
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 宮山,勝
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 講師 新海,政重
内容要旨 要旨を表示する

生物が貝殻、真珠、骨、歯などの無機物質を生成する現象をバイオミネラリゼーションと呼ぶ。このバイオミネラリゼーションによって形成されるバイオミネラルは、無機化合物と生体高分子とが自己組織化により複合化した精緻な3次元立体構造を有しており、これらの秩序だった構造は、複合体の強靱さや光学的特性を発現させるのに大きな役割を果たしている。例えば、貝殻の真珠層は、厚みが1μm弱の平板状の炭酸カルシウム結晶と、その間に存在する高分子マトリクスの積層構造からなる。真珠層が形成される過程においては、さらに可溶性タンパク質が炭酸カルシウムの結晶化に関与しており、カルシウムイオン、可溶性高分子、不溶性高分子マトリクスの3者の協同効果によって炭酸カルシウムの形態や多形が制御されていると考えられている。生体におけるこのような無機結晶成長制御を人工系で自由に行うことができたら、炭酸カルシウムと様々な高分子を原料として省エネルギープロセスで作製できる環境低負荷型の高機能、高性能マテリアルを構築できるはずである。そこで本研究では、このバイオミネラリゼーションプロセスに倣い、可溶性高分子としてカルボキシル基を有する合成高分子、不溶性高分子マトリクスとして水素結合性繊維状会合体、種々の官能基を有する多糖誘導体および結晶性ポリビニルアルコールを用いることにより、炭酸カルシウム結晶の形態および多形(カルサイト、アラゴナイト、バテライト)制御を行った。

可溶性高分子のカルボキシル基が炭酸カルシウムの結晶成長に与える影響を調べるために、ポリアクリル酸を用い、不溶性高分子マトリクスが存在しない条件下で炭酸カルシウムの結晶成長を行った。30℃に保たれた炭酸カルシウムの過飽和水溶液中にポリアクリル酸を添加し、20時間かけて結晶成長を行った。2.4×10-4wt%以上の添加濃度において、結晶成長は阻害された。可溶性高分子無添加の系では菱面体型のカルサイトが得られることから、ポリアクリル酸には結晶成長を阻害する効果があることが分かった。続いて、ポリアクリル酸の代わりにポリグルタミン酸を用いて同様に結晶成長を行った。熱力学的に最も不安定なバテライトの球状結晶が析出した。添加するポリグルタミン酸の濃度を変化させ、結晶中のバテライトの割合やバテライトの結晶子サイズにどのような影響が現れるかを、X線結晶構造解析により調べた。ポリグルタミン酸の添加濃度が上昇するにつれてバテライトの割合と結晶子サイズは、共に減少した。ポリグルタミン酸の分子量の影響も調べた。分子量が増加するに従い、バテライトの割合と結晶子サイズは、共に増加した。以上のように、添加するポリグルタミン酸の濃度や分子量を調節することで、生成する球状結晶中に含まれるバテライトの割合や結晶子サイズを変化させることができた。

バイオミネラリゼーションプロセスを模倣して、可溶性高分子、ガラス基板上にスピンコートした不溶性高分子マトリクス、カルシウムイオンの3者の相互作用を利用すると、高分子マトリクスの表面に薄膜状炭酸カルシウム結晶が得られることが、既往の研究から分かっている。高分子マトリクスに、繊維状会合体を形成することが知られているグルコンアミド誘導体を用いて、ポリアクリル酸の存在下、炭酸カルシウムの結晶成長を行った。繊維状会合体の表面を覆うように、炭酸カルシウムの微結晶が析出した。可溶性高分子無添加の系では菱面体型のカルサイトが得られた。このことは、高分子と無機イオン間の相互作用を利用したこれまでのプロセスを用いれば、2次元的に広がった薄膜状結晶だけでなく、3次元構造を有する有機/無機複合体を構築できる可能性のあることを示している。

薄膜状炭酸カルシウム結晶の形成に関する知見を得るため、可溶性高分子にポリアクリル酸を用い、高分子マトリクスとして、多糖類の一種であるセルロース、キトサン、キチン、およびそれぞれの官能基(OH基やNH基)を修飾した多糖誘導体を用い、高分子マトリクスの官能基の効果を調べた。OH基やNH基を持つ多糖誘導体を用いた系では、炭酸カルシウムの薄膜状結晶が得られた。OH基やNH基を一つも持たない多糖誘導体を用いた系では結晶成長が阻害された。それぞれの高分子マトリクスを、ポリアクリル酸含有炭酸カルシウム過飽和水溶液に浸漬させたのちIRスペクトルを測定した。前者の高分子マトリクスでは、マトリクス表面へのポリアクリル酸の吸着が確認されたのに対し、後者の高分子マトリクスでは確認されなかった。このことから、薄膜状炭酸カルシウム結晶の形成には、高分子マトリクス表面へのポリアクリル酸の吸着が不可欠であり、ポリアクリル酸は、COO-基とOH基やNH基との間の水素結合により高分子マトリクスの表面に吸着していることが分かった。セルロース、キトサン、キチンを用いた系においては、ポリアクリル酸の添加濃度の影響についても調べた。薄膜状結晶が形成される濃度範囲はそれぞれ7.2×10-4〜2.0×10-2wt%、2.4×10-4〜1.0×10-2wt%、2.4×10-3wt%〜7.2×10-3wt%であった。粉末X線結晶構造解析を行ったところ、セルロースおよびキチン上に形成される薄膜状結晶の多形は、すべての濃度範囲においてカルサイトであることが分かった。これに対し、キトサンを用いた系においては、低濃度領域で形成される薄膜状結晶はバテライトが主流である一方、高濃度領域ではカルサイトが主成分であった。このことは、高分子マトリクスにキトサンを用いると、ポリアクリル酸の添加濃度を調節することにより薄膜状結晶の多形をバテライトとカルサイトの間でスイッチングすることが可能であることを示している。

有機化合物の官能基配列などの鋳型を無機イオンなどの別の化学種に転写する現象を「テンプレート効果」と言う。生体におけるバイオミネラルのモルホロジー制御も、このテンプレート効果と言われている。本研究では、結晶性ポリビニルアルコールの官能基間の距離がアラゴナイト結晶のab面におけるカルシウム原子間の距離とほぼ一致していることに着目し、結晶性ポリビニルアルコールを高分子マトリクスに用い、可溶性高分子としてポリアクリル酸を添加した系でアラゴナイトの薄膜状結晶を作製した。結晶性ポリビニルアルコールマトリクスは、ポリビニルアルコールの水溶液をガラス基板上にスピンコートし、200℃で加熱処理することにより作製した。ポリビニルアルコールが部分的に結晶化していることは、X線回折測定と偏光顕微鏡観察を行うことにより確認した。ポリアクリル酸の存在下で結晶成長を行ったところ、薄膜状炭酸カルシウム結晶が形成されていることが確認された。この薄膜状結晶の粉末X線結晶構造解析により、主成分はアラゴナイトであることが分かった。ポリアクリル酸の添加濃度を変化させて結晶成長実験を行ったところ、アラゴナイトの薄膜状結晶は7.2×10-4wt%から1.0×10-2wt%の範囲で形成された。アラゴナイトの含有率はほぼ80%以上であり、最高で93%の含有率に達した。ポリアクリル酸の代わりにポリグルタミン酸を添加した系では、バテライトの薄膜状結晶が形成された。ポリアクリル酸存在下でのみアラゴナイトの薄膜状結晶が得られた原因は、ポリアクリル酸のCOO-基間距離と結晶性ポリビニルアルコールのOH基間距離がほぼ一致しており、マトリクス表面に吸着したポリアクリル酸のCOO-基が部分的に配列した2次元構造をとっていたことによると考えられる。すなわち、結晶性ポリビニルアルコールの配列が部分的にポリアクリル酸に転写され、COO-基に捕捉されたカルシウムイオンがアラゴナイトの結晶核へと成長し、この核が引き金となりアラゴナイトの結晶成長が誘発されたものと考察される。

本論文をまとめると、次のようになる。ポリグルタミン酸を添加した系において、ポリグルタミン酸の濃度や分子量を調節することで、炭酸カルシウムの多形や結晶子サイズが変化することを見い出した。バイオミネラリゼーションプロセスをモデルとし、可溶性高分子、不溶性高分子マトリクス、およびカルシウムイオン間の相互作用を利用することにより、繊維状会合体/炭酸カルシウム結晶複合体や薄膜状炭酸カルシウム結晶を作製した。薄膜状結晶の形成には、高分子マトリクスと可溶性高分子との間の水素結合が必要不可欠であることが分かった。さらに、可溶性高分子の濃度や、可溶性高分子と高分子マトリクスの組み合わせを変化させることにより、カルサイト、アラゴナイト、バテライトのそれぞれを主成分とする薄膜状結晶を作製した。以上の結果は、形成される有機/無機複合体の形態や多形、結晶子サイズを自在に制御できる可能性のあることを示しており、今後の自己組織化マテリアルの開発に重要な役割を果たすことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

自然界には、貝殻、真珠、骨、歯などのように、生物によって生産されるバイオミネラルが多く存在している。本論文は、このような無機物質が形成される現象であるバイオミネラリゼーションに着目し、このプロセスをモデルとした有機化合物と炭酸カルシウムから成る複合体の構築と、結晶形態や結晶構造制御の研究について述べており、6章から構成されている。

第1章は序論であり、自然界に存在するバイオミネラルの種類や、炭酸カルシウムを主成分とする貝殻真珠層の構造とその形成プロセスについて紹介している。また、バイオミネラリゼーションプロセスを模倣して炭酸カルシウムの結晶成長制御を試みたこれまでの研究例について紹介している。さらに、本研究の目的と意義について述べている。

第2章では、可溶性高分子であるポリグルタミン酸の添加が炭酸カルシウムの結晶成長に及ぼす影響について調べた結果を示している。ポリグルタミン酸を系内に添加するとバテライトを主成分とする結晶が得られ、ポリグルタミン酸の添加濃度が上昇するに従い、バテライトの割合が減り、カルサイトの割合が増えることが分かった。バテライトの結晶子サイズは、添加濃度の上昇に従い減少した。また、ポリグルタミン酸の分子量を大きくすると、バテライトの割合が増え、その結晶子サイズは上昇した。すなわち、ポリグルタミン酸の濃度や分子量を調節することで、炭酸カルシウムの多形の割合や結晶子サイズを変化させることができた。これらの現象は、結晶成長溶液中のカルシウムイオンの濃度変化と関連させて考察することで、ある程度説明できると結論づけている。

第3章では、低分子の凝集体を結晶成長基板(マトリクス)に用いた有機/炭酸カルシウム複合体の構築について述べている。有機溶媒中で分子間水素結合を介して凝集体を形成するグルコンアミド誘導体とソルビトール誘導体をマトリクスに用い、ポリアクリル酸存在下で炭酸カルシウムの結晶成長を行い、凝集体の表面に炭酸カルシウムの微結晶を析出させることができた。これにより、フィルム状の高分子マトリクスだけではなく、より複雑な表面構造を有する有機化合物との複合体構築も可能であると結論づけている。

第4章では、高分子マトリクスの官能基の効果について調べた結果を述べている。セルロースを高分子マトリクスに用い、ポリアクリル酸存在下で結晶成長を行ったところ、セルロース表面に炭酸カルシウムの薄膜状結晶が形成された。さらに、セルロース、キトサン、キチンのOH基やNH基を修飾した多糖誘導体をマトリクスに用いて結晶成長を行い、OH基やNH基を持っている多糖誘導体の表面のみに薄膜状結晶が形成されることが明らかとなった。これらの官能基を有する多糖誘導体の表面にはポリアクリル酸が吸着していることがIRスペクトルにより確認されたことから、薄膜状結晶の形成には、高分子マトリクスのOH基やNH基と可溶性高分子のCOO一基との間の水素結合が重要な鍵を握っていることが初めて確認された。この薄膜状結晶の形成プロセスには、高分子マトリクス、可溶性高分子、カルシウムイオンとの相互作用が協同的に働いていると結論づけている。さらに、添加するポリアクリル酸の濃度や分子量を調節することで、カルサイトとバテライトの薄膜状結晶を作り分けることが可能であることを見出している。

第5章では、高分子マトリクスのテンプレート効果を利用した、炭酸カルシウムの薄膜状結晶の多形制御について調べた結果を述べている。高分子マトリクスに結晶性ポリビニルアルコールを用い、ポリアクリル酸を添加して結晶成長を行うと、アラゴナイトの多形を有する薄膜状結晶が得られた。カルシウムイオンを捕捉したポリアクリル酸が結晶性ポリビニルアルコール上の微小領域に規則正しく配列し、この時のカルシウムイオンの配列がアラゴナイトのab面の配列とほぼ一致しているため、これがアラゴナイトの結晶核形成の引き金となり、アラゴナイトの薄膜状結晶が得られたと結論づけている。有機化合物のみの効果でアラゴナイトの薄膜状結晶の作製に成功した初めてのアプローチである。

第6章は本論文の結論であり、本研究を通して得られた知見をまとめている。

以上のように、本論文はバイオミネラリゼーションプロセスをモデルとした炭酸カルシウムと有機化合物との複合体構築と、その結晶形態や結晶構造制御の研究について述べたものである。これらの結果は、今後の有機/無機自己組織化マテリアルの開発に寄与するところが大きい。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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