学位論文要旨



No 118779
著者(漢字) 谷口,伸一
著者(英字)
著者(カナ) タニグチ,シンイチ
標題(和) 分子ワイヤーで連結した金ナノ粒子ネットワークの構造と導電特性
標題(洋)
報告番号 118779
報告番号 甲18779
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第498号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 助教授 村田,滋
 東京大学 助教授 松下,信之
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、ナノサイエンスの分野で注目されている金ナノ粒子を、π型分子ワイヤーを用いて連結することでネットワーク状の構造体とし、その導電特性を評価することを目指した。この目的のため、π型分子ワイヤーとして良好な導電性を示すオリゴチオフェンのα,ω-ジチオール誘導体を、設計・合成した。3種のオリゴチオフェンジチオールによって連結された金ナノ粒子のネットワーク型構造体の構造と導電特性について報告する。

第2章「分子ワイヤーの設計、合成、並びに評価」においては、金ナノ粒子を連結する分子ワイヤーとして選択された、良導電性のオリゴチオフェンジチオール誘導体の設計、合成について述べる。まず、以下の2つのタイプのオリゴチオフェンの分子設計、及び合成経路について検討した。(i) 分子骨格形成後、チオール基を導入する経路A、(ii)予めターミナル部にチオール基を導入したチオフェン誘導体を、主骨格と連結する経路B である。実際に、合成を検討した結果、経路A では、分子量の大きいオリゴチオフェンの両末端α位にチオール基を導入することは困難であることがわかった。

一方、経路B では、予めスルフィド基を有する3 量体(1)を合成し、それをコアとなる3量体(2)の両側に連結することで、収率良く9merDT(保護基 = C2H5OCOC2H4-)を合成することができた(Figure 1)。その後、DBU による脱保護を行い、塩化アセチルを加えることで、アセチルチオ基を有するオリゴチオフェン9merDT(保護基 = CH3CO-)を得た。アセチル基は、アンモニア水で容易にはずれてチオラートを与え、金微粒子表面に化学吸着することがわかった。

第3章「金ナノ粒子ネットワークの調製ならびに構造」においては、第2章で述べた分子ワイヤー(3merDT, 9merDT,15merDT)を用いた金ナノ粒子ネットワークの調製と構造について述べる。π型分子ワイヤーとの比較から、σ型分子ワイヤーである1, 10-デカンジチオールによる金ナノ粒子ネットワークの構造体についても言及する。

始めに本研究に用いた金ナノ粒子の調製について述べる。既報の方法に従い、界面活性剤臭化テトラオクチルアンモニウム(TOAB)により安定化された平均粒径4 nmの金ナノ粒子(TOAB@Au)を調製した。こうして得られた金ナノ粒子(TOAB@Au)とσ型分子ワイヤーとを混合してできるネットワーク構造体について、まずUVスペクトルを用いて検討を加えた。

TOABにより保護された金ナノ粒子(TOAB@Au)のみのスペクトルは、Figure 2の青線のように518 nmに固有のプラズマ振動の吸収によるピークが観測された。ここに、金ナノ粒子表面に過不足なく吸着できる量の1,10-デカンジチオールと1-ヘキサンチオールとを1:9の割合で混合したトルエン溶液を添加し、金ナノ粒子のネットワーク化の過程を20分おきに追跡した。その結果、518 nm のプラズモン由来の吸収は、時間変化と共にその強度がやや減少する一方、600 nm付近から長波長側に肩を持つ新たな吸収が現れた(Figure 2)。これは、明らかにネットワーク化に伴い出現した吸収であり、金ナノ粒子のネットワーク化に伴い、金ナノ粒子間に新たな電子状態が形成されたことが示唆される。

4節1項においては、σ型分子ワイヤーを用いた金ナノ粒子のネットワーク化について述べる。ここではσ型分子ワイヤーとして、1, 10- アルカンジチオールを用いたが、末端にチオール基を有しているため、容易に金ナノ粒子表面上に化学吸着し、ネットワーク構造体を形成することがわかった。構造体の構造については、電界放射型走査型電子顕微鏡(FE-SEM)を用い確認した。

次に、4節2項においては、オリゴチオフェン3, 9, 15量体ジチオール(3merDT, 9merDT, 15merDT)を用いた金ナノ粒子ネットワークの調整法およびその構造について述べる。アルカンジチオールの場合と異なり、π型分子ワイヤーの場合は、分子の末端のチオール基はアセチル基で保護されているが、これは、THF-トルエン混合溶媒中、アンモニア水により容易に脱保護され、金ナノ粒子を連結することがわかった。その構造をFE-SEMにより、確認したところ、アルカンの場合とは大いに異なり、蜂の巣状の空隙の空いたネットワーク構造体を形成することがわかった(Figure 3)。そのような構造体形成の原因についても触れる。

4節3項においては、粒径4 nmの金ナノ粒子(TOAB@Au)との比較の意味から、市販の20 nmの金ナノ粒子を用いたネットワーク構造体についても言及する。4節4項においては、σ型、π型分子の混合吸着した金ナノ粒子ネットワークの調製について述べる。アルカンジチオールを用いてネットワーク形成後、ジフェニルジスルフィドを吸着させた。これは、残存する界面活性剤を排除することを目的としている。

第4章「金ナノ粒子ネットワークの導電特性」においては、主に伝導度の温度依存性の観点から、金ナノ粒子ネットワークの導電特性について述べる。第3章で述べた方法で得られた分子ワイヤー連結型金ナノ粒子ネットワークの抵抗値および、その室温から低温までの温度依存性を、自作のクライオスタットにより測定した。まず、σ型の分子ワイヤーである1,10-デカンジチオールで連結した金ナノ粒子ネットワークについて、抵抗値の温度依存性を測定した(Figure 4)。その結果、室温での抵抗値は、180 KΩであり、290 K から40 K まで、降温過程(降温速度 2 K /min)で抵抗の温度依存性を測定したところ、半導体的性質を示した。アレニウスプロットにより求めた活性化エネルギーEa は、21 meV であった。

次に、良導電性が期待できるπ型分子ワイヤーであるオリゴチオフェンジチオール(3merDT, 9merDT, 15merDT、分子長;それぞれ、1.5 nm, 3.6 nm, 6.1 nm)で連結した金ナノ粒子ネットワーク構造体について、同様の測定を290 K から20 K まで、降温過程(降温速度2 K /min)で行った。オリゴチオフェンジチオール9merDT で連結した金ナノ粒子ネットワークの室温での抵抗値は、およそ100 kΩであり、高温部の活性化エネルギーは、19 meVであった。40 K 付近から低温になるに従い、アレニウスプロットは、図に示す通り直線から外れた(Figure 4)。低温部での活性化エネルギーは、6.3 meV と求まり、高温域で得られる活性化エネルギーより、低下していることがわかった。3merDT, 15merDT に関しても、同様の傾向が見られた。原因としては、トンネル電流の寄与が増加したことが考えられる。

導電機構をさらに検証するため、それぞれオリゴチオフェンジチオール3merDT, 9merDT,15merDT で連結した金ナノ粒子ネットワークのコンダクタンスと、オリゴチオフェンジチオールの分子長との関係をプロットした(Figure 5)。連結している分子ワイヤーの分子長が金ナノ粒子間の距離(d)とみなせるので、式1よりオリゴチオフェンワイヤーのトンネル係数を求めることができる。

その結果、減衰因子βは、0.14- 0.15 (A-1)と求まり、アルカンで報告されている値(0.8 A-1)よりも小さく、トンネリングが起こりやすいことがわかった。この傾向を分子ワイヤーのUV-Vis スペクトルの結果より求まったバンドギャップと分子長との関係と併せて議論する。

以上の結果、連結する分子ワイヤーが、金ナノ粒子ネットワークの導電特性に本質的に関係していることが明らかとなった。一方、1,10-デカンジチオールで連結後、ジフェニルジスルフィドを吸着させσ、π混合吸着型金ナノ粒子ネットワークを調製することで、その活性化エネルギーは著しく低下し、オリゴチオフェンジチオールと同様の傾向となることがわかった。また、粒径の大きい(20 nm)の金ナノ粒子ネットワーク構造体の活性化エネルギーとも比較を行った。第4章最後では、金ナノ粒子ネットワークの伝導度に与える磁場の影響についても触れる。

[まとめ] 以上、粒径4 nm の金ナノ粒子をπ型分子ワイヤーにより連結し、特徴あるミクロンオーダーの構造体の構築に成功し、その伝導特性について検討した。その結果、40 K 以下において活性化エネルギーが低下し、トンネル伝導によると考えられる領域が出現することを見出した。現在、注目されているナノサイエンスの分野において、本研究のような安定なネットワーク構造体を調製し、その機能を評価できたことは意義深い。このような構造体を形成する金属ナノ粒子、ならびに分子ワイヤーに、より特徴を持たすことができれば、新たな回路特性を有するネットワーク構造体が構築できると期待している。

9merDT の合成スキームと3merDT, 15merDT の構造式 (a) 1) BuLi 2) S8 3) 3-brompropionic acid ethylester (b) NBS (c) Br2 (d) 1) Mg 2) H2O (e) hexyl magnesium bromide /[Ni(dppp)]Cl2 (f) NBS (g) thiophen-2yl magnesium bromide / [Ni(dppp)]Cl2 (h) 1) LDA 2) tributyltin chloride (i) 1 / Pd(Ph3)4 (j) 1) DBU 2) AcCl

UV-Vis スペクトルによる金ナノ粒子のネットワーク化の追跡(溶媒 : トルエン)

オリゴチオフェン誘導体9merDTにより連結された金ナノ粒子ネットワークのFE-SEM像(左 : 1,500倍、右 : 15,000倍)

金ナノ粒子ネットワークのアレニウスプロット

π型分子ワイヤーにより連結された金ナノ粒子ネットワークの抵抗値の粒子間距離依存性、縦軸:コンダクタンス、横軸:粒子間距離(分子長)

審査要旨 要旨を表示する

分子性結晶を対象とした物性科学はこの20年間に急速な展開をみせ、分子性導体や分子磁性といった新しい物理・化学の融合的研究分野が誕生し、それらが大きな発展を遂げたのは周知の事実である。分子性結晶を対象とした精緻な研究により、分子集合体の分子配列に基づく、集合体としての電子構造と物性の相関は極めて明確になったといえる。そこで、これからの物性科学を展望したとき、分子性物質を対象として解明された成果を基に、より階層性の高い物質や、ダイナミクスを内包した物質の物性研究に挑戦していくことが必要となろう。そのような研究動向の中にあって、論文提出者である谷口氏は、金原子が自己集合化して生成する粒径約4 nm のクラスターの周囲をチオール類が化学吸着した金ナノ粒子を構成単位とし、さらにそれらが、両末端にチオール基を有するπ共役分子ワイヤーにより連結され生成したネットワーク状構造体の導電挙動を解明することで、多くの新しい知見を得た。以下論文の内容を簡単に紹介すると共に、審査会での審査の結果について要約する。

第1章は序論であり、著者が本研究を遂行するに至った経緯と、関連分野の背景について論述している。著者は、ナノスケールの量子エレクトロニクスの材料としての金ナノ粒子に注目し、その特徴として1)金ナノ粒子の電子構造は粒径に依存し、3 nm 以下では半導体的であるのに対し、4 nm 以上では金属的性質を示す、2)このように微少な粒子は、帯電エネルギーが室温よりも大きくなりうる(例えば 粒径4 nm では、帯電エネルギー60 meV、室温のエネルギー30 meV)、3)表面金原子は硫黄原子と共有結合を形成することが知られている。従って、金ナノ粒子の接合の際に、両末端にチオール基を有する分子ワイヤーを用いれば、分子素子の計測で常に問題となる接触抵抗についても解決が得られる、などの点を指摘している。その上で、「量子ドットと見なせる金微粒子を、π共役した分子ワイヤーでネットワーク状に連結すれば、帯電エネルギーによりパーコレーション的な導電挙動を示す回路が形成される可能性」を提起している。このようなナノ粒子ネットワークは、単電子トランジスターの素材として注目されている半導体の量子ドットを用いたとしても、現状では製作が困難と予想される。その点で本テーマは、ボトムアップな手法の長所が十分に活かせるテーマ設定であるとの評価を得た。

第2章「分子ワイヤーの設計、合成、並びに評価」においては、金ナノ粒子を連結する分子ワイヤーとして選択されたオリゴチオフェンジチオール誘導体の設計、合成について述べている。いくつかの合成経路を提案し、それらを比較検討することにより、オリゴチオフェンの3量体、9量体、15量体(分子長;それぞれ、1.5 nm, 3.6 nm, 6.1 nm)の合成法を確立し、良好な収率で目的物の合成に成功した。なお、これらの化合物は適切な位置に、溶解度を増すために複数のアルキル基が導入してある他、チオール基の保護基が後続の反応に応じて変換できるようにしてあるなど、研究目的に応じた工夫が認められる。分子ワイヤーとして分子量に分布のあるポリマーを用いず、一定の分子量(分子長さ)を持つオリゴマーを合成したことを含め、これらのオリゴチオフェンの設計・合成は、極めて妥当のものと認められる。

第3章「金ナノ粒子ネットワークの調製ならびに構造」においては、第2章で述べた分子ワイヤー(オリゴチオフェンの3量体、9量体、15量体)を用いた金ナノ粒子ネットワークの調製とその構造について述べている。まず、本研究に用いた金ナノ粒子の調製について、サイズ選択的な合成法を紹介すると共に、得られたナノ粒子の粒径の評価、およびUV スペクトルによるプラズモン吸収(518 nm)について検討を加えている。次いで、π型分子ワイヤーと比較する目的で、1,10- アルカンジチオールを用いた金ナノ粒子のネットワーク化を櫛形電極上で行い、電界放射型走査型電子顕微鏡(FE-SEM)の測定により、ネットワーク構造体が形成し、しかも電極とも化学吸着していることを確認している。その上で、オリゴチオフェンの3, 9, 15 量体ジチオールを用いた金ナノ粒子ネットワーク化にも成功し、その構造をFE-SEM により確認しているが、その際、σ型ネットワークの場合と異なり、蜂の巣状の空隙が空いたネットワーク構造体の形成を見出している。また、粒径4 nm の金ナノ粒子との比較の意味から、市販の20 nm の金ナノ粒子を用いたネットワーク構造体についても言及している。

試行錯誤の末、当初難しいと考えられていたネットワーク構造体の構築に成功し、その形状をFE-SEMで確認したこと、さらには自己組織化という非平衡系の散逸構造を利用した構造体の構築に成功した点は高い評価を得た。

第4章「金ナノ粒子ネットワークの導電特性」は、主にネットワークのコンダクタンスの温度依存性から金ナノ粒子ネットワークの導電特性を記述しており、本論文の主要部を構成している。前章で述べた方法で得られたπ型分子ワイヤー(オリゴチオフェンジチオール;3量体、9量体、15量体)で連結した金ナノ粒子ネットワーク構造体について、コンダクタンスの測定を行ったところ、これらのネットワークの活性化エネルギーは、いずれも約15-20 me とσ型ネットワークより小さいことがわかった。このように小さい活性化エネルギーは、ネットワーク全体の抵抗が中性(未ドープ)の分子ワイヤーに起因するとしては説明できない。すなわち、伝導は金粒子間のホッピングで起こっていることを強く示唆するものであった。

さらに、コンダクタンスの温度依存性を精査することより、低温部(40 K 以下)では活性化エネルギーが数meV とさらに低下していることが明らかとなった。このような現象は、π型ネットワークにおいて初めて見つかったものであり、本研究の重要な成果といえよう。著者はその原因として、低温域ではトンネル伝導の寄与が増加したことを挙げ、その根拠として1)コンダクタンスの分子長依存性から求めたオリゴチオフェンワイヤーのトンネル係数の減衰因子(β)0.15 (A-1)が、オリゴチオフェンワイヤーの光誘起電子移動から求めた減衰因子と同程度であること、2)9量体と15量体にかけて活性化エネルギーの増加が飽和する傾向にあることを挙げている。すなわち後者の傾向は、金のフェルミレベル付近におけるオリゴチオフェンの分子軌道の状態密度が、π共役系の伸張に伴い増加し、それによってトンネル確率が増大したと考えなければ説明できない。

計測上の困難が予想されたネットワークの導電挙動について信頼できるデータを得、それに基づき合理的な考察を行っている点は、谷口氏の多大な努力の跡が認められる。

結論として本論文は、粒径4 nm の金ナノ粒子をπ型分子ワイヤーにより連結したネットワーク構造体という物質を新しい物性研究の対象として確立させ、その伝導特性について詳細に検討したものであり、その結果、低温域(40 K 以下)において、トンネル伝導が支配的と考えられる領域が出現することを発見した。その点でまさに、序論で提起した多数の金ナノ粒子の電子構造を量子的連結したネットワークの構築に成功したといえる。ネットワークの伝導の本質を解明するには、さらに突き進んだ計測手段を用いる必要があろうが、急速に進展しているナノサイエンスの分野において、階層性のある新規有機無機ナノ複合体の物性研究を遂行したことの意義は大きい。これらの成果は、著者の注意深い実験・観察と研究に対する情熱によりもたらされたということができよう。

よって、本申請論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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