学位論文要旨



No 118785
著者(漢字) 大西,一聡
著者(英字)
著者(カナ) オオニシ,カズアキ
標題(和) カイラル相転移の動的側面に対するモード結合理論
標題(洋) Mode coupling theory for the dynamic aspect of the chiral phase transition
報告番号 118785
報告番号 甲18785
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4438号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 東京大学 助教授 森松,治
 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 松井,哲男
内容要旨 要旨を表示する

近年、重い原子核を超高速に加速し衝突させる実験、重イオン衝突実験が盛んに行われている。その目的は高エネルギーに励起された物質の中に、クォークやグルオンが自由に飛び交うクォーク・グルオン・プラズマ (QGP) を作ることである。格子QCD計算などの理論的な研究によれば、十分な高温状態においては、真空は相転移(閉じ込め・非閉じ込め相転移、およびカイラル相転移)を起こし、QGP相が実現すると示唆されている。従って、重イオン衝突実験においては相転移の理解が不可欠で、特に系は非平衡過程を経て時間発展するので、相転移の非平衡の(動的な)振舞いが重要である。我々はカイラル相転移の動的な振舞に以下注目したい。

カイラル相転移は2次相転移であるが、その動的ユニバーサリティクラスは Rajagopal & Wilczek によって初めて議論された。彼らは反強磁性体とカイラル相転移の遅い変数を比べることにより、両者は同じ動的ユニバーサリティクラスに属すると結論している(表1参照)。つまり反強磁性体の遅い変数は、非保存量の秩序変数である交代磁化、保存量の磁化、エネルギー、運動量であり、一方カイラル相転移のそれは非保存量の秩序変数のメソン場、保存量のカイラル電荷、エネルギー、運動量である。彼らは反強磁性体の運動学方程式を解析し、カイラル相転移に対する動的臨界指数z=d/2=3/2を得た。

これに対して近年、Boyanovsky & de Vega は場の理論を用いた微視的な計算によって、1に近い動的臨界指数を得ている。これは Rajagopal & Wilczek の結果と明らかに矛盾し、従ってカイラル相転移の動的ユニバーサリティクラスは反強磁性とは違うことを示唆している。実際、両者の運動モードを見てみると、反強磁性体の秩序変数に対するモードは拡散モードであるのに対して、カイラルの秩序変数のモードはメソンモード、つまり伝搬モードであり、両者異なっていることがわかる。そこで我々はカイラル相転移の動的振舞をモード結合理論を用い解析し直し、その運動学方程式を導くことを試みた。

まずO(2)シグマ模型にモード結合理論を適用し、臨界点でどのような運動モードが現れるかを見る。秩序変数に対する伝搬モード、つまりメソンモードを出すためには、メソン場の正振動数解と負振動数解を独立に扱うことが重要であることを見出す。またエネルギーと運動量の縦成分が結合し、正常流体の第一音波に相当する伝搬モードが現れることを見る。つぎにO(4)シグマ模型を考え、モード結合項を含めた運動学方程式を導く。得られた方程式の解析として、各モードの動的臨界指数を計算する。メソンモードに対する臨界指数はz=1-η/2〓0.98となることを見る。ここでηは静的な臨界指数である。これは反強磁性体よりも Boyanovsky & de Vega の結果に近いものである。またメソンモード以外のモードについても動的臨界指数を得る。その結果、各モードの臨界指数は皆異なることがわかる。Halperin & Hohenberg による動的スケーリング則によれば臨界指数は皆共通であると考えられるが、我々の結果はスケーリング則を破るものである。また、最も大きい臨界指数を持つモード、つまり最も遅いモードは運動量の横成分、pTモードであることがわかる。従って、系全体の緩和時間を決めるのはメソンモードなどではなく、pTモードの崩壊時間が決めることになる。数値計算を含めたより詳しい運動学方程式の解析は今後の課題である。

我々はまたQCD相図の温度・密度平面上にある臨界終点(Critical End Point, CEP)についてモード結合理論の観点から言及する。CEPは現実世界においても厳密に2次相転移であり、特に注目を集めている。CEPにおいては、カイラル凝縮で書いた熱力学ポテンシャルが平坦になるためシグマメソンが零質量になると期待されている。従って重イオン衝突実験において系がCEPを通過すれば、シグマメソンが崩壊してできる光子対やレプトン対が多く観測されると期待される。

最近、NJL模型などの計算によるとシグマメソンはCEPで零質量にならないという結果が報告されている。つまりシグマメソンモードはCEPでソフト化しないというものである。しかしながら我々はCEPとカイラル相転移の遅い変数を比べてみると、両者に類似性があることに気づく(表2参照)。この類似性から、カイラル相転移においてメソンモードがソフト化するのと同様に、CEPにおいてシグマモードはソフト化すると期待される。さらに一般論から考えて、秩序変数の揺らぎに対応した伝搬モードがソフト化しないというのはまず考えられない。NJL模型の計算は揺らぎの効果が入っていないので、秩序変数以外のモードが臨界的な振舞いをしない、ということはまだ考えられる。しかし秩序変数のモードが臨界的にならないというのは、これは模型の致命的な欠陥だとみなされるべきである。CEPのモード結合理論による解析は今後の課題のひとつである。

最後に、核物質で起こる液相・気相相転移の臨界終点での粘性係数について考える。一般に臨界点では揺らぎの効果で輸送係数が発散することがあるが、液相・気相相転移では粘性係数が発散することが知られている。もし重イオン衝突実験において、核物質がこの臨界点を通過するとその大きな粘性係数のため、系の膨張は鈍くなると考えられる。これは系が臨界点に留まる時間が長くなることを意味する。一方、臨界点ではバリオン数密度に対応したω0モードがソフト化すると期待される。これはωチャンネルを通したレプトン対のソフト化につながる。系は臨界点に長く留まるため、このソフト化したレプトン対が測定される可能性は大きくなると期待される。これはすでに観測されている中間不変質量領域でのレプトン対の増大を説明するかもしれない。より定量的な計算は今後したいと考えている。

表1:反強磁体とカイラル相転移

表2:カイラル相転移とCEP

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなり、第1章は量子色力学の有限温度相転移における動的臨界現象についての概観、第2章はモード結合理論に関する一般論、第3章はO(2)カイラル対称性を持つシグマ模型における有限温度相転移と相転移点近傍での遅いモードの動力学について、第4章はO(4)カイラル対称性を持つより現実的なシグマ模型における遅いモードの動力学のモード結合理論による取り扱い、第5章ではO(4)シグマ模型の遅いモードの時間相関関数の振る舞いについて、第6章はO(4)シグマ模型における動的臨界指数の導出について、そして第7章では主要結果のまとめが述べられている。

量子色力学の有限温度相転移は、宇宙初期におけるクォークーハドロン相転移や、相対論的重イオン衝突型加速器におけるクォーク・グルオン・プラズマ生成実験と密接に関係している。特に後者においては、相転移点前後での動的現象の理論的理解が不可欠となっている。本論文で論文提出者は、量子色力学におけるカイラル相転移に焦点をあて、相転移点付近で如何なる遅い動的励起(スローモード)が現れるかを解析すると共に、複数のスローモード間の結合を、モード結合理論を適用して分析した。その結果、相対論的な系においては、カイラル電荷、エネルギー運動量、秩序変数のみならず、秩序変数の共役変数もスローモードの動力学に組み入れる必要があり、これらの結合により、伝播型と振動型のスローモードが現れることが示された。これまで、O(4)カイラル相転移の動力学は、O(4)対称性を持つ反強磁性体のそれと同じ動的ユニバーサルクラスに属するという理論的予想がなされていたが、論文提出者の解析により、この予想が正しくないことが示された。さらに、本論文では、モード結合理論を用いて、スローモードの時間相関関数と、相転移点近傍での動的臨界指数が初めて具体的に求められた。この結果は、動的カイラル相転移の研究に新たな知見を加えるとともに、今後の理論的研究の出発点を与えるという意味で大きな意義をもつ。

なお、本論文第3章から第6章は、太田浩一・福嶋健二との共同研究であるが、論文提出者が主体となって理論的解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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