学位論文要旨



No 118733
著者(漢字) 金,燦東
著者(英字)
著者(カナ) キム,チャンドン
標題(和) 行政責任の限界と政治行政システム : 関税化政策決定について日韓の比較分析
標題(洋)
報告番号 118733
報告番号 甲18733
学位授与日 2004.03.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第180号
研究科 法学政治学研究科
専攻 政治専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,朗
 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 北岡,伸一
 東京大学 教授 田邊,國昭
 東京大学 助教授 城山,英明
内容要旨 要旨を表示する

本稿では政策形成(policy formation)ないし決定過程(policy decision-making process)における政治家(politician)と行政官(administrator)の役割と責任行動を比較分析した。行政国家の政策過程では、行政官の役割が拡大され、政策決定ないし政策選択肢の比較において、行政官は裁量権をもって行動する場合が多い。つまり、行政官の役割が単なる管理次元(management-dimension)あるいは行政次元(administration-dimension)を超えて、政策次元(policy-dimension)にまで拡大されてきた。行政官の役割ないし任務がこのように拡大されると、必然的に行政官が担ってきた行政責任の範囲を拡大しなければ、権限と責任のバランスが失われ、責任ある政治行政システムにはならない。したがって、政治家と行政官の役割の変化に合わせて、権限と責任の調整が必要となるが、官僚制の「民主的統制」という制度的原則は、この調整を簡単に行うことを許さない。

行政責任論の視点からの課題は、制度的原則と実際の状況のギャップ(gap)をどのように定義するのか、このギャップを埋めるためにどのような対策を立てるのか、この課題をどのような理論で説明するのかということである。本稿は、このギャップを「行政責任の空白域」として定義し、各々の政策決定システムによって、異なる行政責任の問い方があることを「関税化政策過程」の比較分析によって、確認した。ここでは日本と韓国を分析した。

まず、日本と韓国の政策決定システムに突き付けられた「コメ市場関税化」という政策は、どのような歴史的な背景から形成されたのかを分析した。ガット(GATT)の創設以来、進行してきた国際貿易の関税化は、農業分野のみ例外の対象としてきた。しかし、1986年ウルグアイ・ラウンド以降は農業分野にも、「例外なき関税化」を適用するように、交渉が進行した。

国際的には「例外なき関税化」の原則がウルグアイ・ラウンドの大原則として定められていたとき、国内政治的には、「農業市場開放反対」が明確な政治的な要求であった。したがって、日本と韓国の政策決定システムがどのような政策選択肢を取るのかは、興味深い論点であった。

日本と韓国の国会は「コメ市場開放反対」という決議をともに3回行っているし、日本の場合も連立政権の政策合意として、「関税化に反対」した。韓国の場合も、大統領の選挙公約として「コメ市場開放について職を儲けて反対」としていた。このように国際的な要求と国内的な反対の緊張を、政策決定システムがどのように解決し、誰が責任を負うのかを比較した。また、誰が政策決定を行い、誰がどのようにその政策責任を負うのかは、行政責任論の視点から重要な分析課題である。

韓国の場合は、「例外なき関税化」という国際的な原則に対して、この原則を変容するような政策選択肢を考案することができなかった。そのための交渉力を持つためには、国際的な政治力も必要であるが、韓国の場合、行政官などが政策選択肢についての緻密な分析を通じて、原則を崩すような策を作ることができなかった。しかし、日本は「関税化猶予」という策を作り、例外なき関税化の原則を崩した。

韓国の政治行政システムからみれば、大統領は「コメ市場開放反対」という政策目標をもっており、また政策決定権に影響力をあまりもたない行政官も交渉で解決策を作るような努力をしにくいので、関税化政策過程が停止している状況であった。したがって、政治的任命職が交渉の場に出るようになった。農林水産部長官が交渉の権限と責任をもって交渉した結果、10年間の関税化猶予と1−4%のミニマム・アクセスという政策結果を得た。これは国内的には受け入れがたいものだった。しかし、大統領は政策について責任を負わず、同長官と国務総理が辞任することになった。このように、政策結果について受裁責任が負われた(第2章)。

しかし、日本の場合は、実務家が「例外なき関税化」に対応するために予め動いていた。1986年以来、コメ市場開放についてある段階では開放しなければならない状況を把握しながら、関税化の例外を作るための機会を待っていた。関税化猶予という政策選択肢を作るため、塩飽審議官は海外の交渉に専念した。この交渉の目標は、国内の「食糧管理制度の固守」にあった。コメ市場開放への政治的な反対にもかかわらず、行政官僚の側からは、食糧管理制度を固守することで、農水省の省益を維持することができる。つまり、農水省は、コメ市場の生産計画、流通計画、配分計画までを計画的に管理することによって、省庁の権限を維持することができる。

結局、日本は、アメリカとの秘密交渉によって関税化猶予を約束され、4−8%のミニマム・アクセスを代価にし、関税化を阻止することができた。この政策結果を得たのは、行政官の持続的な交渉力、能動的な責任意識、高度に専門的な行政能力があったからである。また、この政策選択肢を政治的に公表するとき、「部分開放」という用語を使うことで、完全開放を阻止したというイメージを作った。言い換えれば、例外なき関税化を阻止し、連立政権の政策合意に従ったという効果を達成した。このような状況であれば、行政責任は問題視されないであろう。

しかし、関税化猶予という政策選択肢が実は、隠された関税化であることが明らかになっていた。つまり、「追加条項」が明らかになり、関税化に同意したものではないかという批判が浮上した。これが事実であれば、交渉を実質的に主導した行政官は問責されるはずである。もし、行政官が問責されると、政治家も責任を負わなければならないし、また、連立責任が崩壊する危険性もあった。しかし、日本の政治行政システムでは政治家であれ、行政官であれ、この問題で責任を負いたくないので、「5年後もあくまでも関税化はしない」「5年後白紙で交渉する」という説明をし、問責の問題を先送りした。このような二重的の説明によって、行政責任の問題は議題にされなくなった(3章)。

行政責任論の視点から興味深い対象になるのは、1998年に行った日本の「関税化政策への切換え」である。「早期関税化」という政策選択をし、「白紙再交渉」という説明論理を白紙にした。それも与党と農水行政官と農協の三者合意で「早期関税化」を発表した。したがって、政策決定システムにおける行政責任の問題を提議するアクターがなくなった。

したがって、この三者の間では、いずれもいずれかを問責できない関係構造になってしまった。この現状は行政責任論の視点からはありえない現実である。行政責任論はあるアクターが他のアクターを統制することから成立するパラダイムであるが、「早期関税化」政策過程においては、日本の政策決定システムで、統制者(政治家)と責任者(行政官)が未分離の状態であることが明白になった。このような「行政責任の空白域」は、1993年の「部分開放」政策決定以来、残されていた「先送りの行政責任」問題を問責しにくくする。政策過程のみで見れば、政策決定システムにおける政策の一貫性が失われたのであるが、政治家側と行政官側は「国益」のため、「早期関税化」を行うようになったと弁明している(4章)。

要するに、関税化政策決定に直面した2つの政策決定システムで、韓国の政策決定システムでは受裁責任の特徴が顕著になり、日本の政策決定システムでは説明責任の特徴が顕著になった。これは両国の政策決定システムにおける政治行政関係の構造における相違点と、行政官側が担当している任務と権限の比率においての差異があるからである。

すなわち、韓国の場合は慣例的に、政治的任命職(political appointees)が政策結果に対して責任を負い、大統領に対して「受裁責任」を負う方法で、「行政責任の空白域」の課題を解消してきたといえよう。日本の場合は、このような政治的任命職の存在がないので行政官が二重的「説明責任」ないし多重的「説明責任」を使いながら、行政官の義務について法律的な根拠を盾にし、行政責任を全うする慣例があると言える。

審査要旨 要旨を表示する

現代行政国家における政治と行政の関係、いわゆる政官関係は、行政学における重要な課題の一つである。本論文は、行政学における行政責任論の分析枠組を用い、日韓両国が1990年代に遭遇したGATTによる「コメ市場開放」要求への対応の違いの分析を通して、両国の政治行政システムにおける政官関係の特徴を明らかにしようとする研究である。

行政国家化と呼ばれる行政権の肥大化、行政機能の複雑化に伴い、現代国家においては、行政官が実質的に政策決定を担う領域が拡大したが、それに対する議会や裁判所による外在的統制には限界がある。そのような状況を前提として、国民が直接行政活動を監視し、統制を行う仕組みを探求したのが行政学における行政責任論である。近年では、行政責−任確保の方法として、行政官の国民に対する説明責任の重要性が指摘されているが、説明責任はあくまでも説明する責任であり、結果に対する責任ではない。政府に公約を守らせ、結果に対する責任を担保するためには、責任を果たせなかった場合に、責任者に辞職を含む制裁を確実に課すること著者のいう「受裁責任」を負わせること−が重要になる。

著者は、このような問題関心に基づき、この受裁責任のあり方が、政治的リーダーを国民が直接選出する大領制を採用している韓国と議院内閣制である日本においてどのように異なっているかについて、GATTのウルグアイ・ラウンドによって突きつけられたコメ市場の「例外なき関税化」要求への両国の対応の違いを分析することによって考察する。そして、韓国の大統領制では、大統領に代わる政治的任命職の辞職によって責任問題が処理される傾向があるのに対し、日本の場合は身分を保障された行政官がそのように責任をとることはなく、むしろ高度の政治的調整能力、説明能力によって課題に対応する傾向がみられ、著者のいう意味での責任ある政治制度であるためには、きちんとした責任の制度と行政官の責任意識の両者が備わっている必要がある、と述べる。

本論文は、序章、終章を含め5章からなるA4版で本文184頁からなる作品であり、まず序章において、本論文の課題と方法を論じ、第1章においてGATTの例外なき関税化政策について、第2章から4章において、1990年代前半の韓国の関税化決定、日本の部分開放決定、そして98年の日本の政策変更といいうる関税化受入れ決定について論じ、終章において結論を述べている。

以下、各章の内容について、述べる。

序章「課題と比較」では、現代行政国家における行政責任の重要性を指摘し、現代の政治制度における行政責任のあり方について論じる。すなわち、民主主義の制度の下では、本来、行政活動の妥当性を担保するために、議会と裁判所による統制の仕組みが存在している。しかし、現代国家においては、行政活動が量的に拡大し質的にも高度専門化した。結果として、政治家は、行政活動の詳細について知り得ず、社会的課題に対する政策の立案を行う充分な能力を喪失するに至った。それに対し、本来政治家に仕え、その決定を執行する立場にある行政官が実質的な政策決定を担うようになってきた。その結果、行政官の行動に対する民主的統制が充分に及ばなくなり、政策結果について、政治家は、形式的な責任はともかく、実質的な責任を負いえない状態が生じた。ここに、実質的な責任を問われることのない行政官による政策決定の領域が発生し、著者はそれを「行政責任の空白域」と呼ぶ。

こうした行政責任の空白域を埋めるべく1940年代に登場したのが行政学における行政責任論である。責任論の主唱者であったC.フリードリッヒは、空白域を埋める方法として、専門家としての職業倫理を強調した機能的責任と一般国民に対する応答性を重視した政治的責任の概念を提示した。外部からの制度的統制だけではなく、行政官の内面における自律的な責任意識や自律的応答の重要性を指摘したのである。こうして自律的責任の範囲は、行政官が行う実質的な政策決定の領域まで拡大されるようになり、そこでは、行政官に自らの行為の正当性の証明を求める説明責任が強調されるようになった。

しかし、行政官の負う責任は説明責任だけで全うされるものではない。行政官が負う責任には、上司の指示に従い任務を果たす責任、裁量的行為についてその妥当性を説明する責任、辞職を含め制裁を受ける受裁責任がある。筆者は、受裁責任を果たす仕組みが存在してはじめて責任の空白域を埋めることができると主張し、受裁責任を問う制度の比較を試みる。また、行政責任は、組織的な責任である。制度上の責任の所在と実質的な決定責任の所在が乖離しがちな現代国家においては、実質的な責任者に代わって他の者が受裁責任を負うことによって政治的な局面の処理を図ることも見られる。著者は、これを「代位責任」と呼び、政治行政システムによって代位責任の問い方も異なるとして、以下の日韓の政治行政システムの比較における分析上の視点の一つとしている。

著者は、このような責任論の視点から、日韓両国が1990年代に遭遇したGATTによる「コメ市場開放」要求への対応のあり方を分析する。すなわち、90年代の初頭、ウルグアイ・ラウンドの要求に対して、コメ市場の開放阻止を公約に掲げていた両国政府は、強く抵抗したものの、最終的には妥協を余儀なくされた。日本は一定量の輸入(ミニマム・アクセス)を認めるかわりに関税化猶予を認めさせることに成功したが、韓国は関税化を受け入れた。その後、日本は、猶予期間中であるにもかかわらず、98年に一転して関税化を受入れを決定する。両国とも政府は公約に反した決定を行い、その限りで責任問題が生じたわけだが、その対応のあり方は大きく異なった。筆者は、その差異を政治行政システムと責任制度の違いによって説明を試みる。

第1章「GATTと『例外なき関税化政策』の形成」では、コメ市場開放問題の背景にあるGATTとそれが唱えた例外なき関税化政策について解説する。GATTは、第二次大戦の反省から自由で開放的な国際市場の形成をめざして作られたが、市場開放政策の適用も、当初は農業分野だけは例外とされ、国内の農業の保護が承認されていた。しかし、80年代に入り、農業分野も例外とはせず、市場開放へ向けての働きかけがなされることになった。それがウルグアイ・ラウンドにおける「例外なき関税化」政策である。農業の市場開放に関しては抵抗が強かったものの、例外は認められず、ねばり強い交渉の末に、最終的には不可能とみられていた農業市場の一定量の開放と関税化への道を拓くことになった。閉鎖的であった日本と韓国のコメ市場も、この市場開放の圧力に抗することができず、最終的には、日本はミニマム・アクセスという一部開放を、また韓国は関税化を受け入れた。こうした抗しがたい国際的圧力に対して、日韓両国とも、政治家は拒絶することを公約するが、他分野におけるGATTの恩恵が大きいため、市場開放の拒絶は賢明な策ではない。このような矛盾する要請にどう対応するか、日韓両国の市場開放を受け入れた場合の公約違反に対する責任の取り方が論点となると著者は指摘する。

第2章「韓国の関税化決定」では、この問題に対する韓国政府の対応が論じられる。大統領制を採用している韓国における大統領は、国家保安上の理由から強大な権限が付与されており、国務総理をはじめとする多くの官職の任命権を持ち、政策に関する責任は大統領に集中するシステムが採用されている。GATTによるコメ市場開放の要請に対しては、当時の金大統領は、選挙戦において受入拒否を公約していた。交渉は難航したものの、開放拒否は非現実的であり、最終的には猶予期間をおいて受入を決定する。これに対して国内では激しい反対運動が起きる。大統領は、そもそも専門家ではなく、対応を行政官に委ねていた。その結果、国務総理、経済企画院長官が大統領に代わって責任をとって辞職する。政治的任命職である彼らが、一種のスケープゴートになり、本来大統領が負うべき責任を担うことによって、大統領は公約違反の責めを免れた。このような対応のあり方は、受裁責任を負ったという形は作られたものの、実質的な意味での責任は問われていない状態であると、著者は主張する。

第3章「日本の部分開放決定」では、93年の日本の関税化受入拒否の決定が分析される。日本の行政システムでは、制度上の権限は大臣という政治家に属しているものの、実質的な決定の多くは行政官が行っているため、責任の空白域が生まれやすい。コメ市場開放の圧力への対応に関しては、GATTによる市場開放の恩恵を国として受けるものの、農業に関しては食管制度維持を求める主張も強く、80年代以降の長期にわたる政治的争点であり、88年には米自由化反対の国会決議も行われている。93年の細川連立内閣のときに関税化受入れを決断するが、『例外なき関税化に反対』の連立8党の合意があり、その前提の下で内外の交渉が進められた。その結果、95年からミニマム・アクセスの受入と関税化猶予6年、99年より再交渉という内容で合意に達する。だが、この合意案には、公表されなかった部分があり、そこでは、関税化の猶予は無条件ではなく、猶予の期間に応じて追加的な譲歩が必要とされており、関税化を遅らせればそれだけ不利になる内容であった。交渉を担当した行政官は、内外に対する二重の説明によって、実質的な関税化受入をしながら、「関税化」ではないという説明をしており、政治家はそれを追認したにすぎない。この決定が誤っていた場合、著者は、日本のシステムでは、こうした対応に対して、実質的な決定の責任を問うことができないと主張する。

第4章では、その後の98年の日本の「早期関税化」決定について論じる。日本は、再交渉の時期が遅くなるほど、関税率を高くしなければならず不利になるため、98年12月に関税化猶予を放棄し、早期関税化に踏み切る。こうした政策転換の背景には、主管省である農水省による関係農業団体への根回しが周到に行われたこととともに、関税の方式を、従価税ではなく、見かけの税率が低くみえる従量税とする等の措置がとられたこともある。この関税化受入の合意決定は、国会の正式な議論なき政策転換であり、93年の政府決定の否定にほかならないにもかかわらず、矛盾する状況的説明がなされ、最終的には、「国益」の論理によって正当化された。このような対応が可能なシステムは、最終的な結果に対する受裁責任を負うシステムとはいいがたく、今回の関税化の早期決定も93年の合意における秘密協定部分に関して問題を表面化させないための措置と考えられる、と著者は指摘する。

終章「総括と対策」では、それまでの分析を踏まえて、責任の空白域を埋めるシステムとは、大統領や大臣の受裁責任を明確に問いうるシステムであることが必要であり、韓国の政治的任命職の辞職も実質的な受裁責任とはいえず、また日本の行政官による説明責任による対応も受裁責任の空白を埋めるものではない。そのようなシステムは、責任意識をもった行政官が存在し、かつ明確に受裁責任が問われうるシステムでなければならないと結論付けている。

以上が本論文の要旨であり、以下はその評価である。

本論文の長所としては、第1に、現代国家において重要性を指摘されながらも、充分に論じられてこなかった行政責任について、より詳細に考察を加えた点を挙げることができる。説明責任が強調されるにもかかわらず、結果責任についての分析に乏しい今日、結果責任、とりわけ受裁責任の概念を用いて政治行政システムを分析する視点を提示したことは、行政学における責任論に貢献するところが大きいと思われる。

第2に、ウルグアイラウンドにおけるコメ市場開放問題という日本と韓国が同時期に直面した共通の課題を素材として巧みに比較分析を行っている点である。同じ課題についての対応の違いを比較することは、異なる性質のケースを分析する場合と比べて、他の要素が作用する可能性が少なく、日本と韓国の政治行政システムの違いをより鮮明に浮かび上がらせているということができる。

しかし、本論文にも短所がないわけではない。

第1に、責任の問題を扱う場合にともすれば生じやすいとはいえ、時折、一定の規範意識に基づく価値観を前提とした主張がみられることである。

第2に、比較を行った日韓の政治システムの特徴が明確に示されていることは評価できるが、その捉え方が、現実の複雑なシステムのあり方に照らして、やや単純化しすぎているきらいがないとはいえないことである。

以上のように、本論文にも、短所はあるものの、それらは上述した論文の価値を著しく損なうものではなく、本論文で示された知見は、今後、行政責任に関する研究のみならず、政治行政システムの比較研究に重要な貢献をなすものと評価できる。したがって、本論文は、博士(法学)の学位を授与されるにふさわしいものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク