学位論文要旨



No 118751
著者(漢字)
著者(英字) Wood, Donald,Coleman
著者(カナ) ウッド・ドナルド,コールマン
標題(和) 計画から実際へ : 日本の人工農村における社会的連帯、ポリティカル・エコノミー、変化
標題(洋) FROM PAPER TO PRACTICE : SOCIAL SOLIDARITY, POLITICAL ECONOMY, AND CHANGE IN A PLANNED JAPANESE FARMING VILLAGE
報告番号 118751
報告番号 甲18751
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第470号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 助教授 岩本,通弥
 東京大学 助教授 中村,雄裕
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、日本の東北地方のある小村落における、最近の農民共同体創出についての研究である。研究の焦点は、入植者の間における社会的連帯の形成と社会変化におかれる。しかし村落住民は、1995年まで政府によって厳しく管理されていた米の生産と販売の「自由」に関して、ふたつの派閥に分裂してしまった。そのため本論文が対象とする村落は、社会的な連帯と対立という問題についての興味深い事例となっている。特にこの問題は、1960年代から1970年代にかけて経済人類学において議論された、経済的な諸関係と社会的な諸関係との関係、つまり「実体論者」が人間の経済的な行為は常に社会的な諸関係の中に埋め込まれていると主張した一方で、「形式論者」がその反対を主張した問題にとっても重要な研究事例を提供する。

一般に日本の村落に見られるふたつの大きな特徴は、住民たちが幾世代もの長い間同じ場所で暮らしてきたことおよび各世帯が様々な種類の社会関係によって互いに結びついていることである。さらに各世帯は「親戚」や「遠い親戚」といった様々な親族の結びつきをもっている。日本の多くの村落、特に東北地方においては、多くの家は「同族」という父系単系的な親族集団の一部をなしている。この組織の中では一番上に立つ本家が分家に農地を分け与えてきた。しかし分家のもらう水田や畑地は小さく、それによってようやく食べていける程度のものであった。普通は長男が本家の相続者となり、次男や三男は分家を創立した。この同族組織には非親族との関係も含まれていた。現在では新しく分家を作って同族を拡大することはほとんど見られないが、同族による親族的・社会的な関係はいぜんとして続いている。そのため村落の日常生活において各世帯は、いざという時に頼ることのできる人々や家々をもっている。さらに、同族組織は村落社会の連帯を支える強い枠組みとなっている。現在の日本の農家の大部分は、別に仕事をもちながら農業もおこなう「専業農家」あるいは「自給農家」である。各農家の所有する農地は平均わずか1ヘクタールから2ヘクタールで、彼らが農業を続けているのは、金を稼ぐよりも、祖先への敬意のためや農業が彼らの生活様式のひとつであるからだといえる。

しかし、本論文が対象とする大潟村(秋田県)は、このような日本の平均的な村とは大きく異なっている。1950年代から1970年代にかけて日本政府は、国内第二の湖である八郎潟に堤防を築き、湖を埋め立てることにより17,000ヘクタールの土地を拓いた。大潟村は、1964年に創立され、入植も1975年までにはほとんど終っていた非常に新しい村である。大潟村には、15ヘクタールもの大農地において専業農家として米作りをおこなうために、北海道から沖縄まで全国各地から入植者が移住した。当初より村の住民の間には「親戚」はほとんど存在せず、入植者である住民は農業のビジネス的な面(商品としての米生産)を強く意識していた。しかし、大潟村は米の国内自給率を上げるために政府計画により創立されたにもかかわらず、その入植期間が終わる以前に、国内の米余り状況により政府は減反政策に転換した。以上のような経緯から大潟村は主に3つの点で日本の普通の村と異なる特徴をもっている:(1)昔から先祖代々耕してきた農地が存在しないこと、(2)大規模な農地、(3)米の生産拡大から減反へと国の農業政策が転換した重要な期間に入植された村であるという事実。

同族内関係の本質に関するこれまでの議論は、成員である世帯が互いに付き合っていく上で、経済的な関心と純粋に社会的な関心とのどちらが優越するのかという点を中心に行われてきた。言い換えるならば、同族関係から親族の紐帯を除いた場合に何が残るかという問題である。このような理論的な問題を考慮しながら本論文は、深くかつ広い親族関係が存在しないという状況下で、その創立時から大潟村では、ある種の社会的要因がその集団形成と社会的な連帯の確立において重要であったという仮説に立つ。大潟村の集団形成や社会的な連帯の確立が実際に、居住の規則、経済的な関係、擬似親族による紐帯、あるいはこれらのいくつかの組み合わせによって規定されていたかどうか、という問題が本論文において追究される。さらに本論文は、1)先祖代々継承された農地の欠如、2)大規模におこなわれる専業農業、3)国の農業政策転換と大潟村創立のタイミングという3つの重要な条件が、実際に大潟村のローカルな文脈においてどのような結果をもたらしたかを検討する。

本論文は、主に出身地に基づいた当初の村落の社会構造を検討し、時間に沿った変化に焦点を当てることにより、先に挙げた全ての種類の社会関係が大潟村において見られることを示す。さらに、長期においては、より社会的な性質をもつ諸関係が、ビジネスに方向づけられた諸関係によって代替されるという全体的な傾向が見られ、それが社会的な生活の経済的な生活からの分離へと結びついている。この点は上述の実体主義・形式主義論争に関わるものである。本論文は経済人類学の論争に解答を与えることを目指すものではないが、経済は常にある程度は社会の中に埋め込まれてるという前提に立つならば、様々に異なる状況下で経済的な関係が社会的な関係の中に常にどのくらい深く埋め込まれているかという問題に対して、大潟村の事例は重要な問題を提示する。本論文が示す通り、大潟村においては、米の販売や村落生活に関する基本的な考え方をめぐる対立がふたつの異なった社会構造を生み出し、前者(出身地を含む社会的紐帯に基づく社会構造)が後者(ビジネスに基づくそれ)によって、驚くべき程度にまで取って代わられたのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本の干拓事業によって作られた一農村における社会的連帯の形成と変化の過程を、文化人類学の方法によって記述・分析し、その過程における経済・技術的側面および政治的側面の関与を検証したものである。その事例として採り上げられた秋田県大潟村は、国および県が耕地拡大を目指して計画的に推進され、干拓事業と村落の規模および機械化農業の点で国内では類例のないものであり、また農政の転換にともない住民の間に政治的対立をもたらした点でも特異な事例として知られる。本研究の意図は、こうした特殊な事例を採り上げることによって、日本の農村における社会的連帯の形成過程における要因の解明に寄与する点にある。

本論文は8章で構成されている。序章にあたる第1章では本論文の課題が提示され、日本の農村における社会連帯を考察する上で大潟村の事例が占める特殊な様相として、(1)世代を超えた農地との結びつきが無いことに起因する同族的な親族紐帯の欠如、(2)耕地面積の大きさによる大規模な専業稲作経営、(3)入植の時期にともなう、国の農業政策の転換が村社会に及ぼした政治的影響、の三点が示される。入植時のこれら初期条件のもとで、日本農村に広く見られる親族的紐帯に代わっていかなる社会的要因が村内の集団形成と社会的連帯の生成に寄与するか、とりわけ当初の居住条件による社会関係と経済関係がこの過程にどのように作用し規定したかという課題が提示されている。

第2章は、社会的連帯と葛藤に関する社会学・人類学における論議のレヴューに当てられ、経済と社会文化の関係をめぐる経済人類学の論点、小農経営における自律性、道徳性と合理性、村の閉鎖的共同体論等、そして近年の日本における葛藤・派閥に関する研究を概観している。次いで第3章は、日本における土地政策、ダム事業、児島湾、笠岡湾、諫早、中海、印旛沼などの干拓事業、北海道屯田兵村等の入植事業を概観している。

第4章は日本の農政と土地政策、食料政策、農家経営等の歴史に次いで、農村の社会構造における同族、講、親分-子分をめぐる論点の整理に当てられ、また第5章では、八郎潟干拓事業と時期別の入植過程、居住区画と住居、共有施設と農民以外の居住区画、そして協同農場が構成される状況とそれが解体にむかう過程が記述されている。第6章は、大潟村が80年代以降地域社会として拡充される過程について、民族誌の記述に当てられ、諸施設と組織、村による諸企画、商店街、教育機関などのほか、住民の間に形成された世代・出身別結社、任意結社、近隣組織、故郷との関係等が網羅的に採り上げられている。

第7章は、農民がもっとも重視している販売流通戦略に焦点をおいて、国の減反政策との関連を踏まえて主要な販売流通組合の成立過程について記述した上で、西二丁目という一区画の世帯について農家の多様な戦略に注目して、それが入植時期の差、協同農場、居住状況、近隣関係、任意結社等による社会的要件とどのように関連しているかを詳細に記述分析しており、社会的連帯の形成過程に直接関わる本論文の核心部分をなしている。

第8章は全体の総括と結論に当てられ、政策的な枠組みと住民の自治的な活動を通して形成されてきた大潟村における社会連帯の特質を導き出している。

その特質とは、当初は国の政策による協同農場方式と成員の居住形態が大潟村に基本的な社会条件を規定し、経済要因と社会要因とが一体となっていたことが指摘される。その後、協同農場は生産面での協同機能を急速に低下させてゆき世帯別経営が基調となったこと、また販売流通面でも個別化が進んで、経済領域と社会領域との分化が始まったことが指摘される。次いで、農政の転換による減反政策のもとで、農業の理念と経営戦略の方針の差が住民の間で顕在化し、これが村政とも直結して村内の派閥抗争と化し、さらに販売流通面での農民の行動にも路線の対立をもたらしたことが指摘される。しかし、経済領域は政治化することによって先鋭化し、それが今日まで尾を引くことになった反面、その戦略として成立した販売流通組織は当初の協同農場と居住形態に由来する社会紐帯を重要な基盤としていることが指摘される。つまり、経営の理念や方針では各世帯の独自性がますます優先されているが、その戦略的な行動面では既存の社会関係を基盤としていることになる。また、初期条件に由来し今日まで維持されてきた紐帯と、より広い居住区における近隣関係、世代や趣味による結社等の社会的領域が、経済的政治的な利害を超えた村の連帯に寄与していることが指摘されている。こうした経済的政治的領域を超えて成立している社会的連帯に、著者は都市的とも従来の農村とも異なる、また大都市近郊のニュータウンとも異なる様相を見出しており、そこに人工的な農村である大潟村の事例の特質を位置づけている。

本論文は、著者がかつて教師として大潟村に滞在した1996〜1997年当時の予備的調査をもとに、2001年から2002年にかけての現地調査に拠っており、日本におけるダム干拓と入植事業、農政と土地政策の歴史と概要を踏まえた上で、大潟村の形成過程の詳細な記述、入植の過程と諸組織の形成過程、地区を限定した詳細な経営戦略の記述、社会関係の諸相、政治的対立と販売戦略の展開など、村社会の全般にわたる民族誌としても充実しており、高く評価できる。その一方で、審査委員の間からは、大潟村では同族的な組織が見られないとはいえ、他の農村と対比する上で、日本の村落研究における同族に関する農村社会学の研究にも触れてほしかったという指摘がなされた。その一方では、社会連帯と葛藤に関するレヴューは本論文の論点に比べて広範すぎるという指摘があったことも付け加えておく。

大潟村はその規模の大きさのみならず政治・経済的な面でも注目された特異な人工農村であるが、これを現代の日本社会の一事例として位置づけ、人類学的な現地調査によって記述分析した試みはこれまで例がない。大潟村にかぎらず、政策により計画された地域社会の人類学的研究としても日本ではこれまで類例がない先駆的な研究であり、さらには都市化の影響に曝された近郊農村や産業化にともなう地域社会の変動過程、あるいはニュータウンなどの、これまで人類学の本格的な研究対象とされてこなかった現代社会の研究においても、本研究は資する点が大きいと評価できる。

以上のとおり本論文は、現代日本の農村における社会連帯の経済的側面を、これまで試みられることのなかった特異な事例を意欲的にとりあげ、人類学の現地調査による民族誌的記述と分析によって明らかにした点で顕著な業績として評価される。

したがって本審査委員会は、本論文が博士(学術)の学位に相応しいものと認定する。

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