学位論文要旨



No 118754
著者(漢字) 鳥羽,栞
著者(英字)
著者(カナ) トバ,シオリ
標題(和) 複数頭部を持つダイニン分子の分離と分離頭部の運動特性
標題(洋) Dissociation of Multi-headed Dynein Molecules and Motile Properties of the Dissociated Heads
報告番号 118754
報告番号 甲18754
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第473号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 助教授 安田,賢二
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

細胞内では、その機能を維持するために様々な“動く要素”が必要であり、そのために動く分子;分子モーターと呼ばれるタンパク質が働いている。筋収縮に代表されるアクチン-ミオシン系に対して、微小管系にはキネシンとダイニン、二種類の分子モーターが存在する。これらの分子モーターは、ATPの加水分解エネルギーを利用して、多様な細胞機能を果たしている。

ダイニンは、微小管上をマイナス端方向に移動する分子モーターであり、繊毛・鞭毛運動、細胞分裂や細胞内輸送など細胞機能において重要な役割を担っているが、その運動メカニズムは、同じ分子モーター、キネシン、ミオシンに比べてよくわかっていない。ダイニン重鎖は、C末端側にヘッド(頭部)と呼ばれる球状の ATP 加水分解ドメインと、そこから伸長したストークと呼ばれる微小管結合部位を持ち、N末端側のステムと呼ばれる部位で重鎖同士や軽鎖などのサブユニットが相互作用している。その構造には、トライマー(3頭)、ダイマー(双頭)、モノマー(単頭)があるが、運動メカニズムの解明にはこれらの頭部を分離し、それぞれの機能を調べることが必須であると考えられる。

繊毛・鞭毛は自律的に波動運動を行うユニークな細胞運動器官であり、軸糸ダイニンはその原動力を発生する。繊毛虫Tetrahymenaの繊毛の外腕を構成する軸糸ダイニンは、22Sダイニンと呼ばれ、その構造は3つの異なる重鎖を持つヘテロトライマー(3頭)である(図1上)。それぞれ、α、β、γと呼ばれる重鎖から出来た頭部は、根元部分で束ねられて花束(ブーケ)状の構造を形作っている。それぞれの重鎖は、繊毛の波打ち運動において異なる機能を持つと想像されるがまだ明らかでない部分が多い。そのため、各重鎖それぞれの運動特性を理解することは、繊毛運動のメカニズムの解明に重要である。

細胞質ダイニンは有糸分裂、細胞内輸送などに関与し、細胞内できわめて多様な働きを担っている。その重鎖は幅広い種で高度に保存されており、その分子構造は2つの等しい重鎖から出来た頭部が根元部分で束ねられたホモダイマー(双頭)である(図1下)。哺乳類は少なくとも40種以上のキネシン様モーターを持っているが、細胞質ダイニンとして主に働く重鎖は1種しか同定されておらず、軽鎖やダイナクチンなどのアクセサリータンパク質の関与によって多くの細胞内運動に関与している。そのため、この細胞質ダイニンの重鎖の運動メカニズムを知ることは、細胞内運動の理解のために必須であるが、未だ明らかでない部分が多い。

いずれのダイニン重鎖も、4000以上のアミノ酸からなり、その分子量は約50万にも及び、遺伝子工学的に各重鎖を得る事は困難である。また、構造が複雑で容易に変性するため、重鎖の精製、分離による研究もキネシンに比べて進んでいない。本研究では、尿素によって Tetrahymena の外腕ダイニンを単頭部と双頭部に分離し、活性のあるフラクションを得る事が出来た。また、この方法を応用してブタ脳細胞質ダイニンを完全に単頭に分離し、運動特性を中心にその活性を調べた。これらの活性のあるダイニン重鎖の分離によって、ダイニン分子の運動特性への理解が進むと考えられる。

Tetrahymena 22Sダイニンの双頭重鎖と単頭重鎖の特性

繊毛虫 Tetrahymena 22Sダイニンの3頭の重鎖を尿素で処理し、ショ糖密度勾配遠心にかけると、双頭部(β、γ)を含む19Sと単頭部(α)を含む14Sに分離された(図2)。尿素による処理は、タンパク質分解酵素による分離と異なり重鎖の全長を保持した状態で分離する事が出来た。また、尿素を取り除く過程で再び3頭のダイニンに戻る現象が観察され(図2:R)、この処理が可逆的である事がわかった。

こうして得られたダイニン重鎖には、ATPase 活性や微小管滑り運動活性があった。in vitro motility assay では、双頭部は3頭より速い速度でスムーズに微小管を滑らせる事が出来た。単頭部は、ATPase 活性があるにもかかわらず ATP 非依存的に微小管と結合し、滑り運動も起こさなかった。過去の報告によると、タンパク質分解酵素のキモトリプシンで22Sダイニンに処理を行い、根元側4分の1ほどを失った単頭α鎖のフラグメントは ATP 非依存的に微小管とは結合しない。これらの結果から、この単頭α鎖は軸糸内で微小管ダブレットの A 小管に根元側で強く結合し、外腕ダイニン全体を構造的に支えているものと考えられる。

ブタ脳細胞質ダイニンの単頭重鎖の特性

細胞質ダイニンは、その多くが精製の最終段階までダイナクチンと複合体を作っている。ダイナクチンは11〜12のポリペプチドからなる複合体タンパク質で、ダイニン依存の細胞内機能のほとんどに必須である。その複合体を構成するポリペプチドの一つであるp150タンパク質はC末端側に細胞質ダイニン結合部位、N末端側に微小管結合部位を持ち、細胞質ダイニンの運動連続性を増加させる外因性要素として機能することが報告されている。このことから、まず、第三の頭部ともいえるダイナクチンを解離した双頭細胞質ダイニンをブタ脳から得た(図3:UQ dynein)。さらに、そのダイナクチンのない双頭細胞質ダイニンに尿素による処理を行い、単頭の重鎖に完全に分離した。このダイニンの単頭構造は電子顕微鏡でも確認できた。また、尿素を取り除く過程において、双頭ダイニンを再び構成することができ、尿素処理による重鎖の分離は可逆であることがわかった。単頭ダイニン、再構成した双頭ダイニンいずれも、重鎖に相互作用する中間鎖や中間軽鎖は、control 双頭ダイニンと比較して、ほとんど解離していなかった

双頭の細胞質ダイニンは、2つの頭部のそれぞれの微小管結合部位で異なる微小管に結合して、ATP非存在下で微小管を束化することが知られている。control双頭ダイニン、再構成双頭ダイニンはどちらも ATP 非存在下で微小管を束化した。対して、単頭の細胞質ダイニンは ATP 非存在下で微小管を束化しなかった。単頭、再構成双頭ダイニンの ATPase 活性を調べた結果、いずれも control と同程度であった。in vitro motility assay では、単頭ダイニンは双頭ダイニンとほぼ同量のタンパク濃度で、同程度の速度で微小管を滑らせることができた(図4)。ATP濃度を変えてもそれぞれの微小管滑り運動速度は同じだった。これらの結果から、単頭細胞質ダイニンは多分子で微小管と相互作用すれば、二つの重鎖が互いに結合していなくても双頭細胞質ダイニンと同様の微小管滑り運動能を持つことがわかった。次に、in vitro motility assay にて ATP とバナジン酸存在下で微小管の運動特性を観察したところ、双頭、単頭、再構成双頭のいずれのダイニンでも微小管がその長軸方向にランダムに振動する現象が観察された。バナジン酸は ATP 加水分解の阻害剤であり、ATP 加水分解サイクル中の ADP・Pi 状態で ADP・Vi 状態に置き換わり、サイクルを停止する。過去にウニ精子外腕ダイニンのβダイニンにて同様の現象が観察されている。今回、細胞質ダイニンでも、双頭、単頭いずれも ADP・Vi 状態で、微小管の解離は防ぐが、微小管の長軸方向へは自由に拡散できるような弱い相互作用をしていることが示された。

本研究では、複数頭部を持つダイニン分子の活性をもつ頭部の分離に成功し、その分離頭部の運動特性を調べることができた。その結果ヘテロトライマーである 22S ダイニンはそれぞれの重鎖が繊毛運動において異なる機能を担っていることが示唆された。ホモダイマーである細胞質ダイニンは、2つの重鎖間の協調がその運動特性に必須ではないことが示された。尿素の処理により活性を持つダイニン重鎖が得られた事は、ダイニンの分子構造の特性に示唆を与えるとともに、他の様々なアプローチにより、その運動メカニズムと機能の解明に役立つものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

細胞という生命の単位が効率よく活動するために、細胞内の物質輸送をはじめとして、細胞の移動や細胞分裂を行うことが必須である。これらの細胞運動は、細胞骨格であるアクチンフィラメントや微小管とそれぞれに特有な相互作用をするモータータンパク質の働きによるものであり、それらの分子機構を明らかにすることは、生命活動の理解にとって重要な課題である。モータータンパク質のうち、ミオシン、キネシンについては多くの研究がなされ、その分子メカニズムがかなり解明されてきた。一方、キネシンと同じ微小管のモーター分子でありながら、ダイニンは巨大で複雑な複合体であるためにその機構は未解明の部分が多い。鳥羽栞さんは、「複数頭部を持つダイニン分子の分離と分離頭部の運動特性」と題した研究課題において、3頭構造を持つ軸糸ダイニンおよび2頭構造を持つ細胞質ダイニンのそれぞれの頭部を単離して、その運動特性を調べ、ダイニンの運動の素過程に解明に寄与する新たな知見を見出した。

第1章においては、テトラヒメナ繊毛より抽出した外腕(22S)ダイニンの3頭の重鎖について厳密にコントロールした尿素処理を行い、双頭部(19S)と単頭部(14S)を分離することに成功した。このようにして得られたダイニンフラグメントは、以前に報告されているタンパク質分解酵素による3頭の分離とは異なり、全長のダイニン重鎖を含んでいる。抗体による検出や、ダイニンに特有の UV-cleavage という方法を使って、単頭部はα鎖、双頭部はβ鎖とγ鎖よりなることを明らかにした。さらに、微小管の運動活性を調べた結果、双頭部は3頭より速く微小管を運動させることを報告している。単頭部は ATPase 活性を保持しているが運動活性を示さず、微小管に強く結合した。分離した双頭部と単頭部は適当な条件下では再び3頭に再構成されることも確認した。これらの結果から、単頭α鎖は軸糸内でダブレット微小管の A 小管に強く結合して外腕ダイニン全体を構造的に支える役割を担うというモデルを提出している。これらの新たな知見に加え、ダイニンモータードメインが尿素処理によってもその運動活性を失わないことを示したことは、大きな進展であり、以降のダイニン分子メカニズムの研究に影響を与え、貢献するものであると評価できる。

第2章は、どのような細胞にも普遍的に存在する細胞質ダイニンについての研究報告である。細胞質ダイニンは、精製の最終段階まで種々のアクセサリータンパク質を結合している。特に、細胞内ではダイナクチン複合体、LIS1、NUDEL といったタンパク質はダイニンの機能に必須であるということが示されてきた。今回の鳥羽さんの研究では、まず、複数のイオン交換カラムクロマトグラフィーとショ糖密度勾配遠心分離により、このようなタンパク質をすべて除いて非常に純度の高い細胞質ダイニンを得た。この試料を用いて微小管の運動活性を調べることにより、アクセサリータンパク質がなくてもダイニンには運動機能があることを示した。さらに、この双頭細胞質ダイニンに第1章で開発した尿素処理の技術を応用して、完全に単頭となるような分離を行った。また、尿素を除く過程において再び双頭構造を形成することも可能で、尿素処理による重鎖の分離は可逆であることを明らかにした。これらの双頭と単頭の細胞質ダイニンの ATPase 活性はほぼ等しく、また微小管をすべり運動させる能力においても、ほとんど差がないことを示した。これらの結果から、細胞質ダイニンは多分子で微小管と相互作用する場合には機能的な差異はなく、1分子内の2つの頭部の間の連絡が運動機能にとって必須ではないという結論を導いた。

以上のように、本研究は、複数頭部を持つダイニン分子を扱い、それらを活性のあるフラグメントとして分離することに成功し、その運動特性を明らかにした。その結果、ヘテロ3量体である軸糸外腕ダイニンについてはそれぞれの重鎖が繊毛運動において異なる機能を担っていること、ホモ2量体である細胞質ダイニンについては、分子内の2つの頭部の間の協調性が運動に必須でないことが明らかになった。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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