学位論文要旨



No 118765
著者(漢字) 大林(程木),夏湖
著者(英字)
著者(カナ) オオバヤシ(ホドキ),カコ
標題(和) 同時的雌雄同体であるサカマキガイの性的役割の決定過程
標題(洋) Decision-making process of gender role in the simultaneous hermaphrodite freshwater snail, Physa acuta
報告番号 118765
報告番号 甲18765
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第484号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 日本大学 教授 中嶋,康裕
 九州大学 助教授 粕谷,英一
内容要旨 要旨を表示する

緒言

多くの動物・植物の性表現は個体毎に生涯不変であるが、一部の動植物では、成長過程でオス(雄株)からメス(雌株)へ、またはメス(雌株)からオス(雄株)へ性が転換したり(経時的雌雄同体)、同一個体が雄性生殖器官と雌性生殖器官を同時に持つ(同時的雌雄同体)ことがある。Charnov (1982)は、このような生理的・発生学的な経時的性転換のタイミングを「サイズ有利性モデル」(size advantage model) によって説明した。しかし、同時的雌雄同体動物では、一時期に一方の性しかもたない性転換動物とは異なり、成熟個体はオス機能とメス機能の両方で繁殖可能であるため、状況が複雑になる。つまり、同時期にオス機能とメス機能へエネルギー資源を配分し、さらに、他個体と遭遇した場合、「自分がオス役として振舞うか、メス役として振舞うか」という性的役割 (gender role) を決定する必要性も生じる。DeWitt(1996)は、サイズ有利性モデルを同時的雌雄同体のPhysa属の淡水生巻貝に初めて応用し、サイズに依存した性的役割、すなわち小さい個体が雄役、大きい個体が雌役を取る傾向があると示した。しかし、彼の研究はいくつかの問題が未解決のままである。 (1)執着する性的役割はオス役であるとの示唆がDeWittによりなされているが、行動解析によりそれを検証した研究がこれまでにない。(2)サイズ有利性モデルでは、成熟後も成長を続ける同時的雌雄同体動物を想定していない。そのため、成長にかかる繁殖のコストを考慮した性的役割決定の新しい理論的拡張が必要である。

よって、本研究は、同時的雌雄同体の巻貝サカマキガイ(Physa acuta)を対象に、体サイズに依存した性的役割の決定機構に関して、これらの問題の解明を試みた。

サカマキガイの野外での季節消長と体サイズの季節的推移

サカマキガイはヨーロッパ原産の淡水生巻貝で、日本全国の田畑や側溝、池などに広く分布する。サカマキガイの体サイズ分布の季節的推移を把握するため、静岡県掛川市内の2つの池、1つの側溝において調査を行った。その結果、繁殖期は5月〜9月であり、この期間に何度も交尾・産卵を繰り返す。卵から孵った稚貝は、初夏から夏の高温期には14日程度で性的に成熟し、繁殖個体に加わる。成熟個体の寿命は14日程度と推測される。水温が10℃以下になる11月以降、池の水際では個体が観察されなかったが、これは水温の低下に伴い、池の底や泥の中に潜っていると考えられる。また、水深が浅い側溝でも11月以降は水面付近に個体はおらず、泥の中に潜っていた。これらの個体は翌年に産卵をする越冬個体である可能性が示唆された。

野外個体群・実験個体群を用いた体サイズと性的役割の関連

DeWitt(1996)は、サイズ有利性モデルの予測を同時的雌雄同体の性的役割に初めて適用した。サカマキガイの近縁種P. heterostrophaの野外個体群で、交尾ペアを採集、体重を測定し、体サイズの大きい方がメス役、小さい方がオス役になる傾向を示した。しかし、彼の結果では、観察した個体群の体サイズ頻度分布が測定されていない。より厳密に検証するためには、体サイズ分布が既知の状態で、ランダムに2個体を取り出してペアにしたときの統計量の分布と比較して、大×小のサイズ差の大きいペアが有意に起こりやすいか否かを検定しなければならない。さらにDeWitt(1996)は執着する性的役割はオス役であると示唆しているが、行動解析をした研究がこれまでにない。個体はオス・メスどちらの性を積極的に取りたがるのだろうか。これらの問いに答えるため、以下の設問に答える実験を計画した。実験(1)サカマキガイの野外採集個体群では、体サイズと性的役割に関連があるか?実験(2):2個体が遭遇した時、同サイズ同士と異サイズ同士で配偶行動に差が生じるか?実験(3):体サイズの異なる相手を選べる3個体の条件で、小さい方が積極的にオス役になりたがるか?

実験(1)では、野外から採集したばかりのサカマキガイ個体群を水槽に入れて暗期で4時間観察し、交尾ペアの体サイズを測定後、個体群全体のサイズ分布を求め、それに基づくブートストラップ検定により統計検定を行った。その結果、サカマキガイでも性的役割の体サイズ分離傾向が顕著に見られ、実際のペアの体サイズ差はランダム交配よりも有意に大きく、大きな個体がメス役、小さな個体がオス役になっていた。次に、実験(2)では、1つの容器に2個体を入れ、大×大、小×小(同サイズ)、大×小(異サイズ)、3条件を設け、暗期で16時間(4時間×4日間)の観察を行った(大と小の体重差は2倍に設定)。その結果、同サイズの大×大同士では、2個体が頻繁に役割を入れ替えて求愛・拒否を繰り返すにもかかわらず、異サイズ同士ではほとんどの場合、小さい個体のみがオス役として求愛することがわかった。また実験(3)は、大×大×小、小×小×大の組み合わせを作り、最初に交尾が観察されたペアの体サイズを記録した。その結果、大きい個体はオス役でもメス役でもよいが、小さい個体は頻繁にオス役をとっていることがわかった。巻貝の場合、オス役になる方から求愛行動を仕掛けるので、小さい個体は積極的にオス役を取っていると結論できた。

成長にかかる繁殖のコストと体サイズの関連

本実験に使用した淡水巻貝は、雌雄の両性器官が性的に成熟したあとも成長を続ける。そのため、同時期に「成長にかかる繁殖のコスト」を担うことになる。同時的雌雄同体動物で、成熟後も成長し続ける動物について、成長にかかる繁殖のコストを導入したサイズ有利性モデルの理論的拡張は、これまで行われていない。そこで、本研究では様々な齢・体サイズの個体を野外から採集し、実験室内で1個体ずつ分けて死ぬまで飼育し、累積産卵数と体重の変化を測定した。その結果、実験開始から90日後において、成長速度と実験開始時の体重、成長速度と累積産卵数の間に負の相関が見られた。つまり、小さい個体の方が成長速度は速く、累積産卵数は少ない。また実験開始時の体重と90日間の累積産卵数の間には有意な正の相関が見られた。これらのことから、成熟後も繁殖を続ける本種の性的役割は、成長にかかる繁殖のコストの影響をうけていると言える。つまり、小さい個体は成長に多くエネルギー資源をまわすため累積産卵数が少なく、体サイズの大きい個体は成長への投資をほとんど必要としないため、より多くのエネルギー資源を繁殖にあて、多くの卵を産むことができる。このことから、小さな個体がオス役を取るのは、エネルギー資源を成長により多く当てるため、コストの少ない精子に投資し、オス役になることを選好するためと考えられる。成長にかかる繁殖のコストをサイズ依存的な性的役割と関連づけて定量的に分析したのは、本研究が初めてである。

体サイズと繁殖のコストを取り込んだ個体ベースモデルによる性的役割決定過程の解析

これまでの結果から、体サイズと性的役割の間には、成長にかかる繁殖のコストを介して密接な関連があり、小さい個体は繁殖のコストの小さいオス役になることを積極的に選び、獲得資源を成長に回す傾向が強いことが浮かび上がった。では、小さい個体がオス役を積極的に取る状態から、成長を経て、オス役・メス役どちらの役割にでも切り替えられる進化的に安定な変化パターンはどのように決まっているのだろうか。これには幾つかの要因が絡む。それは、(1)自分自身の体サイズ(成熟後も成長を続ける)、(2)遭遇した相手の体サイズ、(3)交配したとき、オス役になり精子を提供した場合とメス役になり卵塊を産んだ場合の、各々の成長率を抑制するコストを考慮した成長方程式、(4)交尾・産卵後、精子もしくは卵を再生産するのに要する休憩の時間的コスト、である。これらによって、自分の取る性的役割を通じた繁殖成功度への寄与と、成長にかかる繁殖のコストの形式が変わってくる。

これらの要因を組み込んだ個体ベースモデルでは、体サイズと関連したシグモイド型の性的役割指向性を示す「メス指向関数」を各個体に持たせた。このメス指向性関数は、その勾配と変曲点の横軸座標値を遺伝的形質として有する。いわば、反応基準のような、遺伝子型×環境相互作用を反映した「関数値形質」である。アプローチを仕掛けられた個体は、自分の体サイズおよびメス指向関数値と、出会った個体のそれらの値を比較し、しかけてきた相手との間に、メス指向関数に推定誤差上乗せした以上の差がある場合に、メス役となって交尾が成立するよう設定した。このようなモデル解析により、どのような性的役割の変化パターンを持つ個体が進化するかを解析した。その結果、繁殖のコストの性差が比較的小さいときは、体サイズが小さいときはオス役になり、体が大きくなるにしたがって徐々にメス役を取る頻度が上がる傾向が示唆された。また、繁殖のコストの性差について、オス役ではそのコストが極端に小さく、メス役では極端に大きいと仮定した場合、メス指向関数は、立ち上がりの勾配がより急な方向に進化し、体サイズに依存した性的役割の切り替えがよりはっきりと現れた。

これらのシミュレーション結果をもとに、体サイズに依存した性的役割の進化を考察した。

総合考察

サイズ有利性モデルを同時的雌雄同体動物に適用し、体サイズと性的役割の行動解析により、以下の3点が明らかとなった。(1)体サイズの小さい個体が執着する性的役割はオス役であること。(2)産卵が可能であっても、体サイズが小さいと、エネルギー資源の配分において成長にかかる繁殖のコストが存在するため、より多くのエネルギー資源を成長にまわし早く大きくなれるオス役を取った方が有利であること。(3)メス指向関数と体サイズを用いた個体ベースモデルの解析により、体サイズの小さい個体はオス役をとり、成長が進み繁殖のコストが軽減される大きいサイズになった時にメス役とオス役を合わせて取る(ややメス役の頻度が大きい)個体が進化すること。

同時的雌雄同体動物でのこのような性的役割と体サイズの関連を、行動解析まで行って解析したのは、本研究が初めてである。また個体ベースモデルを構築し、成熟後も成長を続ける同時的雌雄同体において、オス役に執着する小さい個体の状態から、オス・メス両方の役割を行う方向への切り替えの進化的に安定な変化パターンを解析した。これらの解析により、同時的雌雄同体動物での性的役割(行動的意思決定)と体サイズ(成長にかかる繁殖のコスト)の密接な関連性を初めて明確に示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

生物界には雄と雌両方の機能を併せ持つ雌雄同体の性表現が存在し、それは植物だけでなく、動物にも少なからず見られる。性表現の進化は進化生物学の大きな課題の一つである。ある種の魚類・環形動物・軟体動物などには、状況に応じて雄・雌いずれかの性表現に切り替える経時的雌雄同体と、同時に雄・雌両方の成熟した生殖器官を持つ同時的雌雄同体とが見られる。本論文は、淡水産巻貝の1種で同時的雌雄同体であるサカマキガイ(Physa acuta)を対象に、その配偶行動上の性的役割(gender role)がいかにして決定されるかを、実験と進化シミュレーションによって解析したものである。

本論文は全体で6章からなり、第1章で、研究の背景として、経時的雌雄同体の性転換の進化理論(小さいときに一方の性を取り、大きくなったら他方の性に転換する現象のモデル)として広く受け入れられているCharnov(1982) の「サイズ有利性モデル」が解説される。そして、この理論を同時的雌雄同体の性的役割に最初に適用したDeWitt(1996)の巻貝の研究が紹介される。そこでは、小さな個体が雄役、大きな個体が雌役を取ることにより交尾が成立し、これはサイズ有利性モデルの予測に従うとのDeWittの見解が示される。本論文は、後に続く章で、これに反する結果を示していくことになる。

第2章では、この巻貝の野外での生活史、生息水域の環境条件と体サイズの季節変化などの調査結果が、基礎データとして述べられる。そして、第3章では、まず、野外から採集した集団での交尾ペアを調べて、小さい個体が雄役、大きい個体が雌役になっている傾向を確認した。ここまではDeWittの研究と同様である。しかし、大きい個体と小さい個体を組み合わせた2個体および3個体の配偶行動の観測実験により、小さい個体はつねに雄役に執着する傾向が見られたものの、大きな個体は、相手が同様に大きな個体であった場合、雄役・雌役をほぼ半々で取るという結果が得られた。これは体サイズに応じて性を切り替えるサイズ有利性モデルからは予測されない結果である。

さらに、第4章では、野外で交尾済みのサカマキガイを採集し、両方の性機能とも成熟していることを確認した後、1個体ずつ分けて長期間飼育して累積産卵数を調べた。その結果、小さい個体は累積産卵数が少ない代わりに成長速度が高く、大きな個体では累積産卵数が多い代わりに成長速度が低い、という負の相関を見出している。これは、成長にかかる繁殖のコストとして解釈され、卵生産よりも精子生産の方が一般にエネルギー消費量が少ないので、性成熟後もさらに大きく成長を続ける巻貝のような動物では、小さい個体は雄役を取るように適応した結果であると考察した。

第5章では、これまでの結果を踏まえ、個体ベースモデルによる進化シミュレーションによって、体サイズと性的役割の間にどのような関係が進化するかをモデル解析した。このモデルは、個体ごとに成長が記述され、性成熟後、交尾したときに雄役を取ったか、雌役を取ったかに応じて、成長率の抑制効果に性差が生じる。各個体は、体サイズに依存して雌指向性を示すロジスティック関数を持ち、この立ち上がりと変曲点の2つが、個体間で変異を持つ遺伝的属性として与えられた。これにより、小さい個体が頻繁に雌役を取ったときには、その分だけ成長が大きく抑制されるので累積産卵数が少なくなる、という自然選択が生じることになる。シミュレーションの結果、雌指向性関数は初期の個体間変異の与え方によらず、ある一定の進化状態に収束し、体サイズと交配時に雌役を取る頻度の関係は、第3章の実験で見られた結果とよく一致するパターンとなった。また、成長にかかる繁殖のコストの性差を大きくすると、雌指向性関数は立ち上がり勾配が高くなる方に進化し、経時的雌雄同体の性転換パターンに近づくことが分かった。最後の第6章は、結論として全体をまとめている。

以上のように、本研究は、同時的雌雄同体動物の性的役割がいかに決定されるかについて、サカマキガイを対象に、経時的雌雄同体の性転換現象に適用されたサイズ有利性モデルを類型的に当てはめるのは誤りであることを実験的に示し、成長にかかる繁殖のコストを導入した独自の理論的拡張を行った点が高く評価された。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するに相応しいものであると認定する。

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