学位論文要旨



No 118798
著者(漢字) 亀谷,和久
著者(英字)
著者(カナ) カメガイ,カズヒサ
標題(和) へびつかい座暗黒星雲における中性炭素原子の広域分布
標題(洋) Neutral Atomic Carbon Distribution in the ρ Ophiuchi Dark Cloud
報告番号 118798
報告番号 甲18798
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4451号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 坪野,公夫
 東京大学 教授 井上,一
 東京大学 教授 中川,貴雄
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 助教授 河野,孝太郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文では、へびつかい座領域の代表的な中小質量星形成領域であるρOphiuchi (ρOph) 暗黒星雲に対して、中性炭素原子の微細構造線 ([CI]3P1-3P0 : 492 GHz) をかつてない規模で観測した。観測された[CI]分布内の特に注目すべき2点に対しては、[CI]3P2-3P1(809 GHz) 輝線の検出にも成功した。観測の結果に対して主に分子雲の形成過程の見地から議論することにより、ρOPh 暗黒星雲の形成過程について物質の化学変化という観点から新たな解釈を得た。

研究の背景

星間分子雲(分子雲)は星間物質から恒星が形成される現場である。分子雲内の高密度コアにおいて恒星が形成される過程は、これまで主に電波と赤外線の観測からよく調べられてきた。一方、星形成の母体となる分子雲の形成過程についての理解は十分に進んでいないのが現状である。そこで本研究では、分子雲における物質の化学的な存在形態の変化という観点から、分子雲の形成過程を探ることを目的とする。そのための手段として、宇宙における存在量が水素、ヘリウム、酸素に次いで4番目に多い炭素の存在形態に着目した。

分子雲において、気相の炭素は物理的環境に依存して様々な形態に変化する。分子雲外層では星間紫外線によって光イオン化されて炭素イオン(C+)として存在し、分子雲内部では紫外線が遮蔽されるため酸素と結合した一酸化炭素(CO)の形態が支配的となる。中性炭素原子(CO)は、この2つの状態の中間に存在するため、分子雲の構造、形成過程を理解するためにはその分布を分子雲全体規模で広域に捉えることが不可欠である。

分子雲内部の物理状態(構造、温度、密度、運動等)は、これまでCOをはじめとする様々な分子のミリ波輝線の観測を中心に詳細に調べられてきた。これに対して、COが放つ [CI] (3P1-3P0 : 492GHz ; 3P2-3P1 : 809 GHz) 輝線の観測は、代表的な天体の中心方向等の極めて小さな領域に限られていた。その理由は、この輝線がミリ波よりも大気中の水蒸気による吸収が顕著なサブミリ波帯にあること、及びサブミリ波を観測する高感度受信機の製作に技術的困難が伴うためであった。

分子雲スケールでの[CI]分布の観測が進展したのは、ここ数年の富士山頂サブミリ波望遠鏡や海外の小口径サブミリ波望遠鏡(AST/RO、SWAS等)の活躍による。特に我々のグループによる富士山頂サブミリ波望遠鏡を用いた銀河系内分子雲観測では、C0は分子雲内部にも豊富に存在し、N(C0)/N(CO)柱密度比が概ね0.1程度であることを明らかにするなど、「C0は分子雲表面のみに存在する」という標準的な平行平板を仮定した光解離領域(PDR)モデルの考え方の限界を示す結果が得られている。一方、N(C0)/N(CO)比が分子雲の化学的な進化段階を反映する良い指標となることも示唆されている。実際、おうし座分子雲内のHCL2領域ではN(C0)/N(CO)比が大きい領域が発見され、他分子輝線の観測結果とよく対応して化学的に若い領域と解釈できることが確認されている。

本研究の観測天体には、へびつかい座暗黒星雲(ρOph 暗黒星雲)を選択した(Chapter 2)。この暗黒星雲は太陽近傍(距離145 pc)に位置する代表的な中小質量星形成領域である。そのため、電波からX線に至るあらゆる波長域を用いた観測的研究が精力的に行なわれ、分子雲の物理状態や形成された星の進化が詳しく調べられてきた。この領域は、星形成が活発な高密度コアが集中する分子雲(L1688、L1689)と長く伸びるフィラメント状分子雲(L1709)という特徴的な構造をもっている。分子雲の南西にはOB型星団(Sco OB2)が付随しており、分子雲を紫外線で照らしている。さらに、上記の構造及びOB型星団との関係から、この分子雲の形成過程についても議論されており、Sco OB2内で過去に起こった超新星爆発によって周囲のガスが掃き集められ、現在の活発な星形成活動の引き金になったとする説が提唱されている。以上の特徴により、ρOph 暗黒星雲は分子雲形成過程の研究対象として理想的な条件を備えているといえる。

ρOph 領域の分子雲における中性炭素原子輝線の観測

中性炭素原子輝線[CI]3P1-3P0(492 GHz)の観測は、富士山頂サブミリ波望遠鏡(Chapter 3)を用いて行なった。観測領域はρOph 暗黒星雲のL1688、L1689、L1709及びその北部に位置するL1757分子雲の全域である約6平方度(38平方パーセク)にわたり、その[CI]分布を分子雲スケールで明らかにすることに初めて成功した(図1)。

観測の結果、[CI]輝線の全体的な広がりは13CO (J=1-0)輝線のそれと似ており、分子雲の全域に分布していることが判明した。低密度の原子ガスの分布を反映する[CII]輝線が、この領域の主な紫外線源である HD 147889(B2V 型星)を中心に分布していることと対照的である。以上の比較は、中性炭素原子C0は、標準的なPDRモデルのように分子雲表面の紫外線に曝された領域にのみ存在するのではなく、むしろ分子雲の内奥に存在している成分の方が支配的であることを示唆している。

L1688における[CI]分布:

この[CI]分布を詳細に調べるために、まず始めにL1688に現れた2つの顕著な強度ピーク位置に注目して議論を行なった(Chapter 4)。最も強いピーク(Peak I)は、高密度分子雲コアρOphA の位置とほぼ一致した。2番目のピーク(Peak II)は、Peak Iから南東に20分角離れた位置に現れた。この2点における[CI]の励起温度 Tex([CI])と柱密度N(C0)を正確に求めるために、[CI]3P2-3P1 (809GHz)輝線の観測を行ない、両点で同輝線の検出に成功した。両輝線の強度から、Peak Iにおける[CI]の励起温度は38K、柱密度は5.5×1017cm-2と求めることができた。一方、Peak IIにおいては励起温度は29K、柱密度は5.0×1017cm-2と算出された。

上記の2つのピークのうち、Peak IIは[CI]強度がCO強度に比べて比較的強い領域である。紫外線源 HD 147889 からPeak IIにかけて、C+/CO/C0の順に強度ピークが並ぶことを見出した(図2)。平行平板を仮定したPDRモデルによると、C0は分子雲表面にのみ存在し、紫外線源から分子雲内部にかけてC+/C0/COの配列を示すはずである。従って、上記の観測結果はこのモデルでは説明できない。次に、Peak IIにおけるN(CO)/N(CO)柱密度比は0.076と求められた。これは平行平板PDRモデルによる理論値より1桁近く大きい値であり、上記モデルによる説明の限界が示された。観測結果を理論的に説明するためには、クランプ状構造を持つ光解離領域を導入するか、或いはPeak II周辺がC0からCOへの化学変化が十分に進んでいないような分子雲の化学進化の初期段階にあると解釈する必要がある。後者の解釈は、この分子雲における活発な星形成が、隣接するSco OB2内で起こった超新星爆発の影響によって星間物質が掃き集められたことで始まったとする説に矛盾しない。

ρOph 領域における広域[CI]分布 :

次に、ρOph 領域の3つの分子雲(L1688、L1689、L1709)の全体における、[CI]の広域分布について研究を行なった(Chapter 5)。

活発な星形成を伴うL1688及びフィラメント状分子雲L1709において、フィラメントの方向に沿って速度構造を調べた。このフィラメント状分子雲が、Sco OB2内で起きた超新星爆発の影響を受けて物質が吹き流されることによって形成されたとすると、フィラメントに沿って一定の速度勾配あるいは質量に応じた速度勾配が見られるはずであるが、実際にはそのような速度勾配は見られなかった。

分子雲の端と内部について、13CO (J=1-0)輝線に対する積分強度比([CI]/13CO (J=1-0))の分布の比較を行なった。分子雲の端では比は大きい値を示し、特に HD 147889 に近づくに従って最大3.5まで増大し、光解離の影響を示唆した。一方、分子雲内部では比は小さく(平均0.57)、HD 147889からの距離によらずほぼ一定の値を示した。このことは、分子雲の内奥でもCOに対して一定の割合でC0が存在することを示唆している。COに対する柱密度比(N(CO)/N(CO))の分布においても同様の傾向が見られた。

領域ごとにN(C0)/N(CO)柱密度比の比較を行った。その結果、星形成活動が活発なL1688とL1689はほぼ同じ系列を示すが、星形成がほとんど起こっていないフィラメント状分子雲L1709は上記2領域に対して全体的に比が小さいことを見出した。この結果は、L1709ではL1688やL1689よりも分子雲内の化学的な年齢が大きいことに対応すると解釈することができる。

以上の結果は、L1688やL1689はSco OB2からのガスの掃き集めよって形成したとする考えと矛盾しない。一方、フィラメント状分子雲L1709については、Sco OB2からの影響で分子雲の一部が吹き流されて形成されたのではなく、より古くから存在していた可能性が示唆される。

このように本研究では、[CI]分布を用いて分子雲の形成過程を調べることの有用性を示すと同時に、ρOph 領域の分子雲の形成過程について、物質の化学変化という視点から新たな知見を得ることができた。

ρOph 領域における[CI]積分強度分布。

HD 147889からの距離に対する各輝線強度の分布

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、へびつかい座領域の代表的な中小質量星形成領域であるρOphiuchi (ρOph) 暗黒星雲に対して、中性炭素原子の微細構造線 ([CI] : 492GHz) をかつてない規模で観測し、そのデータをもとに物質の化学変化という観点からこの暗黒星雲の形成過程を調べることにより、分子雲形成について新たな解釈と知見を得ている。

中性炭素原子輝線[CI] (492GHz)の観測は、富士山頂サブミリ波望遠鏡を用いて行なわれた。観測領域はρOph暗黒星雲のL1688、L1689、L1709及びその北部に位置するL1757分子雲の全域である約6平方度(38平方パーセク)にわたり、その[CI]分布を分子雲スケールで明らかにすることに初めて成功した。観測の結果、[CI]輝線の全体的な広がりは13CO (J=1-0) 輝線のそれと似ており、分子雲の全域に分布していることが判明した。

この[CI]分布を詳細に調べるために、まず始めにL1688に現れた2つの顕著な強度ピーク位置に注冒して議論を行なった。最も強いピーク(Peak I)における[CI]の励起温度は38 K、柱密度は5.5×1017cm-2と求めることができた。一方、弱い方のピーク(Peak II)においては励起温度は29 K、柱密度は5.0×1017cm-2と算出された。紫外線源HD 147889 からPeak IIにかけて、C+/CO/C0の順に強度ピークが並ぶことを見出した。平行平板を仮定したPDRモデルによると、C0は分子雲表面にのみ存在し、紫外線源から分子雲内部にかけてC+/C0/COの配列を示すはずである。従って、上記の観測結果はこのモデルでは説明できない。観測結果を理論的に説明するためには、クランプ状構造を持つ光解離領域を導入するか、或いはPeak II周辺がC0からCOへの化学変化が十分に進んでいないような分子雲の化学進化の初期段階にあると解釈する必要があることを示した。

次に、ρOph領域の3つの分子雲(L1688、L1689、L1709)の全体における、[CI]の広域分布について研究を行なった。L1688及びフィラメント状分子雲L1709において、フィラメントの方向に沿って速度構造を調べた。このフィラメント状分子雲が、Sco OB2内で起きた超新星爆発の影響を受けて物質が吹き流されることによって形成されたとすると、フィラメントに沿って一定の速度勾配あるいは質量に応じた速度勾配が見られるはずであるが、実際にはそのような速度勾配は見られなかった。領域ごとに N(C0)/N(CO) 柱密度比の比較を行った。その結果、星形成活動が活発なL1688とL1689はほぼ同じ系列を示すが、星形成がほとんど起こっていないフィラメント状分子雲L1709では上記2領域に対して全体的に比が小さいことを見出した。この結果は、L1709ではL1688やL1689よりも分子雲内の化学的な年齢が大きいことに対応すると解釈することができる。このようにフィラメント状分子雲L1709については、Sco OB2からの影響で分子雲の一部が吹き流されて形成されたのではなく、より古くから存在していた可能性が示唆される。

以上のように、本研究では、[CI]分布を用いて分子雲の形成過程を調べることの有用性を示すと同時に、ρOph 領域の分子雲の形成過程について、物質の化学変化という視点から新たな知見が得られている。これらは従来ない新たな知見であり、今後の分子雲さらには星形成研究に大きく貢献する成果であるといえる.

なお本論文は共同研究として進められたが、論文提出者が主体となって観測、解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される.

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク