学位論文要旨



No 118789
著者(漢字) 山本,康史
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヤスチカ
標題(和) 大気ミューオン流束の高度依存性の測定
標題(洋) Measurement of Atmospheric Muon Flux at Various Altitudes
報告番号 118789
報告番号 甲18789
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4442号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 瀧田,正人
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 助教授 川本,辰男
 東京大学 教授 蓑輪,眞
 東京大学 助教授 櫻井,博儀
内容要旨 要旨を表示する

宇宙から飛来する一次宇宙線(主に陽子とヘリウム)は太陽活動の影響を受けてその強度が変化する。また、入射する荷電粒子は地球磁場によりその軌道が曲げられるため、その地域でのカットオフエネルギー以下の宇宙線は地球に到達することができない。一次宇宙線と大気原子核との相互作用により生成される二次宇宙線は、これら一次宇宙線の変化により当然影響を受け、その強度は変化する。二次宇宙線の中で代表的なものはミューオンで、これは比較的寿命が長く、また大気ともほとんど相互作用をしないため、大気中での宇宙線の相互作用や発達を調べるために昔から様々な測定器を用いて、そのエネルギースペクトルが測定されてきた。特に、最近ではスーパーカミオカンデに代表されるニュートリノ振動の研究に関連して、大気ニュートリノの発生に深い関連を持つ上空のミューオンのエネルギースペクトルの精密測定が行なわれるようになってきた。一次宇宙線が大気と相互作用を起こす平均自由行程は約100g/cm2である。大気ミューオンの強度は地表からの高度により異なる値を持つことになる。大気ミューオンの強度はその生成と崩壊のバランスの結果、100-200g/cm2辺りにピークを持つ特徴的なカーブ(グロスカーブ)を描く。従って、測定器を気球に搭載して高空に打ち上げて測定すれば、大気ミューオン強度の高度変化が観測できる。

BESS実験では大気ミューオンを1999から2001年の連続した3年間に異なる2つの場所で観測した。1999年と2000年は8月にカナダのリンレーク(カットオフエネルギー0.08GeV)で、2001年は9月にアメリカのフォートサムナー(カットオフエネルギー3.4GeV)で行なった。1999年と2000年との間で太陽活動は急激に変化し(図1参照)、その影響を受けて一次宇宙線も低エネルギー側で大きく変化した(図2参照)。また、2000年と2001年とでは太陽活動にそれほど変化はなかったが(図1参照)、実験場所が異なるため、地磁気の影響を受けて、フォートサムナーでの一次宇宙線は低エネルギー側では地球に入射できない(図2参照)。いずれの年も気球が地上から大気最上層(37km)に達する間の上昇時にデータを取得し、また、上空37kmにおいても一日以上に亘る長時間の観測を行ない、過去に測定されたデータよりも高い統計量で、系統誤差の小さい非常に質の高いデータを得た。ただし、2001年は大気最上層にとどまっていた時間は2時間で、その後気球は4.5-28g/cm2の範囲でゆっくり下降を始めた。この下降中のデータは宇宙線と大気との相互作用モデルを議論するのに用いられた [3] ([3]K. Abe, et al., Proc. 28th Int. Cosmic Ray Conf. (Tsukuba), HE2.4. 1463, 2003)。その結果、相互作用モデルとしてDPMJET3が実験データを比較的良く再現できることが示されている。

このように、異なる太陽活動期にまたがり、また地磁気の異なる場所で大気ミューオンを3年連続して測定し、地上から大気最上層に至る様々な高度で大気ミューオンのエネルギースペクトルを得たというのはこれまでになかった。ミューオンの大気中での発生及び減衰について詳しい議論を行なうことができる基礎データが得られたことになる。

本研究ではこれら3回の飛翔実験により得られた大気ミューオンのエネルギースペクトルを互いに比較することで、太陽活動による一次宇宙線の変化が大気ミューオンに与える影響と地磁気のカットオフの効果による一次宇宙線の抑制が大気ミューオンに与える影響を研究した。そしてこれら二つの効果が大気ミューオンに与える影響を調べるために、宇宙線の大気中の発展についてシミュレーションを行ない、得られた結果から実際の大気ミューオンの強度変化を説明できるということを明らかにした。

図3に示したBESS測定器は薄肉超伝導ソレノイドを使用した気球搭載型超伝導スペクトロメーターで、ソレノイドの採用により気球搭載型測定器としては、これまでの観測器に比較して大面積・大立体角、一様な磁場を持っている。ソレノイドの内側の均一な磁場領域にはドリフトチェンバーが置かれ、粒子の飛跡を測定し、その運動量を高い精度で決定する。粒子の識別はこの運動量と、TOFホドスコープで測定される粒子速度から粒子の質量を同定する非常に確実な方法で行っている。測定器は閾値型エアロジェルチェレンコフカウンターを備えており、陽子とμ、電子を広いエネルギー領域で識別することができる。さらに厚さ11.8mmの鉛板を用いたシャワーカウンターを搭載しており、TOFホドスコープで測定される粒子のエネルギー損失を用いて、ミューオンと電子・陽電子を識別することが可能になっている。大面積・大立体角であることから大量のデータを測定することが可能で、統計誤差を小さくすることができる。ドリフトチェンバーでは複数の飛跡の検出も容易で、測定器内で相互作用を起こした事象については確実に識別でき、また同軸円筒上に配置された検出器で入射粒子に対する面積立体角を見積もることも容易にできる。これらの特徴から系統誤差についても非常に小さく抑えることが可能である。

解析ではまず、上下のTOFホドスコープを通過しドリフトチェンバーの中で飛跡を一つだけ残した事象を選びだし、アクシデンタルな事象とわずかに存在する測定器内で相互作用を起こした事象を取り除く。このようにして選んだ事象から粒子を識別するには、1/βと磁気硬度 (magnetic rigidity) を用いて決めた質量と、上下のTOFホドスコープで測定される粒子のエネルギー損失から求めた電荷を用いる。図4、5に横軸に磁気硬度をとった1/βとエネルギー損失の分布を示してある。図中の赤線がミューオンサンプルに対するカットの境界である。

ミューオン識別の際に問題となるバックグラウンドの電子・陽電子を見積もるため、ミューオンの識別は鉛板を通過した事象だけを用いる。鉛板を通過する際、電子・陽電子は電磁シャワーを起こして複数の粒子が発生し、鉛の下にあるTOFホドスコープからは大きなシグナルが出る。一方、ミューオンはほとんど相互作用をせず小さなシグナルしか出さない。鉛板の厚さが11.8mmしかないため、1事象毎にはっきりと識別できるほどシグナルに差はできないが、シグナルの分布図をモンテカルロシミュレーションGEANTを用いて計算した電子・陽電子およびミューオンそれぞれのシグナル分布図と比較することで(図6参照)、電子・陽電子/ミューオン比を見積もることができる。求められた電子・陽電子/ミューオン比は磁気硬度1.0GV付近で約10%で、エネルギーが高くなると急速に小さくなり、10GV付近では10-3程度である。一方、プラス側には陽子という大きなバックグラウンドが存在する。図4において陽子はμ+に運動量で2GeV/c付近から交じり始め、3GeV/cを越えるとμ+とほとんど区別ができなくなる。図7は陽子とμ+の1/β分布で、図中の緑の線はμ+として抜き出したカットの境界を示しており、この領域に入り込んでくる陽子の数をダブルガウシアンでフィットすることで、そのバックグラウンドを見積もることができる。ただし、3GeV/c以上では陽子とμ+は完全に交じりあってしまい、μ+のスペクトルを求めることは困難である。従って、μ+のスペクトルの上限を2.55GeV/cに定めた。

観測された大気ミューオンの高度変化(グロスカーブ)は図8に示してある。高度と共にミューオンの流束が増加し、100-200g/cm2辺りでピークを迎え、その後減少するというグロスカーブの特徴がよく示されている。図9に大気最上層における1999年と2000年と2001年のミューオンスペクトルについて正負ミューオンそれぞれの比較を示しておいた。平均の大気深さは各年毎に異なるため、この画では1999年と2001年のスペクトルを2000年の大気深さに規格化して載せた。この図で、1999年と2000年とを比べると、正ミューオンの年度毎の差が負ミューオンよりも低エネルギー側で大きくなっていることがわかる。これは一次宇宙線が正の電荷を持つ陽子であるために起こることで、特に低エネルギー側では陽子と大気原子核との相互作用で生じる正負パイオンの発生の仕方(マルチプリシティ)に偏りがあるためと考えられる。一方、2001年は上空のデータが少ないため他の2年と比べて統計誤差が大きいが、誤差の範囲内では2000年と比べて大きな変化はない。これは、一次宇宙線の太陽活動による変化と地磁気のカットオフによる抑制の効果が低エネルギー側で互いに打ち消しあう効果を持つために起こると考えられる。GEANTを用いた宇宙線の大気発展のシミュレーションを行なった結果、大気ミューオン強度に対するこれら2つの効果を定量的に説明できることがわかった。

本研究では、各高度における精度の高い大気ミューオン強度を導き、一次宇宙線の太陽活動による変化と地磁気のカットオフによる抑制の効果が大気ミューオン強度にどのように影響を与えるか、という議論を行なった。BESS実験から得られた精度の高いデータだけを用いてスペクトル同士の比較及び宇宙線の大気発展のシミュレーションを行なって、その相互関係を詳細に議論して定量的に明らかにし、大気ミューオンの強度を議論する際に有用な新しい観点からの研究を行なった。

太陽活動の変化に伴う Climax[1] の Neutron Monitor の観測データ ([1] http://odysseus.uchicago.edu/NeutronMonitor/:University of Chicago, “National Science Foundation Grant ATM-9613963”)

BESS-1999, 2000, 2001で得られた一次宇宙線陽子のエネルギースペクトル ([2]Y. Shikaze, et al., Proc. 28th Int. Cosmic Ray Conf. (Tsukuba), SH3.4. 4027, 2003)

BESS 2001 測定器

1/β vs magnetic rigidity

TOFホドスコープでのエネルギー損失 vs magnetic rigidity

μ-とe-のシグナル分布についてのデータとMCとの比較

μ+とpの1/β分布

μ-のグロスカーブ

1999, 2000, 2001の上空でのμ±のエネルギースペクトラム

1999と2001は2000の高度に合うようにスペクトラムを規格化している

審査要旨 要旨を表示する

主として陽子、ヘリウムから構成される一次宇宙線は太陽活動の影響を受けてその強度が時間変動する。また、入射する荷電粒子は地球磁場によりその軌道が曲げられるため、観測地での地磁気緯度に関連したカットオフエネルギー以下の宇宙線は地球に到達することはできない。一次宇宙線と大気原子核(主として窒素及び酸素)との相互作用で生成される二次宇宙線は、そうした一次宇宙線強度変化の影響を受け、その強度が変化する。二次宇宙線の中で代表的なものはミューオンで、これは比較的長寿命(2.2マイクロ秒)であり、大気とも主として電離損失以外の相互作用をしないので、大気中での宇宙線の相互作用や空気シャワーの発達を調べるために古くより様々な検出装置を用いて、そのエネルギースペクトルが測定されてきた。特に、近年ではスーパー神岡実験で発見された大気ニュートリノ振動の研究に関連して、大気ニュートリノ発生と深い関連を持つ上空での大気ミューオンのエネルギースペクトルの精密測定が行われるようになった。一次宇宙線が大気と相互作用する平均自由行程は約100g/cm2であり、大気ミューオン強度は地表からの高度により異なる値を持つことになる。大気ミューオンの強度はその生成と崩壊のバランスの結果、約100-200g/cm2にピークを持つ特徴的なカーブ(グロースカーブ)を描く。従って検出器を気球に搭載して高空に打ち上げて測定することにより、大気ミューオン強度の高度変化を観測することができる。

本論文は気球に搭載された単一の測定装置(BESS実験)を用いて1999年から2001年の連続した3年間に異なる2つの場所において様々な高度で行われた大気ミューオン強度の精密測定に関する研究である。

本論文は7章からなり、第1章は導入部、第2章はBESS実験に搭載された測定装置とその校正の詳細、第3章は本論文の気球飛行の概略、第4章は大気ミューオン事象の選別、検出効率およびその系統誤差に関する議論、第5章は実験結果、およびそれと世界の他の実験結果との比較、第6章はシミュレーションと実験結果についての比較及び議論、第7章は結論について述べている。

第1章ではBESS実験による大気ミューオン強度観測の物理的意義および本論文に関係する気球飛行の概略が述べられている。スーパー神岡実験で発見された大気ニュートリノ振動の研究に関連して、大気ニュートリノ発生と深い関連を持つ上空での大気ミューオンのエネルギースペクトルの精密測定は今後大気ニュートリノ強度の精密シミュレーションを構築する際の基礎データとして極めて重要な価値を持つ。

第2章では、BESS実験に搭載された測定装置とその校正の詳細が述べられている。BESS測定器は薄肉超伝導ソレノイドを使用した気球搭載型超伝導スペクトロメーターであり、これまでの観測装置と比較して大面積、大立体角、一様な磁場を持っている。ソレノイドの内側の均一な磁場領域にはドリフトチェンバーが設置され、荷電粒子の飛跡を測定し、その運動量を高い精度で決定する。粒子の識別はこの運動量とTOFホドスコープで測定される粒子速度から粒子の質量を同定する信頼性の高い方法で行っている。測定器はエアロジェルチェレンコフカウンターを備えており、陽子とミューオン、電子を広いエネルギー範囲で識別することができる。さらに厚さ11.8mmの鉛板を用いた電磁シャワーカウンターを搭載しており、TOFホドスコープで測定される粒子のエネルギー損失を用いてミューオンと電子・陽電子を識別することが可能である。

第3章では、本論文の気球飛行の概略が述べられている。1999年と2000年は8月にカナダのリンレーク(カットオフエネルギー0.08GeV)で、2001年は9月にアメリカのフォートサムナー(カットオフエネルギー3.4GeV)で観測を行った。飛行時間は1999, 2000年は34時間程度、2001年は14時間程度であった。いずれの年も気球が地上から大気最上層 (37km=4.6g/cm2) に達する間の上昇時にデータを取得し、また、上空37kmにおいても一日以上にわたる長時間の観測を行い、過去に測定されたデータよりも高い統計量で、系統誤差の小さい非常に質の高いデータを得た。ただし、2001年は大気最上層にとどまっていた時間は2時間程度で、その後は気球は4.5-28g/cm2の範囲でゆっくり下降を始めた。この下降中のデータは宇宙線と大気との相互作用を議論するのに用いられた。

第4章では、大気ミューオン事象の選別、検出効率およびその系統誤差に関する議論をしている。解析ではまず、上下のTOFホドスコープを通過してドリフトチェンバーの中で飛跡を一つだけ残した事象を選びだし、アキシデンタルおよび測定器内部で反応した事象を除去する。その後、粒子の速度と磁気硬度を用いて決めた質量と、上下のTOFホドスコープで測定される粒子のエネルギー損失から求めた電荷を用いる。パイオン、陽子、電子・陽電子の混入等の差し引きまでも含めた検出効率および大気ミューオン強度の系統誤差はおよそ数%程度である。

第5章では、大気ミューオン強度の実験結果を示して、世界の同種の実験結果と比較している。大面積・大立体角のため、世界最高統計精度大気ミューオン強度を測定することができる。また、同軸円筒上に配置された複数の検出器のために、系統誤差を非常に小さくおさえることが可能である。

第6章はシミュレーションと実験結果についての比較及び議論が述べられている。1999年と2000年の大気ミューオン強度を比較すると、太陽活動度の差違により、正電荷ミューオン (0.9-2.55GeV/c) の年度毎の差が負電荷ミューオン (0.9-9.76GeV/c) よりも低エネルギー側で大きくなっていることが判明した。これは一次宇宙線が正電荷を持つ陽子であるために起こることで、特に低エネルギー側では陽子と大気原子核との相互作用で生じる正負電荷パイオンの発生数に偏りがあるためと考えられる。一方、2001年のデータは誤差の範囲で、2000年のデータと比べて大きな差はない。これは、一次宇宙線の太陽活動による変化と地磁気のカットオフによる抑制効果が低エネルギー側で互いに打ち消しあうことが原因であることが判明した。GEANTを用いた宇宙線の大気発達シミュレーションを行った結果、大気ミューオン強度に関するこれらの効果を定量的に説明できることがわかった。

第7章では、この実験の結論が述べられている。

以上のように、本論文は気球に搭載された単一の測定装置(BESS実験)を用いて1999年から2001年の連続した3年間に異なる2つの場所において様々な高度で行われた大気ミューオン強度の世界最高精度の測定に関する研究であり、素粒子物理学(大気ニュートリノ振動の精密解析に必要不可欠な大気ニュートリノ強度計算の精密化のための基礎データ)および宇宙線物理学に大きく貢献するものである。したがって、審査員一同は本論文が博士(理学)の学位論文として合格であると判定した。なお、本論文の実験はBESS実験という大きなグループ実験であるが、論文提出者が主体となってデータ取得及び解析を行い、さらにハードウェアの貢献として、解析で重要な役割を果たす電磁シャワーカウンターおよびドリフトチェンバーの設計・製作を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。また、共同実験者全員から論文内容の結果を学位論文として提出することについて了承を得ているものであることを確認した。

UTokyo Repositoryリンク