学位論文要旨



No 118792
著者(漢字) 内田,和之
著者(英字)
著者(カナ) ウチダ,カズユキ
標題(和) SrTiO3におけるキャリアドーピング効果の第一原理的研究
標題(洋) First-Principles Study of Carrier Doping Effects in SrTiO3
報告番号 118792
報告番号 甲18792
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4445号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 杉野,修
 東京大学 教授 高山,一
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 塚田,捷
 東京大学 教授 小林,孝嘉
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景(1章の内容)

最近、SrTiO3における光誘起現象がその新奇かつ興味深い振舞いから大変な注目を集めている。

●SrTiO3の誘電率が、紫外光照射で導入された光キャリアによって極めて大きくなる(巨大誘電効果)。TiO6八面体の回転に伴い、SrTiO3の光伝導度が2桁の増大を示す。

これらの新奇現象は、光照射によって導入された光キャリアと背景となるSrTiO3結晶格子との間の電子-格子相互作用に密接に関連しながら現れる。

SrTiO3は典型的なペロブスカイト型結晶であり、実験的にも理論的にも非常に精力的に研究されてきた物質である。しかしながらこの系にキャリアをドープした場合の電子-格子相互作用の物理に関しては、未だほとんど調べられていないのが現状であった。

本研究は、SrTiO3における新奇な光誘起現象の将来的な理解のための第一歩として、SrTiO3における電子-格子相互作用の最も基本的な側面を第一原理計算の手法を用いて明らかにしたものである。

計算手法(2章の内容)

博士論文第2章においては、研究に用いた第一原理計算の手法を review し、本研究で取り扱った光励起状態を計算するための formalism をも説明している。

SrTiO3に内在する構造不安定性のキャリアドープによる変調の問題(3章の内容)

ペロブスカイト型結晶SrTiO3は2重の構造不安定性、すなわちTiO6八面体が回転を起こそうとする不安定性と、強誘電変位を起こそうとする不安定性の両方を備えている。筆者はドープしたキャリアが局在する事なく結晶全体に広がっているという仮定の下に、

●第一原理計算の手法を用いて、SrTiO3における電子ドープ、ホールドープ、光ドープ(電子とホールの同時ドープ)が、これらの構造不安定性をTable 1にまとめたようにあるいは促進し、あるいは抑制するという計算結果を示した。

●バンド計算の結果、価電子帯の頂上は酸素の2p軌道から成り、伝導帯の底はチタンの3d軌道から構成されている事から、電子ドープはチタンのイオン半径を増大させ正のイオン電荷の絶対値を減少させる事、ホールドープは酸素のイオン半径を減少させ負のイオン電荷の絶対値を減少させる事を論じた。

●TiO6八面体回転の回転角は tolerance factor が小さいほど大きい。tolerance factor とはストロンチウムイオンの半径と酸素イオンの半径の和で決まるSrO面のサイズとチタンイオンの半径と酸素イオンの半径の和で決まるTiO2面のサイズとの比の値である。上で述べたキャリアドープに伴うイオン半径の変化を考慮して電子ドープは tolerance factor を減少させるので回転を促進する事、ホールドープは tolerance factor を増大させるので回転を抑制する事を論じ、TiO6八面体回転におよぼす電子ドープ効果、ホールドープ効果の計算結果の背景にある機構を説明した。

●強誘電不安定性の大小は、強誘電変位に伴って各セルに生じる電気双極子モーメントの大小に依存して決まる。上で述べたキャリアドープに伴うイオンの電荷の変化から電子ドープ、ホールドープのいずれの場合も同じ距離だけイオンが変位した時に生じる電気双極子モーメントは小さくなり強誘電変位に伴うエネルギー利得を少なくする。この機構により強誘電不安定性におよぼす電子ドープ効果、ホールドープ効果の計算結果を説明した。

●光ドープ(電子&ホールドープ)の計算結果は電子単独のドープの結果、ホールだけのドープの結果の重ね合わせとして理解できる事を論じ、キャリアドープ時のイオン半径の変化、イオン電荷の変化に基づく説明が光ドープの場合にも成り立つ事を説いた。

筆者の計算結果は、TiO6八面体回転に関しては、キャリアドープ濃度が実験と同程度の時にはTiO6八面体回転におよぼすキャリアドープ効果は観測不可能なほど小さいという意味で実験と一致する結果であると言える。また、強誘電不安定性に関しては、巨大誘電効果を説明するような強誘電不安定性の増大の機構はキャリアが結晶全体に広がっているという仮定をする限り出て来ないという事を示す結果である。

キャリアドープによって誘起される Jahn-Teller 歪みの問題(4章の内容)

SrTiO3のSrをそれよりも一つ価数の大きいYに置換したYTiO3においては、通常のペロブスカイト結晶に比べて Jahn-Teller 歪みと呼ばれる結晶構造の違いが生じている。筆者は第一原理計算の手法を用いて、

●SrTiO3における電子の大量ドープがYTiO3において知られているのと同様なJahn-Teller 歪みを引き起こすという計算結果を示した。

●SrTiO3における電子ドープ誘起のJahn-Teller 歪みはa型よりもd型の方が有利であるという計算結果を示した。

●電子ドープによって誘起された格子のJahn-Teller 歪みに伴って電子系が軌道秩序状態を形成するという計算結果を示した。

●ホールドープや光ドープはそのドープ量に関わらずここで論じているJahn-Teller 歪みをSrTiO3中で引き起こす事はできないという計算結果を示した。

ここで論じているJahn-Teller 歪みの誘起の為には1 Tiサイトあたり2個という極めて高い濃度の電子ドープ量が必要であるため、この電子ドープ誘起Jahn-Teller 歪みはそれよりはるかに小さいドープ濃度で実現している巨大誘電効果とは無関係であると考えられる。

格子欠陥とキャリアの相互作用の問題(5章の内容)

酸素欠陥はSrTiO3における典型的な格子欠陥である。筆者は孤立した酸素欠陥を例にとり、第一原理計算の手法を用いてSrTiO3における格子欠陥とキャリアの相互作用の問題を議論した。

●過去の、近似としてMT球内で電子密度、ポテンシャルの球対称性を仮定するLMTO-ASA計算の結果に反し、平面波展開で一電子波動関数を表現するより正確な第一原理計算は構造緩和を経ない孤立酸素欠陥がバンドギャップ中深くに占有電子状態を作る事を見い出した。

さらに、平面波展開を用いた計算においても構造最適化後には、TiO6八面体の回転面内に位置する酸素欠陥はギャップ内に準位を生じることはない事を見い出した。

●TiO6八面体の回転面内に位置する酸素欠陥よりも〜3×10-4Hartree 程度高エネルギーに位置するTiO6八面体の回転軸上の酸素欠陥(準安定状態)は構造緩和後もバンドギャップ中約100meVの深さに占有電子状態を作り出す事、その波動関数は酸素欠陥の位置に局在している事を見い出した。

さらにこの系にホールを導入すると、酸素欠陥に捕らわれていた電子と再結合を起こし、これに伴って酸素欠陥の周りの局所的な構造が変形を起こすとともにギャップ準位がバンドギャップの外、高エネルギー側へ追い出されてしまう事を見い出した。

筆者の計算からは、TiO6八面体の回転軸上の酸素欠陥はギャップ内準位を作って電子を捕らえるため、ここにさらにホールをドープをする前と後では欠陥の周りの局所的な構造が大きく変化するという事が言えるが、巨大誘電効果と酸素欠陥が直接に関係あると考える理由は今の所ない。

結論(6章の内容)

以上に述べた来たように、本研究から筆者はSrTiO3にキャリアをドープした場合の電子-格子相互作用の物理について、いくつもの興味深く新しい知見を得ることができた。

今回の研究の範囲では、研究の動機付けとなった巨大誘電効果の最終的な理解にまでは至っていないものの、少なくともキャリアが系全体に広がっているという仮定の下では巨大誘電効果を説明する事は出来ないという事実を明らかにする事ができた。

従って、今後キャリア局在の問題についてさらに研究を進めて行く事が、誘電率と光伝導が興味深い振舞いを示すというSrTiO3に光キャリアを注入した場合に生じる新奇現象の理解の為に極めて重要であると言える。

SrTiO3におけるキャリアドープによる構造不安定性の変調

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第一章は、研究の背景について、第二章は、計算手法について、第三章はキャリア導入によるSrTiO3の構造不安定化について、第四章はJahn-Teller 変形について、第五章は、欠陥とキャリアの相互作用について、第六章は結果のまとめについて、書かれている。

ペロブスカイト型結晶を持つSrTiO3は従来から数多くの研究がなされてきたが、最近、巨大誘電効果や光伝導度の増大などの光誘起現象が新奇現象として非常に注目されている。重要な役割を果たすのは電子・格子相互作用であるが、これまで基底状態の研究が専ら行われており、キャリアをドープした場合の研究例はない。そこで電子・格子相互作用のドーピング効果をきちんと調べることが重要な課題になっている。これを第一原理からの大規模計算により解明しようというのが、筆者の研究動機である(第一章)。

この研究を行うため、電子あるいはホール過剰の状態における電子状態計算だけでなく、電子及びホールが同時に導入された励起状態の計算も行えるように、計算手法開発を行った(第二章)。その結果は、東京大学理学部物理学科の研究室を中心に開発しているTAPPと呼ばれる計算プログラムパッケージに、新しい機能として追加されている。

SrTiO3は基底状態において、TiO6八面体の回転と強誘電変位の二方向に不安定性を持っているが、そのキャリアドープ効果を調べたのが第三章である。TiO6八面体の回転に関しては、電子(ホール)ドープが不安定性を促進(抑制)することを見出し、特に単位胞にホール一個分以上ドープした場合には、不安定性がなくなることが示された。この原因は、ドープによる有効イオン半径の変化によるもの(幾何学的効果)である。強誘電変位に関しては、電子ドープもホールドープも不安定性を抑制し、単位胞あたりキャリア一個分以上ドープした場合には不安定性が消失することが示された。この原因は、ドープにより有効電荷が減少して双極子が小さくなることによる。これら二種類の不安定性に共通して、電子及びホールが同時に導入された場合には、それぞれの効果を重ねあわせた効果が現れることも見出した。これらの結果は、キャリアドープ相互作用の特徴を明確化したものであり、将来の物質設計上の指針となりうる重要なものであると考えられる。

キャリアドープによってJahn-Teller 歪みも影響を受ける。第四章ではその可能性を調べている。SrTiO3の場合、基底状態にはJahn-Teller 歪みはないが、電子ドープによりそれが起こりやすくなり、単位胞あたり二電子以上ドープすると、(YTiO3で見出されているのと同様な)歪が出現することが示された。その結果、電子系には軌道秩序が現れる。これに対して、ホールまたは電子・ホール両方をドープしたときは、Jahn-Teller 歪みが現れないことが示されている。単位胞に二電子ドープするのは、現状では実現可能ではないので、実験の予測という側面は薄いが、この結果は興味深く、一種の計算機実験としての価値が高いと考えられる。

格子欠陥(孤立した酸素空孔)とキャリアの相互作用が次の第五章で調べられている。酸素空孔がTiO6八面体の回転面内に導入された場合、もし格子歪がなければ、空孔の周りに局在した状態が現れ、バンドギャップ内に準位を作る。ところが構造最適化すると、大きな格子歪が生じ、ギャップ内の準位は conduction band 内に埋もれ、局在状態はなくなる。これに対して、酸素空孔がTiO6八面体の回転軸上に導入されると、構造緩和後もバンドギャップ中約100meVの深さに局在準位が形成されることが見いだされた。なお、ホールを導入すると、(クーロン反発の結果準位がギャップ中のより深いところに形成されると単純には予想されるが)、ホールドープ後に起こる大きな歪のため準位は逆に上昇し、conduction band 内に埋もれ、局在状態はなくなる。

第六章では、第三章から第五章までの計算結果と巨大誘電効果や光伝導度の増大などの光誘起現象との関係が議論されている。第三章と第四章では、キャリアが結晶全体に広がっている範囲内でのキャリア・格子相互作用が調べられたが、調べた範囲内では、実験を説明するような程相互作用の大きさが大きくないことがわかった。すなわち、キャリア導入により何らかの局在化が起こらないと巨大効果が現れないことが推測できる。これは、理論モデルを立てる上での重要な指針となるものと評価できる。第五章では、局在化の一例として酸素空孔が研究されたが、この結果から、実験を説明するためには、他の局在化の要因を考えるべきことが結論付けられる。

なお、本論文第三章の研究は、指導教官の常行真司氏と東芝の清水達雄氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算および結果の考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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