学位論文要旨



No 118772
著者(漢字) 田村,誠
著者(英字)
著者(カナ) タムラ,マコト
標題(和) 技術変化の影響評価 : 環境対策における技術の波及効果と構造変化の分析
標題(洋)
報告番号 118772
報告番号 甲18772
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第491号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤垣,裕子
 東京大学 教授 丹羽,清
 東京大学 教授 松原,望
 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
 東京大学 教授 松橋,隆治
内容要旨 要旨を表示する

技術変化は、経済・社会活動や環境問題に複合的な影響を及ぼすと考えられる。すなわち、技術変化は環境問題の原因にもなるし、経済と環境との間にある既存のトレードオフを克服する手段にもなりえる。したがって、持続可能な社会を築いていくためには、技術変化が引き起こす経済・社会への正負双方の効果を考慮し、環境保全へのインセンティブ作りを目指していくことが肝要であろう。しかしながら、技術変化と経済、環境の相互作用に関する理解は不十分であるといわざるを得ない。これは、従来の環境対策の影響評価モデルにおいて技術変化は外生的に、いわゆる「オキ」として仮定される場合が多いことに象徴される。これらの関係の理解をするためには、技術変化に関して定性的かつ定量的な議論を行なう必要がある。こうした背景から、本稿は経済学的な方法論に基づき技術変化の影響評価を行なった。

本稿は、6章からなる。1章の序論では、技術変化と経済、環境との複雑な相互関係の存在といった本稿の研究背景について言及し、これらの関係を探求することの重要性を指摘した。

2章は、技術変化と経済、環境問題との相互関係を議論した先行研究や技術変化の分析手法を整理し、本稿の位置付けを明らかにした。はじめに、環境クズネッツ曲線仮説、誘発技術革新仮説などの諸仮説をまとめた。これらの仮説の可否はきわめて実証的な問題であり、その検証の際には技術変化が主要な分析対象となる。そこで、次に経済成長論や気候変動対策の影響評価モデルを例とした技術変化のモデル化の歴史、産業連関モデルやその関連領域における技術変化の計測方法について概説した。既存の技術変化の分析手法には、産出の成長を要素投入と技術変化に分解する成長会計などの計量経済学的な推計方法、あるいは産業連関モデルでの構造分解分析(Structural Decomposition Analysis: SDA)などが提案されている。だがこれらの計測手法は、価格効果などそれ以上の要因に分解することが難しい、ミクロ経済理論的な基礎付けが不足している、推計式がアドホック(ad hoc)で一意に定まらない、などの難点が指摘されている。

以上の問題を克服しながら技術変化の影響評価を行なうことが、本稿の主要な目的である。本稿の分析は、以下の2部構成となっている。第I部(3章)は技術の波及効果、第II部(4、5章)は技術の構造変化の分析を行なった。

第I部の3章は、気候変動問題における対応策の影響評価として技術変化の潜在的な波及効果を計測した。技術開発と環境対策とは総合的な影響を勘案して調整を図らなければならない。例えば、CO2排出量削減のための国際的な技術協力が行なわれる際には、ある部門における技術革新が他部門にも拡散(スピルオーバー)し、さらなる効率改善が刺激されることが予想される。それゆえ技術革新や技術移転の影響評価には、要素技術のエネルギー効率や限界削減費用の差といった直接的な費用効果分析だけでなく、産業間の相互依存関係などに注目した間接的な影響も考慮することが要求される。つまり、技術革新が起きたときに産業部門構造にどのような影響があるのか、あるいは技術革新が環境の持続可能性にいかに貢献するか、といったことをより定量的に探る必要がある。そこで、3章は産業連関モデルを応用した技術革新の誘発効果の推計手法をCO2排出削減対策の影響評価に適用した。当手法は、構造分解分析では定量化の困難な技術変化の潜在的な波及効果を試算するものである。このとき、プロセス革新とプロダクト革新の2つの技術革新に区別した分析を行なうことができる。そして、日本と中国を対象事例として各技術革新が起きた場合のスピルオーバー効果を測定し、技術変化によるCO2排出削減の有効性を検証した。その結果、プロセス革新のスピルオーバー効果はプロダクト革新よりも大きいこと、産業部門によって技術革新の多様な影響が存在すること、中国は日本に比べてスピルオーバー効果の程度が大きいことなどが確認された。中国でのCO2削減に向けた技術革新や技術移転は、先行研究で指摘されているような限界削減費用の安さだけでなく、潜在的な波及効果の観点からも有効であることが示唆される。

第I部の3章は、ある1時点の産業構造を前提とした場合の波及効果、技術構造を捉えていた。一方、第II部の4章や5章は複数時点にわたるデータから、経済活動や物質フロー、あるいは第I部で所与とした技術構造の時系列変化とその構成要因を探求することを目指した。これらの帰属要因を探ることは、過去に起きた変化を理解するという文字通りの意味だけでなく、将来への対応を検討する際にも有意義である。まず、4章は日本を対象として生産量変化、CO2排出量の変化に関する構造分解分析を実施した。構造分解分析は、経済活動や物質フローの時系列変化について間接効果を含んだ各要因を区別できる比較的簡便な方法として知られている。分析の結果、CO2排出量増加には最終需要効果が増加要因となっているのに対して、レオンチェフ逆行列効果が減少要因として寄与していることなどが明らかとなった。したがって、技術変化と経済や環境との関係を議論する際には、レオンチェフ逆行列効果に反映される投入技術構造を評価することが求められる。そこで、次に投入係数行列の変化に関する分解分析を行なった。こうした構造分解分析を日本の事例に適用したことは、実証的な観点から本稿の貢献に位置付けることができる。

4章には、もう一つの主題があった。それは、これらの分解分析の可能性だけでなく、これまで暗黙に仮定された前提条件やその分析限界を浮き彫りにすることである。分解分析の理論的整理や前述の分析を通じて、経済理論的な脆弱性が存在する、解釈の妥当性の担保が難しい、価格代替効果を明示的に扱えない、といった問題が構造分解分析において存在することが明らかとなった。以上のように理論的分析と実証的分析の双方から、4章は技術変化に関する新たな分析方法の必要性、そして5章の研究動機を確認することにも役立ったといえよう。

4章の構造分解分析をはじめとする既存の技術変化の分析事例からの問題提起を受けて、5章はダブル・カリブレーション法による技術変化の計測手法を提案し、それを適用した分析を行なった。当手法は、応用一般均衡モデルによるシナリオ分析においてしばしば用いられるカリブレーション法を応用して、多時点間の技術変化に関するパラメータを決定論的に推計するものである。当手法において、2時点間の単位要素投入の変化で表される全技術変化(total technological change: TTC)は、価格誘発技術変化(price-induced technological change: PITC)と要素偏向型技術変化(factor-biased technological change: FBTC)に分けられる。PITCは代替弾力性と相対価格の変化を反映し、価格代替効果を表現している。一方、FBTCは価格代替効果で説明されない要素投入の変化を捉えている。こうして、現実の時系列データに観察される一連の変化を一般均衡理論に基づき個々の要因に分けられることが当手法の第一の強みである。これは、従来の技術変化の計測方法、特に構造分解分析にミクロ経済理論的な基礎を付与するとともに、価格代替効果を明示的に扱った分析手法と解釈される。当手法のもう一つの実用的な利点は、データの利用可能性や効率性である。計量経済学的手法においては長期時系列データが必要となるが、当手法は最低2時点の比較的詳細なデータセットが揃えばパラメータを特定できる。これらの特徴によって、当手法は理論的基礎の脆弱性やデータ制約といった構造分解分析や計量経済学的手法が持つ難点を補うことができる。

ここでは、当手法の分析事例として日本の石油危機期の技術変化を扱った。当時は、エネルギー価格の変化に伴う技術変化を検討するための典型例であるだけでなく、炭素税をはじめとする現在の環境政策の経済的手段に関する議論へも示唆を与えることが見込まれる。価格変化が技術変化に影響を及ぼすことは当時を分析対象とした計量経済学的推計でも確認されており、価格代替効果による技術変化を分離する当手法の有用性が裏付けられている。その結果、一定の代替可能性を想定した場合には1970年代のエネルギー部門での単位要素投入の減少は価格誘発技術変化で概ね説明されることが示された。5章はダブル・カリブレーション法を技術変化の計測に適用したわけだが、当手法自体はさらにパラメータの推計全般の地平を切り拓くものとみなすことができる。ここでは、当手法の制約条件を変更することで一般均衡条件に合致した形式で代替弾力性などその他のパラメータを求める、といった発展的な応用方法を提示した。当手法を既存の分析手法と補完することで、より広範な分野へ応用可能であることが期待される。

6章は、結語として本稿全体を振り返った。本稿は、技術変化の影響評価として技術の波及効果と構造変化に注目した分析を実施してきた。これらの分析枠組を既存の分析枠組と相補的に用いることによって、技術変化が経済、環境問題に与える相互の複合的な影響に対する理解を深めることに大きく貢献できるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

技術変化は、環境問題において重要な役割を果たしている。しかしながら、従来の環境対策の影響評価モデルにおいて技術変化は外生的なものとして扱われることが多く、技術変化と環境との相互作用に関する理解は不十分なものにとどまっていた。本論文の意義は、このような技術変化の影響やメカニズムを定量的に把握し、技術変化の影響評価の手法を複数示した点にある。

本論文は全6章から成る。第1章では問題の背景を整理し、第2章では、技術変化と経済・環境問題との相互関係を扱った先行研究、および技術変化の分析手法を整理し、本研究の枠組みと位置付けを明らかにしている。

第3章では、気候変動問題における対応策の影響評価として技術変化の潜在的波及効果の計測をおこなっている。例えば、CO2排出量削減のための国際的な技術協力が行なわれる際には、ある部門における技術革新が他部門にも拡散(スピルオーバー)し、さらなる効率改善が刺激されることが予想される。このスピルオーバーを計測するために、産業連関モデルを応用した技術革新の誘発効果の推計手法を開発し、CO2排出削減対策の影響評価に適用した。日本と中国を対象事例とし、各産業で技術革新がおきたときのCO2排出削減のスピルオーバー量を推計した。その結果、プロセス革新のスピルオーバー効果はプロダクト革新よりも大きいこと、日本では鉄鋼部門、中国では化学製品・窯業土石分野による他分野への影響の大きいこと、また、中国のCO2削減にむけた技術開発は、限界削減費用の安さだけでなく、スピルオーバー効果の大きさからも潜在的に有効であること、などが示された。これは国際的なCO2削減の技術協力などの場面で、中国に対して政策提案をするときなどに具体的提案の基礎となりうるデータである。

第3章では、ある1計測時点の産業構造を前提とした場合の波及効果を考えていたのに対し、第4章と5章では、複数時点のデータから多時点間にわたる技術の構造変化とその構成要因をさぐった。第4章では、日本を対象としてCO2排出量変化の構造分解分析をおこなった。CO2排出量変化の構造分解分析は、米国例の先行研究はあるが、日本のデータを用いた計算はこの研究がはじめてである。ただし、構造分解分析には、経済理論に基づく裏付けが希薄である、価格代替効果が明示的に扱われていない、などの問題点がある。そこで、続く第5章では、ダブル・カリブレーション法による技術変化の計測手法を考案している。これは、応用一般均衡モデルによるシナリオ分析において用いられるカリブレーション法を応用して、多時点間の技術変化を要因に定量的に分解して分析するものである。当手法において、2時点間の単位要素投入の変化で表される全技術変化は、価格誘発技術変化と要素偏向型技術変化に分けられる。このうち価格誘発技術変化は、価格代替効果を表現しているため、上記手法は価格代替効果を明示的に扱った分析手法と解釈できる。また、当手法のもう1つの実用的な利点は、データの利用可能性である。計量経済学的手法においては長期時系列データが必要となるが、当手法は最低2点のデータセットがそろえばパラメータが確定できる利点がある。

このダブル・カリブレーション法を用いて、日本の石油危機期の技術変化について分析を行なった。この時期は、エネルギー価格の変化にともなう技術変化を検討するための典型例であるだけでなく、炭素税をはじめとする現在の環境政策に関する議論にも関係するためである。たとえば炭素税導入の意義については、「価格」によってエネルギー消費がどれだけ押さえられるかを、データを用いて定量的に捉える必要があるのだが、これまでは捉えられていなかった。だからこそ、価格の代替効果を考える必要があった。本分析の結果、一定の価格弾力性を想定した場合には、1970年代のエネルギー部門での要素減少型技術変化は、価格誘発技術変化で説明されることが示された。

第6章はこれらの成果の位置付けを論じている。

以上のように、本論文は、技術変化の影響評価を、スピルオーバー効果の計測、構造分解分析、ダブル・カリブレーション法の応用、という3側面から行い、既存研究では得られなかった技術変化の影響評価の計測に成功している。とくに最後の手法の開発では、少ないデータセットでパラメータの推計を行なう新たな手法を提案しており、既存の分析手法と比較して、より広範な範囲に応用可能であると考えられる。このように、本論文は、技術変化の経済、環境問題に与える複合的影響を定量的に分析する上でオリジナルな知見を提供している。よって、本審査委員会は全会一致で、本論文を博士(学術)の学位に相応しいものであると認定した。

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