学位論文要旨



No 118791
著者(漢字) 稲田,直久
著者(英字)
著者(カナ) イナダ,ナオヒサ
標題(和) スローン・ディジタル・スカイ・サーベイにおける重力レンズクエーサーの探索
標題(洋) Discoveries of Gravitationally Lensed Quasars from the Sloan Digital Sky Survey
報告番号 118791
報告番号 甲18791
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4444号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 満田,和久
 東京大学 教授 吉井,讓
 東京大学 助教授 大橋,正健
 東京大学 助教授 山本,智
 東京大学 教授 坪野,公夫
内容要旨 要旨を表示する

アインシュタインの一般相対性理論によると、物体の重力はその物体の周りの時空の「歪み」として記述されるであろうということが予測されている。このような時空の歪みはまるで「凸レンズ」のように働き、その時空を通過する光の経路を曲げる、という効果をもたらす。時空の歪み具合は物体の質量が増えるにつれて大きくなり、例えば銀河などの大質量の天体の周りの大きな時空の歪みは、ちょうどその視線方向にある遠方の銀河やクエーサーからの光の経路を強く曲げ、見かけ上の形を歪めたり、あるいは最も極端な場合、もともとは1つの天体であるにも関わらず複数の像として観測されるという現象を引き起こす。このような天体現象は「重力レンズ現象」と呼ばれ、特に遠方のクエーサーが銀河の周りの歪んだ時空の影響で見かけ上複数の天体として観測されるものは「重力レンズクエーサー」(以下レンズクエーサーとする)と呼ばれている。

1979年まではこのレンズクエーサーは実際には発見されておらず、それは天文学においてあまり重要なものではなかった。しかし、1979年にD. Walsh らが世界で初めてのレンズクエーサーであるQ0957+561を発見すると、その状況は一変した。レンズクエーサーは天文学における重要な観測対象となり、その後1980年代におよそ20個、1990年代以降では観測機器の向上や大規模なサーベイが行われたこともあっておよそ50個程度の新しいレンズクエーサーが発見された。今やレンズクエーサーは単なる一般相対性理論の観測的な証拠にとどまらず、有用な宇宙論の検証の道具の1つとして使えることが知られている。例えばその統計(クエーサーのサンプル中で重力レンズされたクエーサーが幾つ存在するか)は宇宙項に対する制限を与え、重力レンズによって形成される各像の光路差の違い(これはもともとのクエーサーが時間変動するために、各像のモニタリングをすることで測定することができる)からはハッブル定数を見積もることができる。また、各像の間の離角の大きさからは正確にレンズ天体(銀河)の質量を求めることができるため、レンズクエーサーは(レンズ現象を引き起こしている)銀河の研究においても有用である。

このようにレンズクエーサーを宇宙論の検証として用いる場合(特に統計やレンズ銀河の系統的な研究)には、大規模でかつ一様なデータセットを用いたレンズクエーサー探査が必要となる。過去幾つかの電波望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を用いた大規模な探査が行われてきたが、さらに精度の良い宇宙論の検証を行うためにより大規模な探査が必要とされていた。現在存在するもの中でその第一候補とされているのが、日本・アメリカ・ドイツの共同プロジェクトであるスローン・ディジタル・スカイ・サーベイ (SDSS) である。このSDSSは本来銀河やクエーサーの全天地図を作成するために行われている巨大プロジェクトであるが、その観測領域の広さや非常に良いデータの一様性から他の様々な目的においても過去にない規模での研究が行えることが予測されており、また実際に行われている。レンズクエーサー探査もその例外ではなく、SDSSのデータからはこれまでに見つかったものを総計したものの2倍以上(個々の探査と比較すると10倍以上)のレンズクエーサーが見つかるはずであるということが予測されている。このような予測を受け、我々は過去最大のレンズクエーサーのカタログを作りそれを様々な宇宙論の検証に応用すること目的とした「SDSSのデータを用いたレンズクエーサー探査」を開始した。

しかしながら、SDSSのデータは本質的に多くのレンズクエーサーを含んでいるものの、観測地点での大気揺らぎが大きいために、重力レンズによって形成された各クエーサー像は分割されずに混ざってしまい、結果的に1つの天体として観測されてしまうという大きな問題があった。この問題のため、その初期においては幾つかの候補天体を見つけてより大きな望遠鏡を用いて追加観測したにも関わらず、1つの重力レンズも見つけることができなかった。このような事態を受け、この論文は、SDSSのデータにおいて高い成功率をもってレンズクエーサーを見つけることができ、かつ今後の本格的な探査に用いることができる発見方法を確立し、またそれを使って実際に多くのレンズクエーサーを発見することで我々のレンズクエーサー探査の第一歩を築き、SDSSが将来において最大のレンズクエーサーカタログを作ることが確実であろうということを示すことを目標として始められた。

本論文の開始当時はまだSDSSにおいて1つもレンズクエーサーが見つかっていなかったのに加え、そのデータ中にはこれまでに知られているレンズクエーサーすらも含まれていなかった。そこで、我々は、まず始めにSDSSの天体の画像を直接目で確認していくことで最初のレンズクエーサーを発見し、それを詳細に調べることでレンズクエーサーがSDSSのデータのなかでどのように振舞うかを把握してから最終的な発見方法を開発していくことを決定した。しかしながら、SDSSのデータはその初期においても膨大であったため、全ての天体の画像を直接確認していくのは実質不可能であり、準備的な段階での方法として「divided-color method」と呼ばれるものを開発した。これは1つの天体を強制的に2つに分割し、それぞれの領域の色を計算することでレンズクエーサー候補を絞り込もうという方法である(もし本物のレンズクエーサーならばそのように分割した部分の色が両方ともクエーサーの特徴を示し、かつ同じ色を示すはずである)。この方法によりおよそ100万個の天体が最終的におよそ1万個の候補天体に絞られた。この1万個について、その画像を細かく調べていくことで、SDSS初のレンズクエーサーの発見を試みた。

divided-color method は準備的なものであったが、我々の予測どおり本物のレンズクエーサーを落とすことはなく、最終的にSDSS初のレンズクエーサー、SDSS J1226-0006の発見に成功した(図1・左)。このSDSS初のレンズクエーサーと、SDSSの観測領域の広がりによって同定された、すでに知られているレンズクエーサー1つを用い、これらの天体のSDSS中での振舞いを詳細にしらべることで、最終的な開発の方法を試みた。その結果、レンズクエーサー(候補)を選び出すためには、その画像上で銀河、星のプロファイルをフィッティングしたときの likelihood が非常に有用であることが分かり、これにより自動化された「profile-fitting likelihood method」を開発した。

この方法をおよそ4万個のクエーサーに適用して得られたおよそ40個の候補天体のうち、16個の候補天体について追加観測したところ、実際にそのうちの10個が本物のレンズクエーサーであることが確認され、また4万個のクエーサー中に含まれるすでに知られているレンズクエーサーを全て(5個)発見することに成功した。したがって実質上の (SDSS J1226-0006を含む) 発見率は現段階ではおよそ70%で、本格的なSDSSのレンズクエーサー探査に用いることのできる非常に発見率の高い方法を開発することに成功した。またこの論文ではおよそ2年間で11個(SDSS J1226-0006を含む)の新しいレンズクエーサーを発見することに成功しており、予測どおりSDSSが確実に最大のレンズクエーサーカタログを作成するであろうことを証明した(これまではおよそ25年間で70個しか見つかっていなかった)。こうして本論文はSDSSによる最大レンズクエーサーサーベイの第一歩を築くことに成功した。

以上のような「通常の」銀河によるレンズクエーサー探査に加え、SDSSのデータはその観測領域の広さから特殊なレンズクエーサーの発見をもたらすであろうことも予測されていた。その1つが銀河団によってレンズ効果を受ける「巨大離角の重力レンズクエーサー」である。現在用いられている標準的なダークマターモデル(cold で、重力以外の作用をしない)によると、現在の宇宙には銀河団スケールの巨大なダークマターの塊がいくつかできており、そのような大質量のダークマターの塊(通常は銀河団が付随している)によって巨大な離角を持つレンズクエーサーが生み出されるであろうことが予測されていた。これまでに見つかっているレンズクエーサーは全て銀河スケールのバリオン物質によるものであったため、そのような天体の初の発見を試みた探索が過去多数行われてきたが、非常に数が少ないと予測されていた通り、そのどれもが失敗に終わっていた。そのような希少なレンズクエーサーに対してはSDSSの膨大なデータが効力を発揮するであろうことを予測し、本論文ではそのような天体の探索も行った。その結果、初の銀河団によるレンズクエーサー、SDSS J1004+4112(図1・右)の発見に成功した。このレンズクエーサーの最大離角はこれまでに知られている最大のもの(およそ6秒角)の2倍を上回るおよそ15秒角であった。この発見は、その存在を予測していた標準的なダークマターモデルが強く支持されるという大きな科学的な意味をもたらしている。

SDSSは現在でもまだ進行中であり、また現在までの全ての候補の追加観測も終了していないため、今後はそのような候補天体の追加観測と、SDSSの新しいデータに対するレンズクエーサー探査を行い最大のレンズクエーサーカタログを作成していく予定である。それが完成し次第、それを様々な宇宙論的な検証に用いていく予定である。

(左)ハッブル宇宙望遠鏡で撮ったSDSS J1226-0006のHバンドの画像。

クエーサー像A・Bの間にレンズを引き起こしている銀河 (G) が確認できる。A・Bの間の離角は約1.3秒角。

(右)すばる望遠鏡で撮ったSDSS J1004+4112の画像。

griバンドを合成してカラーにした。クエーサー像A・B・C・Dの間にレンズを引き起こしている銀河団(複数のオレンジ色の銀河の集団)が確認できる。最大離隔(B・Cの間)はおよそ15秒角。

審査要旨 要旨を表示する

一般相対性理論によると、物体の重力はその物体の周りの時空の「歪み」として記述される。時空の歪みは時空を通過する光の経路を曲げる。銀河や銀河団などの大質量の天体の背景に銀河やクエーサーが存在すると、その光の経路は強く曲げられ、見かけ上の像を歪め、1つの天体が複数の像として観測されるような現象がもたらされる。このような天体現象を「重力レンズ現象」と呼び、とくに重力レンズの影響をうけたクエーサーは「重力レンズクエーサー」あるいは、レンズクエーサーと呼ばれる。

重力レンズ現象は宇宙物理学において主として、(1) 光を出さない暗黒物質を含めたレンズ天体の全質量分布の測定、(2) レンズによる拡大(増光)を利用した遠方天体の研究、(3) レンズ天体と被レンズ天体の空間密度などレンズ現象の統計的議論からの宇宙の大構造への制限と宇宙論モデルの検証、という3つの側面から重要である。

レンズクエーサーを宇宙論の検証として用いる場合には、大規模でかつ一様なレンズクエーサー探査が必要となる。過去幾つかの電波望遠鏡やハッブル宇宙望遠鏡を用いた探査が行われてきたが、宇宙論検証に十分な広さの探査には至っていない。日本・アメリカ・ドイツの共同プロジェクトであるスローン・ディジタル・スカイ・サーベイ (SDSS) は本来銀河やクエーサーの全天地図を作成するために行われている巨大プロジェクトであるが、その観測領域の広さやデータの一様性からレンズクエーサー探査にも威力を発揮する可能性が指摘されていた。ところが、実際には、SDSSの空間分解能の制限から本論文の研究が行われる以前は、SDSSで重力レンズ天体を発見することができなかった。

本学位論文の主な目的は、(1) 約4万5千個のSDSSクエーサー候補天体の中から、確度の高いレンズクエーサー候補を見落としなく探し出す方法を確立すること、(2) その方法をSDSSクエーサー候補天体に適応し、レンズクエーサー候補天体をリストアップすること、(3) レンズクエーサー候補天体の中のできるだけ多くに対してSDSSに比べてよい空間分解能を持つ大望遠鏡で follow up 観測を行い、レンズククエーサーを確認しそのリストを作成すること、である。

本論文の中で、論文提出者は、独自の手法による効率の高いレンズクエーサー候補天体探査の方法を考案・確立し、それをSDSSデータに適応した。レンズクエーサーは銀河もしくは銀河群程度の質量のレンズ天体によって、小さな離隔の複数像に分離した小角度レンズクエーサーと、銀河団の大質量によって大角度に分離した大角度レンズクエーサーに分けることができる。これまで、後者は1つも見つかっていない。論文提出者はそれぞれの新しいレンズクエーサー候補を40個および35個探し出した。前者の中に既知のレンズクーエーサーはすべて含まれており、これは論文提出者の考案した方法の有効性を示している。次に、論文提出者はこれらの天体の follow up 観測を、SDSS計画の共同研究者たちと共同で進めた。follow up 観測はまだ進行中であるが、11個の小角度レンズクエーサーを新たに発見し、さらに大角度レンズクエーサー1個を史上初めて見つけ出した。

follow up 観測は進行中であり、レンズクエーサーの統計に関する本格的な議論は今後の課題となる。しかし、大角度レンズクエーサーについては、1個発見されただけでも、ある程度の宇宙論モデルの検証が可能である。その結果は、標準的な宇宙論モデルと暗黒物質分布モデルを支持するものであった。

論文提出者は、上記の内容を9章とふたつの Appendices の論文にまとめている。その第1, 2, 3章はそれぞれ、重力レンズに関する歴史的レビューと重要性の議論、使用した観測データであるSDSSの記述、重力レンズ効果の理論的レビューにあてられ、第4章でSDSSデータからレンズクエーサー候補を効率よく見つけ出す方式を研究・開発しその検証を行っている。第5章と第6章は小角度レンズクエーサー候補と follow up 観測で確認されたレンズクエーサーについて述べられている。第7章では大角度レンズクエーサー候補と follow up 観測で確認された大角度レンズクエーサーの観測結果とそれによる宇宙論モデルの検証が述べられている。第8章では第4章で開発された方法以外で発見された2つのレンズクエーサーの結果が述べられ、第9章に論文全体の結論がまとめられている。最後に、二つの Appendices では follow up 観測がまとめられている。

本論文で論文提出者は、SDSSデータから重力レンズ天体を抽出する手法を確立し、それを実データに適応しSDSSデータによる重力レンズ天体研究の有効性を示した。本論文は、将来の大規模な重力レンズ天体研究の大きな第一歩となるものである。本論文は宇宙物理学の研究として新規性に富みかつ十分に意義の大きなものであり、研究内容とその結果は博士(理学)の学位に相応しいものである。

また、本論文の研究は、岡村を代表とするSDSSチームとの共同研究であるが、論文の主要な成果である新しいレンズクエーサー探査手法の開発とそのSDSSデータへの適応は論文提出者が独自に行ったものである。follow up 観測とその結果の解釈は、これらに比べると共同研究者の寄与が大きいものの、論文提出者がチームをリードしながら研究を進めており、論文提出者の主体性と寄与は博士論文として認めるのに十分であると判断する。

したがって、本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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