学位論文要旨



No 118750
著者(漢字) 木村,朗子
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,サエコ
標題(和) 母、女、稚児の物語史-古代・中世の性の配置
標題(洋)
報告番号 118750
報告番号 甲18750
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第469号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,貞和
 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 教授 小森,陽一
 東京大学 教授 林,文代
 東京大学 教授 三角,洋一
内容要旨 要旨を表示する

本論文「母、女、稚児の物語史−古代・中世の性の配置」は、平安時代末から鎌倉時代にかけて、母、女、稚児といった、歴史の表舞台にあらわれにくいものを中心に取り上げ、セクシュアリティがどのように配備されているのかを検討するものである。母、女、稚児は、それ自体、性関係を孕まされた語であるが、ここに析出される性の制度は、律令に定められた婚姻といったような法制度とは異なり、人々の暮らしの中に仮構されたイメージの集積としてあらわれる、性をめぐる差別化・差異化のシステムを指す。

母、女、稚児の三者の背後には、共通して、乳母(=召人)が隠されている。その意味で、本論文が明らかにする性の制度は、乳母(=召人)の制度を説明するものであるともいえる。ただしそれは、乳母論として、乳母の職掌をスタティックに論じるものではなく、乳母をいわば、投射板としながら、母、女、稚児の構成をみていくための方法概念として導入される。

乳母とは、いうまでもなく、母に変わって乳を与える役割を担う女房だが、母でもないのに、乳を与えることが可能なのは、乳母がまず出産を経験していなければならない、そしてその出産を周縁化させることによって、乳母としてあずかる子の子育てを中心とする制度である。このような乳母の制度は、召人の制度とも重なっており、召人とは、出産を経験していながら、その出産をなきものとして扱われ、妻の座を決して手にすることのできない性関係にある女房を指す。このような召人の制度は、もちろん婚姻体系からはもれるが、性の制度として、一夫多妻的社会、また乳母を必要とする宮廷社会を支える重要な位置にある。

この召人の性とのアナロジーに、稚児が置かれ、稚児の延長にホモセクシュアル関係はあると考える。

召人の問題については、すでに修士論文「平安文学における性の配置−摂関期から院政期へ」(2000)で考察した。修士論文が、摂関期から院政期への平安後期の時代をみたのに対し、博士論文は、院政期以後、鎌倉時代へと分析対象を伸ばし、宮廷物語から、寺社縁起、軍記へとまたがる領域を扱う。本論文には、その前提として院政期の問題を含んでいるので、基本的な考え方を示すために、修士論文で論じたことを第一章とした。

修士論文で考えたことは、院政期へと移行することによる、摂関期との明示的な断層を見極めることにあった。すなわち、モデル的にであれ、ある転換点をみいだすことに力点が置かれた。しかし、博士論文において、明らかになったことは、そのような転換は、複数回、くり返し行われているということである。たとえば、江戸から明治へのセクシュアリティの転換は、比較的明確に大きな変転として描き出すことができるが、平安から鎌倉への位相は、そのようなものとしては描き出すことができない。幾度の揺り戻しをくり返す仕方こそが、武士の世に天皇を維持しつづける理由でもあるといえるが、たとえば、召人は、妻に近い扱いをされるようになり、権力をとることもあったが、それは、ある転換によって、その後ずっと維持されるわけではなくて、常に、差別による揺り戻しを受けてきたと捉えるべきである。

同様に、女性の地位をめぐる問題も、ある地点で女性蔑視がはじまったという転換点が探られるべきではなく、抗争をくり返す動態として捉えられるべきものだと考える。この一回ごとの抗争の動きに注目していくことが、女性学の理論的な進展に寄与できる方法であると考える。したがって、修士論文で扱ったような、摂関期から院政期へといった時間軸を確保するのではなく、古代から中世のさまざまな物語群を同時にみていくことで、いままで考えられてきた歴史の時間を相対化するような視座を得ようとする。

各章の構成は以下のとおりである。

第一章は、前述のとおり、修士論文のテーマ、すなわち摂関期から院政期への性の制度の転換をみながら、召人、稚児などを中心に論じたものである。ここに、理論的基盤となる召人や稚児の基本的な考え方が示される。

第二章では、第一章で考えたことの延長線上に鎌倉時代物語の性の配置について、ことに男性ホモセクシュアル関係が明示的に描かれる『石清水物語』を中心に考えるものである。ホモセクシュアルの議論では、異性愛体制における交換の論理を妨げるものとして、ホモフォビア、ミソジニーに付随して、近親婚のタブーが問題となる。本論文では、密通を物語のしかけとしてきた宮廷物語において、必然的に生じてしまう兄妹婚のテーマをめぐって、禁忌(タブー)そのものを問い直した。その上で、ホモセクシュアル関係が、どこにどのように位置づけられるものかを考察した。結論として、ホモセクシュアルは、異性愛に対して、拮抗関係にあるのではなく、移行可能な隣接関係に置かれることを示した。『石清水物語』が明らかにしたことは、こうした隣接関係を架橋する者として召人の存在があるという点であり、召人が、男性同性愛関係とほぼ等価な性愛として、宮廷の婚姻を中心とする異性愛の制度の内に置かれているということである。さらに『石清水物語』は、物語の大きな流れを八幡信仰に託しているが、こうした信仰をめぐるモチーフが、本論文、第三章以降に検討する鎌倉時代物語へと橋渡す。

第三章では、宮廷物語が往生伝のモチーフと結び合う悲恋遁世譚の流れを押さえた上で、物語にくり返しあらわされる天人降下譚のイメージが、往生の文脈と結びついいていく様を『狭衣物語』を素材に示した。物語は、そこで弥勒信仰と兜率天の想像力に触れるのだが、兜率天は、女性の往生をめぐって浮上してきた問題として重要である。鎌倉物語の『我身にたどる姫君』は、兜率天往生をてことして、女帝を誕生させ、それによって龍女成仏譚という女性と仏教の隘路を抜け出たことをみた。

第四章では、軍記物語と寺社縁起などの説話群を中心的に扱う。軍記物語における武士の表象を彫刻の表現とかかわらせて考え、そこに男性同性愛の問題を解く試みである。また、女帝の問題にかかわって、『曾我物語』で北条政子がなぞらえられる神功皇后伝説について、八幡神像から考えた。彫刻表象もまた、ひとつの物語として総合して捉える試みがここではなされている。

第五章においては、『とはずがたり』を中心に考察した。本論において『とはずがたり』は宮廷物語が最後に行き着いた場所として象徴的に置かれる。『とはずがたり』は前半部に宮廷生活の性を描いたあと、後半部で、出家した二条が諸国を遍歴し寺を巡礼する。そこで摂取した各地の説話群と信仰のかけらが、まさに宮廷物語と軍記物語、寺社縁起などをひとつにしていく形態を有する。したがって、第一章から第四章までに考えられたさまざまなことがらは、すべてこの『とはずがたり』に収束する構成をとる。

本論文は、さまざまに分割された研究領域で独自に研究されてきた問題に対して、個別に答えながら、その中心には、既成のディシプリンの方法論を再考しようと目論む。さまざまなジャンルを横断的にみることは、総体としての文化現象をみようとする意図があるからだが、ここでは歴史研究において、主に網野義彦氏以後に行われてきた、掘り起こしという形の補完作業に頼るのではなく、大きな物語にも小さな物語にも同時に共同するような像的記憶を想定し、そこから立ち現れる複数の物語を構想する力を考える。古代・中世の女性の問題は、いわば網野史学に対する批判にどう応えていくかが鍵となっていると考える。小さな物語を、大きな物語の上位へ配置するのではなく、物語を複数化させ、それぞれの論理を明らかにしつつ、その形象化を促す力というものをみていく方法をとった。

全体として、本論文は、日本の古代・中世の物語を対象として、セクシュアリティ(=性の配置)を読み解くことをとおして、セクシュアリティ研究、あるいは女性学研究、さらにはすべての人文社会科学が、冷戦構造崩壊後に陥っている隘路を抜け出るため、二元論、テクスト論の超克をめざす試みである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「母、女、稚児の物語史−古代・中世の性の配置」は、平安時代末から鎌倉時代にかけて、母、女、稚児といった、歴史の表舞台にあらわれにくい在り方を中心に取り上げ、セクシュアリティがどのように配備されているのかを検討する。母、女、稚児は、律令に定められた婚姻といったような法制度と異なり、人々の暮らしの中に構築されるイメージの集積としてあらわれる、性をめぐる差異化のシステムを指している。

第一章は、『とりかへばや物語』、『夜の寝覚』物語をめぐって、基本的な問題構成の見取り図を示す。主人の男と性関係にある、召人(めしゅうど)とされる女房の位置をずらしてゆくと、稚児やホモセクシュアルを見いだす、というような構図である。召人はまた乳母(めのと)と大きく重なるけれども、その職掌というよりは、いわば乳母という存在に反射させるようにして母、女、稚児の構成を見てゆくという方法を提示する。

第二章では、男性ホモセクシュアル関係が明示的に描かれる鎌倉時代の『石清水(いわしみず)物語』を中心に据える。『狭衣物語』の表現と対比させて、『石清水物語』のえがく密通や兄妹婚の禁忌(タブー)を検討したうえで、ホモセクシュアル関係が異性愛(ヘテロセクシュアル)に対して、移行可能な隣接関係に置かれることを示し、隣接関係を架橋する者として召人の存在があるという点を明らかにしてゆく。さらに『石清水物語』では、物語の大きな流れを八幡信仰に託していて、こうした信仰をめぐるモチーフが第三章以降に検討する物語群への橋渡しになってゆくとする。

第三章では、いくつもの宮廷物語から往生伝のモチーフと結びあう悲恋遁世譚の流れを押さえたうえで、物語にくり返しあらわれる天人降下が往生の文脈と結びついてゆくさまについて『狭衣物語』を素材にして示し、ついで弥勒信仰および兜率天をめぐる想像力に触れてゆく。兜率天は女性の往生をめぐって浮上してきた問題として重要で、鎌倉物語の『我身にたどる姫君』は、兜率天往生をてことして女帝を誕生させ、それによって従来の龍女成仏という隘路が乗り越えられる新しさを、像的記憶というキーワードによりつつ確認する。

第四章では、『曾我物語』『将門記』『平家物語』を視野に、軍記物語における武士の表象を力士像などの彫刻的表現とかかわらせて男性愛の問題に結びあわせること、また女帝の問題にかかわって『曾我物語』で北条政子がなぞらえられる神功皇后について八幡神像からどういうことが考えられるかなど、広く身体性と物語のモチーフとのあいだの連関を論じる。

第五章においては、日記あるいは物語とされる、二条(作者)の『とはずがたり』が、宮廷物語の最後に行き着いた場所として象徴的に置かれているとする。後半部で出家した作者が諸国を遍歴し寺社を巡礼することで獲得する、各地の説話群や信仰のいろいろには、まさに宮廷物語、軍記物語、寺社縁起をひとつにしてゆく形態が見られること、したがって本論文の第一章から第四章までに考えられた多くのことがらは、すべてこの『とはずがたり』に収束する構成をとっている、と論じられる。

以上のような雄大な規模とあますところない問題系、そして駆使される膨大な参考文献群によって、本論文はこれまでさまざまに分割された領域で研究されてきた問題に対して、個別に答えながら、その中心には既成の学問的方法論を深く再考しようと目論んでいることが受け取れる、と評価された。物語、絵画、彫刻、歴史叙述などの個別研究が大きくすすむ今日であることはいうまでもないが、女性学やセクシュアリテイ理論、婚姻史といった新しい視野からそれらが読み直されるとき、日本古代や中世がそれらの無尽蔵といってよい宝庫であることに、あらためて気づかされる。

論の運びにおいて前をきちんと踏まえてあとを論じすすめるべきところがややもすれば先を急いでいるきらいはないか、像的記憶といったような語の装置について突き詰めた検討の余地はないか、西欧理論との今日的な対応はさらに十全を期することができるのではないか、仏教儀式などのテクストとの関係をさらにさぐる必要があるなどの、問題点や今後の課題が指摘された。それらの指摘された事柄は、これからの研鑽によって十分に補われてゆくことが見込まれることであり、ほぼ破綻なく書ききった力量を高く評価してよい。よって本審査委員会は博士(学術)の学位を授与することができると認定した。

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