学位論文要旨



No 118760
著者(漢字) 小林,真理
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,マリ
標題(和) Synechocystis sp. PCC6803 の酸化ストレス応答機構の解析
標題(洋) Analysis of oxidative stress-mediated gene regulation in Synechocystis sp. PCC 6803
報告番号 118760
報告番号 甲18760
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第479号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池内,昌彦
 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 助教授 和田,元
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 教授 大森,正之
内容要旨 要旨を表示する

呼吸や光合成を営むすべての生物にとって、酸化ストレスは避けることのできない重大な問題である。呼吸鎖ではNADH脱水素酵素により電子が酸素に渡されることで活性酸素が生じる。光合成の電子伝達系では、光化学系Iの還元側で酸素自体がHill酸化剤として働くメーラー反応による活性酸素の生成や、光化学系IIではクロロフィルからの余剰な励起エネルギーの酸素への移行による一重項酸素の生成が知られている。これに対し生物は効率のよい活性酸素防御システムを構築してきた。まず、直接的な活性酸素の消去システムとしてスーパーオキシドジスムターゼ(SOD)やカタラーゼ、ペルオキシダーゼなどの抗酸化酵素と、それらと共役して働くグルタチオンやチオレドキシンなどの還元力を供給するタンパク質、また、鉄イオンの安定化に寄与しているフェリチンなどがある。また、二次的な防御システムとして、障害を受けたDNAやタンパク質に対する修復酵素系がある。これらのシステムが常に複合的に機能することで、生物は酸化ストレスから身を守ることができる。

近年、数多くのゲノム解析の進行やマイクロアレイ技術の発展によって、遺伝子発現の網羅的な解析が可能となり、ストレス応答機構の分子レベルでの解明に大きな成果をあげている。すでに大腸菌や酵母では、活性酸素のセンサーとして働くOxyRやSoxRSなどの転写因子が知られており、その制御下の遺伝子や発現調節のしくみについても数多くの知見がある。これに対し、さらに酸化ストレス応答機構が発達していると考えられる光合成生物では、活性酸素センサーに関する知見は皆無であり、活性酸素防御機構についても不明な点が多い。原核光合成生物であるシアノバクテリアにおいては、植物の葉緑体で主要な抗酸化酵素として働くアスコルビン酸ペルオキシダーゼが存在せず、活性酸素防御の中心的な役割を担う抗酸化タンパク質についてほとんどわかっていない。

私は、シアノバクテリアの中でも遺伝子操作が容易で全ゲノム情報がすでに決定され、ポストゲノム解析が進んでいるSynechocystis sp. PCC 6803に注目し、活性酸素の応答機構の分子レベルでの解明を目指した。

1.酸化ストレスに応答する遺伝子発現の網羅的解析

Synechocystis sp. PCC 6803において活性酸素が遺伝子発現にもたらす影響を、マイクロアレイを用いて網羅的に調べた。異なる活性酸素種による遺伝子発現の特異性、または共通項を明らかにするために、メチルビオロゲンと、過酸化水素による処理を野生株に施し、それぞれについて未処理株と比較した。メチルビオロゲンは光化学系Iの電子受容体として働き、受け取った電子を酸素に渡すためにスーパーオキシドが産生されることが知られている。

マイクロアレイの結果、メチルビオロゲン処理株で野生株に比べて発現が2倍以上に誘導された遺伝子は27個あり、その中でもsll1621の発現が26倍と著しく誘導されていた。sll1621は他の生物で知られている抗酸化酵素ペルオキシレドキシンと相同性があり、ゲノム上sll1621の上流には推定転写因子slr1738が逆向きに位置していた。slr1738遺伝子の発現もまたメチルビオロゲンによって誘導されており、Slr1738タンパク質がsll1621の発現調節に関与する可能性が考えられた。また、有意に誘導されたslr0074とslr0075遺伝子はゲノム上で同一方向に隣接して並んでおり、そのすぐ上流には転写因子sll0088が逆向きに存在した。slr0074とslr0075は大腸菌のsufオペロンに相同性があり、大腸菌の過酸化水素処理株においてもまたsufオペロンの発現が高く誘導されることが報告されている。sll0088は誘導された遺伝子リストには含まれないが、Sll0088タンパク質がslr0074、slr0075遺伝子の発現調節に関与する可能性が考えられた。一方、メチルビオロゲン処理によってSODやカタラーゼなどの既知の抗酸化タンパク質は誘導されなかった。

過酸化水素処理株では、メチルビオロゲン処理株よりもさらに多い35個の遺伝子が、野生株に比べて2倍以上に誘導された。その中には、メチルビオロゲン処理でも誘導されたsll1621やslr0074、slr0075を含む7つの遺伝子が共通していた。この遺伝子リストの中にもSODやカタラーゼなどは含まれなかったが、近年バクテリアで報告されている新規抗酸化タンパク質(Bcp)と相同性のあるsll1159が見出された。sll1159の下流にあるsll1160もまた過酸化水素により誘導され、ゲノム上これらの遺伝子の上流には転写因子slr1245が逆向きに位置していた。また、隣り合って存在するsll1404、sll1406、slr1484、slr1485は過酸化水素処理によって有意に誘導されており、これらの近隣にある転写因子sll1408もまた、発現が誘導されていた。sll1159とsll1160、sll1404とその近隣遺伝子の発現はメチルビオロゲン処理株では誘導されないため、これらの遺伝子は過酸化水素により特異的に誘導される遺伝子であるといえる。

酸化ストレスに応答するレギュロンの解析

Slr1738がsll1621を調節している可能性を検証するために、slr1738破壊株を作製し、マイクロアレイによって通常条件下における遺伝子発現を野生株と比較した。その結果、slr1738破壊株ではsll1621の発現が最も高く誘導されていた。また、メチルビオロゲン処理により誘導された遺伝子リストと比較すると、sll1621の他にsll1620も共通していた。このことから、Slr1738は通常条件下ではリプレッサーとして機能することが示唆された。次に、Slr1738のターゲットを同定するため、Slr1738をヒスチジンタグ融合タンパク質として大腸菌内で発現・精製した。slr1738とsll1621の間の領域をDNAプローブとしてgel mobility shift assayを行った結果、Slr1738はこの領域に特異的に結合した。さらに、Slr1738のDNAへの親和性は、ジチオスレイトールを添加した還元的環境で特に促進され、過酸化水素を添加した酸化的環境では結合が阻害された。このことから、Slr1738は還元的環境でSll1621の発現を抑制し、酸化ストレスに応答して抑制を解除するリプレッサーであることが強く示唆された。同様にsll1620とslr0589の上流配列をそれぞれプローブにしたgel mobility shift assayを行ったところ、ジチオスレイトール存在下においてSlr1738の特異的な結合が観察された。

Slr1738の制御下にある3つの遺伝子はすべて機能未知の遺伝子であったため、それらの生体内での役割を調べるためにsll1621とsll1620のそれぞれの破壊株を作製しその表現型を調べた。興味深いことに、sll1621破壊株は嫌気条件下でのみ野生型遺伝子が薬剤耐性カセットに完全に置換された。また、sll1621破壊株はプレート上弱光下ですでに増殖の阻害が観察され、液体培養でも中光下で増殖の阻害がみられた。さらに、強光下や酸化ストレス条件下では完全に増殖が阻害された。以上のことから、Sll1621はSynechocystisの新規の抗酸化タンパク質であることが強く示唆された。sll1620破壊株は、通常条件下では野生株に比べて増殖に違いはみられなかったが、2.5μMのメチルビオロゲン存在下では若干増殖が阻害された。sll1620のホモログは植物やシアノバクテリアで広く存在していたが、他のバクテリアなどには見当たらなかった。これらのことから、Sll1620は新規の抗酸化タンパク質の可能性もあるが、その役割はsll1621よりも補助的なものだと考えられる。

Sll0088についても同様に、そのターゲット遺伝子の同定を試みた。sll0088、slr0074に関してはすでに破壊株が作製できない必須遺伝子であることが報告されている。本研究ではSll0088をヒスチジンタグ融合タンパク質として大腸菌内で発現・精製し、gel mobility shift assayを行った。sll0088とslr0074の間の領域をDNAプローブとしたところ、Sll0088はこの領域に特異的に結合した。Slr1738と同様、Sll0088のDNAへの親和性は、ジチオスレイトールを添加した還元的環境で促進された。このことから、Sll0088は還元的環境でslr0074の発現を抑制するリプレッサーであることが強く示唆された。

以上の結果から、酸化ストレス環境でのマイクロアレイのプロファイリングをもとに、4つの酸化ストレス応答レギュロンの候補を抽出し、そのうち2つに関しては実験によりその可能性を強く示唆する結果が得られた。これは、光合成生物において酸化ストレスに応答する転写因子とそのターゲットを同定した最初の報告である。本研究で見出された酸化ストレスで誘導される抗酸化酵素(Sll1621、Sll1159)やSlr0074、Slr0075、Sll1620、Slr058タンパク質は植物にも保存されている。これらの遺伝子の機能や酸化ストレス応答性を植物で調べることによって、光合成生物共通の応答、防御機構を理解できると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「Analysis of oxidative stress-mediated gene regulation in Synechocystis sp. PCC 6803」(Synechocystis sp. PCC 6803の酸化ストレス応答機構の解析)は、2章から成っている。対象生物として、単細胞性シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803を用いて、第1章では、メチルビオローゲンと過酸化水素処理において変動する遺伝子群をマイクロアレイを用いて網羅的に明らかにし、その中からとくに活性酸素に応答して誘導される遺伝子クラスタを同定し、その中から見いだした新規抗酸化タンパク質をコードする遺伝子sll1621とsll1620の破壊株を作製し、前者が細胞の生存にかかわる重要なペルオキシレドキシンであること、後者も活性酸素ストレス下の増殖に必要な役割を果たしていることを示した。第2章では、上で見いだした活性酸素に応答する遺伝子クラスタなどに隣接する転写因子様遺伝子slr1738とsll0088を組換タンパク質として大腸菌で発現させ、Slr1738タンパク質がsll1621-slr1738遺伝子間領域、slr0589上流領域、sll1620上流領域に特異的かつレドックス依存的に結合するリプレッサーであることを示した。また、Sll0088タンパク質が隣接するslr0074上流領域に特異的かつレドックス依存的に結合するリプレッサーであることを示した。

第1章では、活性酸素に応答する遺伝子群をDNAマイクロアレイを用いて網羅的に明らかにした。これまで、光合成生物における活性酸素応答の分子機構はほとんど不明であった。本研究では、単細胞性シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803を用いて、メチルビオローゲン処理で誘導または抑制される遺伝子を検出した。15分処理ではsll1621など27個の遺伝子の発現が誘導、60分処理では、sll1621など17個の遺伝子の発現の誘導が確認された。両者で共通して誘導されたのは9個(sll1621, slr0074, slr0075, sll0503, sll1542, slr0373, slr0513, slr0589, and ssr0692)であった。また、発現比で見ると、15分処理の方が遺伝子の変動が大きい傾向があった。一方、過酸化水素15分処理では、35個の遺伝子が誘導された。これらには、メチルビオローゲンと共通するものとしてsll1621やslr0074, slr0075などが見られたが、固有のものとしてsll1159, sll1160なども新たに見いだされた。これらのうちでもっとも発現が誘導されていたsll1621について、その破壊株を作製した。シアノバクテリアは多コピーゲノムをもっており、遺伝子破壊株の作製においては野生型DNAが完全に除去される必要がある。sll1621破壊株では、プレート培養では嫌気状態でのみ野生型DNAを除去することができた。また、作製した破壊株は好気条件ではプレート上で増殖するものの死滅しやすいこと、液体培養でも中光下で増殖阻害をおこし、強光下でやがて死滅した。sll621がコードするタンパク質はペルオキシレドキシンと呼ばれる一群のペルオキシダーゼと弱い相同性を示す。したがって、sll1621破壊株の表現型は、Synechocystisにおけるもっとも重要なペルオキシダーゼであることを示している。また、過酸化水素でのみ誘導されたsll1159も別のペルオキシレドキシン様のモチーフをもっており、これまで指摘されてきたカタラーゼなどの遺伝子ではないものが活性酸素ストレスへの順化に重要な役割を果たしていることが初めて明らかになった。

第2章では、前章で明らかになった活性酸素に応答して発現誘導を調節する転写因子を同定し、活性酸素に応答する新たなレギュロンの存在を明らかにした。sll1621遺伝子の上流には、メチルビオローゲンや過酸化水素で誘導される転写因子の遺伝子slr1738を見いだした。この遺伝子の破壊株を作製し、その遺伝子発現をDNAマイクロアレイを用いて野生株と比較した。その結果、57個の遺伝子の発現が野生株よりも有意に高くなっており、その中にはsll1621, sll1620, slr0589の3個の遺伝子の発現レベルの上昇は、メチルビオローゲン処理と共通していた。この推定転写因子Slr1738を大腸菌で組換タンパク質として発現させ、精製した。このSlr1738タンパク質は、slr1738-sll1621遺伝子間領域のプローブと特異的に結合し、ジチオスレイトールで促進、過酸化水素で結合の阻害が見られた。このことは、Slr1738がレドックス依存的にプロモータ領域に結合する転写因子であることを示している。この領域の塩基配列の解析から、特異なパリンドローム配列を見いだし、そのオリゴプローブに特異的に結合することを示した。さらに、Slr1738が同様の様式でsll1620やslr0589の上流にも結合することを示した。一方、メチルビオローゲンや過酸化水素で誘導される slr0074, slr0075 の上流に存在する推定転写因子sll0088の発現もやや誘導されていた。このSll0088を大腸菌で組換タンパク質として発現させ、精製した。このSlr1738タンパク質は、sll0088-slr0074遺伝子間領域のプローブと特異的に結合し、ジチオスレイトールで結合の促進が見られた。このことは、Sll0088がレドックス依存的にプロモータ領域に結合する新規転写因子であることを示している。

これらの研究成果をまとめると、単細胞性シアノバクテリアSynechocystis sp. PCC 6803において、活性酸素応答性レギュロンとして、転写因子Slr1738タンパク質は、sll1621, sll1620, slr1738, slr0589の上流にリプレッサーとして結合し、活性酸素に応答してそれらの発現を調節する単位を形成している。この発現調節の活性酸素種依存性から、Slr1738はスーパーオキシドに感受性が高い活性酸素センサーであると考えられる。一方、転写因子Sll0088タンパク質は、slr0074クラスターとsll0088の上流にリプレッサーとして結合し、活性酸素に応答してそれらの発現を調節しているが、まだ破壊株が得られていないため、これら以外の標的遺伝子があるのかどうか不明である。さらに、本研究により過酸化水素で誘導される別のレギュロン候補(転写因子Slr1245と標的sll1158クラスタ)も見いだされた。その制御様式からSlr1245は過酸化水素センサーであると考えられた。また、新規抗酸化タンパク質 (Sll1621, Sll1620)も新たに見いだした。

以上の結果は、光合成生物における活性酸素応答性遺伝子発現調節の分子機構を初めて明らかにしたものである。植物やシアノバクテリアは水分子を光合成的に分解して、酸素と強力な還元力を発生するが、これは同時に、もっとも活性酸素を発生しやすい条件でもある。このような条件で生育・進化してきた光合成生物における活性酸素応答機構は、従来の非光合成生物の応答機構とは異なる意義と分子機構をもっている。本研究はこのような点で大きな貢献をするものと考えられる。

なお、本論文の第1章は、石塚智和、片山光徳、金久實、M. Bhattacharyya-Pakrasi、H. B. Pakrasi、池内昌彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究の立案、遂行を行っており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク