学位論文要旨



No 118767
著者(漢字) 近藤,章夫
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,アキオ
標題(和) 企業組織の立地展開と空間的分業 : 松下電器グループの事例研究
標題(洋)
報告番号 118767
報告番号 甲18767
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第486号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松原,宏
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
 東京大学 教授 丹羽,清
内容要旨 要旨を表示する

日本の電機・電子産業は,自動車産業と並ぶ主導産業として,全国各地の工業地域において大きな比重を占めるにいたったが,海外生産や国内での新規事業への転換などで国内工場の再編が進展している.産業立地の観点でみると,電機・電子産業では生産機能別に階層的に生産工場が立地し,各地で関連下請企業を中心とした域内取引連関(地域的集積)が形成されるなど,空間的な「分散」が特徴であった.しかし,事業展開のグローバル化が進むことで,海外と競合する生産機能に再編の圧力がかかり,電機・電子産業の国内生産システムに変動が生じていると考えられる.以上の問題意識から,本論文では,1980年代後半以降における電機・電子産業の国内生産システムの変動を,企業内空間的分業の組織的な再編成と捉えて,個別具体的な事例にもとづき多面的に検討した.研究対象は,代表的な日本企業の1つである松下電器産業グループである.これまで電機・電子産業の経済地理学的研究では,各地の地域的集積に関する事例研究や大企業の階層的立地に関する類型化については蓄積がみられたが,大企業を頂点として関連下請企業までを「系列」的組織として統一的に検討する視角に欠けていた.そのため,1企業グループの事例から多層的な空間スケールにまたがる国内生産システムの一端を解明することを試みた.

製造業大企業の立地行動や生産システムをめぐる問題を研究の上で扱うためには,経済環境の変化をふまえた新たな研究視角の検討が必要である.従来の研究視角はフォーディズム生産体制を前提にしていたが,80年代以降はフレキシブル生産システム,垂直分割・水平分割型企業間ネットワーク,「新」産業集積などを特徴とするポストフォーディズム論が喧伝されている.このような動向のなかで,欧米圏の経済地理学・産業立地論では,様式化された企業概念の再検討が行われ,方法論の「文化論的転回」や「制度論的転回」のもと,新しいアプローチが模索されている.

こうした経済地理学の方法論的な「転回」は,日本における企業内空間的分業論に関して現実的な課題をつきつけている.従来は産業構造の枠組で業界「横並び」を暗黙の前提として企業行動を捉えてきたが,経済環境が変化するなかで,企業の立地行動も戦略的な側面や企業文化のもつ意味が重要になってきている.また,大規模な電機・電子企業は巨大な企業グループとなっており,組織構造や取引連関も重層的かつ多層的になってきている.戦略的提携やアウトソーシングの多様化など「企業の境界」が曖昧になっていることも看過できない.そのため,企業内空間的分業論の前提となっていた「系列」的組織を多層的な空間スケールのもとで検証することは喫緊の課題であり,欧米圏の新しいアプローチを導入するうえでも肝要であることを提起した.

理論的検討をふまえて実証研究では,国内生産体制と組織構造について,企業内空間的分業の観点から実態分析を試みた.松下電器グループの立地展開は,全国的に拡大する過程でグループ経営としての特徴を有していた.戦後から1955年までは,守口・門真地区を中心とした近畿圏で主に生産が行われてきた.高度経済成長期に入ると,家庭用電気機器の市場拡大と呼応する形で主力家電製品を取り扱う工場の新規立地が増加することとなり,輸送費の観点から近畿圏と東京圏に「市場分割」する形で工場を分散させる製品別分業の形態をとった.また,高度経済成長期の後半以降は地方圏への部品工場の進出がみられ,安価で大量の労働力がプールされている地域労働市場を指向しながら周辺地域や縁辺地域で工場立地が進展した.こうした地方圏への部品工場の展開は,工程間分業の特徴をもっていた.松下電器グループの場合「一県一工場政策」の影響が大きく,子会社や関連会社などが周辺地域や縁辺地域に立地した.1970年代後半以降は,新規の工場立地が減少し,既存工場の設備増強や工場間の製品移管などを軸とした企業内地域間分業として発展してきた.このように形成されてきた企業内地域間分業は,80年代後半以降における海外生産の進展で,製品別・工程間分業の範囲が国内から海外への広がることで企業内国際分業へと移行し,これまでの組織構造は再編成されて国内工場の立地調整が進行していた.

また,松下電器グループの組織構造に関して,取引連関を規定する重要な機能である購買組織に着目し,協力会の組織化と下請企業の立地展開について考察した.松下電器の協栄会は,優良中小企業の囲い込みから生じた外注管理組織で長期的な取引関係をもち,親企業の購買部門責任者を中心にした組織で,部品取引の情報交換機能や原価低減・品質向上など技術支援機能を有していたことが特徴としてあげられる.しかし,協栄会も90年代以降,松下電器グループの資材費圧縮の影響を受けて変容を余儀なくされた.松下電器グループの外注取引は,完成品外注,一般外注加工,加工外注の3種類に分類される.完成品外注と一般外注加工は技術水準の高い「専門下請」や「自立型下請」であり,工程外注は親会社への依存度が高い「能力下請」・「従属型下請」の特徴を有していた.こうした外注形態ごとで90年代以降の取引連関の変容は異なっており,松下電器グループの購買戦略の影響で工程外注が激減することとなった.また,こうした外注取引を工場との近接性でみてみると,工程外注と一般加工外注の近接性が高くなっていた.「生産ラインの移動」である工程外注に限ってみると,隣接市町村圏である20km圏内にほぼ工場立地がなされていることがわかり,外注分類別の変化を金額ベースでみると工程外注の減少率がもっとも高くなっていた.そのため,近接的な外注連関が相対的に縮小することで,取引連関は広域化しつつあるといえる.

松下電器グループにおける企業内空間的分業の展開をふまえて,具体的な地域の実態分析では中核地域である守口・門真地区を取りあげた.まず,電機・電子産業における中核地域の形成に関して既存研究から論点を明らかにした.そのうえで,松下電器グループの主要な拠点が機能高度化して域外工場の統括する役割が高まりつつあることを実証した.また,守口・門真地区のもう1つの側面として,「企業城下町型」産業集積の特徴を概観した.産業集積の内部構造として機械金属関連製造業を対象に時系列で動向を検討したところ,90年代以降,域内外注連関は縮小傾向にあり,取引階層に応じて変容していることが明らかとなった.このため,守口・門真地区は中核地域として域外地域へのコントロールタワーとして「高度化」する一方で,従来からの外注連関が縮小して「企業城下町型」産業集積の特徴が失われつつあることがわかった.

具体的な工場間分業と域内外注連関の相互関係について,テレビ事業部門の事例から考察した.松下電器テレビ事業部門の生産体制は大阪府の茨木工場と栃木県の宇都宮工場で主に担われてきた.長らく両工場は市場分割型立地をとり製品別分業のもと量産拠点として機能してきた.しかし,80年代からの海外生産の進展で国内生産は縮小することとなり,海外工場との競合のなかで両工場の生産機能が明確に分化することとなる.茨木工場はマザー工場の側面をもつ開発特化型拠点に,宇都宮工場は分工場的な生産技術集約型拠点へと分業形態が変化しつつあることが明らかとなった.また,外注連関も工場間分業の変化と密接に連動しながら変化が生じている.外注連関は茨木工場と宇都宮工場で各々形成されてきた.このことは両工場の立地展開と組織的に連動しながら共栄会社が地域的に展開してきたことを意味した.しかし,国内生産の減少にともない部品調達を効率化する必要性が高まるなかで,共栄会社の選別が進展している.その変容は部品の種類,外注形態に加え,取引連関の地域的な形成過程に応じて差異がみられた.その結果,域内外注連関は縮小して,一部の優良共栄会社が両工場に部品納入するなど外注連関は広域化していることが明白となった.

松下電器グループの事例からは,主力工場のある守口・門真地区を中心に工場立地を外延化していき,経営組織,事業部門,下請構造という多層的な生産システムを地域的に分割しながら国内生産体制を形成してきたことが明らかとなった.こうした立地展開は,既存の地域間階層や地域間格差を利用することで,中核地域と周辺地域に空間的に分割することを意味した.また,企業グループの組織構造に応じて階層的な立地が展開されたことは,工場立地に企業特殊的なある種の「組織の慣性」が働く要因となったと解釈できる.そのため,経営組織や事業部門の変革は組織的慣性を通じて工場立地に影響を与えていたと考えられる.この点は従来の工業地理学の研究視角に新しいアプローチを導入する必要性があるという筆者の主張を実態分析から裏付けるものである.一方,中核地域や周辺地域における工場立地による域内取引連関の形成は,松下電器と共栄会社に共有する「地域特殊的資産」を形成してきたといえる.松下電器グループでは協栄会という共栄会社の外注取引組織が組織構造において重要な位置を占めてきたが,その変容プロセスは地域特殊的資産の形成要因によって地域間や地域内で異なった影響をみせていたと再解釈することができる.このことから,産業立地のリストラクチャリングは,立地論で捨象されるある種の地理的慣性が働くと考えられる.すなわち,経済環境の変動にともなう企業内空間的分業の変容プロセスには,企業特殊的な組織の慣性と地域特殊的な要因からなる地理的慣性が働き,それぞれが相互作用的に空間的な影響を及ぼしていることが明らかとなった.

審査要旨 要旨を表示する

グローバル化の下で,企業組織の再編と地域経済の変容が進んでいる。これまでこうした現象は,企業論と地域論といった別々の観点から扱われてきた。本論文は,電機・電子産業とりわけ松下電器グループを取り上げ,企業組織の再編が工場立地や取引関係をいかに変化させ,地域経済にいかなる変容をもたらしたかを明らかにしたもので,企業論と地域論の結合を図った点に意義がある。

本論文は,3部8章から成る。第1章では,問題の所在と聞き取り調査を中心とした本論文の研究方法および構成が述べられる。第1部「理論的検討」は2つの章から構成され,第2章では,製造業大企業の生産体制と立地行動をめぐる研究成果が,第3章では企業内の空間的分業に関する研究成果が整理されている。とりわけ,企業の立地行動に関する意思決定を経営戦略や企業文化といったより広範な社会経済的文脈から説明することの重要性や,組織論的なアプローチを企業内空間分業論に導入していく必要性が強調されている。

第2部「組織論的視角」では,第4章でまず松下電器グループの立地展開と国内生産体制の歴史的分析がなされる。大阪を中心とした近畿圏での生産から,高度経済成長期には東京圏での新規立地が増加するが,これらの工場間の関係は製品間分業の形態をとっていた。これに対し,1970年代以降の地方圏への部品工場の展開は,工程間分業の特徴を持つものであった。しかも松下の場合は,「一県一工場」という方針の影響が大きく,子会社や関連会社が国内の広範な地域に展開していくことになった。こうして形成された国内の生産体系は,1980年代以降の海外生産の進展により再編され,立地調整が進められている。

続く第5章では,松下電器の協力会組織である協栄会を中心に,下請企業の組織化の歴史,購買戦略の変化とその影響に焦点が当てられている。大企業の協力会組織に関しては,自動車産業で比較的多くの研究がみられるものの,電機・電子産業についてはほとんどなく,本論文での実態把握は貴重な成果といえる。しかも,資材費圧縮など松下電器の購買戦略の変化にともない,協栄会加盟企業数が減少,近接的な外注連関が縮小し,取引連関の広域化がみられるといった点が明らかにされており,地域経済への影響が示唆されている。

第3部「地域論的実態分析」では,工場が立地する地域に視点を移し,企業と地域との関係が詳細な実態調査に基づいて論じられる。第6章では,松下電器の本拠地である大阪府守口・門真地区を対象に,大都市内産業集積の実態と取引連関が分析されている。その結果,守口・門真地区が,中核地域として域外工場の統括拠点としての性格を強めてきていること,また生産機能の縮小にともない従来からの外注連関が縮小して「企業城下町型」産業集積の特徴が失われてきていることが指摘されている。また第7章では,テレビ事業部門を事例に,大阪府の茨木工場と栃木県の宇都宮工場との工場間分業の変化が扱われている。1980年代からの海外生産の進展により国内でのブラウン管テレビの生産は大幅に縮小してきているが,そうしたなかで茨木工場は開発特化型拠点に,宇都宮工場は量産拠点に分化してきたことが,また外注連関についても部品調達の効率化,共栄会社の選別が進んでおり,これまでそれぞれの工場を中心に形成されてきた地域的外注連関が変化し,茨木工場を中心とした一元化の動きがみられるようになったことが明らかにされている。

最後の第8章では,これまでの知見が整理されるとともに,日本的生産システムといったより大きな研究課題への発展が展望されている。

以上のように本論文は,企業の組織的再編にともなう立地変化と取引連関の変化および地域経済への影響を,企業組織特性と地理的特徴の相互関係から明らかにしたもので,新しい工業地理学の研究成果として高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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