学位論文要旨



No 118809
著者(漢字) 高橋,勲
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,イサオ
標題(和) 銀河団の高温プラズマの熱的状態に関するX線診断
標題(洋) X-ray Diagnostics of Thermal Condition of the Hot Plasmas in Clusters of Galaxies
報告番号 118809
報告番号 甲18809
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4462号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 江尻,晶
 東京大学 助教授 横山,央明
 東京大学 教授 吉澤,徴
 東京大学 教授 久保野,茂
 東京大学 助教授 山崎,典子
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

銀河団は太陽の1014倍もの質量を持つ宇宙で最大の自己重力系であり、星(銀河)、〜108Kの超高温プラズマ、および暗黒物質から構成されている。プラズマは1Mpcのスケールに渡って希薄に広がっており、その質量は星々の総質量の数倍にも達する。実際、銀河団プラズマは宇宙の既知バリオンの中で最も優勢な成分であり、過去の宇宙観測でも精力的にその研究がなされてきたが、それにもかかわらずその物理状態は未だ十分には解明されていない。

この高温プラズマはX線でのみ観測することができ、その温度が銀河団の中心部に向かって下がっていくように見えることが、多くの銀河団で観測されている。銀河団の中心ではプラズマ密度が高く、放射冷却のタイムスケールが宇宙年齢よりも短い。そのため、冷却によってプラズマ圧が下がり、これが外縁部からのプラズマ流入を誘発してさらに放射冷却が加速される、というクーリングフロー(冷却流)現象が起こっており、観測された低温プラズマはその産物である、と長らく信じられてきた。しかし、我が国の「あすか」衛星(1993年打ち上げ)が広帯域でエネルギー分解能の良い観測を行なった結果、クーリングフローでは説明できない現象が次々と明らかになった。さらに最近のXMM-Newton 衛星(欧)、Chandra 衛星(米、いずれも1999年打ち上げ)により温度が1keVより低いプラズマが中心部に存在しないことが示されるに至って、クーリングフロー仮説は破綻を迎えた。現在、この大量のバリオンがどのような熱的状態にあるのか、全く決着がついていない。特に問題なのは、起こるべき放射冷却が起きていないので、強力な熱源が存在しなければならないが、それに伴う加熱機構は、観測されている低温成分を暖め過ぎてはならないことである。こうした条件を同時に満たすような熱源も加熱機構も、現在ほとんど特定できていない。

私は本論文で、銀河団プラズマの状態を明らかにするステップとして、中心部でプラズマがどのような熱的状態にあるかを観測的に明らかにすべく研究を行なった。作業仮説として、「銀河団プラズマは中心部に向けて徐々に温度が下がっているが、何らかの理由によりある温度以下には冷えない」という "single-phase" モデルと、我々が「あすか」衛星による観測を通して提唱してきた「高温・低温2成分のプラズマが共存しており ("two-phase")、低温成分の割合が中心ほど多い」という二つの異なる描像を出発点とし、どちらがデータにより良く合うか、詳細に検証を行なった。

銀河団プラズマのX線診断

主観測対象としては、ケンタウルス銀河団を選んだ。これは、近くて(赤方偏移0.0104)明るく、詳しく研究されている銀河団の中では中心部の低温成分が最も顕著で、「あすか」衛星でも様々な成果を生んだ天体である。これを観測する手段としては、かつてない有効面積を誇り、空間分解能・エネルギー分解能でも「あすか」衛星に勝るXMM-Newton 衛星を用いた。この観測対象と観測手段は、本テーマにとって現時点で考えうる最高の組み合わせであり、データは日本からの観測提案にもとづき取得されたものである。

XMM-Newton 衛星はEPICとRGSの二種の検出器を搭載している。まず私は、撮像・分光を同時に行なえるEPIC検出器について、検出器バックグラウンドの性質を把握すべく約100個の観測データを系統的に解析し、その見積もり手法を確立した。次に、ケンタウルス銀河団を同心円状に分け、それぞれの領域からスペクトルを得た。観測では、必然的に銀河団を2次元に射影した情報しか得られないが、私は系の球対称性を仮定することで観測データから射影の効果を取り除き、3次元的な薄いシェル領域からの一連のスペクトルを求めた。

これら一連のスペクトルを、光学的に薄いプラズマからの放射の理論モデルと詳しく比較した結果、半径72kpc (=6') よりも外側ではプラズマ温度はκT〜3.8keVで一定で、それより内側では温度が下がり始め、single-phase モデルを仮定すると半径12kpcでκT〜2keVにまで下がることが分かった。中心から12kpc以内の狭い範囲では、これとは別にκT〜0.7keVのプラズマ放射が見つかったが、その0.5-10keVでの光度は3.9×1041 ergs-1で、銀河団全体の1%程度以下と小さいので以下では考えない。半径が12-72kpcの領域のスペクトルは、single-phase モデルに従って「プラズマ温度は〜3.8keVから〜2.0keVに連続的に下がっている」と考えても、あるいは two-phase モデルに従って「κT〜3.8keVとκT〜2.0keVの2成分が共存している」と考えても、観測データはほぼ同じ程度に良く再現され、一見して両者の区別は難しかった。そこで、個々の薄い3次元シェルからのスペクトルを再び足し合わせて広い3次元領域からのスペクトルを求め、統計を上げて比べたところ、two-phase モデルの方がより観測に合うことが明らかになった。さらに私は、中心部 (12-60kpc) での3次元的なスペクトルから、single-phase で予想されるよりも温度の高い放射を検出することに成功した。これを表したのが図1であり、12-60kpcでの射影効果を取り除いたスペクトル(左)と、single-phase モデルからのシミュレーション(右)を比べている。仮に両者に2成分プラズマ放射モデルをあてはめると、single-phase シミュレーションではこの領域に含まれるべき温度 (κT=2.1〜3.3keV) によく一致する2つの温度(2.34keVと3.28keV) が得られるが、データからはそれよりも高温の成分 (κT〜4keV) が見られ、中心部にも高温プラズマが存在することを表している。逆に、低温成分が外側の領域にも存在していることも示され、two-phase の描像の方が中心部のプラズマの状態をより正しく記述することが結論された。それぞれの72kpc以内での光度 (0.5-10keV) は、高温成分 (κT〜3.8keV) が2.8×1043 ergs-1、低温成分 (κT〜1.7-2.0keV) が6.9×1042 erg s-1であった。

エネルギー分解能に特化したRGS検出器では、鉄のL輝線の構造を分解することで、温度の低いプラズマからの放射を精度良く評価することができる。その結果、ケンタウルス銀河団の中心部からの放射は、EPIC検出器の測定結果と同様に、κT〜0.8keVと〜1.7keVの2温度でよく記述されることが分かった。さらに、他の温度の成分がどのくらい混ざっているかを検証したところ、図2に示すように、温度が0.5keVよりも低いプラズマからの放射は、有意には存在しないことが明らかとなった。またκT〜1.7keVの成分を基準に考えると、クーリングフローの予言(黒線)より0.5keV以下の低温成分の存在量の上限(赤)が一桁も低いことが示された。同じくクーリングフローが予言する冷たいガスによる超過吸収の存在も、EPIC検出器のスペクトルからは有意に見られなかった。この領域では、プラズマ中の鉄や硅素の含有量が中心部で増加する一方で、酸素の分布はほぼ一様であることもわかり、この違いがこれまでに報告された見せかけの超過吸収の一因であるとの示唆を得た。以上のことから、ケンタウルス銀河団の中に見られる強い低温 (〜2keV) の放射成分は、クーリングフローの結果とは考えられないことが結論される。

本論文では、ケンタウルス銀河団の他に、やはり代表的な“クーリングフロー”銀河団として知られるAbell 1795銀河団のスペクトル解析を行ない、two-phase モデルで矛盾なく説明ができることを確認した。このように私は2つの銀河団を用い、「あすか」衛星が示唆した事柄を、明確に立証することに成功した。

銀河団プラズマの物理状態に対する考察

銀河団の中心部では、温度の異なる2相のプラズマが存在していることが示され、一方で、クーリングフローが起きていないことから、何らかの加熱機構の存在が要請される。2成分が混ざり合わないで安定に共存するためには、磁場によって両相が熱的および空間的に分離されていると解釈するのが自然である。そこでこの描像に基づき、そのような環境のもとで有効に機能するような加熱源および加熱機構について考察を行なった。銀河団外縁部からの熱伝導、あるいは中心銀河の活動銀河核からのエネルギー供給といった機構は、プラズマが two-phase になっていることも考慮すると、観測事項を充分に説明できないと考えられる。一方で牧島ら (2001) が提唱したように、磁気流体的な効果によってメンバー銀河の運動エネルギーがプラズマの熱エネルギーへと散逸するという機構ならば、妥当なエネルギー転換効率を仮定することで充分な加熱が可能であり、さらに加熱と冷却のバランスをとる機構も働きうるため、この問題の答となる可能性を持つと考えられる。

以上のように本研究では、世界最高の性能を持つX線装置により2つの代表的な銀河団のプラズマを診断した結果、銀河の運動が宇宙最大規模の高温プラズマを加熱し、放射冷却を阻止しているという、日本独自の描像を一段と強めることに成功した。

半径12-60kpcの領域で射影の効果を取り除いたケンタウルス銀河団のスペクトル(左)と、single-phase モデルからのシミュレーション(右)。黒はEPIC-PN検出器、赤と緑はEPIC-MOS検出器のスペクトルを表す。2温度プラズマからの放射モデルでフィットした結果を示しており、青とピンクはそれぞれの成分の寄与を表している。

RGS検出器のスペクトル解析から得られた、各温度のプラズマの emission measure(α密度2×体積)を赤の縦線で示している。実線はクーリングフローが予言する分布(縦方向のスケールは任意)。

審査要旨 要旨を表示する

銀河団は宇宙最大の自己重力系であり、そこに広がった高温プラズマは、既知のバリオンの中でもっとも質量の大きな系である。これまで主としてX線による観測がなされてきたが、高温プラズマの維持機構は、依然として未解明である。

銀河団中心では密度が高く、放射冷却が優勢である。冷却で温度が低下すると、プラズマの圧力が下がり、外縁部からプラズマが中心に流入する。その結果、密度が上昇し、さらに放射冷却が進むと考えられてきた。この現象をクーリングフローと呼ぶ。X線観測の精度を増すに従って、このような単純なモデルでは、説明がつかないことが明らかになり、銀河団プラズマの熱的状態を理解するためには、一層詳しい観測が必要である。研究、観測の一つの切り口は、温度の空間分布である。これまでのX線観測衛星を用いた研究で、銀河団プラズマの温度分布は、単調で中心に向かって温度が低下していくとする Single Phase モデルと、高温と低温の2成分が存在し中心に向かって低温成分が増えていくという Two Phase モデルが提唱されている。クーリングフローとの親和性という意味では、Single Phase モデルの方が自然であるが、モデルは銀河団プラズマの維持機構とも密接にかかわっており、慎重な判断が必要である。本論文は、XMM-Newton 衛星を用いて、信号強度、空間分解能においてこれまでのレベルを遥かに上回るレベルでの観測を行い、Single Phase, Two Phase に焦点を当てた解析を行った。論文の第1章では、こうした背景と動機が説明される。

第2章は、これまでの銀河団研究のレビューである。銀河団プラズマにおける基礎物理過程、特にX線輻射機構について概説される。また、これまでのX線観測衛星、特にASCAによる研究結果が紹介される。注目すべき点は、Two Phase モデルがASCAの解析結果から提唱された点と、観測された低温成分の温度、体積占有率が、クーリングフローと矛盾することがわかった点である。

第3章は、測定装置と解析手法の紹介である。用いた衛星はXMM-Newton であり、有効面積(約1000cm2@1keV)と角度分解能(5秒)において、優れた望遠鏡である。検出器にはPN型-CCD (0.15-15keV)、MOS型CCD (0.15-12keV) が用いられている。論文提出者は、背景ノイズの評価を工夫し、精度の高い測定を可能とした。XMM-Newton は、さらに回折格子型分光器を備えており、点光源に対して優れたエネルギー分解能で観測することが可能である。

測定対象として、明るく近いケンタウルス銀河団と Abell 1795を選んだ。これらは、中心に低温成分を持つことが知られている。第4章では、これらの概要が述べられる。さらに、X線スペクトルを求めるために、どのようなデータ処理、解析を行ったのかが説明される。

第5章、第6章は、それぞれケンタウルス銀河団および、Abell 1795の解析結果を示したものである。これらに対し、Single Phase としての解析、Two Phase としての解析を行い、どちらのモデルがもっともらしいかを調べた。特にケンタウルス銀河団に対してはさまざまな解析を行った。銀河団は球形に広がっているが、半径方向に11区分した領域でのX線スペクトルを求めて、これに対して、単一温度もしくは複数温度を当てはめた。また、区分数を減らすことで、空間分解能を犠牲にして統計精度を向上することが可能であり、そのような解析を行い、2つのモデルを比較した。その結果、当てはめのよさには、明らかな差があり、Single Phase よりも Two Phase (2.0keV, 3.8keV) の方が、観測をより正しく表すことができることがわかった。また、Two Phase とは別に、銀河団中心部に低温成分 (0.7keV) が存在することが、回折格子分光器などの解析からわかった。Two Phase では0.7keV成分も含めて、3つの温度成分を仮定しているが、さらに多数の成分が含まれると仮定して当てはめを行った。その結果、Two Phase がもっともらしいこと、クーリングフローとは、温度と強度の関係が矛盾することがわかった。以上から、Two Phase がもっともらしいことを、これまでよりも量的にも質的にも高い信頼度で明確にした。

第7章では、Two Phase を可能とする機構として、磁場に垂直方向の断熱効果があり得ること、さらに、プラズマの加熱機構として、磁場を介した銀河およびダークマターの運動エネルギーのプラズマのエネルギーへの変換が紹介される。

以上の成果は、銀河団研究、X線天文学に、新しい知見をもたらすものであり、博士(理学)の学位を授与するに値することを、審査員の全員一致により確認した。なお本研究の一部は、牧島一夫氏との共同研究であるが、その中で申請者は中心的な役割を果たしており、また牧島氏からの同意承諾書も完備している。

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