学位論文要旨



No 118804
著者(漢字) 是常,隆
著者(英字)
著者(カナ) コレツネ,タカシ
標題(和) 強相関系における幾何学的フラストレーションの効果
標題(洋) Effects of Geometrical Frustration in Strongly Correlated Systems
報告番号 118804
報告番号 甲18804
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4457号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 今田,正俊
 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 助教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

銅酸化物高温超伝導体の発見以来、強い電子相関のある系に対して様々な研究が行われてきた。しかし、強相関の効果については、まだ分からないことが多く残されている。その中でも本研究では、格子形状の効果、特に幾何学的フラストレーションを持つ格子における強相関の効果について研究した。

幾何学的フラストレーションを持つ格子については、これまで主にスピン系において研究がなされてきた。スピン系では、古典的秩序(ネール秩序)がフラストレーションによって不安定になり、量子的な状態が実現することがある。この意味で、スピン系におけるフラストレーションの効果は分かりやすいと言える。一方、電子系においてはフラスレーションの効果はこのような明確な認識はされていなかったように思われる。この理由は、電子相関が弱ければ格子の効果はバンド分散の変化としてとりこまれてしまうと考えられていたためであると思われる。格子の効果が表われるためには、スピン系と同様に、かなり強い電子相関のある系を考えなければいけない。しかし、一般に強相関とフラストレーションを同時に扱うということは非常に困難であるため、このような研究はこれまであまりなされていなかった。幾何学的フラストレーションのある格子における強相関電子系の研究として代表的なものには、ハバード模型における強磁性の研究があるが、そのほとんどは厳密な数理物理的方法や一次元系における信頼できる数値計算に限られていており、一般的なフラストレーションの効果について議論されているものはほとんどない

一方、強相関電子系におけるフラストレーションの効果として、スピン系におけるRVB状態という量子的な状態が、正孔をドープしたときにどのように現われるかという興味がある。電子系におけるRVB状態とは高温超伝導を説明するために導入された概念であるが、スピン系では高温超伝導体のモデルである正方格子よりもフラストレーションがあった方がRVB状態になりやすいと考えられている。したがって、フラストレーションのある電子系におけるRVB状態の実現可能性は非常に興味深い問題である。さらに、このような理論的な興味に加え、近年、NaxCoO2や有機導体であるκ-(BEDT-TTF)2Xなどにおいてほぼ三角格子もつ物質が見つかっており、その中には超伝導を示すものも見つかっている。

そこで、本研究では典型的な幾何学的フラストレーションをもつ格子である三角格子、および、かごめ格子におけるt-J模型に対して、高温展開法という手法を用いてその性質を調べた。高温展開法は強相関とフラストレーションを厳密に扱える数少ない手法のひとつであり、低温への外挿という困難があるものの、様々な性質を明らかにすることに成功した。特に、t-J模型のパラメータであるホッピングtの符号によって、系の性質が全く変わってしまうことが明らかになった。

まず、t>0の場合を考える。この場合、三角格子およびかごめ格子ともに正孔濃度δ=0.2-0.4のあたりで、帯磁率が高温から減少する傾向を持つことがわかった。これはt<0の場合と比べても明らかに異なる。また、エントロピーも同様の温度領域において減少がみられる。ハイゼンベルグ模型の場合にRVB状態がより安定であると考えられているかごめ格子の方が、この傾向が強い。また、最近接スピン相関はドープすることで成長することが分かった。これらのことは、ハイゼンベルグ模型(δ=0)の場合にはフラストレーションのために低エネルギー領域にほぼ縮退していた状態のなかから、正孔をドープすることによってRVB状態が安定化したことを示唆していると考えられる。フラストレーションのある系に正孔を導入することによってRVB状態が実現するのではないかということは以前から考えられていたが、はじめて数値的にその可能性を示すことに成功した。

次に、t<0の場合を考える。この場合、相図上の非常に広い領域で帯磁率がT→0で発散していくように見えることがわかった。実際には2次元系であるために、T=0で強磁性になると思われる。J=0の場合には、エントロピーの低温への外挿が非常に精度よく行うことができ、その結果得られた基底状態のエネルギーも強磁性を示唆している。また、かごめ格子でも同様の解析を行ったが、この場合も強磁性領域が広い範囲に存在し、長岡の強磁性と低電子密度領域での平坦バンド強磁性とがつながっていることを示した。さらに、強磁性の安定性に対する変分計算を行ないこの結果を支持する結論を得た。以上の結果は、フラストレーションのある格子においては長岡の強磁性が一般に安定で、低電子密度の強磁性に関する理論、すなわち平坦バンド強磁性や金森理論と長岡の強磁性とが連続的につながっているということを表している。

このようにして得られた、t>0におけるRVB状態とt<0における強磁性状態はフラストレーションをもつ系に一般的なことであると考えられる。その理由としては、三角格子とかごめ格子において、細かな振舞いに違いはあるもののほぼ同様の結果が得られたこと、フラストレーションの最も基本である3サイトの模型でもtの符号にあわせてRVB状態と強磁性が生じることを示せることが挙げられる。さらに、フラストレーションのある系ではバンド構造がt>0とt<0の場合で非対称になり、t<0の方が状態密度が大きく強磁性に有利であると考えられることも理由の1つとして挙げられる。

得られたRVB状態が超伝導を示すかどうかに関して、三角格子において超伝導相関の計算を行い、どのような対称性の超伝導が起こりうるか調べた。その結果、1/2充填近傍からRVB状態が期待される領域ではd波超伝導の相関が発達することを示した。一方、強磁性的な領域の近傍では、トリプレット超伝導の相関が発達することが確かめられた。特に、低電子密度領域ではハバード模型でも示唆されているf波超伝導の相関が発達することが分かった。このように、フラストレーションのある系では様々な超伝導の可能性があることを示すことができた。

一方実際に超伝導を示すNaxCoO2・yH2Oやκ-(BEDT-TTF)4Hg2.89Br8などとの対応はまだ困難が残っている。NaxCoO2・yH2Oでは軌道の効果が効いてくる可能性もあり、単純な三角格子とみなせるかという問題がある。また、κ-(BEDT-TTF)4Hg2.89Br8などではt<0の強磁性と反強磁性の競合する領域にあると考えられるため、現段階でははっきりしたことは言えない。

以上のように、実験との対応には問題が残るものの、幾何学的フラストレーションに起因すると考えられる様々な現象を明らかにした。今後の課題としては、より低温での振舞い、特に低電子密度における強磁性や強磁性とトリプレット超伝導との関係、RVB状態と思われる領域の基底状態を調べることなどがあげられる。また、高温展開法では調べられなかった動的性質も興味深い問題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる.第1章はイントロダクションとして,研究の動機と簡単な内容の説明が行われている.第2章は前半で本論文で考察するフラストレーションのある格子構造を持つ物質の紹介を行い,後半では従来の理論のまとめとして,幾何学的フラストレーションを持つ系の一般的な性質,モット絶縁体に電子または正孔が導入されたときの共鳴原子価結合状態 (RVB),及び強磁性について述べられている.次の第4章以下が本論文での研究成果を述べた部分であり,先ず第3章ではここで取り扱うt-J模型の導入と,それに対する高温展開法の説明が行われている.第4章は系の磁性に関する研究の結果が述べられ,第5章では系の超伝導相関についての研究結果が述べられている.最後に第6章では本研究のまとめが述べられている.なお,本論文ではこの他に付録として高温展開法の詳細の説明と,高温展開で得られた具体的な展開係数の膨大な表が付けられている.

本論文で取り扱われたのは三角格子とカゴメ格子上のt-J模型である.そもそも四角格子上のt-J模型は高温超伝導体を表す標準的な模型として,様々な方法により,膨大な研究が積み重ねられてきた.電子間の強い相関を表す模型であるがために,長年の多数の研究者による研究にも拘わらず,未だにその性質は解明し尽くされてはいない.本論文で取り扱う三角格子とカゴメ格子は電子正孔が導入されていないときには格子上のスピン間相互作用にフラストレーションを持つために更に難しい模型であるといえる.このような模型で低温での基底状態を明らかにしようというのが本論文の目的であるが,この場合に理論の近似などに依存しない,きちんとした結果を出したいという要求の下に選択された手法が高温展開法である.

高温展開法は高温極限からの温度の逆数による展開で自由エネルギーなどを求める方法である.従って,無限次までの展開ができれば絶対零度まで正しい自由エネルギーが求められるが,現実には有限次数までの展開しかできないので,この方法で基底状態についてどこまで分かるかは難しいところである.本研究では展開は12次まで行われ,パデ近似を用いて,低温への外挿が行われた.その際,エネルギーの関数としてのエントロピーのパデ近似を求めるという,新しい方法も用いられ,現時点での計算機環境の下で,最良の結果を得る努力が払われている.

本論文では先ず,第4章で三角格子とカゴメ格子について,基底状態での磁性についての研究結果が述べられている.これらの格子では,電荷が導入されていないときにはスピン間の相互作用にフラストレーションがあり,古典的な反強磁性秩序より,量子的なスピン状態が出現しやすいと考えられているが,電荷を導入したときにはそのような量子的状態が更に起こりやすくなるのではないかというのが,研究の動機である.ここでは先ず,これらの格子ではホッピング積分tの符号により,一電子状態密度が大きく変わることが指摘され,この結果,t-J模型においてもtの符号により系の性質が全く異なることが明らかにされた.即ち,tが正の場合には正孔濃度が0.2から0.4の領域で帯磁率の高温からの現象が見られ,これは低温での短距離RVB状態の実現を意味するものと結論付けら訂た.一方,tが負の場合には帯磁率の発散的な増大が見られ,これは絶対零度での強磁性の出現につながると結論された.tが負の場合には一電子状態はバンドの底で平坦になる.従って,この強磁性状態は低ドープ領域での平坦バンド強磁性状態と,ドーピングがゼロの極限での長岡強磁性を連続的に結ぶ物であると,結論された.

次に第5章では超伝導相関についての研究結果が述べられている.ここでは三角格子とともに,フラストレーションの無い四角格子についての研究結果も示されている.先ず,既に様々な研究が行われている四角格子では,これまでの研究と同様にd波の超伝導相関が低温で増大することが確かめら肌た.一方三角格子では,tの符号によって結果が異なることが明らかにされ,先ず,tが正で短距離RVB状態が期待される場合にはd波の超伝導相関が低温に向けて一番大きな増大を示すことが示された.一方強磁性的なtが負の場合には低電荷密度においてf波の超伝導相関が増大し,これはハバード模型での結果と整合するものであること,また,1/2充填近傍の狭い領域ではd波の超伝導相関がもっとも強く増大することが示さた.

以上第4章と第5章で得られた結果は現時点での計算機環境の下での高温展開として,最善のものであり,この範囲では疑問の余地のない明確な結論を得たものとして,本論文は高く評価できる.

なお,本論文は小形正男との共同研究であるが,論文提出者が主体となって計算を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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