学位論文要旨



No 118758
著者(漢字) 岩井 (小黒),雅子
著者(英字)
著者(カナ) イワイ(オグロ),マサコ
標題(和) 好熱性シアノバクテリア Thermosynechococcus elongatus BP-1 の光化学系II複合体の分子生物学的研究
標題(洋) Molecular studies of photosystem II complexes from the thermophilic cyanobacterium Thermosynechococcus elongatus BP-1
報告番号 118758
報告番号 甲18758
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第477号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 助教授 渡辺,雄一郎
 東京大学 助教授 和田,元
 東京大学 助教授 箸本,春樹
内容要旨 要旨を表示する

<序論>

高等植物やシアノバクテリアが行なう酸素発生型光合成は重要なエネルギー変換機構である。この機構はチラコイド膜に存在する光化学系I複合体および系II複合体とよばれる2つの大きな蛋白質複合体が光駆動することにより行われる。このうち、系II複合体では、光エネルギーを利用して水を分解し電子を取り出し、酸素を生じる。系II複合体は20以上のサブユニットからなり、その3次元構造は好熱性シアノバクテリアを材料として近年に報告された。しかし、その解像度(3.7〜3.8Å)は微細構造を議論するには不十分で、小サブユニットや重要な残基の位置を特定できていない。このような系II複合体の複雑な構造と水分解反応の機構を解明するには、単離した系II複合体を用いた解析と、変異株を用いた解析の両方が必要である。本研究では系II複合体のメカニズムを解明することを目指し、生化学的機能解析と分子生物学的研究の両方を行える好熱性シアノバクテリアThermosynechococcus elongatus BP-1 を実験材料としてもちい、遺伝子操作の改善と遺伝子破壊株による系II複合体の解析を行った。

Thermosynechococcus elongatus BP-1 の遺伝子操作の改善

当研究室の先行研究によって T. elongatus の遺伝子操作は最初に報告された 1996 年に比べ容易になったが、まだ遺伝子操作技術には不十分な点も多かった。そこで私は形質転換法を再検討し、(1)自然形質転換法により遺伝子を破壊できることを発見した。この方法はこれまでのエレクトロポレーション法に比べ、形質転換効率は高くないが非常に簡単である。(2)ゲノム情報をもとに見いだしたI型制限酵素遺伝子 (tll2230) を破壊することによって形質転換効率を上昇させることに成功した。この破壊株を親株とすることで、これまで野生株では形質転換体が得られなかった遺伝子(ndhE, ndhL, cdsA) についても形質転換体が得られるようになった。(3) T. elongatus における形質転換の際にこれまでにわかっている double recombination だけでなく、single recombination も起こっていることを見いだした。(4)機能的に重要なアミノ酸残基の改変や外来遺伝子の大量発現系の構築を目指して、従属栄養増殖が可能なT. elongatus の作製を試みた。T. elongatus のゲノムには糖輸送体の遺伝子が存在しないので従属栄養増殖可能な他のシアノバクテリアのグルコース輸送体の遺伝子に内在性の数種類のプロモーターをつないで導入し、グルコース輸送体の遺伝子がゲノムに組み込まれていることを確認した。しかし、その発現は確認できなかった。今後さらに導入すべきプロモーターや糖輸送体の検討が必要である。こうした遺伝子操作技術の改善により、実験生物としての T. elongatus の有用性はこれまで以上に大きくなった。

系II複合体小サブユニットの遺伝子破壊株の解析

系II複合体小サブユニット蛋白質 PSII-T, PSII-H の機能を解明するために、1章で述べた遺伝子操作技術を用いて、PSII-T, PSII-H 蛋白質をコードする psbT, psbH 遺伝子の破壊株を作製し、その生化学的解析を行った。

psbT遺伝子破壊株の解析PSII-T 蛋白質は植物やシアノバクテリアの光化学系II複合体に結合している膜貫通タンパク質であり、近年、緑藻において強光での光阻害からの系II複合体の回復に必要であると報告されている。しかし、シアノバクテリアではそのような報告はなく、系II内での存在場所は特定されていない。そこで私はPSII-T 蛋白質をコードする psbT 遺伝子の破壊株を好熱性シアノバクテリア T. elongatus を用いて作製した。psbT 遺伝子破壊株は光独立栄養条件下での生育速度、クロロフィルの低温蛍光スペクトルから推定した系II複合体の蓄積量、細胞、チラコイド膜、陰イオン交換カラム分画前の系II複合体の酸素発生活性、いずれも、野生株との間に差は見られなかった。SDS-PAGE 解析では PSII-T 蛋白質に対応する4.7kDa のバンドが破壊株でのみなくなっていた。陰イオン交換カラムクロマトグラフィー、ゲルろ過カラムクロマトグラフィーを用いた解析では系II複合体の二量体が大きく減少し、単量体が増加した。これらのことから、PSII-T 蛋白質は系II複合体の活性には関与せず、系II複合体の二量体化に関わると考えられる。系II複合体の二量体は植物とシアノバクテリアで共通の特徴であるが、その生理的役割は議論が多い。系II複合体が、野生株では二量体、psbT 破壊株では単量体であるにもかかわらず、細胞、チラコイド膜、系II複合体の酸素発生活性には違いがほとんどないという私の結果は二量体化が活性に直接関わっていないことを示している。今後、PSII-T や二量体化の役割を明らかにするためには詳しい生理学的な解析が必要であると考えられる。

psbH遺伝子破壊株の解析PSII-H 蛋白質は植物やシアノバクテリアの光化学系II複合体に結合している 6.5 kDa の膜貫通蛋白質で、植物ではN末端がリン酸化される。これまでに他の生物での破壊株の解析から PSII-H は系II複合体での QAQB 間の電子伝達、系II複合体の分子集合や安定性に関わるといわれている。私は好熱性シアノバクテリア T. elongatus を用い、psbH 遺伝子破壊株を作製した。psbH 遺伝子破壊株は光独立栄養条件で野生株よりも増殖が顕著に遅くなった。細胞、チラコイドの状態での 2,6-DCBQ を受容体とする系II複合体の酸素発生活性は、野生株の半分であった。そこでチラコイド膜からの系II複合体の回収方法を改善し、陰イオン交換カラムを用いて系II複合体を分画したところ、酸素発生活性を保持した系II複合体の単離に成功した。野生株では活性のある系II複合体が主に二量体として回収された。これに対し、破壊株では二量体がほとんど消失し、野生株では小さかった2つのピークが大幅に増加していた。1つは表在性蛋白質 (33kDa, cytC550, 12kDa) を失い、酸素発生活性をもたない単量体の系II複合体であり、他方は表在性蛋白質も活性も保持した単量体の系II複合体であった。また破壊株の系II複合体では単量体、二量体にかかわらず、PSII-X 蛋白質が消失していた。PSII-X 蛋白質は系II複合体の二量体化にはあまり関係ないが、酸素発生活性に影響を与えることが既に報告されている。以上の結果から、PSII-H 蛋白質は PSII-X 蛋白質の系II複合体への結合、表在性蛋白質の安定化に必要であること、これまで他の生物で報告されていた酸素発生活性への影響は、酸素発生活性をもたない単量体の系II複合体の増大とPSII-X蛋白質の消失を含んでいることが示唆された。

D1蛋白質の遺伝子破壊株の解析

D1蛋白質は系II複合体の反応中心を構成しており、P680 や Mn クラスターを結合してもっとも重要な働きをしている。また、光阻害を受けると分解され、新しく合成されたD1蛋白質に置き換わることも知られている。これらの構造、機能に関与する候補アミノ酸残基は中温性の Synechocystis sp. PCC 6803 の部位特異的変異株によって細胞レベルで解析されてきた。私は、これらのことを蛋白質レベルで解析することを目指し、T. elongatus の D1 蛋白質への部位特異的変異株の作製のために、T. elongatus に3つある psbA 遺伝子のどれが変異株作製に適しているかを同定し、部位特異的変異の導入系を確立した。

D1蛋白質をコードするpsbA1〜A3遺伝子のうち、実験当初はpsbA1遺伝子に変異を導入し、残る2つの遺伝子は薬剤耐性マーカーで破壊した。T. elongatus は絶対光独立栄養増殖なので、光合成による増殖が期待できる変異として、E333Q、D342E の作製を試みた。しかし、psbA1 だけを残した株は作製できたが、これに上記の変異を導入した株は完全には分離できなかった(シアノバクテリアは複数コピーの DNA を持つため、必須遺伝子に変異を導入した場合、野生株の DNA が一部残ることが知られている)。そこで、psbA1〜A3 遺伝子のうちどれが変異株作製に適しているかを調べるために、psbA1〜A3 遺伝子のうち1つだけを残した破壊株の作製を試みた。psbA1 だけを残した株では親株に比べ、光独立栄養条件での生育が極端に悪く、特に強光下では生育できないこと、細胞での酸素発生活性は親株の半分になっていることがわかった。psbA2だけを残した株は完全には分離しなかったことから、psbA2 は発現していないか、機能が失われていると考えられる。psbA3 だけを残した株は、強光・弱光下での生育、細胞、チラコイド膜、系II複合体の酸素発生活性の比較、系II複合体の二量体の安定性において親株とほとんど差が認められなかった。以上の結果から、部位特異的変異株の導入にはpsbA3遺伝子が適していることが明らかとなった。今後はpsbA3 遺伝子を用いた部位特異的変異株の解析をする必要がある。

<まとめ>

他の生物よりも生化学的解析に適している光化学系II複合体を持つ Thermosynechococcus elongatus BP-1 を用い、系II複合体について解析した。1章では、T. elongatus の遺伝子操作の改善について述べた。これにより T. elongatus は実験材料として有用性を増した。従属栄養増殖可能な株は作製できなかったが、問題点を明らかにした。1章をふまえて、2章では系II複合体の小サブユニットの遺伝子破壊株、3章では系II複合体の反応中心D1蛋白質の遺伝子破壊株をそれぞれ作製して解析した。2章の PSII-T 蛋白質の解析では、PSII-T 蛋白質は、系II複合体の活性自体にはあまり影響しないことを示した。また長年議論されている系II複合体の二量体化に PSII-T 蛋白質が関わっていることを初めて示した。PSII-H 蛋白質の解析では、PSII-H 蛋白質が PSII-X 蛋白質の系II複合体への結合、表在性蛋白質の安定化に必要であることを示した。3章では当初 psbA1 がコードするD1蛋白質の部位特異変異株の解析を目指したが、目的の形質転換体が得られなかったため、変異導入法を再検討した。その結果 psbA3 遺伝子が変異導入に適していることを明らかにした。今後、この株を用いた部位特異的変異株の導入により、D1蛋白質の機能の解明が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「Molecular studies of photosystem II complexes from the thermophilic cyanobacterium Thermosynechococcus elongatus BP-1」(好熱性シアノバクテリアThermosynechococcus elongatus BP-1の光化学系II複合体の分子生物学的研究)は、4章から成っている。第1章では、形質転換法の改良、第2章では、光化学系II低分子タンパク質PSII-TとPSII-H破壊株の解析、第3章では、光化学系IIの反応中心を構成するD1タンパク質をコードするpsbA遺伝子の機能解析をした。

第1章では、形質転換法の改良を目指した。まず、トップアガー法を導入することにより、コロニー形成率を大きく改善し、形質転換体のクローンを独立に単離できるようにした。また、エレクトロポレーション法だけでなく、自然形質転換でもある頻度で形質転換できることを示した。導入するDNA断片毎に形質転換効率が変動することから、内在の制限酵素の妨害を想定した。ゲノム情報からI型制限の遺伝子オペロンを見いだし、その制限酵素をコードするtll2230を破壊した。このtll2230破壊株は従来の野生株と比べて、形質転換効率が有意に上昇しており、これまでに形質転換できなかったいくつかのコンストラクトでも形質転換体が得られることを実証した。一般に、原核生物の形質転換では、1回相同組換と2回相同組換が知られているが、本種ではこれまで2回相同組換しか知られていなかった。本研究では同一のコンストラクトでカセットの挿入位置を変えたものを用意し、エレクトロポレーションでは1回相同組換の方がさらに高頻度で起こること、それにもかかわらず自然形質転換では全く形質転換体が得られないことを明らかにした。以上の結果は、自然形質転換ではDNAの分解が取込に先立って起こるため、1回相同組換で環状プラスミドを含んだコンストラクトの組込がおこらないと解釈できる。

第2章では、光化学系II低分子タンパク質をコードするpsbTとpsbHの破壊株を作製した。psbTがコードするPSII-Tタンパク質は約4.7kDaの膜貫通型タンパク質で、その破壊株の光合成活性、光独立栄養増殖の速度などは野生株とほとんど同等であった。しかし、系II複合体を単離したところ、そのほとんどが単量体であることが判明した。系II複合体の二量体は広く保存された構造であるが、その生理的意義は不明であり、特異的に二量体が失われているpsbT破壊株は二量体の役割の解明に有効だと思われる。一方、約6kDaリンタンパク質PSII-HをコードするpsbHの破壊株の場合は、多くの多重欠失表現型を示した。とくに、光独立栄養での増殖や強光下でのpsbH破壊株の増殖の速度は光阻害を受けやすいことを示した。なお、psbH破壊株から光化学系II複合体を単離したところ、PSII-Xタンパク質が結合していないことが明らかになった。その遺伝子psbX破壊株の解析をした先行研究では、QA→QB部位の反応が影響を受けるという報告がある。本研究では、複合体を単離したので、このようなアセンブリの中間体を単離することができたと考える。

第3章では、光化学系IIの反応中心D1タンパク質の部位特異変異導入を念頭において、3個のpsbA遺伝子の機能解析として、3個のうち2個を破壊して1個のpsbA遺伝子だけを残した変異株を作製した。シアノバクテリアは複数コピーのゲノムをもつので、野生型ゲノムを完全に除去する必要がある。psbA1もしくはpsbA3を残した株では完全に野生型ゲノムを除去することができたが、psbA2だけを残した株では除去できなかった。これはpsbA2の発現だけでは光合成活性の維持には不十分であることを示している。psbA1だけを残した株は光合成に依存した増殖を示したが、その速度は野生株やpsbA3だけを残した株と比べて遅く、しかも強光条件下では全く増殖できなかった。psbA1だけの株では、細胞の酸素発生活性も野生株と比べて低かったが、単離したチラコイド膜ではほとんど差が認められなかった。これは光化学系IIにおいてpsbA1は十分な役割を果たしているが、遺伝子破壊の間接的な影響で増殖が遅くなったと考えられる。一方、psbA3だけを残した株は野生株同様の増殖、光合成活性を示した。これらの結果は、反応中心D1タンパク質の部位特異変異の導入の対象としてはpsbA3がもっとも適していることが明らかになった。

これらの研究成果をまとめると、好熱性シアノバクテリアの光化学系II複合体の構造、機能解析に遺伝子操作を取り込んで、総合的に解析できることを実証し、今後の詳しい解析の出発点となることを示した。これまで研究されてきた植物や常温性シアノバクテリアの光化学系II複合体は不安定で、生化学解析や構造解析に適していなかったが、好熱性シアノバクテリアの系II複合体にはそのような欠点がない。一方、後者では遺伝子操作法の整備が不十分であった。本研究の意義はこのような問題点を解決すべく、好熱性シアノバクテリアT. elongatusの形質転換法を大きく改善し(第1章)、これまでの細胞レベルの変異株の解析では見えなかったPSII-Tタンパク質の系II複合体の二量体化、PSII-Hタンパク質によるPSII-Xタンパク質の安定化などを明らかにし(第2章)、反応中心D1タンパク質をコードする3個のpsbA遺伝子の機能解析(第3章)を通して、将来の部位特異変異導入と結晶構造解析への道筋をつけたことにある。

なお、本論文の第1章は、加藤浩、耿暁星、池内昌彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究の立案、遂行を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク