学位論文要旨



No 118802
著者(漢字) 河野,能知
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,タカノリ
標題(和) HERAでのDメソン光生成過程におけるジェット断面積の測定
標題(洋) Measurement of Jet Cross Sections in D Photoproduction at HERA
報告番号 118802
報告番号 甲18802
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4455号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 助教授 浜垣,秀樹
 高エネルギー加速器研究機構 教授 永江,知文
 東京大学 教授 森,俊則
内容要旨 要旨を表示する

高エネルギーでのハドロン・ハドロン散乱は、ハドロンの構成粒子であるクォークやグルーオン(パートン)間の散乱と考えることができる。断面積は、ハドロン中のパートン分布と摂動論的量子色力学 (pQCD) によるパートン間の散乱過程を用いて計算することができる。実際に様々な粒子を用いた散乱 (pp、ep、πN、…) をpQCDに基づいて理解することができる。ハドロン・ハドロン散乱による重いクォーク(cおよびbクォーク)の生成もpQCDの枠組みで記述できると考えられている。

近年 Tevatron における重心系エネルギー2 TeVでのpp衝突実験においてB中間子の生成断面積の測定値が理論の予言値を2-3倍上回るという結果が得られてきた。また、LEPにおけるe+e-→e+e-bbという反応においても実験値が理論を2-3倍上回っている。一方、cクォーク生成においては、LEPの測定では理論の不定性が依然大きいが誤差の範囲以内で一致するという結果が得られている。

cクォーク生成過程の研究は電子・陽子衝突においても現在精力的に行われている。電子・陽子散乱において交換される4元運動量移行 (Q2) の小さい領域 (Q2〓0) でのD*±メソンの生成過程において、LEPや Tevatron での実験と同様に実験データが理論を上回るというが結果が得られている。Q2が小さい領域では、電子から放出された光子がほとんど質量殻上にあるので、この反応は電子からの光子のフラックスと光子・陽子散乱の断面積によって記述することができ、光生成過程と呼ばれている。高エネルギーにおいて光子はハドロン的に振る舞うことがこれまでに知られている。そのため、光生成過程もハドロン・ハドロン散乱と同じ枠組みで記述することができる。ZEUS実験における測定では、D*の横方向運動量 (pT) が低く、かつ擬ラピディティ (η) の大きいところ(光子・陽子系における陽子の進行方向)において特に測定した断面積が大きくなっている。また、ZEUS実験におけるD*を含む2ジェット事象の角分布の解析によりcクォークの光生成過程の中で、光子がccに分解して起こる反応が重要な部分を占めるということ示唆した。

pQCDは様々のところで成功を収めているが、ハドロン散乱における重いクォークの生成では、以上のように実験と理論の不一致が観測されている。本解析では、D*の生成と同時にジェットを測定することでpQCDが記述するパートンと観測量との対応を良くできると考え、D*光生成事象におけるジェットの断面積を測定した。測定はインクルーシブに行った、すなわちジェットが一つ以上ある事象の断面積を測定した。ジェットを測定することでD*以外の粒子の分布についても調べることができ、特に理論・実験の不一致が観測されている前方で観測する擬ラピディティ領域を広げることができる。ジェットの横方向エネルギーEjetTおよび擬ラピディティηjetに対する微分断面積を求めた。

ZEUS実験は、1998年から2000年までの間、(陽)電子ビーム27.5GeV、陽子ビーム920GeVで運転を行ってきた。この間にZEUS測定器で取得されたe-p、e+p衝突データは合わせて78.6pb-1であり、それを用いて解析を行った。まず、光生成事象を選別するために衝突後に散乱電子が主測定器で観測されないということを要求し、Q2<1GeV2、130<W<280GeVという運動学的領域で測定を行った。D*は中央飛跡検出器 (CTD) で測定された荷電粒子の飛跡からD*→D0πs→Kππsという崩壊モードを用いて、D0の不変質量 (m(D0)) と、D*とD0の質量差 (△m) を求めて同定して、pT(D*)>3GeV/cかつ|η(D*)|<1.5という領域にあるものを選んだ。ここで、PT(D*)はD*の横方向運動量である。これらの事象についてジェットをkTアルゴリズムにより再構成し、EjetT>6GeV、-1.5<ηjet<2.4に一つ以上のジェットがあるものを選んだで4891±113事象を観測した。得られた△m分布を図1に示す。これらの事象に対してインクルーシブなジェットの微分断面積、dσ/dEjetT、dσ/dηjetを測定した。

測定した断面積を摂動の2次までの効果を取り入れたNLO QCD計算に基づく予言と比較するため、FMNRと呼ばれるプログラムを用いて実験と同じ運動学的領域における理論予言値を計算した。この結果はパートンレベルで行われており、実験で測定した断面積はハドロン化の後の量である。ハドロン化による影響は、MCシミュレーションにより見積もった。具体的には、イベントジェネレーターHERWIGを使ってパートンレベルでの断面積とハドロンレベルでの断面積の比を取り、それをNLO QCD計算により得られた断面積に掛けた。ハドロンレベルのジェットとパートンレベルのジェットの相関を調べると、ハドロンレベルのジェットの擬ラピディティがパートンレベルに比べて前方にシフトしていることがわかった。それにより、ハドロン化の効果を考慮すると、擬ラピディティの負の領域で断面積が減り、正の領域で若干増える。

測定されたデータをNLO QCD計算によるハドロンレベルでの断面積と比較し考察を行った。図2に示すのは、dσ/dEjetTの測定値とNLO QCDの比較である。データ(黒点)、パートンレベルでのNLO QCDによる予言値(細い実線)、ハドロン化後のNLO QCDによる予言値(太い実線)、上限(破線)と下限(点線)を示してある。同様に、図3にdσ/dηjetの結果を示してある。図に示してある理論曲線の不定性は、計算における繰り込みのスケールとcクォークの質量を変化させて得られたものである。理論の不定性が大きいので極端な場合 (μR=0.5μ、mc=1.5GeV/c2) を取ればデータに近づくが全ての領域で測定値が理論の予言値を上回っている。

EjetTの低い領域でのdσ/dηjet(図3(b))の理論値は、ハドロン化の効果により分布が変わり、この効果を入れた後、分布の形はNLO QCDによりほぼ記述できていることがわかる。EjetT>9GeVではハドロン化の効果はそれほど大きくない(図3(c))。また、D*の測定では見られなかった、より前方 (ηjet>1.5) でのジェット生成に関しても断面積の絶対値を除いて、NLO QCDによりほぼ記述できることがわかった。

断面積の分布の形は基本的に理論・実験で合うが、最も高いEjetTにおいてデータが理論の中心値の約3倍大きくなっている。この領域に寄与する事象におけるD*の変数の分布を図4に示す。図4(b)からわかるように、pT(D*)/EjetTの分布はMCによる分布の予想とは異なり、pT(D*)/EjetT<0.5にピークする形になっている。これは、2次的なチャーム生成からの寄与が存在する可能性があることを示唆している。これが具体的にどのような過程から来るか等の詳細を調べるには、さらなる解析とより高い統計のデータが必要である。また、図4からD*生成断面積で観測されていた超過の一部はEjetTの高い領域の事象から来ていると考えられる。

以上述べたように、本論文では初めてD*生成事象でのインクルーシブなジェット断面積を測定した。これまでの研究で測定したD*生成断面積と同様に、ジェット断面積においてもデータが理論計算を上回るが、D*生成断面積で見られた低いpTかつ前方でデータが著しく大きくなるという傾向は、ジェット断面積においては観測されなかった。これはD*生成断面積では、ハドロン化の効果によりD*が前方に引きずられることが影響していたものと考えられる。ジェットを測定することで、D*生成事象において広い擬ラピディティ領域にわたる粒子生成を捕え、測定した領域で分布の形はNLO QCDにより記述できることを明らかにした。また、EjetTの高い領域で測定値に超過が観測されたが、これはHERAでの光生成過程において2次的なチャーム生成が存在する可能性を示唆している。

全ての事象選別を行った後の△m分布。

微分断面積dσ/dEjetTのNLO QCD計算との比較。黒点がデータ、細い案線がパートンレベルでのNLO QCD、太い実線がハドロン化後のNLO QCD、破線がNLO QCDの上限、点線がNLO QCDの下限をそれぞれ表す。データ点を通る黄色いバンドはハドロンのエネルギースケールの不定性からくる系統誤差。

微分断面積dσ/dηjetのNLO QCD計算との比較。点や線の意味は図2と同じ。

最も高いEjetTのビンにおけるD* variables for events having a jet in the highest EjetT bin.(a)pT(D*)、(b)η(D*)とc(c)pT(D*)/EjetT。データ(黒点)、HERWIG (c+b)(実線)とHERWIG(b)(斜線)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は衝突型加速器HERAを用いた高エネルギー電子・陽子衝突によるチャーム・クォーク生成を、ジェット断面積を測定することにより調べたものである。チャーム・クォーク生成は、D*±を観測することで同定するが、従来の研究においてD*±の横方向運動量および擬ラピディティに関する微分断面積の測定でNLO-QCDに基づく理論計算との不一致が観測されていた。これを受けて論文提出者は、実験と理論との比較における不定性を減らすこと、測定領域の拡大、D*±とジェットとの関係からD*±の fragmentation 過程について調べることを目指し、D*±生成事象におけるジェットの生成断面積の測定をジェットの横方向エネルギー (EjetT) および擬ラピディティ (ηjet) に対して測定した。

本研究で得られたジェット断面積はNLO-QCD計算と比較して、絶対値は従来のD*±断面積と同様に、ほぼ全ての運動学的領域に渡って理論予想より大きいが、ジェットの擬ラピディティに関する断面積では、D*±断面積と異なり分布の形が理論計算によりほぼ記述されるという結果を得ている。また、EjetTの大きい領域で測定値が理論に対して約3倍と特に大きくなっている。D*±とジェットと運動量の比の分布を調べることで、EjetTの大きい領域の事象では通常のチャーム・クォークからD*±が生成される時とは違った分布を示すことを発見した。これはHERAでの光生成過程において2次的なチャーム生成からの寄与を示唆するものである。また、従来のD*±断面積で観測されていた分布のずれは、ハドロン化の効果とともに、EjetTの大きい領域の事象からの寄与があることを見出した。

本論文は9章からなり、最初の2章において本論文のテーマである、電子・陽子衝突におけるチャーム・クォーク生成に関する理論的な枠組み及びこれまでの実験結果をまとめている。そして、これまでの研究結果を踏まえて本研究の動機付け及び測定内容を述べている。3章では実験を行ったHERA加速器とZEUS測定器について説明している。4章では実験データを解釈するためのモンテカルロ・シミュレーションについて説明している。5章から7章において電子・陽子衝突データを用いた解析内容が述べられている。5章では電子・陽子衝突データから光生成領域でのチャーム生成事象の選別方法が記述されている。つづく6章において新たにジェットを再構成することで得られたサンプルの性質(D*±とジェットとの関係、バックグラウンド等)を調べ、データとシミュレーションの比較を行っている。7章では、測定したデータからの断面積の導出方法を説明し、検出効率や系統誤差の見積もりを行っている。8章では、NLO-QCDのプログラムを用いた理論計算を測定と同じ運動学的領域で行い、ハドロン化の補正を加え、測定値と比較すべき理論予言値を求めている。測定された断面積をNLO-QCD計算による予言と比較し、実験と理論との間に見られるずれについての考察、従来の測定結果との比較が述べられている。最後の9章は本論文のまとめと結論である。

本論文は、ZEUS Collaboration との共同研究であるが、本論文に記述されている電子・陽子衝突におけるD*±メソンの生成過程におけるジェット断面積の測定は、論文提出者独自の発案によるものである。また、本論文の6章から8章の内容は論文提出者が主体となって解析および考察を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。本研究で得られた結果の中で特に、EjetTの高い領域でのD*±とジェットとの関係は、D*±の断面積で観測された不一致の一部を説明すると同時に、2次的に生成されたチャーム・クォークからの寄与を示唆するものである。これは、これまでハドロン衝突実験では考慮されていなかった点であり、本論文で初めて示唆されたものである。これは、ハドロン散乱での重いクォーク生成に関して、さらなる理論的研究を促すものである。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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