学位論文要旨



No 118753
著者(漢字) 古賀,毅
著者(英字)
著者(カナ) コガ,タケシ
標題(和) cAMP依存性プロテインキナーゼによる神経伝達物質放出の両方向性制御
標題(洋) Bidirectional regulation of neurotransmitter release by cAMP-dependent protein kinase
報告番号 118753
報告番号 甲18753
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第472号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 助教授 上村,慎治
 北里大学 教授 高橋,正身
内容要旨 要旨を表示する

神経細胞間のシナプス伝達は,シナプス結合部において開口放出される神経伝達物質を介して行われている。シナプス伝達機構の解明は,記憶・学習の分子メカニズムを理解する上でも非常に重要であるが,次の二つの課題が未解決のテーマとして残されている。

第一の課題は,多様な細胞集団である神経系において,どのような生理活性物質がシナプスで放出され,神経回路の機能制御に関わっているか,まだ完全に明らかにされていない点。第二の課題は,伝達物質放出がどのような機構で制御され,それが記憶・学習に如何なる役割を持っているのかについて明らかにされていない点である。開口放出の一連の過程は,非常に多種類のシナプスタンパク質によって制御されており,様々なプロテインキナーゼによるシナプスタンパク質のリン酸化が,シナプス伝達の機能調節に重要であると考えられている。しかし,その具体的な機構については,多くが未解明のままである。

私はこれらの問題を明らかにしていくため,培養小脳細胞,PC12細胞,および副腎髄質クロマフィン細胞を用いて,開口放出機構とリン酸化によるその制御の解析を行った。

培養小脳細胞を用いた実験系では,内在性アミノ酸の開口放出の解析を行った結果,神経伝達物質であるグルタミン酸 (Glu) やγ-アミノ酪酸 (GABA) と同様に,従来は神経伝達物質/修飾物質として認知されていなかったアラニン (Ala) がシナプス小胞の開口放出によって放出されていることを見出した。さらに,Ala放出はGluやGABA放出とは異なるリン酸化機構によって制御されている可能性を見出した。

PC12 細胞を用いた実験系では,伝達物質放出の制御に関わるプロテインキナーゼとして,cAMP 依存性プロテインキナーゼ(PKA)に焦点を絞り,その制御機構を解析した。PKAの選択的阻害剤H-89は,dBcAMPによるPC12細胞からのカテコールアミン(CA)およびアセチルコリン放出促進を阻害するだけではなく,単独で投与した場合もこれらの放出を無処理群のレベル以下にまで抑制した。また,PC12細胞のPKA変異株A126-1B2からのCA放出は,対照株で見られるようなdBcAMPによるCA放出の促進が起きず,dBcAMP非存在下での放出能自体が顕著に低かったことから,PC12細胞内ではPKAが持続的に活性化されている可能性が示唆された。A126-1B2にPKAをトランスフェクションしたところ,Ca2+依存性,Ca2+非依存性いずれの開口放出能も有意に回復したことから,PC12細胞におけるPKAの持続的活性化は,CAの放出能の維持に機能していると結論した。

副腎髄質クロマフィン細胞を用いた実験系では,単一の分泌小胞からの伝達物質放出量(放出素量)を測定する手法であるアンペロメトリー法を用いて,CA放出の高時間分解測定を行なった。その結果,PKA の持続的な活性化の阻害により,CA の放出素量が減少することを発見した。また,測定シグナルの形状の解析から,放出素量の減少が膜融合の初期に形成されるフュージョン・ポアの不安定化に起因する可能性が示唆された。

以上の結果から,PKAの持続的な活性化は開口放出能の維持に働いており,その更なる活性亢進により開口放出を促進し,逆に低下させることにより開口放出を抑制するという,両方向性の制御に関わっている可能性が示唆された。このような制御機構はシナプス可塑性の実体と考えられている,長期増強と長期抑圧のいずれも誘導できることから,効率的な記憶・学習の成立を可能にしているものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

神経細胞間の化学伝達は,シナプス小胞から開口放出される神経伝達物質を介して行われる。シナプス伝達機構の解明は、記憶や学習の分子メカニズムを理解するために非常に重要であるが、そのためにはまず、次の2つの課題を解決しなければならない。第1の課題は、シナプスで放出され、神経回路の機能制御に関与する生理活性物質を明らかにすること、第2の課題は、伝達物質放出を制御する機構を明らかにすることである。

神経系は多様な細胞集団であることから,神経細胞から放出される生理活性物質も数多く,現在でも次々と新しい物質が発見されている。また,既知の内在性物質についても神経細胞に対する新たな生理活性が見つかっている。したがって,どのような物質がいかなる制御によって神経細胞から放出されるかを明らかにすることは,今日における神経科学の最も重要なテーマのひとつである。

これまでの研究によって、シナプス小胞からの開口放出過程は、非常に多くの種類のシナプスタンパク質によって制御されており、種々のプロテインキナーゼによるシナプスタンパク質のリン酸化がシナプス伝達の機能調節に重要であろうと考えられている。しかし、その具体的な機構については多くが未解明のままである。

本論文は、以上の観点から、シナプス伝達に関する生理学的メカニズムに焦点を当てて申請者が行った研究の成果をまとめたものである。論文は、序章に問題点の所在とその解決のために本論文で行った研究の概観を述べ、第1章から第3章に実験結果を、終章に総括論議を加えて構成されている。

本研究によって得られた実験結果の概要は次のとおりである。

第1章の実験(培養小脳細胞からのアラニンの開口放出とその制御機構の解析)では培養小脳細胞を用い,刺激依存的に放出される内在性アミノ酸の測定を行った。その結果,従来は神経伝達物質/修飾物質としては認知されていなかったアラニン (Ala) が,神経伝達物質であるグルタミン酸 (Glu) やγ-アミノ酪酸 (GABA) と同様に,シナプス小胞の開口放出によって放出されていること、Alaの放出はGluやGABAの放出とは異なるリン酸化機構によって行われることを発見した。また、Ala放出はcAMP依存性プロテインキナーゼ(PKA)の活性化による影響を受けないことが明らかとなった。

第2章の実験(PKAによるカテコールアミン放出の制御機構の解析)では神経伝達物質放出のモデル細胞であるPC12細胞を用いて、cAMP依存性プロテインキナーゼ (PKA) の開口放出における役割を検討した。PKA活性化剤であるdBcAMPを加えるとカテコールアミンのひとつドーパミン (DA) 放出量は非投与時よりも増加し、PKA阻害剤であるH-89を投与すると,DAの放出は非投与時よりも抑制されること、および、II型PKAに異常があるPC12細胞 (A126-1B2) では正常細胞に比べてdBcAMPによるDA放出促進効果がみられず、dBcAMP非投与時のDA放出量も正常細胞に比べて著しく低いことが明らかとなった。

このことから,PKAはPC12細胞内で持続的な活性を有し,その活性亢進により開口放出を促進し,活性阻害により開口放出を抑制する,両方向性の制御に関わっている可能性が示唆された。

さらに第3章の実験(アンペロメトリー法による放出制御機構の解析)では、PC12細胞の樹立元であるクロマフィン細胞に、単一分泌小胞からの伝達物質放出量測定法であるアンペロメトリー法を適用し,単一分泌小胞からのカテコールアミン(アドレナリン、ノルアドレナリン、ドーパミン)放出をリアルタイムで測定した。その結果、PKA阻害剤であるミリスチル化PKI(14-22)で細胞を処理すると,細胞内のカテコールアミン含有量や開口放出頻度の変化を伴わずに,単一の分泌小胞からの放出量(放出素量)が有意に減少することが明らかとなった。計測シグナルの形状解析の結果、このPKA阻害による放出減少は,細胞膜と分泌小胞膜との膜融合の初期に形成されるフュージョン・ポアが不安定化することに起因する可能性が示唆された。

以上の結果より,cAMP依存性プロテインキナーゼ (PKA) は、その持続的な活性化によってシナプスにおける伝達物質の開口放出の維持に働いており、その更なる活性亢進によって開口放出を促進し、逆に活性低下によって開口放出を抑制するという、両方向性の制御に関わっている可能性があることが明らかとなった。このような制御機構はシナプス可塑性の実体と考えられている、長期増強と長期抑圧のいずれも誘導できることから、効率的な記憶・学習の成立を可能にするメカニズムの基盤をなすものと考えられる。

これらの成果はすべて申請者のオリジナルな発見であり、その発見事実は学術業績として極めて有意義であると認められる。よって、本審査委員会は、本論文は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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