学位論文要旨



No 118787
著者(漢字) 戸谷,大介
著者(英字)
著者(カナ) トヤ,ダイスケ
標題(和) 電子陽電子衝突反応における光子を伴なうハドロン事象を用いた強い相互作用結合定数の測定
標題(洋) Measurement of Strong Coupling Constant using Radiative Hadronic Events in e+e-Collision at LEP
報告番号 118787
報告番号 甲18787
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4440号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 助教授 久野,純治
 東京大学 教授 坂本,宏
 東京大学 助教授 徳宿,克夫
 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

この研究では欧州素粒子原子核研究所 (CERN) の電子陽電子衝突型加速器LEPを用いて行なわれたOPAL実験のデータを用いて、25GeVから205Gevの実効的重心系エネルギーでの量子色力学QCDの結合定数αs、の測定を行なった。

QCD結合定数αs

QCDは強い相互作用による反応を記述する量子場の理論である。カラーと呼ばれるQCDの荷量を持つクォークの間をグルーオンと呼ばれる質量を持たないゲージ粒子が媒介する描像で反応が記述される。この研究で測定した結合定数αsはクォークとグルーオンの結合の強さを表わすQCDの基本定数である。QCDは、非可換群カラーSU(3)に基づく量子場の理論であるために、近距離または高いエネルギースケールでは結合定数が小さくなるという漸近的自由性を持っている。同じ量子場の理論である量子電磁力学 (QED) とは異なり、遠距離または低いエネルギースケールでは、結合定数が大きいために結合定数についての摂動展開による計算が不可能である。しかしこの漸近的自由性により摂動論的な計算(摂動論的QCD)が可能になる。この漸近的自由性による結合定数の変化はPEP, PETRA, TRISTAN, SLD, LEPといった様々な重心系エネルギーにおける加速器を用いた結合定数の測定によって確認されている。

LEP加速器とOPAL検出器

LEP加速器は1993年から1995年の間に重心系エネルギーをZO粒子の質量(91GeV)に合せて運転された(LEP1)。LEP1期間中、OPAL実験において約30万回のZO粒子生成事象を観測した。このデータを用いて、ZO粒子の質量や全崩壊幅などを精密に測定し、電弱相互作用の標準理論に対する厳しい検証を行なった。また1996年から2000年までの間、W粒子の質量などの測定を目的として、W粒子の対生成の閾値エネルギー直前の161GeVから約210GeVまでの重心系エネルギーでLEPが運転された(LEP2)。

OPAL (Omni-Purpose Apparatus for LEP) 検出器は電子陽電子衝突反応で生じる全ての種類の事象を効率良く精度良く再構成することを目的とした汎用型検出器である。OPAL検出器は大きく分けて中央飛跡検出器、ソレノイド磁石、電磁カロリーメーター、ハドロン・カロリーメーター、ミューオン検出器、前方検出器から構成される。中央飛跡検出器は0.435Tのソレノイド磁石中に配置されたドリフト・チェンバーと衝突点付近に配置されたシリコン・バーテックス検出器から構成される。荷電粒子の運動量はこの中央飛跡検出器で測定される。電子または光子のエネルギーは鉛ガラス・チェレンコフ検出器などからなる電磁カロリーメーターによって測定される。ハドロンのエネルギーはサンドイッチ状に重ねられた鉄とガス・チェンバーから構成されるハドロン・カロリーメーターを用いて測定される。

事象形態変数によるαsの決定

この研究では反応で生成したクォークやグルーオンの放出方向などのポロジカルな特徴を表わす事象形態変数と呼ばれる量を用いてαsを決定した。このような事象形態変数の例としてはスラストTが挙げられる。Tは次の式で定義される。ここで〓はi番目の終状態の粒子の運動量ベクトルで括弧の中の値が最大になるように〓が決められる。このスラストTは終状態の粒子がどれだけある軸方向にそろっているかを示す変数で、クォーク対の他に高いエネルギーのグルーオンを放出してる事象(3ジェット事象)の割合によって、異なる分布になる。実験的に観測されるのはそれらのクォークやグルーオンから転化した(ハドロン化)多数のハドロンとその崩壊生成粒子である。それらの粒子の運動量とエネルギーから事象形態変数を計算し、摂動論的QCDによる分布をαsを自由パラメータとしてフィットすることでαsを決定する。この研究ではαsの二次の行列要素とNLLA(Next-to-Leading Log Approximation)の計算が得られている6つの事象形態変数からαsを求めた。

光子を伴なうハドロン事象を用いたαsの測定

通常このような測定は高エネルギー光子を含まないハドロン事象を用いて行なわれる。電子ZO粒子生成前や生成直後のクォークによって放出された光子がQCDの過程と干渉しないことを仮定すると、高エネルギーの光子を伴なうハドロン事象を用いて低い実効的重心系エネルギーでの結合定数の測定が可能である。この研究では25GeVから78GeVの実効重心系エネルギーにおけるαsをLEP1のクォーク対生成事象(またはハドロン事象)のうちの高いエネルギーの光子を伴なう事象を用いて測定した。

このような高いエネルギーの光子のバックグラウンド事象はハドロン化によって生じる中性パイ中間子である。中性パイ中間子は二つの光子に崩壊するが、パイ中間子の運動量が大きくなると二つの光子による電磁カロリメーターの信号(クラスター)が重なるために、この解析で必要とする単独の光子との区別が難しくなる。まずハドロン事象として選別されたデータに含まれる高いエネルギーのクラスターのうち荷電ハドロンから孤立したものが選別された。その孤立したクラスターに対して、ジェットに対してなす角やクラスターの形についての変数を含む likelihood を用いて高いエネルギーを持つ光子の選別を行なった。(図1)

選別された事象中の中性パイ中間子の割合は、データの likelihood の分布をMCによる高いエネルギーを持つ光子とバックグラウンドの分布でフィットして求めた。またこれとは独立にアイソスピン対称性を用いてデータ中の荷電ハドロンの生成頻度から中性パイ中間子の生成頻度を求めることも行なった。

選別された事象の事象形態変数の分布から、予想されるバックグラウンドの分布を引き、検出器による事象形態変数への効果を修正する。修正後の分布を摂動論的QCDによる分布をαsを自由パラメータとしてフィットすることでαsを決定した。

LEP2におけるαsの測定

LEP2のデータを用いてECM=189GeV-205GeVにおけるαsを測定した。LEP2ではW±がハドロンに崩壊しているW+W−生成反応が主要なバックグラウンド事象となっている。αsの測定に使う事象の選別は次のようにしておこなわれた。まずハドロン事象として選別された事象に対して力学的最尤法によるジェットのフィッティングから〓s'を決め、〓s-〓s'が小さい事象を選別する。さらにQCDの行列要素やW粒子対のハドロンへの崩壊やハドロンとレプトンへの崩壊の行列要素を用いて、W+W−の生成過程などのバックグラウンド事象を除いた。選別された後はLEP1の解析と同様の手順で事象形態変数のフィッティングを行ない、6つの事象形態変数と6つのエネルギーについてのαsの値が得られた。

αsのエネルギースケール依存性とαs(Mz)

この解析において広いエネルギーの範囲に渡って測定されたαsを用いて、αsの繰り込み群方程式の解のフィッティングからQCDの基本定数の〓を決定した。LEP1とLEP2の各エネルギー・サンプル毎に6つの事象形態変数についての結果を平均し、そのエネルギー依存性から得られた〓はである。事象形態変数ごとのエネルギー依存性のフィットの結果を図3に示す。

また他の実験との比較のために各エネルギー・サンプルで事象形態変数について平均した結果をαs(Mz)に焼き直し、全エネルギー・サンプルについて平均した値がである。事象形態変数ごとに全エネルギー・サンプルについて平均した値を図4に示す。この値はPDG (Particle Data Group) によるαsの全測定の平均値0.1171±0.0014や事象形態変数を用いた全測定の平均値0.121±0.007と誤差の範囲内で一致している(図5)。

まとめ

この研究では欧州素粒子原子核研究所(CERN)の電子陽電子衝突型加速器LEPを用いて行なわれたOPAL実験のデータを用いて、25GeVから205Gevの実効的重心系エネルギーでの量子色力学QCDの結合定数αsの測定を行なった。これはOPAL実験として初めての、光子を伴うハドロン事象を用いる手法によるαsの測定である。この手法によって広いエネルギー領域にわたってαsを測定できた。これは電子陽電子反応でのαsの測定で調べられていない過程におけるαsの測定を、一般的な手法を用いて行った興味深い研究である。

ハドロン事象中の高いエネルギーを持つ光子の likelihood 分布

事象形態変数スラストの分布とそれにフィットされた理論計算

事象形態変数ごとのエネルギー依存性のフィット

LEP1の光子を伴うハドロン事象の解析とLEP2の解析から得られた全エネルギー・サンプルのαs(Mz)の平均値

PDGによる平均値と他の事象形態変数を用いた測定との比較

審査要旨 要旨を表示する

本論文は9章からなり、第1章は本論文の趣旨、第2章は本論文のテーマについての理論的背景、第3章から7章までは実験装置およびデータ解析の詳細、第8章に結果の考察、そして第9章に結論が述べられている。本論文は、最高エネルギーの電子陽電子衝突型加速器LEPにおける0PAL(オパール)測定器を用い、物理学の基本定数の一つである強い相互作用結合定数(αs)を24GeVから205GeVという広いエネルギーにわたって測定したものである。このような広いエネルギー領域にわたる測定で、αsのエネルギー依存性という強い相互作用の従うゲージ対称性の特徴(非可換群SU(3)対称性)を明白にかつ他者の測定結果に頼ることなく、単独の測定器で示すことに成功した。特に、24GeVから78GeVまでのエネルギー領域については、91.2GeVのZ粒子の共鳴状態にありながら、終状態に高エネルギーのフォトンを含む現象 (e+e-→γqqbar) を用いることによってエネルギー依存性の測定に成功した。この解析は、本論文提出者のアイデアによるものであり学問的貢献はきわめて大きい。

また、189GeVから205GeVまでの測定は、現在世界最高のエネルギー領域でのαs測定結果であり、物理的意義の高い結果である。αsの決定にあたり、論文提出者は、電子陽電子衝突反応事象のトポロジカルな情報を得る、事象形態変数と呼ばれる量を用いた。終状態に出現する粒子の運動量とエネルギーとから事象形態変数を計算し、強い相互作用のゲージ理論である量子色力学(QCD)の摂動論による予想と詳細に比較することによってαsを決定した。本論文では、αsの2次の行列要素とNLLA(Next-to-Leading-Log-Approximation)の計算が得られている6種類の事象形態変数からαsを求めた。

その結果、広いエネルギーの範囲にわたって測定されたαsを用いて、αsの繰り込み群方程式の解の最適化から、QCDの基本定数Λを0.2242±0.031 GeVと決定した。さらに、他の実験との比較のために、各エネルギーでのαsをMz=91.2GeVに焼き直して平均し、αs(Mz)=0.1193±0.0017という結果を得た。この結果は、これまでの他の実験値とよく一致しているが、単独実験としての精度は最も高い結果であり物理的に重要な意味を持った測定といえる。

なお、本論文に述べられている実験は、国際共同実験グループであるOPALグループによる共同研究であるが、本論文のテーマの選定、データ解析と物理結果の考察は、論文提出者のみによるものであり、かつ、解析の至る所に論文提出者のオリジナルなアイデアが見られる。よって、本研究に対する寄与は十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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