学位論文要旨



No 118737
著者(漢字) 森田,貴子
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,タカコ
標題(和) 明治期における不動産経営の生成
標題(洋)
報告番号 118737
報告番号 甲18737
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第433号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 鈴木,淳
 東京大学 助教授 野島(加藤),陽子
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 武田,晴人
 フェリス女子大学 教授 高村,直助
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、不動産法制の基礎が形成された明治期の、不動産制度と不動産経営の実態に注目し、相互の関連性を明らかにしつつ、不動産経営が生成していく過程を解明することを目的とする。

本研究は、「第一部 不動産制度」と、「第二部 不動産経営」から構成される。第一部では、民法施行以前の、不動産貸借に関する法律・規則による規定と、東京府の土地移動状況と、それに伴って生じた紛争に対する裁判所の法的判断について検討を行う。

第一章「明治前期の不動産に関する法律・規則」では、明治三一年の民法施行以前の、不動産貸借に関する法律・規則について、(1)国・東京府による規定の確認を行い、(2)近世期には行政上の役割を担っていた差配人の、行政上の位置付けと職務内容を明らかにする。

明治五年、地代・家賃に関する契約自由の原則が決められると、三一年の民法施行までの時期に、不動産貸借に関する法律・規則による規定はなくなり、不動産貸借は、地主・家主と借地人・借家人間の「相対」による契約と貸借方法に任されることとなった。明治になり、新しい行政機構の形成過程で、家守の後継者である差配人からは、行政末端機構という公的職務は失われ、差配人は、地主の不動産経営を代行する私的職業となった。

第二章「明治一○年代・二〇年代の東京府における土地移動」では、一〇年代の東京府における土地移動について、(1)統計を用いて、一〇年代の東京府における土地移動の特徴を明らかにし、(2)一〇年代の東京区部の不動産経営の収支状況について、特に地租改正による地租負担と地域的特徴に注目して検討する。

地租改正によって、東京府における不動産経営は、耕地と比べて、収入に占める地租負担は大きかったが、デフレ期においても家賃は下落せず、安定した収入が得られた。地代・家賃収入が確実に徴収できれば、東京市街地における不動産経営は、安定した利回りを得られる経営となった。明治一〇年代の東京府における土地売買、書質入は、一定規模の土地が、妥当と思われる金額で、売買・書質入されており、全国の耕地とは異なり、零落した地主による所有地の売却・書質入によって、土地移動が行われたのではなかった。土地移動は、経済状況と連動した動きをみせ、一九年以降、日本経済が好況に転じると、都市部の土地は、公債・株式と比較して、良い利回りを得られる投資対象とみなされ、土地投資ブームが起きるほどになった。

第三章「不動産所有権と「借地権」と裁判」では、(1)民法施行以前の不動産貸借をめぐる訴訟件数の確認を行い、(2)不動産をめぐる対立点を明らかにし、(3)法の解釈を許されていた裁判所の法的判断から、土地所有権と「借地権」との対立から生じた「地所明渡請求」と、地主の利益の確保を目的とした「地代値上げ請求」を取上げ、民法施行以前の借地・借家関係について、明らかにする。

不動産が投資対象とみなされ、不動産経営からの収益が注目されるようになると、地主・家主は自己の権利を確保しようとし、訴訟件数が増加した。地主・家主と借地人・借家人間の「封建的」、「伝統的」な、情誼的関係は、明治三一年の民法施行以前に、解体しつつあったといえる。

地主の「地所明渡請求」は、借地期限のある場合は、借地期限までは借地人の「借地権」が認められ、借地期限のない場合には、借地人の建物所有の目的が続くまで「借地権」は継続することとなった。そのため、自由に所有地を使用したい地主にとっては、借地期限の設定が「借地証」作成における重要な問題となった。

東京府における不動産経営は、公租公課支出が不動産経営の収益を左右する要因の一つであったため、東京府の地主は、地租負担を補うため、地代値上げを実施するようになった。裁判所の判決によって、土地の繁栄、公租公課の増加、隣地と比して妥当な地代・家賃であれば、地代値上げは認められるようになった。

明治一〇年頃には、土地の買主は、買入条件の一つとして借地人の立退を、売主に引受けさせ、土地明渡問題を不動産買入前に完了させようとした。しかし、売主による借地人の立退引受けは、買主と売主間の契約に過ぎず、実際には、借地人の立退は不可能な場合もあった。

第四章「三菱の不動産経営と裁判--明治前期の深川における不動産買入」では、明治になり、事業地や、接待用・私邸用としての邸宅地、貸付用地を買入れた三菱を事例に、買入地を自由に使用するため、三菱が、借地人の土地明渡をどのように行ったか、(1)不動産売買取引、(2)貸地明渡請求訴訟、(3)訴訟後の裁判所の法的判断への対応について検討を行う。

三菱では、一連の貸地明渡請求訴訟によって、借地人の建物が貸地明渡請求の阻害要因となることを知ると、その対策として、以後の不動産買入においては、土地買入の後に、借地人の建物を買入れ、貸地明渡請求訴訟を回避するようになった。

第二部では、東京府に、大規模な不動産を所有した、三井組と三菱を事例に、不動産経営の経営方法の改革、東京府における不動産投資と新潟県における土地投資を取上げ、不動産経営の実態を明らかにする。

第五章「三井組における不動産経営の近代化--東京市街地の経営」では、三井組の東京市街地での不動産経営について、近世期から引き継いだ不動産貸借方法の近代化について、(1)不動産所有の目的、(2)経営状況、(3)差配人、(4)地主-差配人-借地人・借家人間の貸借関係に注目して検討を行う。

明治初年から二五年までの三井組大元方では、火災を契機に、商業と建物を基準とした借地人の選択を行い、不動産を優良資産とするための「地位」上昇を図り、近世期には地主の負担であった支出の一部を、借地人負担へと改め、公租公課支出の削減を行った。一九年以降の土地価格、地代家賃の騰貴と二三年からの土地価格の一時的下落と、二四年の所得税賦課は、三井組大元方に不動産経営の見直しを迫った。その結果、三井組では、近世来の慣習である「順役」による差配人の任命を廃止し、三井組の社員を差配所事務員に任命し、差配人の人事権を掌握した。これらの改革により、差配所、三井地所部では、不動産貸借における近世来の「恩恵的」関係から契約に基づく貸借関係へと移行し、確実に地代・家賃を徴収するようになった。

第六章「三菱社における不動産投資--東京府の土地買入と経営」では、明治になり事業拠点と貸借経営を目的として、新規に不動産買入れを行った三菱の、(1)不動産買入状況を明らかにし、(2)不動産経営状況を検討し、(3)不動産投資が活発化する三菱社時代の払下基準を確認し、(4)丸の内払下に関する通説となっている事項について再検討を行い、三菱社が払下を受諾した理由について仮説を提示する。

明治一〇年代の小作米収入を目的とした地主経営は不安定な経営であった。一方で、東京府の旧武家地は、地租負担が少なく、貸家経営を行えば、収益は更に拡大し、三菱では、旧武家地を造成し、建物を建築し、実質的な地代価格の上昇を形成し、不動産経営を行った。

明治二三年三月の三菱社による丸の内払下決定の要因には、改正「会計法」施行以前の、二二年度会計で処理する必要に迫られた、陸軍省・政府側の事情が指摘できる。三菱社にとっては、丸の内は地価上昇がある程度は予想され、ビジネス街建築に不要な置据建物の買取は事実上、行わずに済み、払下予定代価よりは安価であった。払下に加えられた神田区三崎町に対して三菱社が計画した、更地を宅地に開発し、貸家を建築する貸地・貸家経営は、既に周知の事業であり、成否の予測不可能な丸の内でのビジネス街建築に着手する際の、危険の分散に、幾分かはなったといえよう。

第七章「三菱社における土地投資--新潟県中蒲原郡・西蒲原郡・南蒲原郡・北蒲原郡の土地買入と経営」では、新潟県における土地経営を取上げ、(1)明治二〇年代前半の三菱社の土地買入方針、(2)土地経営方法を明らかにする。

三菱社は、大規模な土地への着目と、詳細な利回り計算に基づき、新潟県中蒲原郡・西蒲原郡・南蒲原郡・北蒲原郡の土地買入を行った。三菱社新潟事務所では、未納米の削減と良米の受取を重視し、蔵入米を有利に売却するため、精撰を行い、更に、新潟米商会所の定期売と新潟市内の米穀商人への売却を組合わせた投機的取引を行い、例年、ほぼ一〇%を上回る利回りを出すことに成功した。

明治三一年までの不動産経営について、明治二〇年代初頭までの時期に、東京府の不動産経営において、自由な不動産経営が可能となった地主は、土地所有権の自覚と実行に基づき、(1)地価・地代・家賃の形成、(2)不動産貸借経営を代行する差配人の人事権の掌握、(3)裁判による滞納処分実施を伴う地代・家賃の確保、を行うようになった。不動産貸借における、近世来の慣習を排除し、土地所有権に基づく不動産所有と、契約に基づく不動産経営が行われるようになった点において、都市における近代的不動産経営が生成した、といえよう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は明治初年から明治31(1898)年までの東京を主な対象として、近代的不動産経営の生成過程を明らかにしたものである。地租改正によって土地の所有権が確定されてから明治31年に民法制定によって不動産の所有、貸借関係が法定されるまでの間の市街地における不動産貸借の実態は本格的には解明されて来なかった。本論文は、主に三井文庫、三菱史料館所蔵の経営文書と近年公開が開始された民事判決原本とを活用して、この間の制度の実際と三井と三菱による不動産経営の実情とを検討した。

本論文の最大の成果は、明治10年代にはすでに近代的な契約に基づく土地の貸借が行われ、それを前提として訴訟による問題解決や、利潤を目的とした不動産投資が行われていたことを実証的に明らかにしたことである。この点を含めて研究史との関連でその意義を述べれば、第一に、明治期の差配人のありようと土地明け渡し訴訟の分析から、すでに研究が進んでいる近世の町屋敷経営が明治を迎えていかなる形で変容したのかを明らかにし、これにより都市社会の近代化のありさまを示した点、第二に、明治10・20年代の東京における土地取引の動向が全国の耕地におけるそれと全く異なり、良好な投資先となっていたことを反映して現在と同様に好況時に取引が活発であったことを明らかにし、地主経営を中心とした従来の土地制度研究では見られない現在の土地問題の原点の発掘に成功した点、第三に、明治20年代の三菱の新潟での耕地経営を検討して、耕地経営における当時の大規模経営の新手法が近代的な契約関係というより伝統的な身分的関係による土地貸借に依存しているとして、同じ経営主体でも農地と市街地で全く違う姿勢で土地貸借を行ったことを示して先行研究の提示する土地制度像と本論文の対象との相違を明確にした点、が特に評価できる。

経営という言葉の使い方がやや説明不足であり、三井、三菱という最大規模の地主の分析をどの程度の範囲で東京における他の地主経営へ一般化することができるのかといった点で課題を残すが、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に相当する論文であると判断する。

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