学位論文要旨



No 118814
著者(漢字) 波田野,道夫
著者(英字)
著者(カナ) ハタノ,ミチオ
標題(和) 偏極陽子固体標的を用いた+6He, 71MeV/u弾性散乱におけるベクトル偏極分解能の測定
標題(洋) Measurement of the vector analyzing power for the +6He, 71MeV/u elastic scattering using spin polarized solid proton target
報告番号 118814
報告番号 甲18814
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4467号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 櫻井,博儀
 東京大学 教授 本林,透
 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 教授 大塚,孝治
 高エネ機構 助教授 宮武,宇也
内容要旨 要旨を表示する

偏極陽子(〓)ビームを用いた(〓, p),(〓, d),(〓, 〓),(〓, pp)(〓, np)などの散乱反応実験において、測定されるスピン依存物理量から原子核の構造を調べる研究がこれまで盛んに行なわれてきている。一方、近年、RIビーム加速技術の発展にともない、β安定線から離れた不安定核の構造を調べる研究が精力的に行なわれている。偏極陽子をRIビームによる散乱実験に適用することができれば、不安定核の構造に関する研究に新たな手段を提供することが可能になる。

RIビームを用いた散乱実験の大きな成果の一つとして6He、8Heなどの軽い中性子過剰核のもつ中性子スキン構造の発見がある[1]。1990年代、中性子スキンの発見をうけて、25-71MeV/uのエネルギーでp+6He弾性散乱の微分散乱断面積が測定され[2, 3, 4]、畳み込みポテンシャルやJeukenne, Lejeune, Mahaux(JLM) [5]の手法による光学ポテンシャルなどの微視的光学模型を用いた解析から、6He核の密度分布に関する議論が盛んに行なわれている[6, 7, 8, 9, 10]。

微分散乱断面積以外の6He核の表面の構造に関する情報源として、スピン軌道ポテンシャルが考えられる。一般に、スピン軌道ポテンシャルは、原子核の密度分布の表面の形状に敏感であることが知られており、6He核-陽子間の弾性散乱実験を行ない、スピン軌道ポテンシャルを調べることで、6He核の表面構造に関する情報が得られる可能性がある。安定核と偏極陽子ビームを用いた弾性散乱実験では、これまでに様々なエネルギーで様々な核種と偏極陽子との弾性散乱実験が行なわれており、ベクトル偏極分解能(Ay)の測定結果からスピン軌道ポテンシャルを調べる研究が行なわれている。一方、これまでに行なわれている6Heと陽子との弾性散乱実験では、偏極陽子プローブが存在しなかったため、微分散乱断面積の測定結果しか存在せず、スピン軌道ポテンシャルに関する議論は行うことができなかった。このような研究を行うためには、偏極陽子標的を用いた散乱案験を行う必要がある。

RIビーム実験では、一次ビームを用いた散乱実験に比べて強度の弱い(I<106 particle/sec)二次ビームしか得られないため、統計量による誤差を小さくするためには陽子密度の大きい固体標的を用いる必要がある。また、実験は逆運動学法によって行われるが、重心系で前方の散乱事象は実験室系では後方に対応し、この事象を検出するためには大きな角度を持って散乱してくる低エネルギーの反跳陽子の検出が重要になる。このため、RIビームを用いた散乱実験に用いるには、陽子の検出の妨げとならない程度の低磁場高温で使用可能な偏極陽子固体標的を用いる必要がある。

0.1T、100K程度の低磁場高温で高い陽子偏極度を得るための方法として、芳香族化合物であるペンタセン(C22H14)の光励起と積分固体効果(ISE)を組み合わせることで陽子を偏極させる手法がある[11, 12]。この手法では、被偏極物質に芳香族化合物であるペンタセンを少量(0.01mol%)ドープしたナフタレンナフタレン(C10H8)の単結晶を用いる。偏極生成は次のように行なわれる。まずペンタセン分子をパルスレーザー(パルス幅〜ペンタセン分子の三重項状態の寿命〜20μsec)によって三重項状態に励起させることで、Zeeman 副準位間に温度や磁場の大きさに依らない電子の占有率の偏り(整列)を生成する。その後、パルス化したマイクロ波の照射と外磁場の掃引を行うことで電子の占有率の偏りを陽子偏極に移行させる。この過程の後、ペンタセン分子は陽子が偏極した状態で基底状態に脱励起し、スピン-スピン相互作用によってナフタレンの陽子に偏極を拡散させる。以上の光励起→偏極拡散の過程を繰り返すことで陽子偏極度を成長させる。この方法は、低磁場高温中で原子核実験に必要な程度に陽子を偏極させ得る唯一の手段であり、本研究では、この方法に基づいて陽子を偏極させる。

図1(a)に陽子偏極システムの概念図を示す。陽子偏極システムはC型電磁石、散乱槽、パルス化レーザーおよび、ISE法のための装置からなっている。散乱槽は冷却槽と真空槽の二重構造になっている。標的結晶およびISE法のための装置は冷却槽の内部に設置される。標的の冷却には冷却窒素ガスを用いた。ペンタセンの光励起のためのレーザーにはパルス化したArイオンレーザー(パルス幅 : 20μsec、繰り返し : 1kHz、波長 : 514nm、強度 : 10W)二台を用いた。ISE法のための装置は、偏極度の測定のためのNMR(核磁気共鳴)コイル、マイクロ波共振器および、外磁場掃引コイルからなっている。開発に際して、最大の課題となったのが、反跳陽子の検出の妨げとならないようなマイクロ波供給システムの開発である。マイクロ波を標的結晶へ供給するためには、結晶をマイクロ波共振器の内部に設置する必要があるが、低エネルギーの反跳陽子が共振器中で止まらないようにするために、一般のマイクロ波キャビティより物質量の小さい共振器を用いる必要があった。この困難を克服するために、厚さ25μmのテフロン膜と厚さ4.4μmの銅膜からなる両端解放型の円筒形ループギャップ共振器(LGR)[13]を導入した。また、LGRの固定具を可動式にし、100Kに冷却した状態でのLGRの整合の調節を可能にすることで効果的に標的結晶にマイクロ波を供給することに成功した。図1(b)に偏極生成の条件および、実験中の陽子偏極度の成長の様子を示す。偏極度の絶対値の較正がなされていないため、図の縦軸にはNMR信号の強度をとっている。表1には用いた偏極陽子標的についてまとめる。測定の誤差は2.3%である。実験結果の解析には図1(b)中の灰色で示された領域で測定された実験データを用いた。偏極度の絶対値の較正は今後、標的結晶の熱平行状態での陽子偏極のNMR信号の測定によって、もしくは、標的結晶を用いて〓+4He弾性散乱におけるAyの測定を行い、結果を既存の実験結果と比較することによって行う予定である。

〓+6He弾性散乱実験を行うにあたり、入射エネルギーには、71MeV/uを選んだ。これは、同エネルギーにおいてp+6He弾性散乱の微分散乱断面積の測定結果[2]があり、ほぼ同じエネルギー(72MeV)において、〓+6Li弾性散乱の微分散乱断面積とAyの測定結果[14]があったためである。測定角度領域は、測定結果を両者の実験結果と比べるため、40°<θcm<80°とした。

実験は、理化学研究所加速器科学研究施設(RARF)の入射核破砕片分離装置(RIPS)を用いて行なった。得られた6Heビームの強度は平均で170kcps、位置広がりは半値全幅で10mm、角度広がりは1.03°、純度は95.2%であった。測定装置は大きくわけて6He検出器(1)陽子検出器(2)の二つの系統にわけられる。(1)は標的から散乱されてくる6He粒子の散乱角度の測定のための多芯線型ドリフトチェンバー(MWDC)と、E, ΔE情報から粒子識別を行うための三層のプラスチックシンチレータホドスコープからなっている。MWDCの直ぐ上流には、ビームが直接6He検出器に入射するのを防ぐためのビームストッパおよび、ビーム収量の測定のためのビームモニタが設置されている。(2)は標的からの反跳陽子の散乱角度情報およびΔE情報の検出のためのマルチストリップシリコン検出器、およびE情報の検出のためのプラスチックシンチレータからなっている。

図2にp+6He弾性散乱の測定結果(今回の結果:白丸、Korshenninikov らの測定結果[2] : 黒丸)を〓+6Li弾性散乱の測定結果(白四角)[14]と共に示した。左が微分散乱断面積であり、右がAyである。p+6HeのAyの測定結果は陽子偏極度P=21%を仮定したときの値である。〓+6Heと〓+6Liとを比較したところ、微分散乱断面積の角度分布が両者で似た形状をしているが、Ayに異なりがあることが示唆された。

これまでに行なわれている微視的光学ポテンシャル(畳み込みポテンシャル)による理論計算[8](図2中の破線)との比較では、Ayが60°より後方で〓+6Liと似た振るまいをすることを予言しているのに対して、実験結果はその予言と異なった結果を示唆するものであった。計算結果がAyの測定結果を再現していないことから、これまでの理論ではスピン軌道ポテンシャルを正しく扱えていなかった可能性がある。今後、行なわれるであろう精度の高いAyの測定結果から、スピン軌道ポテンシャルに関するより詳細な議論が発展することが望まれる。

Ayの振るまいの異なりは、スピン軌道ポテンシャルの違いから定性的に理解される。スピン軌道ポテンシャルに関する知見を得るため、今回の測定結果から現象論的光学ポテンシャルを用いた解析を行なった。〓+6HeのAyの光学ポテンシャルによる計算結果を図2中に実線で示した。パラメータの最適化にあたり、初期パラメータとして、〓+6Li, 72MeV弾性散乱の光学ポテンシャルのパラメータ[4]を用いた。〓+6LiのAyの光学ポテンシャルによる計算結果を図2に点線で示した。今回の解析では、Ayの統計誤差や、陽子偏極度の不確定性からくる系統誤差が大きいため、スピン軌道ポテンシャルを詳細に決定することは行わなかったが、角度分布を定性的に再現するようなスピン軌道ポテンシャルを求めることができた。得られたスピン軌道ポテンシャルと〓+6Li, 72MeVのスピン軌道ポテンシャルを比較すると、〓+6Li弾性散乱のスピン軌道ポテンシャル比べ、半径パラメータγlsもしくはぼやけパラメータαlsが大きいときに〓+6He弾性散乱のAyを定性的に再現するという結果が得られた。

今回のAyの測定により、〓+6Heと〓+6Liとでスピン軌道ポテンシャルにことなりがあることが示唆された。スピン軌道ポテンシャルが原子核の表面に敏感な物理量であることから、この結果が同重核同士である6Liと6Heとの表面の構造の異なりを反映している可能性がある。今回の結果のみからこの現象がスピン軌道ポテンシャルのアイソスピン依存性による現象であるかどうかを断定的に議論することは難しいが、今後、大局的に扱いやすい重い原子核間の同重核間で同様な実験を行い、スピン軌道ポテンシャルの比較を行うことで、スピン軌道ポテンシャルのアイソスピン依存性を議論することが可能になると考えられる。また、今後、同様の実験を行い、より高い精度でベクトル偏極分解能の測定を行うことで、6Heの表面の構造に関するより詳細な議論が行なえる可能性がある。

今回の実験により、我々が開発した偏極陽子標的の有効性が検証され、不安定核研究の分野に新なプローブとして、偏極陽子が加わった。今後、様々な不安定核と偏極陽子との散乱実験を行うことで、不安定核の研究の新たな分野が開拓されることが期待される。

(a)陽子偏極標的システムの概念図。(b)実験中の偏極生成の条件および実験中の陽子偏極度。縦軸は偏極度の絶対値に比例する量である。実験結果の解析では図(b)中の灰色で示された領域の実験データを用いた。

実験に用いた標的

今回の測定結果と〓+6Li, 72MeV弾性散乱の測定結果[14]。左が微分散乱断面積であり、右がAyである。今回の測定結果を白丸で示した。Ayの測定結果は陽子偏極度P=21%を仮定したときの値である。黒丸は Korshenninikov らの測定結果[2]である。白四角は、〓+6Li, 72MeV弾性散乱の測定結果である。図中の実線は今回の結果を再現するようにパラメータを最適化した現象論的光学ポテンシャルによる計算結果、点線は、〓+6Li, 72MeV弾性散乱の現象論的光学ポテンシャルによる計算結果[14]、破線は、微視的観点から構築された光学ポテンシャル(畳み込みポテンシャル)による予言値[8]である。

にp+6He弾性散乱の測定結果(今回の結果:白丸、Korshenninikov らの測定結果[2]: 黒丸)をp+6Li弾性散乱の測定結果(白四角)[14]と共に示した。左が微分散乱断面積であり、右がAyである。p+6HeのAyの測定結果は陽子偏極度P=21%を仮定したときの値である。p+6Heとp+6Liとを比較したところ、微分散乱断面積の角度分布が両者で似た形状をしているが、Ayに異なりがあることが示唆された。

I. Tanihata, H. Hamagaki, O. Hashimoto, S. Nagamya, Y. Shida, N. Yoshikawa, O. Yamakawa, K. Sugimoto, T. Kobayashi, D. E. Greiner, N. Takahashi and Y. Nojiri, Phys. Lett. B 160 (1985) 380.A. A. Korsheninnikov, E. Yu. Nikolskii, C. A. Bertulani, S. Fukuda, T. Kobayashi, E. A. Kuzmin, S. Momota, B. G. Novatskii, A. A. Ogloblin, A. Ozawa, V. Pribora, I. Tanihata and K. Yoshida, Nucl. Phys. A 616 (1997) 45M. D. Cortina-Gil, P. Roussel-Chomaz, N. Alamanos, J. Barrette, W. Mittiga, F. S. Dietrichd, F. Auger, Y. Blumenfeld, J. M. Casandjian, M. Chartier, V. Fekou-Youmbi, B. Fernandez, N. Frascaria, A. Gillibert, H. Laurent, A. Lpine-Szily, N. A. Orr. J. A. Scarpaci, J. L. Sida and T. Suomijrvi, Phys, Lett. B 401 (1997) 9.R. Wolski. A. S. Fomichev, A. M. Rodin, S. I. Sidorchuk, S. V. Stepantsov, G. M. Ter-Akopian, M. L. Chelnokov, V. A. Gorshkov, A. Yu. Lavrentev, Yu. Ts. Oganessian, P. Roussel-Chomaz, W. Mittig and I. David, Phys, Lett. B 467 (1999) 8.J. P. Jeukenne, A. Lejeune and C. Mahaux, Phys. Rev. C 16 (1977) 80.D. Gupta, C. Samanta and R. Kanungo, Nucl. Phys. A 674 (2000) 77.S. Karataglidis, P. J. Dortmans, K. Amos and C. Bennhold, Phys. Rev. C 61 (2000) 024319.K. Amos, private communication.S. P. Weppner, Ofir Garcia, and Ch. Elster Phys. Rev. C 61 (2000) 044601.V. Lapoux, N. Alamanos, F. Auger, Y. Blumenfeld, J.-M. Casandjian, M. Chartier, M. D. Cortina-Gil, V. Fekou-Youmbi, A. Gillibert, J. H. Kelley, K. W. Kemper, M. Mac Cormick, F. Marechal, F. Marie, W. Mittig, F. de Oliveira Santos, N. A. Orr, A. Ostrowski, S. Ottini-Hustache, P. Roussel-Chomaz, J.-A. Scarpaci, J.-L. Sida, T. Suomijiarvi and J. S. Winfield, Phys. Lett. B 517 (2001) 18.A. Henstra, P. Dirksen and W. Th. Wenckebach, Phys. Lett. A 134 (1988) 134.M. Iinuma, Y. Takahashi, I. Shake, M. Oda, A. Masaike and T. Yabuzaki. Phys. Rev. Lett. 84 (2000) 171.B. T. Ghim, G. A. Rinard, R. W. Quine, S. S. Eaton and G. R. Eaton, J. Magn. Reson. A 120 (1996) 72.R. Henneck, G. Masson, P. D. Eversheim, R. Gebel, F. Hinterberger, U. Lahr, H. W. Schmitt, J. Schleef and B. v. Przewoski, Nucl. Phys. A 571 (1994) 541.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、7章からなり、第1章の序文に続き、第2章では偏極陽子固体標的の原理、装置開発の詳細などが述べられ、具体的な実験条件も明示されている。この偏極標的は、本実験研究での根幹である。第3章では、偏極標的以外の実験装置群(理化学研究所の加速器施設および検出器群)についての記述がなされており、第2章と同様、詳細な実験条件が述べられている。第4章では、データ解析の方法、特に、弾性散乱事象の抽出方法およびビーム量の見積もり方法について述べられている。第5章では、最終的な測定量である微分散乱断面積とベクトル偏極分解能を導出する方法とその結果、および統計・系統誤差が示されている。第6章では、本研究で得られた実験値と従来の実験値・理論値との比較を行うと同時に、現象論的な解析によって従来の実験値との差をより定量的に扱い、新たに得られた実験値の意味付けを行っている。これら第2章から第6章までの5章が本論文の中心である。最後の第7章では結論が述べられている。この他、付録として電子スピン共鳴スペクトルについての詳細な記述が収録されている。

本論文は、原子核物理学の大きな一つの柱である不安定原子核の分野における研究であり、不安定核ビームに適した偏極固体標的を世界に先駆け開発し、これをもってはじめて不安定核のベクトル偏極分解能を測定した画期的な研究である。

従来、原子核物理学の実験研究のプローブとして偏極陽子ビームが用いられてきた。陽子は単純な構造をもつため、弾性散乱の微分散乱断面積の測定を通じて、原子核物質の大きさおよび物質分布が明らかとなってきた。これに加え、陽子ビームを偏極させ、偏極分解能を測定することができると、物質分布の微分形に比例した成分を引き出し、原子核表面の知見をより詳細に得ることが可能となる。しかし、偏極陽子ビームを用いた実験では、研究対象は安定核に限られていた。その理由は、標的として生成可能な核としては安定核に限られるためである。一方、不安定核ビーム生成技術の発展により、安定線から遠く離れた不安定核の核構造研究が著しく発展しつつある。この研究を通じて、例えば、不安定核の特異な物質分布が明らかとなっており、中性子スキン核やハロー核が発見されている。不安定核ビームを用いた実験では、逆運動学のため、従来用いていたビームを標的にする必要がある。例えば、不安定核の特異な物質分布は、陽子や炭素などの比較的軽い核を標的とした散乱案験によって得られている。不安定核の特異な構造に関して、その研究をもう一歩深化させる必要があり、このためには、偏極陽子標的の開発が不可欠である。本研究の目的はここにある。

本研究では、不安定核ビームに適した偏極陽子固体標的を開発した。不安定核ビームは、そのビーム強度が低いため固体標的が必要であり、また、標的から反跳される陽子を測定する必要があるため、従来の標的に比べ、低磁場・高温で動作可能なものを開発することが不可欠であった。これら条件を満たす標的として、芳香族化合物をベースにした固体標的が開発された。

本研究で研究対象となった不安定核は、中性子スキン核として知られる6Heである。6Heの大きさは、4Heよりも大きく、6Liと同程度の大きさを持つことが知られていた。従って、6Heでの偏極分解能が、6Liとどう異なるかを調べることは興味深い。また、実験的には、6Heは束縛した励起状態を持たないので弾性散乱事象を選択することも比較的容易である。

実験は、理化学研究所の不安定核生成分離装置で行われた。6Heをビームとして造り、これを偏極固体標的に照射した。弾性散乱事象を選び出すために標的の左右に反跳陽子測定用の検出器群を、また、下流には、6Heを検出するための検出器群を配置した。

実験で得られたデータは、特筆すべきものがある。弾性散乱の微分散乱断面積は、6Liのデータとほぼ同じであり、これは、6Heが6Liと同程度に物質が広がっていることを示しており、これまでのデータと矛盾がない。一方、ベクトル偏極分解能の散乱角依存性は、偏極分解能に大きな不定性があるものの、6Heと6Liでは、定性的に全く異なる振る舞いをしている。原子核反応の微視的理論でも6Heの微分散乱断面積は説明できるが、ベクトル偏極分解能については実験データを再現することができていない。そこで、偏極分解能の差異をより定量的に議論するために、現象論的な光学模型で解析を行ったところ、6Heと6Liの違いは光学ポテンシャル項のひとつ、LS項の違いとして明らかとなった。実験データを再現するLS項を6Heと6Liで比較すると、6HeのLS項は外側にあり、このことから6Hと6Liとでは異なる表面構造があることが示唆される。

以上のように本研究は、世界に先駆けて行われた野心的なもので、また学術的な価値も十分にある。また、本研究で得られた成果を踏み台にし研究対象を拡大することで、今後の発展が大いに期待できるものである。

なお、本論文は共同研究であるが、論文提出者が主体となって本実験用の標的システムの構築、検出器群の建設、実験遂行、及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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