学位論文要旨



No 118782
著者(漢字) 濱田,晃一
著者(英字)
著者(カナ) ハマダ,コウイチ
標題(和) 銅酸化物高温超伝導体の擬ギャップ相における交替磁束秩序とフェルミ弧
標題(洋) Staggered-flux order and Fermi arc in the Pseudogap phase of High-Tc cuprates
報告番号 118782
報告番号 甲18782
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第501号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 加藤,雄介
 東京大学 教授 氷上,忍
 東京大学 助教授 福島,孝治
 東京大学 助教授 前田,京剛
 東京大学 助教授 小形,正男
内容要旨 要旨を表示する

高温超伝導現象は、反強磁性秩序を持つモット絶縁体にホールをドープすると起こる現象である。この物質はドープ量と温度の変化によって、フェルミ流体相、超伝導相、異常金属相、擬ギャップ相、反強磁性絶縁相など様々な相を含んでいる。高い超伝導転移温度は衝撃的なことであるが、この物質の異常な性質のひとつに過ぎない。特に、金属状態が異常である。非常に高ドープ側では、通常のフェルミ流体で記述される金属状態になっているが、ドープ量を減らすにつれて、異常な金属相に変化する。さらにドープ量を減らしていくと、ついには金属状態であるのに、スピン励起や準粒子励起にギャップが生じる(擬ギャップ相)。

この擬ギャップ現象は、高温超伝導の発現機構と深く関連する現象として、実験的にも理論的にも長らく研究がなされてきたが、いまだ未解決の問題である。最近、高温超伝導の擬ギャップ現象を説明するひとつのシナリオとして、交替磁束秩序状態が注目を集めている。この秩序状態では、電流が自発的にプラケットごとに交互に逆向きに流れており、もし交替磁束秩序が電子のものであれば時間反転対称性も破れている。この状態は金属状態であるが、擬ギャップ領域の実験で観測されているものと同じdx2-y2波ギャップの励起構造を持ち、さらに(π/2,π/2)近傍の弧の形をしたフェルミ面を再現する可能性を秘めている。

スレイブボゾン法(電子を、補助的なフェルミ粒子のスピノンとボーズ粒子であるホロンの積で表現する方法)でホロンのボーズ凝縮を仮定したスピノンの交替磁束についての提案や、現象論的な電子の交替磁束相のシナリオが提案されているが、次のような問題が未解決である:1.(スピノンではなく)‘電子の'交替磁束状態は存在するのか?どのような状況で現れるか?2.どのような関係が、電子の交替磁束相とスピノンの交替磁束相にはあるのか?3.交替磁束秩序とd 波超伝導秩序は共存できるのか?4.スピノンの交替磁束相で電子の自発的交替電流は存在するのか?(物理的に観測されるのは、もちろん、スピノン・カレントではなく電子による電流である。)5.擬ギャップ相の角度分解光電子分光で観測されている弧の形をしたフェルミ面の起源は何か?6.高温超電導体の低ドープ領域で観測される、波数(0, π)での励起ギャップおよびフェルミ面の変化は、交替磁束秩序状態を考えることにより、理解できるか?7.交替磁束秩序相でのエネルギー構造はどのように移り変わっていくか?

本論文ではこれらの問題を解明する。

交替磁束秩序とd波ペアリング秩序の競合

我々は交替磁束秩序状態とd波ペアリング状態の競合について、微視的なモデルからの解析を行った。高温超伝導体の微視的モデルである2次元t-J模型を用い、U(1)スレイブボゾン平均場理論に基づき、ボーズ凝縮を仮定せずに解析を行った。我々が解明したことを6つ挙げる。

物理的な電子の交替磁束秩序と非物理的なスピノンの交替磁束秩序の関係:我々はスピノンだけでなくホロンの交替磁束秩序を導入し解析を行なうことにより、「物理的な」電子の交替磁束状態とスピノンの交替磁束状態の対応関係を与えることに成功した。我々の定式化では、電子の飛び移り期待値はスピノンの飛び移り期待値とホロンの飛び移り期待値の積で記述することができる。また電子の交替磁束はスピノンの交替磁束とホロンの交替磁束の差で記述される。

相図:我々が得た新たな相図の特徴を3つ挙げる。(i)電子の交替磁束秩序相が存在する。(ii)交替磁束秩序とd波ペアリング秩序は共存しない。(iii)基底状態は純粋なd波の超伝導状態である。

電子の交替磁束秩序相とスピノンの交替磁束秩序相:ハーフフィリング近傍の有限温度領域に存在するスピノンのπ磁束秩序相では、ホロンの磁束秩序もまたπになる。スピノンおよびホロンの磁束が互いに打ち消しあうので、電子の交替磁束秩序はゼロになっている。しかし、ドープ量が増えるにつれスピノンの交替磁束がπからずれると、ホロンの交替磁束もスピノンの交替磁束から値がずれる。2つの磁束が完全には打ち消されなくなり、電子で見ても交替磁束秩序が有限な相(電子の交替磁束秩序相)になる。したがって、スピノンのπ磁束秩序相とスピノンの交替磁束秩序相との転移は、物理的な電子で見ると実は2次転移になっている。その転移を特徴づける秩序変数は電子の交替磁束秩序変数である。

電子の自発的交替電流:また我々は、電子の自発的交替電流とスピノンの自発的交替カレントの関係も明らかにした。スピノン・カレントとホロン・カレントの局所的な打ち消し合いは、電子の自発的交替電流の存在を排除しない。電子の自発的交替磁束および自発的交替電流のドーピングによる発達の仕方も明らかになった。

交替磁束秩序とd波ペアリング秩序が共存できないことの証明:我々は交替磁束秩序とd 波ペアリング秩序が共存しないことについて、数値的に相図を導出しただけではなく、解析的な証明も行った。2つの秩序状態が共存するための条件式も求め、全ての状況でこの共存条件が満たされないことを示した。

安定性/不安定性の解析:また我々は、この2つの状態それぞれの安定性/不安定性についても明らかにした。

交替磁束秩序状態におけるフェルミ弧の変化

我々は、交替磁束秩序を含む相図における低エネルギー励起構造の変化、および交替磁束秩序相におけるフェルミ弧の変化の非自明な振る舞いを明らかにした。

交替磁束秩序を含む相図における低エネルギー励起構造の変化:1-1. 波数(0, π)での励起ギャップの温度変化:交替磁束秩序状態とd波ペアリング秩序状態は定性的にも違う状態であるのに、2つの状態間の転移において、(0, π)での励起ギャップの大きさの移り変わりは連続的である。1-2. フェルミ面の温度変化:一様RVB相(異常金属相に対応する)での「大きなフェルミ面」は、温度を下げていくと交替磁束相への転移点で、「弧の形をしたフェルミ面」(フェルミ弧)に変わり、さらに温度を下げていくと、フェルミ弧は小さくなっていき、d波ペアリング相への転移点で点のフェルミ面に移り変わる。

交替磁束相でのフェルミ弧:我々は、交替磁束秩序相でのフェルミ面が、擬ギャップ相で観測されているような弧になることを示した。交替磁束秩序相でのフェルミオンのゼロエネルギー・ラインは楕円になっているが、フェルミ面の形は弧になる。スペクトル関数の強度が運動量空間で異方的になっており、|kx|+|ky|≧πでの強度が小さくなるからである。

これらの振る舞いは角度分解光電子分光の実験で観測されている振る舞いと一致している。

交替磁束相におけるフェルミ弧の非自明な振る舞い:我々は交替磁束秩序相でのフェルミ弧のドーピング依存性および温度依存性を解析し、その結果、フェルミ弧の非自明な振る舞いを得た。それらの非自明な振る舞いは、交替磁束秩序相での低エネルギー励起が、実は(2+1)次元の「異方的な」massless Dirac fermionsで記述されることに起因する。

低温側でのドーピング依存性(絶対零度温度での解析):絶対零度ではフェルミ面の面積はπ2δになる(ここでδはホールのドープ量である)。しかしながら、弧の発展は非自明である。弧の長さは、非常に低ドープ領域では√δ に比例するが、他の領域では異なった振る舞いをする。その原因は、ドープが増えるにつれて、交替磁束状態での励起構造が、半分まで満たされた等方的なassless Dirac fermionsがドープされた異方的なmassless Dirac fermions に移り変わっていくことにある。

高温側でのドーピング依存性(有限温度での解析):T≫μ(T:温度、μ:化学ポテンシャル)の領域ではフェルミ・ポケットの面積はδ2で立ち上がり、弧の長さおよびフェルミ・ポケットの幅は両方ともドープ量δに比例する。この振る舞いは「粒子正孔対称性がある系に正孔(または粒子)をドープするとT≫μの領域では、μ∝-δ (+δ) となる」ことに起因する。

温度依存性:交替磁束秩序相では、フェルミ面に強い温度依存性が存在する。その依存性はこの相でのmassless Dirac fermions の「円錐の形をした低エネルギー励起構造」に起因している。

もし高温超伝導の擬ギャップ相が交替磁束秩序相であるならば、これらの非自明なフェルミ弧の振る舞いが角度分解光電子分光の実験で観測されるはずである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章は、銅酸化物超伝導体についての概説、第2章は銅酸化物超伝導体の理論の解説、第3章は問題の概説に当てられている。第4、5章では論文提出者の研究結果、すなわち第4章では交替磁束状態とd波超伝導状態の競合に関する理論、第5章では交替磁束状態における光電子分光の理論について詳しく述べられている。そして、第6章では結論が述べられ、それに関する論考がなされている。

本論

1986年に発見された銅酸化物超伝導体は、転移温度が高いことから研究者だけでなく広く社会の関心を集めることになった。しかし物理的な観点から眺めると転移温度の高さはこの物質の異常な性質のひとつに過ぎない。高温超伝導現象は反強磁性秩序を持つモット絶縁体にキャリアーをドープすると起こる現象である。ドープ量と温度を軸に採り相図を描くと、銅酸化物超伝導体は超伝導相以外にフェルミ流体相、異常金属相、擬ギャップ相、反強磁性相などさまざまな相を含んでいる。超伝導相を取り巻くこれらの相に見られる異常な性質の理解が、銅酸化物に特有の超伝導発現機構の解明のための重要な鍵となる。

高ドープ領域における金属相は、フェルミ流体論という従来の理論的枠組で記述される状態になっていると考えられている。ドープ量をそこから減らしていくと異常な金属相に変化する。さらにドープ量を減らしていくと、磁気励起のスペクトルにエネルギーギャップが生じる。このギャップを擬ギャップと呼び、この相を擬ギャップ相と呼ぶ。擬ギャップ相が存在する低ドープ領域で十分高温から温度を下げていったとすると、まずエネルギーギャップが開き、さらに低温になってはじめて超伝導転移が起こるわけであるから、擬ギャップ現象が異常な現象であることは明らかある。そのために擬ギャップ現象は超伝導の発現機構と深く関わる現象として理論的にも実験的にも長らく研究されてきた。そのような研究のひとつとして行われた角度分解光電子分光の実験結果は、この擬ギャップ相のさらなる異常さを端的に表している。銅酸化物のような2次元的な電子構造をもっている物質の場合、金属相におけるフェルミ面はブリリュアンゾーン内で閉曲線をなすかゾーンの境界まで広がった開いた軌道をなすのが普通であるが、擬ギャップ相では大変奇妙な結果、すなわちフェルミ面がゾーン内で開いた弧 (Fermi arc) になっているという結果が得られていた。

擬ギャップに関して先行する理論研究は大きく二つに分けることができる。ひとつは高ドープ側を出発点にするフェルミ流体論であり、もうひとつはドープされたモット絶縁体であることを強調したスレイブボゾン法に基づくものである。濱田氏の研究は後者に属する。スレイブボゾン法とは、ひとつの電子をスピンだけ持つ中性の粒子(スピノン)と電荷は持つがスピンを持たない粒子(ホロン)からなる複合粒子として記述する理論形式のことであり、強相関電子系に対して用いられるものである。スレイブボゾン法では擬ギャップを交替磁束秩序に起因するギャップと解釈する。交替磁束秩序とは電子の軌道運動によって作られる磁束が反強磁性の磁化のように交互に並んだ秩序を指す。

さて、擬ギャップ相を交替磁束状態を解釈するシナリオには以下に述べるような未解決の問題がある。第一に、スレーブボゾン法では直接扱うのはスピノンやホロンなどの仮想粒子であり、交替磁束とはいうものの、スピノンの運動からくる磁束だけに注目している。そのため電子の軌道運動からくる磁束が果たして交替秩序を持つのかどうか自明ではない。第二に、交替磁束状態とd波超伝導状態の関係は共存できるのかどうかわかっていない。第三にスレーブボゾン法の交替磁束状態が擬ギャップ相における Fermi arc を説明できるかどうか、わかっていない。本論文の主な目的はこれらの点を解決することにある。

濱田氏は銅酸化物超伝導体に対する微視的な模型である2次元t-J模型に対してU(1)スレイブボゾン平均場近似を適用した。その際にホロンのボーズ凝縮を仮定せず、またホロンが交替磁束秩序を持つ場合も含むように従来の平均場理論を拡張した。その結果、電子の交替磁束とスピノンの交替磁束の対応関係を与えることに成功した。さらに、スピノンは交替磁束秩序を持つ一方、電子の交替磁束秩序が存在しない相がハーフフィリング近傍の有限温度領域において安定相として存在することを示し、その相と電子の交替磁束状態との間で2次転移が起こることを導いた。

また、d波超伝導状態と電子の交替磁束状態の関係について、平均場近似の範囲内ではこれらの2相は共存しないこと、基底状態は常にd波超伝導状態であることを示した。さらに平均場解として得られた各相について線形揺らぎの範囲内での安定性を示した。

さらに電子の交替磁束状態におけるグリーン関数を計算し、フェルミ面は、ゾーン内の小さな閉曲線であること、しかし、スペクトル強度の強い部分は閉曲線の一部であるために実験的には弧状のフェルミ面に見えることを示し、Fermi arcという見かけ上の謎に自然な解釈を与えた。さらにFermi arcのドープ量依存性、温度依存性について詳細な解析を行った。

本研究において用いたスレイブボソン法では、電子が複合粒子として記述されるために相関効果を取り入れやすい一方で、ややもすると物性論から離れて抽象論に終止してしまう恐れがある。それに対して、本研究の特徴は、観測可能な物理量を具体的に計算して交替磁束状態というひとつのシナリオの妥当性を主張している点にある。さらにこのことは強相関電子系におけるスレイブボゾン法という理論形式の有効性を示していることにもなっている。この2点に本研究の意義がある。

これらの成果に関しては、Physica C 1報、Physical Review B本論文1報がすでに出版されており、またPhysical Review B誌に現在投稿中のものが1報ある。

結び

本論文中の第4, 5章の一部は、吉岡大二郎氏との共同研究であるが、論文の提出者が主体となって分析を行ったもので、論文提出者の寄与は十分であると判断する。よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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