学位論文要旨



No 118757
著者(漢字) 青柳,共太
著者(英字)
著者(カナ) アオヤギ,キョウタ
標題(和) タンパク質キナーゼおよび脂質キナーゼによる開口放出制御機構の解析
標題(洋)
報告番号 118757
報告番号 甲18757
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第476号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 教授 里見,大作
 北里大学 教授 高橋,正身
内容要旨 要旨を表示する

脳では多くの神経細胞がシナプスを介して情報伝達を行っている。シナプスではシナプス小胞に貯蔵された神経伝達物質がシナプス前終末から開口放出機構によってシナプス間隙へと放出され、シナプス後部の受容体に結合することによって情報伝達が行われている。記憶や学習はシナプスにおける神経細胞間の情報伝達効率が可塑的に変化することに起因すると広く考えられている。シナプスにおける情報伝達効率の可塑性はシナプス前終末とシナプス後部で複雑に制御されており、その短期的な制御には様々なキナーゼが関わっていることが知られている。しかしながら、シナプス伝達の可塑性を制御するキナーゼが生体内でどのようにして活性化されるのかについてはほとんどわかっていない。様々なキナーゼの活性は代謝型受容体を介して制御されている。脳内には様々な生理活性を持つ神経ペプチドが数多く存在し、痛覚の伝達、食欲、性周期など生物としての基本的な機能から、記憶・学習などの高次機能にまで深く関与していると考えられている。神経ペプチドの多くは通常、代謝型受容体を介して作用する。従って、神経ペプチドによるシナプス伝達可塑性の制御・調節機構を明らかにすることは脳の高次機能を理解する上で重要である。

神経ペプチドの一種である PACAP (pituitary adenylate cyclase-activating polypeptide) はラット海馬の神経標本においてシナプス伝達の効率を変化させることや、Drosophila において記憶に関わる分子と相同性を持つことから、脳の高次機能に関与することが示唆されている。また PACAP 受容体がシナプス前終末に存在していることや PACAP は膵臓ランゲルハンス島からのインスリン分泌を促進することが報告されている。これらの報告は、PACAPはシナプス前終末からの開口放出を制御することによりシナプス可塑性に関与していることを示唆しているが、シナプスにおける情報伝達の制御にPACAPがどのように関与しているかについてはほとんど明らかでない。

本論文の第一章ではPC12細胞と培養小脳神経細胞を用いてPACAPの一種であるPACAP38が開口放出に与える影響について研究を行った。PC12細胞への高濃度(10 nM)PACAP38処理は電位依存性Caチャネルを介した細胞内へのCa2+流入とそれに伴う一過的なドーパミン(DA)放出を誘導することを確認した。一方、PC12細胞に従来報告されているよりも低濃度(0.1nM)のPACAP38を作用させると、一過的なDA放出は観察されなかったが、脱分極刺激依存的なDA放出が顕著に亢進することを見いだした。低濃度PACAP38処理では細胞内Ca2+濃度の一過的な上昇は観察されなかった。また、低濃度PACAP38処理によるDA放出の増強作用はイオノマイシンによってCaチャネルを介することなく細胞内にCa2+を導入しても同様に観察されたことから、低濃度PACAP38処理の効果はCa2+流入以降におこる何らかの過程を変化させることにより、開口放出を制御・調節していると結論した。

低濃度および高濃度のPACAP38処理によるDA放出の制御・調節に関わる細胞内シグナル伝達系を明らかにするために、protein kiase A(PKA)、protein kinase C(PKC)、MAPK/ERK kinase(MEK)および phosphatidylinositol 3-kinase(PI3K)の阻害剤としてそれぞれ H-89、bisindolylmaleimide-I(BIS)、U0126およびwortmannin(WM)を用いて実験を行った。高濃度PACAP38処理誘発性の DA 放出はH-89、U0126およびWM処理によって顕著に抑制され、BIS処理によってわずかに抑制された。それに対し、低濃度PACAP38処理によるイオノマイシン刺激誘発性DA放出の増強は BIS、U0126および WM 処理で抑制されたが、H-89処理では抑制されなかった。従って、低濃度および高濃度PACAP38処理の作用に関わる細胞内シグナル伝達系は異なっており、高濃度PACAP38処理誘発性DA放出にはPKA、PKC、MEKおよびPI3Kが関与し、低濃度PACAP38処理によるイオノマイシン誘発性 DA 放出の増強には PKC、MEK およびPI3Kが関与しているがPKAは関与していないと結論した。

培養小脳神経細胞では高濃度(0.1 nM)PACAP38処理誘発性グルタミン酸放出は観察されなかった。しかしながら、低濃度(1 nM)PACAP38処理では非常にゆっくりとしたグルタミン酸放出と、脱分極刺激依存的なグルタミン酸放出が引き起こされた。

以上の結果から、PC12細胞において、PACAP38 は処理濃度によって異なる機構により開口放出を制御・調節することを明らかにした。また、中枢神経細胞においてもPACAP38 は開口放出の制御・調節に関わっている可能性があると結論した。

PACAP 処理による神経伝達物質放出の制御にphosphatidylinositol(PI)をリン酸化するPI3Kの関与が見いだされたことは、シナプス伝達においてPIのリン酸化代謝がシナプス伝達の可塑性において何らかの重要な役割を果たしていることを示唆している。PIはPIのリン酸化状態依存的に様々な機能分子と結合することにより、多くの細胞機能に深く関与していることが明らかとなっている。これまでにPIのリン酸化状態が開口放出依存的に変化することや、開口放出に至る過程においてphosphatidylinositol-4,5-bisphosphate(PI(4,5)P2)の産生を制御するタンパク質が重要な役割を果たしていることが様々な細胞を用いた解析から明らかにされている。さらにシナプス小胞上にはPI(4,5)P2結合するタンパク質が存在することから、PI(4,5)P2は何らかのPI(4,5)P2結合タンパク質を介して開口放出に関与している可能性が示唆されている。しかしながらPI(4,5)P2がどのようにして開口放出を制御しているのかについては明らかでない。

本論文の第二章ではPIのリン酸化代謝を制御する脂質キナーゼによる開口放出の制御・調節機構を明らかにするために、PI(4,5)P2の細胞膜上における分布と、開口放出部位の相関について研究を行った。その結果、PI(4,5)P2は細胞膜上において局所的に集積したマイクロドメインを形成すること、またPI(4,5)P2マイクロドメインとシンタキシンの両方と共局在する分泌小胞の数とCa2+依存的な開口放出能に相関が認められることを明らかにした。PC12細胞の細胞膜のみを二次元的に観察するために、超音波処理によりPC12細胞から分泌小胞を結合した細胞膜(細胞膜シート)を調製し、観察を行った。細胞膜上におけるPI(4,5)P2の分布について調べるために、細胞膜シートを抗PI(4,5)P2抗体で免疫染色すると、細胞膜シート上に小さなドット状のシグナルが多数観察された。PI(4,5)P2に高親和性で結合するPLCδの pleckstrin homology(PH)ドメインとEGFPの融合タンパク質(PH-GFP)を用いた場合にも細胞膜シート上および生きたPC12細胞の細胞膜上にドット状のシグナルが観察されることを見いだした。PI(4,5)P2のドット状構造は細胞膜シートに結合している小胞に由来する可能性が考えられる。しかしながら免疫沈降により単離した分泌小胞には抗PI(4,5)P2抗体の免疫反応性が確認できなかった。以上の結果より細胞膜上にはPI(4,5)P2が局所的に高濃度で集積したPI(4,5)P2マイクロドメインが存在すると結論した。

開口放出におけるPI(4,5)P2マイクロドメインの機能的役割について調べるために、細胞膜シート上における分泌小胞の結合位置とPI(4,5)P2マイクロドメイン、および開口放出に必須なタンパク質であり細胞膜上でクラスターを形成するシンタキシンの位置関係を免疫染色により調べた。細胞膜シート上に検出される分泌小胞の15〜20%がPI(4,5)P2マイクロドメインとシンタキシンクラスターの両方と共局在を示した。脱分極刺激を持続的に与えることにより開口放出能を低下させたPC12細胞から調製した細胞膜シートではPI(4,5)P2マイクロドメインとシンタキシンクラスターの両方と共局在する分泌小胞の数が有意に減少した。一方、PI(4)PからPI(4,5)P2を産生するPIP5Kを一過的に発現させたPC12細胞では細胞膜シート上においてPI(4,5)P2マイクロドメインの数が顕著に増加し、PI(4,5)P2マイクロドメインとシンタキシンクラスターの両方と共局在する分泌小胞の数も著しく増加した。さらにPIP5Kを発現させたPC12細胞ではCa2+依存的な開口放出が増強すること、またPIP5K発現による開口放出増強作用は脱分極刺激の強度に依存しないことを明らかにした。

以上の結果に基づき、PC12細胞の細胞膜上にはPI(4,5)P2マイクロドメインが存在していると結論した。さらにPI(4,5)P2マイクロドメインの形成を時間的・空間的に制御することにより神経伝達物質放出が制御・調節されている可能性があると結論した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、開口放出機構の制御機構を詳細に検討することにより神経細胞間情報伝達におけるシナプス前終末由来のシナプス可塑性機構を明らかにすることである。論文提出者はラット副腎髄質クロム親和性細胞種由来の株化細胞であるPC12細胞、および培養小脳神経細胞を用い、タンパク質キナーゼおよび脂質キナーゼによる開口放出の制御機構について解析を行った。

本論文の第一章ではシナプス伝達の可塑性を制御するキナーゼの活性化機構を明らかにするために、神経ペプチドの一種であるPACAP (pituitary adenylate cyclase-activating polypeptide) が神経伝達物質放出に与える影響について研究を行った。その結果、PACAP38 は従来報告されていたよりも低濃度で PC12 細胞に作用し、神経伝達物質放出を増強する新たな作用があることを見いだした。また、低濃度の PACAP 処理による神経伝達物質放出の増強は、従来報告されていた高濃度の PACAP 刺激による神経伝達物質放出機構とは異なる機構によって制御・調節されており、様々なキナーゼが関わっていることを明らかにした。さらに培養小脳神経細胞でも低濃度の PACAP 処理によって神経伝達物質放出が増強されることを見いだし、 PACAP が脳のシナプスでも神経伝達物質放出の制御に関わっている可能性を明らかにした。

本論文の第二章では脂質キナーゼによる開口放出の制御・調節機構を明らかにするために生体膜の構成成分であるホスファチジルイノシトールに着目し、ホスファチジルイノシトール-4-リン酸5-キナーゼによって産生されるホスファチジルイノシトール-4,5-二リン酸(PI(4,5)P2)の細胞膜上における分布と、開口放出部位の相関について研究を行った。その結果、PI(4,5)P2は細胞膜上において局所的に高濃度で集積したマイクロドメインを形成することを明らかにした。また、細胞膜上で検出される分泌小胞はシンタキシンおよびPI(4,5)P2との共局在により分類できることがわかった。さらにシンタキシンとPI(4,5)P2マイクロドメインの両方と共局在する分泌小胞の割合と開口放出能に相関があることを見いだした。これらの結果から、PI(4,5)P2マイクロドメインはシンタキシンと共に開口放出可能な部位を形成する可能性を明らかにした。

以上を要約すると、本研究では開口放出過程に重要な役割を果たすPI(4,5)P2が細胞膜上においてマイクロドメインを形成していることを明らかにし、PI(4,5)P2マイクロドメインが開口放出可能な部位の形成に関わっている可能性を世界に先駆けて明らかにした。さらに脳の高次機能への関与が示唆されている内在性神経ペプチドである PACAP はタンパク質キナーゼおよび脂質キナーゼを活性化し、開口放出を増強することを明らかにした。この点において神経科学に有意義な貢献をしたものと認められる。よって審査員一同、博士(学術)にふさわしい研究であると判断した。なお、本論文の内容の一部は 2001 年に Biochemical and Biophysical Research Communications 誌に論文提出者が筆頭著者となって公表済みである。

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