学位論文要旨



No 118813
著者(漢字) 灰野,禎一
著者(英字)
著者(カナ) ハイノ,サダカズ
標題(和) 銀河及び大気宇宙線絶対流束の測定
標題(洋) Measurements of Galactic and Atmospheric Cosmic-ray Absolute Fluxes
報告番号 118813
報告番号 甲18813
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4466号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,洋一郎
 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 教授 杉本,章二郎
 東京大学 教授 梶田,隆章
内容要旨 要旨を表示する

銀河から飛来する一次宇宙線は、そのスペクトルの形や絶対流束が宇宙線の起原や伝播を知る上で重要な手掛りとなる。また、大部分が陽子やヘリウム原子核などで構成されるため、地球の大気上層部で大気の原子核と衝突してシャワーを起こし、パイオンやミューオン、陽子、中性子などの二次宇宙線や、ニュートリノなどを生成する。そのため、一次宇宙線の精密な測定は、宇宙線そのものを知る上で重要な情報となるばかりでなく、二次宇宙線や大気ニュートリノの量を正確に見積もるためにも不可欠である。

近年、スーパーカミオカンデなどの地下実験施設で、大気ニュートリノ流束の天頂角分布がシミュレーションで得られた予想と食い違い、上向きのミューニュートリノが欠損しているという現象が観測され、以前から議論されていた電子ニュートリノ/ミューオンニュートリノ比の異常を裏付け、ニュートリノに微小の質量があり、複数の世代間の混合状態の中で振動しているという有力な証拠となった。大気ニュートリノ振動の研究をより進め、振動のエネルギー依存性、質量差Δm2の精度の高い測定などを行なうためには、スーパーカミオカンデで行なわれている幅広いエネルギー範囲にわたって研究を行なうことが必要である。特に、10GeV以上のミューオンニュートリノはまわりの岩盤でできた上向きのミューオンのイベントとして観測されている。

このようなイベントの予想フラックスを正しく計算するためには、親となる100GeV以上の一次宇宙線の精密な流束が必要となる。1998年に行なわれた、BESS、AMS、およびCAPRICEといった磁場スペクトロメータを使った実験によって、100〜200GeV以下の一次宇宙線の絶対流束は5%程度の精度で得られた。しかしながら、それ以上のエネルギー範囲では気球搭載用のカロリメータやエマルジョンチェンバを使った実験結果しか存在しておらず、磁場スペクトロメータに比べて測定精度は悪くなっている。これらの気球実験では、大きさや重量、露光時間に制限があるためイベント数が少くなり、統計誤差が大きい。また、重量の制限から限られた量の標的物質しか使えず、不完全なシャワーからの入射エネルギーの決定にはシミュレーションなどが必要で、それによる系統誤差が無視できない。一方磁場スペクトロメータを用いた測定では、入射粒子の運動量を飛跡から得られる曲率半径のみから決定するので、系統誤差が生じにくい。しかしながら、磁場スペクトロメータでは曲率の測定に限界があるため、これまでは300GeV以上の高エネルギーで一次宇宙線流束を測定した例はなかった。磁場スペクトロメータを改良し、その運動量測定可能範囲を大幅に向上できれば、カロリメータやエマルジョンチェンバを使った実験と相補的な役割を担い、一次宇宙線のスペクトルの形および絶対流束の正確な決定において大きな貢献をすることができる。

一次宇宙線と同様に、大気でニュートリノと同時に二次的に生成されるミューオンの絶対流束の測定も、大気ニュートリノ流束の計算精度を検証するために重要である。近年、BESSやCAPRICEといった気球搭載用の超伝導スペクトロメータを用いた測定によって、100GeV/c以下の運動量領域では大気ミューオンの絶対流束が精密に測定されてきた。また、100GeV/c以上の高い運動量領域では、CERNにあるLEPなどの大型加速器実験で用いられている測定器を利用してミューオンの絶対流束が測定され、最近、その結果が報告され始めている。しかしながら、大気ミューオン流束は、場所や高度、大気の圧力と温度などに依存するため、単一の測定器で広い運動量範囲を一気に測定したデータの方が、大気ニュートリノ流束の計算を系統的に検証するためには望ましい。1GeV/c以下の低い運動量まで測定できる超伝導スペクトロメータを改良し、運動量測定可能範囲を向上すれば、それを行なうことが可能である。

銀河、及び大気宇宙線の測定可能運動量領域を拡大するため、BESSグループでは100GeVまでの一次宇宙線絶対流束の精密測定を行なった実績のあるBESS-98を改良し運動量分解能を一桁近く向上させたBESS-TeVスペクトロメータを開発した。両者の測定器断面図は図1に示した。BESS測定器は、主に、ソレノイド型超伝導磁石と、ドリフトチェンバーを使った飛跡検出システム、およびシンチレーションカウンターを使った飛行時間測定システムで構成されている。BESS-98ではソレノイドの内側にある中央飛跡検出器 (JET、IDC) を使って入射粒子の曲率を測定していた。BESS-TeVではJET、IDCの測定点数を倍に増やし、位置測定精度も約200μmから150μmへと向上するように設計されている。さらに、ソレノイドの外側に新しい飛跡検出器 (ODC) を搭載することで、飛跡長を二倍に拡大でき、大幅な運動量分解能向上が達成された。

BESS-TeV測定器を用いて2002年8月にカナダ北部のリンレークにおいて大気上層部での一次宇宙線の気球観測を行なった。また、同年10月にはつくば市の高エネルギー加速器研究機構の敷地内において地表での大気宇宙線の観測を行なった。水平飛行、地表それぞれで10.6時間および105時間分のデータを収集した。これらのうち約90%に相当する9.5時間、および91.5時間分のデータを宇宙線の絶対強度を得るために使った。

今回の実験データの解析で最も重要な点がイベントの再構成である。入射粒子の運動量を正確に決定するには、磁場中での曲率を得るための正確なトラックの再構成が必要である。トラックの再構成はソレノイドの内側に配置されたJETとIDC、および外側に配置されたODCで検出された粒子の飛跡を使って行なっている。これらのドリフトチェンバからの信号はフラッシュ型アナログ-デジタル変換器(FADC)を使ってデジタル情報に変換されているが、消費電力を抑えるため変換周波数をあまり増やすことができない。そのため、ドリフト速度が比較的遅い、炭酸90%、アルゴン10%の混合ガスを使っている。炭酸ガスは電子の拡散係数が他のガスに比べて低く低消費電力で遅いエレクトロニクスでも十分高い位置測定精度が達成できるが、ドリフト速度のガス温度や圧力への依存性が高い。気球実験中は圧力容器のなかにドリフトチェンバやエレクトロニクスが納められて、大気圧に保たれているが、昼夜の温度変化などにより容器内部の温度と圧力が変動する。そのため、正確な飛跡位置を得るにはドリフト速度などの較正が必要である。今回の解析では、特にこの較正作業をいかに高い信頼性で行なうかに焦点があてられた。ドリフト速度の他にも、ローレンツ角度、FADCの時間オフセット、読みだしワイヤーの正確な位置、ドリフト電場の乱れの影響など構成すべきパラメータはいくつか有るが、それらのうち、温度や圧力など実験条件に依存して変わるものと、実験を通して一定であるべきものを明確に区別し、測定データ自体を使って較正を行なった。較正は、パラメータを変えたときに再構成したトラックの一貫性の指標となる、フィッティングのχ2が最少になるようにして行なったが、このときに適切なイベントサンプルを選ぶことで、着目しているパラメータのみの変動に対してχ2が大きく変動するような条件を作った。こうして全ての較正パラメータを精度よく決定し、信頼性の高いトラックの再構成を行なうことができた。

また、パラメータ較正が正しく行なわれているかどうかの確認として、ガス中でのイオン化、電子の拡散、アノードワイヤー近傍での雪崩現象による増幅、FADCでのデジタル化といったドリフトチェンバの詳細な応答を、実際の測定器の詳細な配置のもとにシミュレートし、実データを比較した。パラメータ較正が正しく行なわれていない場合、トラック再構成の時に一貫性が崩れるためチェンバでのヒットの残渣分布や、χ2などのトラックのクオリティを示す分布のテールが大きくなる。今回得られたデータでは分布のテール部分に至るまでシミュレーションと良い一致が見られた。

再構成したイベントデータを使い、上空及び地表で観測した一次及び大気宇宙線の絶対流束を求めた。BESS測定器は、均一な磁場、単純なシリンダー型測定器配置、および低物質量で特徴づけられるが、これにより、観測イベントの運動量分布からエネルギースペクトルに規格化する際の補正量が最小限に抑えられ、それに伴う系統誤差は5%程度であった。図2および図3に、得られた一次宇宙線陽子および大気ミューオンのエネルギースペクトラムを示したが、どちらの結果も過去の実験と重なる部分では誤差の範囲で良い一致が見られた。

一次宇宙線陽子のスペクトラムでは、電磁スペクトロメータを使った実験として始めて500GeVという高いエネルギー範囲までの絶対流束が15%以下の精度で得られた。銀河宇宙線のスペクトルFがエネルギーEk単一のべきで表せると仮定し、データを式〓でフィットした。E0=100GeV、フィッテイング範囲を30GeV<Ek<500GeVしたときのフィットの結果は、Φ=(4.66±0.09)×10-2(m2・sr・s・(GeV)-1,γ=-2.715±0.025 となった。

関数を106GeVの高エネルギーまで外挿すると、カロリメータやエマルジョンチェンバを使った実験結果と良い一致が見られた。今回の結果とこれらの高エネルギー領域のデータを使えば、10GeV以上の大気ニュートリノの予想フラックスを計算する上での不定性を減らすことができるはずである。また、大気ミューオンのスペクトラムは、0.6〜400/GeV/cという3桁近い広い運動量領域にわたって約10%の精度で得られ、これまでの過去の実験結果のほぼすべてをカバーできるユニークな結果となり、大気ニュートリノ計算を検証する上で重要なデータとなる。

BESS-98とBESS-TeVの測定器断面図比較

得られた一次宇宙線陽子のエネルギースペクトラム(赤丸)。過去に行なわれた電磁スペクトロメータを使った実験の結果も示す。10GeV以下のずれは太陽モジュレーションの影響による。

得られた大気ミューオンのエネルギースペクトラム(赤丸)。過去に行なわれた地表及び山上での実験結果も示す。10GeV/c以下ではミューオンの崩壊とエネルギー損失の影響が無視できないため観測地点の高度によって流束に違いが出る。

審査要旨 要旨を表示する

陽子やヘリウム原子核を主成分とする一次宇宙線は、大気と反応してニュートリノを含む二次粒子を発生させる。近年、大気ニュートリノの研究からニュートリノが振動している証拠が得られた。このニュートリノ振動パラメータの精密決定には、大気ニュートリノの絶対流束の決定が重要である。そのためには一次宇宙線の絶対流束測定が不可欠なものとなる。これまでの研究により100〜200GeV以下の一次宇宙線流束の決定は、BESS、AMS、CAPRICEなどの磁場スペクトロメータを用いた実験により98年頃に5%程度の精度で行われている。しかし、それよりも高いエネルギーでは、曲率の制限から磁場スペクトロメータによる測定はなされておらず、カロリメータやエマルションチェンバーを用いた実験が行われているだけであった。それらの実験では事象数が稼げず測定精度が悪い。本論文は、既存のBESS検出器に検出可能飛跡長を2倍にする新たな飛跡検出器を導入することにより運動量の測定可能範囲を約500GeVまで拡張することに成功し、高エネルギー領域での一次宇宙線の絶対強度の精度の良い測定を行った。これらの100GeV以上の一次宇宙線によって生成される10GeV以上のニュートリノは、検出器下の岩盤で作られ、上向きミューオンとして捕らえられるため、ニュートリノ流束の絶対値の精度良い決定は特に望まれていた。

本論文は8章からなり、第1章は序論として本実験の意義などが述べられているいる。第2章は実験装置について、第3章は実験について、第4章は本論文の中心である測定器の較正と事象の再構成、そして装置の性能について述べられている。第5章において流束決定方法が詳述されている。第6章は実験結果のまとめがなされ、第7章において結果の議論が行われている。第8章は論文の結論である。

BESS検出器は、ソレノイド型薄型超伝導電磁石と、その内側に設置されたドリフトチェンバー飛跡検出器(JETチェンバー,内部ドリフトチェンバー)、その外側にある飛行時間測定用シンチレーション検出器から構成される。本実験に際しソレノイド内側の飛跡検出器の測定点数を倍にし、位置精度を200から150ミクロンに改良するとともに、外側に新しい飛跡検出器(外側ドリフトチェンバー)を設置して、測定可能飛跡長をこれまでの2倍にして運動量分解能の向上を得た(BESS-TeVと称する)。

本論文に使われたBESS-TeVを搭載した、大気上層部での気球観測実験は2002年8月にカナダ北部リンレークにおいて行われ、10.6時間の水平飛行データが収集された。

事象の再構成は本論文の中で最も重要な点である。運動量が大きな粒子の運動量を決定するためには正確な飛跡再構成が必要である。読み出し回路の要請からドリフト速度の遅いガスをチェンバーに使用しているため、温度や圧力の変化がドリフト速度に影響を与える。このため、ドリフト速度等の観測時間に沿った較正が実験にとって重要である。論文提出者は、ドリフト速度だけでなくローレンツ角やワイヤーの位置、回路の時間オフセットなど、圧力、温度に依存して変わるものと、実験を通して一定であるパラメータとを区別し、測定データ自体からデータの一貫性を指標として、較正パラメータを精度良く決定し事象の再構成を行った。

また、ガス中でのイオン化からはじまり、ドリフト、アノードワイヤ付近での雪崩現象、回路の動作を含めたチェンバー応答の精密なモンテカルロシミュレーションを行い、データと比較することにより、較正パラメータの正当性を独立に実証している。これらの精密な解析により系統的誤差を小さく抑えることができた。

このようにして、本論文では540GeVまでの一次宇宙線のスペクトルを、磁場スペクトロメーターを用いて始めて行うことが出来た。絶対流束の精度は平均約15%以下であり重要なデータとなっている。これまでに行われている実験と比較すると、重なる部分では誤差の範囲で良い一致をしている。

また、本論文においては、高エネルギー加速器研究機構敷地内で、地表での大気ミューオンの流束測定を105時間おこなった。測定は0.6から400GeVの3桁におよび範囲において行われ、平均約17%以下の精度が得られた。これまでにそれぞれの限られたエネルギー領域で行われてきた過去実験の測定領域のほぼ全体をカバーできる結果であり、一次宇宙線の測定結果とあわせ、大気ニュートリノ計算を検証する重要なデータである。

なお本論文は、BESS実験グループメンバーとの共同研究であるが、本論文の結果に関る測定装置、特に外側ドリフトチェンバーの製作、性能チェック、事象の再構成、そして結果の導出は論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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