学位論文要旨



No 118776
著者(漢字) 糸井,充穂
著者(英字)
著者(カナ) イトイ,ミホ
標題(和) 鉄混合原子価錯体(n-CnHzn+1)4N[FeIIFeIII(dto)3] (n=3-6 ; dto=C2O2S2)における電荷移動相転移と強磁性の研究
標題(洋) Study on Charge-Transfer Phase Transition and Ferromagnetism of Iron Mixed-Valence Complexes (n-CnHzn+1)4N[FeIIFeIII(dto)3] (n=3-6 ; dto=C2O2S2)
報告番号 118776
報告番号 甲18776
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第495号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 菅原,正
 先端科学技術研究センター 教授 橋本,和仁
 東京大学 助教授 前田,京剛
内容要旨 要旨を表示する

【序】

金属イオンのスピン状態がスピンクロスオーバー領域にある集積型混合原子価錯体では電荷移動転移とスピンクロスオーバー転移が連動した特異な相転移を起こす可能性を持っており、従来のスピンオーバー現象を超える新現象が期待される。このような観点から非対称な配位子 dithiooxalato(dto) を架橋とする鉄混合原子価錯体(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]が合成された。この物質の構造は類似のオキサラート架橋混合原子価錯体の構造の類推から、非対称な配位子 dto を架橋としてFeIIとFeIIIが交互に結合し、2次元蜂の巣構造をとることが予想される。近年この物質において電荷移動相転移と呼ばれる新しいタイプの1次相転移が発見された。電荷移動相転移の機構は図1のように表わされる。T > 120 KではFeIIは高スピン状態(HS ; S = 2)、FeIIIは低スピン状態(LS ; S = 1/2)をとるが、約120 KでFeIIからFeIIIへ電子が1つ移動し、低温側でFeIIは低スピン状態(LS ; S = 0)FeIIIは高スピン状態(HS ; S = 5/2)をとる。この相転移は可逆的におこる。電荷移動相転移は孤立した錯体で起こるスピンクロスオーバー転移とは異なり、2サイト間を介した高スピンー低スピン転移といえる。さらに7K以下では、FeIIが非磁性であるにもかかわらず約10ÅはなれたFeIII(S = 5/2)スピン同士が強磁性的に整列する。この強磁性の発現にはFeII−FeIII間の電荷移動相互作用が大きく関わっているものと考えられ、注目されてきた。

申請者は、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]で発見された新しい型の相転移である電荷移動相転移および超交換相互作用では説明できない強磁性転移の発現機構を解明するため、(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3] (n = 3 - 6)を合成し、磁性を中心とした電子物性について種々の物性測定により、系統的な研究を行った。

【結果】

電荷移動相転移のメカニズムを解明するには、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]の詳しい構造解析は必須である。しかしながらこの物質は、FeIIがメタノール・エタノール混合液中で酸化されやすいために結晶化が困難であるとされてきた。申請者は(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]の単結晶化とその構造解析に成功し、(n-C3H7)4N[CoIIFeIII(dto)3]や類似の oxalato 錯体(n-CnH2n+1)4N[MnIIFeIII(ox)3]と同様に 2 次元蜂の巣構造をとることを明らかにした(空間群P63 ; a = 10.0618(5)、c = 16.0434(7))。

(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]の電荷移動相転移と強磁性の異方性を調べるために、単結晶における磁化率と電気伝導度の異方性を測定した。磁化率測定から、この物質では[FeIIFeIII(dto)3]∞面内の磁化が面間に比べ約5倍大きく、スピン容易軸は面内方向に位置することを明らかにした[4]。また電気伝導度測定から面内・面間とも電荷移動相転移点で電荷移動に基づく特異な電気伝導度の増幅が観測された。FeII - FeIII原子間の電荷移動は[FeIIFeIII(dto)3]∞平面内では、カチオン層による絶縁層を挟む面間に比べて 1 桁電気伝導度が高いことを明らかにした。

電荷移動相転移点では、相転移に伴う格子変化が期待される。そこで、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]において、低温粉末X線回折および低温単結晶X線回折により、低温における格子定数と体積変化を調べた。a軸方向( [FeIIFeIII(dto)3]面内)では、300 Kから 100 Kの間ではa軸の変化が見られないが、電荷移動相転移点において急激にa軸が0.1 Å収縮し、さらに低温領域では再びa軸の変化は見られない。一方c軸( [FeIIFeIII(dto)3]面間)では、室温から100 Kにかけてc軸は単調減少するが、電荷移動相転移点で0.1 Å膨張し、80 K以下ではほとんどc軸の変化が観測されない。結果として単位体積は室温から単調に減少し、電荷移動相転移点ではa,c軸の伸縮の相殺により顕著な体積変化が観測されなかった。この結果は中本らによって示された比熱の結果と一致している。比熱の測定結果によると、電荷移動相転移における全エントロピーは9.20 JK-1mol-1 であり、そのうち低温相と高温相のスピンエントロピーの差は、4.25 JK-1mol-1で約半分を占めている。この値は典型的なスピンクロスオーバー錯体である[Fe(phen)2(NSC)2]のスピンクロスオーバー転移に伴う格子振動のエントロピー変化(35JK-1mol-1)に比べて非常に小さく、本物質の電荷移動相転移はスピンエントロピー駆動による相転移といえる。

(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]で起きる電荷移動相転移と強磁性相転移の関係を解明するために、カチオン(n-CnH2n+1)4N+をn = 3 - 6まで変化させて系統的に合成し、カチオンサイズがこれらの相転移に及ぼす効果(chemical pressure effect)を調べた。その結果、n = 3 - 6のすべての物質において強磁性相転移が確認されそれぞれの転移温度は、TC = 7 K , 7 K (&13 K), 19 K, 25 K)であった。n = 3, 4では電荷移動相転移が起こり、低温相におけるFeIIの低スピン状態 (S = 0)とFeIIIの高スピン状態 (S = 5/2) が約7 Kで強磁性相転移を起こすが、n = 5, 6では常圧下で電荷移動相転移は起こらず、n = 3,4における高温相のスピン状態(FeII (S = 2)、FeIII (S = 1/2))が強磁性相転移を起こすことが明らかになった。そのため、n = 5, 6ではn = 3, 4 と比較して高い相転移温度で強磁性が発現する。

またカチオンの大きさを変化させることによる Chemical Pressure 効果をより詳細に調べるために、(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3] (n = 3 - 5) において静水圧下での磁化率測定を行い電荷移動相転移と強磁性相転移の圧力変化を調べた。(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]では、電荷移動相転移温度(TCT)は圧力に比例して上昇し、約1 GPaの圧力下でTCTが約 100 K 上昇することを見出した。これは低温相スピン状態(FeII(LS ; S = 0)、FeIII(HS ; S = 5/2))が圧力によって安定化されることを示している。一方、強磁性相転移温度TCは7Kのままで、圧力依存性を示さなかった。 (n-C5H11)4N[FeIIFeIII(dto)3]は常圧で電荷移動相転移を起こさず、Tc = 19 Kで強磁性転移を示す。この物質において圧力下における磁化率を測定したところ、0.55 GPaでTCは突然 19 K から7 Kに変化し、約 100〜175 K の間で電荷移動相転移に起因する磁化率のヒステリシスが現れた。更に圧力をかけてゆくとn = 3と同様に低温相が安定化され、TCTは圧力に対してほぼ比例して上昇した。一方強磁性転移温度は 0.55 〜 0.8 GPa の圧力領域でTC=7 K と変わらない結果を得た。

【考察】

以上の結果を考察すると (n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3]における電荷移動相転移と圧力の関係は次のように考察することができる。図 2 は高温相(HTP)と低温相(LTP)における Gibbs の自由エネルギー差を縦軸に、低温相の自由エネルギーを横軸とり、(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3]における自由エネルギーの温度変化を示したものである。n = 3 , 4では、常圧下T = 0 K の条件下で低温相の自由エネルギーが高温相よりも高いために、有限温度で高温相エネルギーと低温相エネルギーの交差がおきる。したがって電荷移動相転移は有限温度で観測される。さらに静水圧力をかけると、圧力に比例して高温相のエネルギーが高くなるために電荷移動相転移が高温で観測される(図 2(a))。一方、n = 5, 6では、常圧では高温相の自由エネルギーと低温相の自由エネルギーの交差が起きないために電荷移動相転移が観測されない。静水圧をかけると圧力に比例して高温相の自由エネルギー状態が高くなるために、有限温度で低温相の自由エネルギーと交差し、圧力誘起電荷移動相転移が観測される (図2(b))。

(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3] (n = 3 - 6)における強磁性転移温度を図3に表わした。n = 3, 4では常圧で電荷移動相転移が起こり、低温相のスピン状態が強磁性相転移を起こす。この場合、FeIIの低スピン状態が非磁性であるため、転移温度は低い。n = 3 , 4で見られる強磁性相互作用はFeIII (S = 5/2) - dto - FeII (S = 0) - dto - FeIII (S = 5/2) を介した非常に弱い超交換相互作用ではなく、FeIIとFeIII間の電荷移動相互作用が寄与しているものと考えられる。即ち2次元平面内の電子の非局在化が強磁性整列を促している。これはプルシアンブルーFeIII4[FeII(CN)6]3・15H2Oで見られる強磁性整列の機構(FeII (S = 0), FeIII (S = 5/2);TC = 5.5 K)と同じである。

一方、電荷移動相転移が起こさないn = 5, 6では、n = 3, 4の高温相に対応するスピン状態が強磁性相転移を起こすために19 K, 25 Kと高い転移温度をもつ。この強磁性相互作用としてはFeIIとFeIIIの間に働く電荷移動相互作用のみならず、FeIIIの t2g 軌道にある up スピンがFeIIの up スピン間にはたらくポテンシャル交換による強磁性相互作用が働いているものと考えられる。

(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]における電荷移動相転移の機構

(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3]における電荷移動相転移と圧力効果

(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3]における強磁性スピン配列

審査要旨 要旨を表示する

金属イオンのスピン状態がスピンクロスオーバー領域にある集積型混合原子価錯体では、電荷移動転移とスピンクロスオーバー転移が連動した特異な相転移を起こす可能性を持っており、従来のスピンクロスオーバー現象を超える新現象が期待される。近年、このような観点から非対称な配位子である dithiooxalato (dto)を架橋とする鉄混合原子価錯体 (n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]が合成され、この物質において、スピンと電荷が連動して発現する電荷移動相転移と呼ばれる新しい型の相転移が発見された。この電荷移動相転移は孤立した金属錯体で起こる通常のスピンクロスオーバー転移とは異なり、2サイト間を介した高スピン−低スピン転移といえる。さらに低温の7KではFeIIが非磁性であるにもかかわらず約10ÅはなれたFeIII(S = 5/2)スピン同士が強磁性的に整列するが、この強磁性発現にはFeII−FeIII間の電荷移動相互作用が大きく関わっているものと考えられ、注目されてきた。

本論文は、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]で発見されたスピンと電荷が連動して発現する電荷移動相転移、および超交換相互作用では説明できない強磁性の発現機構を解明するため、(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3](n = 3 - 6)を合成し、磁性を中心とした電子物性について種々の物性測定を用いて系統的な研究を行ったものである。本論文は8章で構成されている。

第1章では、本研究の関連分野における重要性と位置づけについて述べている。

第2章では、(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3](n = 3 - 6)の合成および(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]の単結晶合成について記述している。特にこの系では、成分イオンであるFeIIが合成中に酸化されやすいために単結晶の作製は極めて困難であると思われていたが、申請者は(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]の単結晶の作製に初めて成功している。

第3章では、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]を中心に、その単結晶X線構造解析および電荷移動相転移前後における詳細なX線構造解析の結果を報告している。(空間群 P63;a = 10.0618(5)、c = 16.0434(7))。X線構造解析の結果、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]は、非対称な配位子 dto を架橋としてFeIIとFeIIIが交互に結合した2次元蜂の巣構造[FeIIFeIII(dto)3]∞を形成し、この2次元層はカチオン層(n-C3H7)4N+をはさんで交互に積層した構造をもつことを明らかにした。また、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]における低温粉末X線回折、低温単結晶X線回折から低温における格子と体積変化を調べた結果、a,b軸( [FeIIFeIII(dto)3]面内)では、電荷移動相転移に伴って格子が0.2Å収縮するが、c軸( [FeIIFeIII(dto)3]面間)では、電荷移動相転移点で0.1Å膨張し、結果として単位格子の体積は電荷移動相転移点では顕著な体積変化が起こらないことを見出している。この結果は、電荷移動相転移点で格子振動に由来するエントロピー変化が極めて小さいという比熱測定の結果と良く一致している。即ち、比熱の測定結果では、電荷移動相転移点で観測されたエントロピーは9.20JK-1mol-1 であり、そのうち低温相と高温相のスピンエントロピーの差は、4.25JK-1mol-1で約半分を占めている。したがって格子振動からくるエントロピーは典型的なスピンクロスオーバー錯体にくらべて非常に小さく、電荷移動相転移はスピンエントロピーを駆動力とする相転移であると結論している。

第4章では、単結晶(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]の磁性および電気抵抗率の解析を行っている。単結晶の磁化率の測定からは、強磁性的に整列した磁気モーメントの方向[FeIIFeIII(dto)3]∞面内にあること、また電気伝導度の測定から、電荷移動相転移に伴う伝導度の特異な増幅とその異方性を見出しており、FeII-FeIII間の電荷移動は[FeIIFeIII(dto)3]∞平面内で起こりやすく、絶縁層(カチオン相)を挟む面間に比べて1桁電気伝導度が高いことを明らかにしている。

第5章では、この系で起こる電荷移動相転移と強磁性相転移について、カチオン(n-CnH2n+1)4N+をn = 3〜6まで変化させて系統的に調べている。その結果、n = 3 - 6のすべての物質において強磁性相転移が確認され、それぞれの転移温度は、TC = 7 K , 7 K (&13 K), 19 K, 25 K)であった。n = 3, 4では、それぞれ約120 Kおよび140 Kで電荷移動相転移が起こり、低温相のスピン配置、即ちFeIIの低スピン状態 (S = 0)とFeIIIの高スピン状態 (S = 5/2) が約7Kで強磁性相転移を起こすが、n = 5, 6では常圧下で電荷移動相転移は起きず、n = 3, 4の高温相に対応するスピン状態(FeII (S = 2)とFeIII(S = 1/2))が強磁性相転移を起こし、このため、n = 5, 6では比較的高い強磁性相転移温度を示すことを明らかにしている。

第6章では、(n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3] (n = 3 - 5) において、静水圧下における磁化率測定を行い、電荷移動相転移と強磁性相転移の圧力依存性を調べている。(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]では、電荷移動相転移温度(TCT)は圧力に比例して上昇し、約1Gpaの圧力下でTCTが約100K上昇することを見出し、低温相のスピン状態(FeII(LS;S = 0),FeIII(HS;S = 5/2))が圧力によって安定化されることを明らかにした。一方n = 5の場合は、常圧で電荷移動相転移を起こさず、Tc = 19 Kで強磁性転移を示すが、P = 0.55 GPaにおいてTCは突然19 Kから7 Kに変化し、約 100〜175 Kの間で電荷移動相転移に起因する磁化率のヒステリシスが現れ、更に圧力をかけてゆくと、TCTは圧力に対してほぼ比例して上昇することを見出している。

第7章では、(n-C3H7)4N[FeIIFeIII(dto)3]を対象にして、一軸性応力による強磁性転移温度の著しい上昇を見出している。これは、一軸性応力によるポアソン効果の結果、二次元蜂の巣格子[FeIIFeIII(dto)3]−∞が膨張することにより高温相が安定化し、高温相が磁気整列を起こした結果、強磁性転移温度が著しく上昇したものと結論づけている。

第8章では、第3章から第7章にわたる種々の実験結果に基づいて、(n-CnH2n+1)4N [FeIIFeIII(dto)3](n = 3 ? 6)における電荷移動相転移および強磁性の発現機構を明らかにしている。電荷移動相転移の発現機構に関しては次のように結論づけている。即ち、n = 3, 4では、常圧下T = 0 Kの条件下で低温相の自由エネルギーが高温相よりも低いために、有限温度で高温相エネルギーと低温相エネルギーの交差が起こり、電荷移動相転移は有限温度で観測される。さらに圧力をかけると、圧力に比例して低温相の自由エネルギーが低くなるために電荷移動相転移が高温で観測される。一方n = 5, 6では、常圧下では低温相の自由エネルギーが高温相よりも高いために高温相の自由エネルギーと低温相の自由エネルギーの交差が起きず電荷移動相転移が観測されない。静水圧をかけると圧力に比例して低温相の自由エネルギーが低くなるために、有限温度で高温相の自由エネルギーと交差し、圧力誘起電荷移動相転移が観測されると説明している。次に強磁性の発現機構については、次のように結論づけている。即ち、n = 3, 4では常圧下で電荷移動相転移が起こり、低温相スピン状態が強磁性転移を示す。したがって約7 Kと低い転移温度をもつ。n = 3 , 4で見られる強磁性相互作用はFeIII (S = 5/2) - dto - FeII (S = 0) - dto - FeIII (S = 5/2) を介した超交換相互作用ではなく、FeIIとFeIII間の電荷移動相互作用が寄与しているものと考えられる。即ち、2次元平面内の電子の非局在化が強磁性整列を促している。一方、電荷移動相転移が起こらないn = 5, 6では、n = 3, 4の高温相に対応するスピン状態が強磁性相転移を示すため、19 K, 25 Kと高い転移温度をもつ。この強磁性相互作用はFeIIとFeIIIの間に働く電荷移動相互作用および軌道の直交性に基づく直接交換相互作用に基づくものと結論づけている。

以上のように、本論文は、スピンクロスオーバー領域に位置する鉄混合原子価錯体 (n-CnH2n+1)4N[FeIIFeIII(dto)3](n = 3 ? 6)を合成し、その結晶構造を解明し、磁性を中心とした電子物性について系統的な研究を行うことにより、この系において発現する電荷移動相転移、および超交換相互作用では説明できない強磁性の発現機構を解明したものであり、分子磁性をはじめとする関連分野への貢献は多大なものがある。なお、本論文中の研究は、総ての章にわたって論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

よって、本論文は博士(学術)の学位申請論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク