学位論文要旨



No 118743
著者(漢字) 西山,隆行
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,タカユキ
標題(和) アメリカ型福祉国家と都市政治 : ニューヨーク市におけるアーバン・リベラリズムの展開
標題(洋)
報告番号 118743
報告番号 甲18743
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第182号
研究科 法学政治学研究科
専攻 政治専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,武士
 東京大学 教授 寺尾,美子
 東京大学 教授 久保,文明
 東京大学 助教授 金井,利之
 東京大学 助教授 谷口,将紀
内容要旨 要旨を表示する

連邦制を採用するアメリカでは、州政府や地方政府が社会福祉政策の対象や給付額について多くを決定することになっている。歳入のほとんどを中央政府からの交付金に依存している日本の地方自治体と異なり、アメリカの都市政府は財源の多くを自主的に確保・運用しなくてはならず、福祉政策の執行に伴う費用の相当部分を、独自の財源から負担する必要がある。それ故、アメリカの地方政府は、税収をもたらすミドル・クラスやビジネスをひきつけるべく、彼らを利する開発政策を積極的に展開する一方で、彼らに負担を求める再分配政策には消極的にならざるを得ないという制度的特徴を持っている。このように考えれば、制度的に再分配政策を最も採用しにくい都市政府が、にもかかわらず社会福祉政策の主たる担い手とならざるを得ないところに、アメリカにおける社会政策をめぐる政治の最大のジレンマがあるといえる。アメリカの福祉国家の特徴を理解するためには、連邦レヴェルの政策のみならず、都市レヴェルの社会福祉政策をめぐる政治のあり方を解明する必要があるのである。

本稿は、ニューヨーク市の事例を検討することで、アメリカの社会福祉政策をめぐる政治変動の性格を描き出そうとしている。ニューヨーク市は、アメリカの都市政治や社会政策に関する既存研究の中で、地方レヴェルでの福祉政策の先導者とみなされてきた。歴史的に、ニューヨーク市は多数の移民が集中してきた場所であり、概して貧困な彼らの抱える問題に対応する独自な術が開発されてきた。その重要な一翼を担っていたタマニー・ホールと呼ばれる政治マシーンの主導により、一九二〇年代に州レヴェルで創設された労働者補償や母親年金などの制度は、アメリカの福祉国家の発展を促した。アーバン・リベラリズムと呼ばれるこの動きは、ニューディールの福祉政策の基礎を提供し、ニューディール政策を行ったのも、ニューヨーク州知事出身の大統領、フランクリン・D・ローズヴェルトだった。第二次世界大戦後も、ニューヨーク市は例外的に福祉受給者の集まっている都市であり、一九六〇年代に展開された福祉権運動の中心地となった。ニューヨーク市の福祉受給者は、一九七二年の段階で一二五万人(人口の一六パーセント)に達し、単独で全米の福祉受給者の一〇パーセントを占めていた。福祉政策に対する批判の強いアメリカで、ニューヨーク市がこのように寛大な福祉政策を実施してきたことは、驚くべきことだろう。更に驚くべきことに、ニューヨーク市は一九九〇年代に、福祉受給者数を減少させ、福祉受給者に労働の義務を課するワークフェア・プログラムを積極的に活用した点でも先駆的な役割を果たしたのだった。

アメリカの福祉国家の発展を先導してきたニューヨーク市の事例は、地方レヴェルでの社会福祉をめぐる政治の葛藤を最も色濃く現している。アメリカの福祉国家の発展のあり方を理解するには、ニューヨーク市の社会福祉政策を巡る政治変動を、前世紀転換期から現在に及ぶ一〇〇年にわたって検討することが必要となるのである。

このように、タイム・スパンを長期に設定し、社会政策とそれをめぐる政治がどのように位置づけられてきたかを検討するアプローチを採用した結果、本稿はニューヨーク市の社会福祉政策の変動を理解する上で、政党政治のメカニズムに着目することが重要であるとの結論に達した。何故ならば、ニューヨーク市の社会政策上の転換期は、共和党系の市長の任期に訪れているからである。これは理論的に見て、いくつかの重要な課題を提示している。第一に、ニューヨーク市では一貫して市民の六〇パーセント以上が民主党を支持しており、共和党支持者はその三分の一にも満たない。このように民主党が圧倒的に優越する都市で、社会政策上の画期が少数党に属する市長の時代に訪れた理由は何であろうか。また第二に、社会福祉給付が拡充されたのも、共和党の市長の時代であった。先に述べたように、アメリカの都市政府は福祉政策などの再分配政策に消極的にならざるを得ない制度的特徴を備えている。にもかかわらず、社会福祉支出が特定の時期に大幅に拡大したことは、そもそも説明を要する。更に説明を要するのは、そのような社会政策の拡充が、連邦の政治では小さな政府を主張し、福祉支出の削減を主張する共和党に属する市長の下で達成されたことであろう。

上記の問いに対する本稿の回答は、ニューヨーク市特有の民主党優越体制が、社会政策を巡る政治を規定したということである。民主党が優勢なニューヨーク市では、ビジネスを中心とする利益集団は全て民主党と提携しようとし、民主党も税収を確保するためにビジネスと提携することに利益を見出した。このような民主党優越体制の下で社会福祉政策を実施するには、社会福祉政策が貧困者の利益関心だけではなく、政治家やビジネスを中心とする政治エリートの利益関心にも適っている必要があった。具体的に述べると、政治家にとっては、社会福祉政策の提供が票の獲得につながることが必要だった。また、都市政府が社会福祉政策を執行するのに十分な財源を持っていて、ビジネスに過重な負担を要請しなくてもよいという前提が必要だった。更には、救済を受ける移民がビジネスに安価な労働力を提供すると共に、貧困者への救済が社会主義などの過激な運動や暴動の発生を抑制し、社会統制を維持するのに不可欠とみなされる場合には、ビジネスも社会福祉政策を認めたのだった。

五〇パーセントより一票でも多くの票を獲得すれば確実に選挙で勝利出来る小選挙区制の下で、民主党は、票を手当たり次第に獲得しようとするのではなく、最低限の有権者の支持を固めた上で、選挙資金と票を提供し、また税収をもたらすビジネスの意向を尊重する戦略を採った。それ故、政党に献金する資力も組織力も持たない貧困者の利益が優先的に処理されることはなかった。とはいうものの、ニューヨーク市では社会福祉給付が選挙における動員と結びついて発展したため、民主党は一旦確立した給付水準や給付対象者数を縮小することもなく、現状維持を志向したのだった。

このような状態で、ニューヨーク市の社会福祉政策に政策革新を起こす可能性を持つのは、共和党市長だった。民主党優越体制の下で共和党系の市長候補が当選するためには、民主党勢力に取り込まれている度合いの低い有権者を動員する必要があった。社会福祉政策の分野に関して言えば、経済成長と安定した税収、また連邦政府からの補助金を前提とすることの出来た一九七〇年代半ば頃までの共和党の候補者(フィオレロ・H・ラガーディア、ジョン・V・リンゼイ)は、社会福祉政策の受給者を増大させ、貧困者の利益を取り込むことで勝利した。連邦レヴェルでは社会福祉の拡充に反対する共和党の候補者が、ニューヨーク市では社会福祉の拡充を支持する背景には、このようなメカニズムが存在したのである。他方、一九七五年のニューヨーク市の財政破綻危機と、連邦のジミー・カーター政権期に始まる都市政府への補助金削減の結果、ニューヨーク市は支出削減を迫られることとなった。しかし、社会福祉政策の提供が、選挙における貧困者の動員と結びつく形で展開されてきたニューヨーク市では、社会福祉の給付額や受給者数を減少させるのは、ある程度の貧困者の票をあてにしていた民主党には困難だった。このような中で、福祉受給者数を大幅に削減すると共に、ワークフェアを導入するという政策革新を達成したのも、共和党に属するルドルフ・W・ジュリアーニ市長だったのである。

ニューヨーク市の事例を分析することによって得られた以上の知見は、アメリカの福祉国家の特徴を理解する上で示唆的である。アメリカの福祉国家は、財政支出の点でも、また政策の包括性においても、他の先進諸国と比べて劣っている。その背景には、州や地方政府における社会福祉政策をめぐる政治のあり方がある。制度的に再分配政策を採用しにくい地方政府が、社会福祉政策の主たる担い手となっているため、アメリカで社会福祉政策が遂行され得る程度は、州や地方政府の能力によって大幅に制限されてしまう。連邦制に起因するこのような構造的制約に加えて、都市の政治家が社会福祉政策を巡る政治を主導してきたというのが、ニューヨーク市の事例を通して明らかとなったアメリカ型福祉国家の特徴である。このような政治体制には、複雑な立法過程を経ずに、社会の急激な変化に迅速に対応できるという利点がある。その反面、福祉国家の発展は、非体系的で不十分なものにとどまってしまう。再選を目指し、次回の選挙までに目に見える業績を作りたいと考える政治家にとっては、短期的に目に見える便益を与え得る政策が望ましく、体系的・包括的な政策プログラムを作り上げることは必ずしも魅力的でない。また、社会政策は議員の支持者の利益に沿って決定されるため、貧困者のニーズよりも、ビジネスを中心とする納税者の利益に適った決定がなされることが多くなる。このように、地方レヴェルで、政治家主導の下、社会福祉政策が決定される結果、アメリカの福祉国家としての発展は不完全なものにとどまってきたのである。

審査要旨 要旨を表示する

アメリカの福祉国家は他の先進諸国と比べて、社会福祉予算の国内総生産(GDP)に占める比率が相対的に低く、また国民皆保険制度がないなど給付対象の範囲も狭いことから、質量ともに「遅れている」と評価されている。本論文は、そのようなアメリカの福祉国家の特徴を解明するには、中央政府のレヴェルで国際比較するだけでは十分でなく、さらに連邦制の下で州以下の地方政府が担っている役割の重要性に着目する必要があるとみる観点から、最盛期には福祉の受給者数がアメリカ全体の約十分の一にも達し、アメリカの福祉国家の独特な性格を浮き彫りにするためにも重要な事例と考えられるニューヨーク市政府を取り上げて、福祉政策を推進したアーバン・リベラリズムと呼ばれた政治的な活動が、百年近くにわたっていかに形成、発展、衰退していったのかを跡付けている。

本論文の構成は、まずはじめにで、アメリカの福祉国家が抱える問題点を次のように整理している。すなわち、アメリカの社会福祉政策は国際的にみて、州以下の地方政府が大きな権限を持っていることに特徴があるとはいえ、貧困、移民、犯罪等さまざまな社会問題を抱える都市政府の財政負担が多い一方、通貨を発行できず、企業や富裕層といった多額納税者を確保できる保障もないことから、所得の再分配政策を最も採用しにくいにもかかわらず、都市政府が福祉政策の主要な担い手にならねばならない点に、アメリカの社会福祉政策が抱える最大のディレンマがあると指摘する。

本論文は、そうした都市政府の中でも歴史上最も重要な地位を占めてきたニューヨーク市について、そのような不利な条件があるにもかかわらず、社会福祉政策を発展させてきた理由を解明するために、福祉政策をめぐる政治変動の歴史的な展開を解明することをテーマとして設定している。

このテーマを解明するために、本論文はニューヨーク市で社会福祉政策を推進した、アーバン・リベラリズムと呼ばれる政治的な活動の展開を、百年以上の期間にわたって考察するアプローチを取っている。それは、福祉政策の転換期が少数党の共和党市長が登場したときに訪れ、続く民主党政権もその政策を引き継ぐというパターンがみられたからであり、第1章ではその理由を分析する枠組みを設定している。すなわち、都市政治に関する先行学説を概観したうえで、社会福祉政策をめぐると都市政治を検討し、都市政府には福祉政策を展開するのに、再分配政策には消極的にならざるをえないという構造的な障害があるとみる、ポール・ピーターソンの有力な学説を紹介している。しかし、本論文のテーマはそれにもかかわらず、ニューヨーク市で福祉政策が発展したのはなぜかを解明することであり、この観点から財政負担を行なう実業家や選挙での勝利を目指す政治家の利害関心が重要な要因として働いているとみて、政党政治の展開という、国際的にみても特異な条件に着目する独自の分析枠組みを構築している。

第二章では、その分析枠組みに沿ってニューヨーク市政の制度的な背景を検討し、市長が政策の主導権を取りやすい構造になっていることを明らかにしている。そのうえで、市長の権力基盤である政党政治の構造を検討し、伝統的にタマニー・ホールというマシーンの下で民主党の一党優越体制が樹立されている中で、少数党の共和党が市長選で勝利するには、民主党の支持基盤に取り込まれていない有権者の利益に訴えかけねばならず、福祉政策もその手段として活用されたことを解明している。

第三章以降は、福祉政策の歴史的展開を跡付けていき、第三章ではアーバン・リベラリズムがいかに形成されたのかを、タマニー・ホールの集票活動が新移民の増大や女性参政権運動の発展でうまくいかなくなり、それを打開するために州レヴェルで福祉政策を実施する制度が創設されるに至った過程について、アル・スミスやF・D・ローズヴェルトの州政まで含めて考察している。本論文では、このようにして州レヴェルで採用された、労働者補償や母親年金などがアメリカにおける福祉国家の発展を促進してきたと指摘している。

第四章では、大恐慌に直面して、共和党市長のラ・ガーディアが新移民のイタリア系やユダヤ系の支持を確保するために、行財政改革をいかに達成したかを考察している。その結果、ニューヨーク市の自律性が確立され、ラ・ガーディアはそれを基盤に独自の福祉政策を執行するために、連邦政府との提携も深めニューディール政策の導入で変容した政府間関係を活用していったのであった。

第五章では、第二次世界大戦後福祉政策の発展を推進したものとして、知識人が主導した福祉権運動の役割に注目し、この運動が行政機構や裁判所を活用する積極的な活動を展開する中で、政治的な野心の強い共和党のリンゼイ市長も強力な主導権を発揮し、福祉の受給者が倍増していった過程を考察している。このように連邦レヴェルでは社会福祉の拡充に反対する共和党の市長が、ニューヨーク市で福祉政策を拡大していったのは、ニューヨーク特有の政党政治の論理に基づいていたのであった。こうして黒人も含めたすべての市民が社会福祉を受給できるようになったとはいえ、ミドル・クラスの白人の反発を買い、人種偏見の伴う保守的な福祉国家批判を惹き起こすことにもなったのである。

第六章では、一九七五年にニューヨーク市が財政破綻の危機に直面する中で登場した民主党市長のコッチが、市政府の福祉予算は大幅に減少させたものの、NPO等を活用して福祉給付の大幅削減を回避し、アーバン・リベラリズムを延命させたことを明らかにしている。財政破綻に加えて、連邦政府のカーター政権が都市政府への補助金を大幅に削減したにもかかわらず、このようにコッチ政権がアーバン・リベラリズムを保持したのは、民主党の場合には選挙で勝つために貧困層の票もある程度必要とし、福祉政策が不可欠であったからでもあった。

第七章では、そうした民主党と違って、九四年に就任した共和党のジュリアーニ市長が、福祉政策の効率の悪さといった経済的な観点ばかりでなく、さまざまな社会的病理現象の温床になっているアンダークラスを生み出しているとみなして、文化的な観点からも批判する保守派の知識人の提言を容れて、ウェルフェアでなくワークフェア、つまり労働の義務を課す方針を打ち出し、アーバン・リベラリズムの終焉をもたらしたことを明らかにしている。この政策革新は、連邦政府におけるクリントン政権の政策転換を先取りしていた。

最後にむすびにかえてでは、ニューヨーク市の事例からアメリカの福祉国家の特徴を説明できる点として、政治家が主導することで社会的な変化に迅速に対応できる反面、福祉政策が受給者の必要よりも、次回の選挙に向けて目に見える形での業績を追求する、政治家の集票を重視する短期的な関心に左右されやすく、体系的になりにくい傾向があることを示唆している。

本論文の長所は、

第一に、アメリカの福祉国家の特徴を解明するために、ニューヨーク市政府が歴史的に果たしてきた役割に焦点を当て、得票を主たる目的とする政党政治の展開が、社会福祉政策の拡大ばかりでなく縮小ももたらすという、強力な原動力になっていたことを明らかにした点である。その結果、福祉国家の国際比較において地方政府の果たす役割の重要性とともに、従来福祉国家を推進する要因と考えられていたものとは異なる、政党政治の展開という別の要因が明らかにされたことは、比較政治学的にみても注目すべき知見だといえる。また本論文は、地方政府が社会福祉政策を担う場合には、財政的に構造的な限界があるという有力な学説に対しても、実証的な反論を提示している。

第二に、ニューヨーク市では少数党である共和党の市長が登場したときに、拡大にしろ縮小にしろ、福祉政策の革新が達成されたことを明らかにしている点である。本論文は、この点を百年以上にわたるニューヨーク市の政治史を、通史としてではなく社会福祉政策をめぐる政党政治の展開に焦点を当てて、問題史的に考察することによって解明しており、政治史の研究に新たなアプローチを導入したものと評価できる。

第三に、百年以上の政治史を対象にしているとはいえ、論点がよく整理され叙述も明快で、コンパクトにまとめられている点である。この点は、本研究科の博士論文に関する指針に忠実に従ったものであるものの、近年の論文が長くなる傾向があることからいって、特筆に値しよう。

本論文にも補完すべき短所があるが、それは、 第一に、国際的にみてアメリカの福祉国家の特徴を指摘する導入部と、それとの関係でニューヨーク市の事例を取り上げる理由の説明が、必ずしも明確でない点である。この点の叙述が工夫されていれば、本論文の学術的な価値は一層明瞭になったといえる。

第二に、ニューヨーク市や他の地方政府等の社会福祉政策に関する具体的なデータが十分示されておらず、福祉政策の実態を理解するのに不親切な点である。

第三に、ニューヨーク市と連邦政府との関係や、アメリカの国内で州や地方政府毎に福祉政策の性格がかなり違い、多様になっている要因などをさらに詳しく説明していれば、ニューヨーク市の福祉政策の特徴をより分かりやすくできた点である。

しかし、これらの短所は、いずれも本論文の学術的な価値を大きく損なうものではない。本論文は、福祉国家の国際比較に関しても重要な知見をもたらしていることなど学界に貢献するところが多く、博士(法学)の学位にふさわしいと評価できる。

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