学位論文要旨



No 118803
著者(漢字) 古徳,純一
著者(英字)
著者(カナ) コトク,ジュンイチ
標題(和) 太陽フレアにおける電子輸送とガンマ線放射の数値的研究
標題(洋) Numerical Studies of the Electron Transport and Gamma-ray Emission in Solar Flares
報告番号 118803
報告番号 甲18803
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4456号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,一
 東京大学 教授 高瀬,雄一
 東京大学 助教授 徳宿,克夫
 東京大学 教授 片山,武司
 宇宙航空機構 教授 小杉,健郎
内容要旨 要旨を表示する

この宇宙で頻繁に起こっている、フレアやバーストといった瞬間的なエネルギー解放は、高エネルギー宇宙線粒子の有力な起源と考えられているが、具体的にどのような物理素過程がどの程度寄与しているかといった情報はまだ十分に得られていない。こうした加速源の中で、もっとも近く、したがって最も詳しく観測可能な天体が太陽である。太陽表面では、フレアと呼ばれる爆発現象がしばしば発生し、そのさい数十MeV以上に延びるガンマ線の連続成分や、MeV領域での核ガンマ線が放射される。よってフレアのさい、電子は〜100MeV、陽子は〜10GeVまで加速されていると考えられている。そのため、太陽は最も見近な宇宙での粒子加速の実験室と考えることができる。

この分野は、観測と理論の両面から精力的に研究が進められてきた。特に、日本の太陽観測衛星「ようこう」などの活躍によって、太陽フレアが起こる際には、磁気ループが光球からコロナへと浮上し(図1参照)、磁力線のつなぎかえによりその上方でプラズマが下方に向けてバルクに加速され、このプラズマの流れがどこかで非熱的なスペクトルをもつ粒子群に転換し、それらは磁気ループに沿って足元へと流れ込むことが明らかになった。硬X線からガンマ線にわたる連続成分は、この非熱的な電子がおもに光球に突入する際、制動放射として発生すると考えられる。しかしながら、電子がどこでどのようにして非熱的な分布を得ているのかという肝心の部分は、未だ明らかになっていない。電子のスペクトルは、電子が受けている加速メカニズムの反映と考えられるので、我々は、ガンマ線のスペクトルをプローブとし、観測的に電子のスペクトルを推定したいと考えている。

この問題は、制動放射の光子が直接我々のもとに届くのであれば、単純な解析的問題にすぎず、1970年代に解決済みである。しかしながら、相対論的電子がループ足元めがけて降下してゆけば、制動放射光子は前方(太陽の内側方向)に偏って放射されるはずだから、それらは我々には直接届かず、光球またはより深部でコンプトン散乱をうけることで、初めて観測されると考えられる。その結果、観測される光子スペクトルは、制動放射光子を直に観測したものよりずっとソフトになると予想される。この過程は本質的に重要と考えられるにもかかわらず、今までほとんど研究がされてこなかった。そこで本論文では、このコンプトン散乱を含め、太陽フレアにおける様々な素過程を考慮した時、与えられた電子のスペクトルから、どのようなガンマ線スペクトルが放射されるか、定量的に計算を行なった。このような多数回の確率過程を取り扱う場合は、解析的な方法は不向きであるため、我々は高エネルギー物理学で開発されたGEANT4と呼ばれるツールキットを用いてモンテカルロシミュレーションを行なった。

シミュレーションにあたり、以下の物理条件を仮定した。1)太陽は中性水素ガスのみからなる直方体で近似し、各直方体の中で密度は一様とした。密度勾配は、密度の異なる直方体を積み重ねることで表現した。2)物理プロセスとして、光子については光電吸収、コンプトン散乱、電子対生成をとりこみ、電子については、電離、制動放射、多重散乱、電子対消滅のプロセスを考慮した。3)磁場、2次電子、およびプラズマ効果は無視した。4)電子は1-100 MeVの範囲にスペクトル指数δのパワーロー分布を持つとし、電子は物質中でおもにクーロン散乱でエネルギーを失いつつ、制動放射を出し続け (thick target emission)、放射された光子は直接もしくはコンプトン散乱を経て観測者に届くとした。

以上の準備のもとでシミュレーションを行なった結果、太陽表面に対して電子を垂直に入射した場合には、どの方向から観測しても観測される光子のエネルギーが1MeVを越えることは難しいことが判明した(図2左)。これは、コンプトン散乱の角度が180°に近づくほど、大きなエネルギーが失われる過程であることから容易に説明がつく。そこで、太陽表面に対して電子を斜めから入射すると、観測されるスペクトルはハードになった(図2右)。さらに、観測者の俯角を変えてみると、俯角が大きい(太陽面に近い)ほど観測されるスペクトルがハードになることがわかった。電子スペクトル指数δと光子指数γの関係は、良く知られている非相対論的な状況下での解析的な関係をもはや満たさず、制動放射のみを考慮したδとγの関係は、コンプトン散乱を考慮することで大きく変更されなければならないことがわかった。また、δを様々に変えたところ、電子のスペクトルがハードなほどγも小さくなるが、δを0.8と1次のフェルミ加速で予想されるよりもずっと小さくしても、γは1.8程度までにしか小さくならなかった(図3)。偏角が〓60°の範囲では、広いδの範囲にわたって、γは2-3の範囲に収まった。

これを実際の太陽フレアでの現象にあてはめて解釈してみると、以下の結論が得られる。

太陽の縁に近いほど、エネルギーの高いガンマ線が観測されやすいという、よく知られた観測事実は、コンプトン散乱を考えることで説明できる。

少なくとも、強いガンマ線放射を伴うフレアでは、電子のピッチ角分布はかなり大きな値(90°に近いもの)まで分布している必要がある。

太陽の縁の近くで発生したフレアに限った時、「ようこう」衛星で観測されたガンマ線スペクトル指数γの分布は、シミュレーションでほぼ再現できた。

「ようこう」の観測したフレアの中には、硬X線で急なスペクトル指数を持つにもかかわらず、ガンマ線では平らなスペクトルを示すものがある。これは、異なるピッチ角の電子を足しあわせることで説明できる。

1998年8月18日のフレアで観測されたハードなガンマ線のスペクトルは、ループの足元からの放射とは考えにくく、ループ頂上からの放射である可能性が強い。

我々は磁場の効果をあらわにとりいれることはしなかったが、電子が磁場にピッチ角分布をもって巻き付くことや、磁力線自身が太陽面に対して曲がっている状況に対応するために、様々な入射角で電子を太陽大気に入射したので、実効的にほぼ取り込んだことになっていると評価される。したがって、磁場の効果を考えても、以上の結論には大きな変更は生じないと考えられる。

以上のように、制動放射の異方性およびコンプトン散乱を考慮したモンテカルロシミュレーションを行なうことにより、太陽フレアに伴う、非熱的な電子のスペクトルおよびピッチ角分布に関し、従来にない新しい知見を導くことができた。

(左)太陽観測衛星「ようこう」の捕らえた軟X線のイメージ。(右)太陽フレアの軟X線のイメージ(カラー)の上に硬X線のイメージを等高線で重ねたもの。

(左)スペクトル指数1.2(1-100 MeV)の電子が垂直に太陽面に入射した時に観測される光子の数スペクトル。緑、青、赤はそれぞれ0.1<cosθv<0.2, 0.5<cosθv<0.6, 0.9<cosθv<1.0にいる観測者に対応している(θvは光球の法線方向から測った観測者の俯角))。(右)電子が斜め(入射角θi=80°)に入射した時のガンマ線のスペクトル。電子が磁力線に巻き付く効果を近似的に取り込むため、光球の法線まわりに0〜2πの範囲で積分してある。色の意味は、左のパネルと同じ。

入射した電子のスペクトル指数 (δ) と観測されるガンマ線の光子指数 (γ) の関係。赤と緑は、それぞれ光球の法線方向から角度θi=80°および60°で電子を入射した時の結果をあらわす、いずれも0.1<cosθv<0.2の範囲に来た光子(θvは光球の法線方向から測った観測者の俯角)を、法線まわりの方位角0〜2πについて集積したもの。青の点はコンプトン散乱を考える以前の、4π積分制動放射のスペクトル。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなっている。第1章では、本論文の概略が紹介され、第2章で、宇宙での粒子加速の素過程、太陽フレアに伴う硬X線・軟ガンマ線の観測、の概略が紹介されている。第3章では、加速された電子や放射されたガンマ線に関連した物理素過程の説明が行われ、第4章では、本論文で用いられている Geant4 と呼ばれるシミュレーション・ツールキットの説明が行われている。第5章が、本論文の核となる部分であり、種々のシミュレーション結果が示されている。そして、第6章で、シミュレーションの結果と実際の太陽フレアの観測結果との比較・検討が行われ、第7章において結論がまとめられている。

太陽表面では、フレアと呼ばれる爆発現象がしばしば発生し、その際電子は高いエネルギーまで加速される。太陽フレアに伴って観測される硬X線からガンマ線にわたる連続成分は、この非熱的な電子がおもに光球に突入する際、制動放射として発生すると考えられる。しかしながら、相対論的電子が光球に突入するものとすれば、制動放射光子は前方(太陽の内側方向)に偏って放射されるはずだから、それらは我々には直接届かず、光球より深部でコンプトン散乱をうけることで、初めて観測されると考えられる。この過程は観測データの解釈において本質的に重要と考えられるにもかかわらず、今までほとんど研究されてこなかった。本論文では、このコンプトン散乱を含め、太陽フレアにおける様々な素過程を考慮し、与えられた電子のスペクトルから、どのようなガンマ線スペクトルが放射されるか、定量的に計算が行われた。

論文提出者は、シミュレーションにあたり、太陽表面を中性水素ガスのみからなる密度一定の直方体の積み重ねで近似し、物理プロセスとして、光子については光電吸収、コンプトン散乱、電子対生成をとりこみ、電子については、電離、制動放射、多重散乱、電子対消滅のプロセスを考慮した。電子は1-100 MeV の範囲にスペクトル指数δのパワーロー分布を持つとし、電子は物質中でおもにクーロン散乱でエネルギーを失いつつ、制動放射を出し続け、放射された光子は直接もしくはコンプトン散乱を経て観測者に届くとした。

シミュレーションを行なった結果、太陽表面に対して電子を垂直に入射した場合には、どの方向から観測しても観測される光子のエネルギーが1MeVを越えることは難しいことが判明した。そこで、太陽表面に対して電子を斜めから入射すると、観測されるスペクトルはハードになった。さらに、観測者の俯角を変えてみると、俯角が大きい(太陽面に近い)ほど観測されるスペクトルがハードになることがわかった。電子スペクトル指数δと光子指数γの関係は、コンプトン散乱を考慮することで大きく変更されなければならないことがわかった。また、δを様々に変えたところ、電子のスペクトルがハードなほどγも小さくなるが、δを0.8と1次のフェルミ加速で予想されるよりもずっと小さくしても、γは1.8程度までにしか小さくならなかった。俯角が60度以上の範囲では、広いδの範囲にわたって、γは2-3の範囲に収まった。

これらを、実際の太陽フレアでの現象にあてはめて解釈した結果、論文提出者は以下の結論を提示している。〇太陽の縁に近いほど、エネルギーの高いガンマ線が観測されやすいという、よく知られた観測事実は、コンプトン散乱を考えることで説明できる。〇少なくとも、強いガンマ線放射を伴うフレアでは、電子のピッチ角分布はかなり大きな値(90度に近いもの)まで分布している必要がある。〇太陽の縁の近くで発生したフレアに限った時、「ようこう」衛星で観測されたガンマ線スペクトル指数γの分布は、シミュレーションでほぼ再現できた。〇「ようこう」の観測したフレアの中には、硬X線で急なスペクトル指数を持つにもかかわらず、ガンマ線では平らなスペクトルを示すものがある。これは、異なるピッチ角の電子を足しあわせることで説明できる。〇1998年8月18日のフレアで観測されたハードなガンマ線のスペクトルは、ループの足元からの放射とは考えにくく、ループ頂上からの放射である可能性が強い。

以上のように、本論文においては、制動放射の異方性およびコンプトン散乱を考慮したシミュレーションを行なうことにより、太陽フレアに伴う、非熱的な電子のスペクトルおよびピッチ角分布に関し、従来にない新しい知見が導かれている。これは、太陽フレアにおける粒子加速の理解に重要な情報を与えたものであり、博士論文に値すると評価できる。

なお、本論文第5章と、第6章の主要部分は、牧島一夫、小浜光洋、寺田幸功、玉川徹との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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