学位論文要旨



No 118815
著者(漢字) 原,正大
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,マサヒロ
標題(和) 微小磁性体/半導体二次元電子系複合構造における勾配磁場中の電子輸送
標題(洋) Electron Transport under Gradient Magnetic Field in Mesoscopic Ferromagnet/Semiconductor 2DEG Hybrid Structures
報告番号 118815
報告番号 甲18815
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4468号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岡本,徹
 東京大学 助教授 秋山,英文
 東京大学 助教授 高田,康民
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 教授 榊原,俊郎
内容要旨 要旨を表示する

近年における半導体成長及び微細加工技術の目覚しい進歩は、サブミクロンスケールの構造を人工的に実現、制御することを可能とし、その舞台であるメソスコピック系では新奇な物理現象の発現が期待される。最近では半導体二次元電子系の平均自由行程はミリメートルのオーダーに達するものも存在する。電子線描画による微細加工の技術を用いて作成した量子ドットや量子細線といった微小な閉じ込め構造では、低温において興味深い量子効果が顕わとなり、近年数多くの研究がなされている。このようなメソスコピック構造の制御の手法としてはエッチングやゲート電極による静電的制御によるものが主流であるが、最近、微小磁性体の漏れ磁場を利用した空間変調磁場による制御が注目を集めている。極めて散乱の少ない二次元電子系では、電子の運動はバリスティック(弾道的)であり、局所的な漏れ磁場による影響を強く受ける。微小磁性体/半導体二次元電子系複合構造は新奇な磁気輸送現象の舞台のみならず、将来のデバイスへの応用も期待される系である。

本論文は微小磁性体の漏れ磁場による制御を用いて、二次元電子系細線試料における磁場勾配を持つ磁場中の電子輸送に関する研究を述べたものである。勾配磁場は一様磁場の場合とは異なる形で系の時間反転対称性を破る。この研究において目指したことは、単に空間変調磁場中のバリスティックな電子の運動を反映した半古典的な現象のみならず、量子論的な効果による現象の観測である。4つの異なる物理的な視点から実験を行い、それぞれの現象において空間変調磁場の効果に関する考察を行った。

上図(a)(b)のような二種類の構造を作成した。まず、二次元電子系をエッチングにより細線に加工しそのチャネル中央の基板表面に磁性体(コバルト)細線を配置する。外部磁場を様々な向きに印加して磁性体の磁化の向きを変化させることで、直下に存在する二次元電子系に生じる漏れ磁場の大きさやプロファイを制御することができる。ここで、二次元面に水平な磁場の伝導への寄与は無視できるので、漏れ磁場のz成分だけを考えればよい。y方向に磁化の向きを揃えると、右図(d)のような0.2T程度の正負の磁場をもつ勾配磁場をチャネル中に導入することができる。一方、x方向に磁化させると、空間変調磁場を消すことができる。二次元電子系細線と同時に磁性体細線の抵抗も測定し、異方性磁気抵抗効果から磁性体の磁化過程の情報が得られるように工夫した。

異方性伝導効果

二次元電子系細線の幅が平均自由行程(数ミクロン程度)より小さくなると境界における散乱が抵抗に大きく寄与してくる。鏡面的な散乱であればチャネル方向の運動量は保存するので抵抗へは寄与しないが、一般的にはある程度拡散的に散乱され(細線の作成方法にもよる)境界散乱による抵抗が生じる。DCバイアス電流を印加するとホットエレクトロン効果によりチャネル中の電子温度が上昇し、電子-電子散乱が頻繁に起こるようになる。この際、細線の抵抗は当初増加するが、それは電子-電子散乱によりチャネル中央付近を伝播していた電子が境界方向へ曲げられ、拡散的な境界散乱を受けるようになるためである。さらにバイアス電流を増やすと、頻繁に起こる電子-電子散乱により境界へ到達する確率が減少するため、逆に抵抗は減少する。そこで二次元電子系細線に図(d)のようなプロファイルをもつ勾配磁場を導入して同様な案験を行った。勾配磁場はチャネル方向に対して対称性を破っており、古典的な描像ではチャネル中央付近に正負の磁場に交互に跳ね返されて伝播する snake 軌道が存在する。また、その伝播する向きは磁場勾配の向きに依っている。一方、境界付近には境界散乱を次々と受けながら snake 軌道とは逆向きに伝播する電子が存在する。snake 軌道に沿った向きにDCバイアス電流を印加すると、逆向きの場合に比べて、抵抗が減少する振る舞いを観測した。チャネル中央付近の snake 軌道に束縛された電子は多少の電子-電子散乱では、境界付近に到達せず拡散的な境界散乱が抑制されるのに対して、逆向きに運動する電子は境界散乱が助長される。これにより、抵抗はバイアス電流の向きにより有意な差を生じる。

バリスティック効果

図(b)に示すようなミクロンスケールの十字路構造では、電子は散乱を受けずに弾道的に他の電極へ透過するので、ホール抵抗の消失や曲がり抵抗(例えば2から3に電流を流し、1と4の電位差を測る)が負の値を示すなど、一見特異な振る舞いを示す。しかし、これらの振る舞いはそれぞれの電極間の透過率を古典的なビリヤードモデルで計算し、Landauer-Buttiker 公式に当てはめる事で理解される。この系は先述の snake 軌道の効果や磁気バリア(局所的な磁場により電子の軌道が曲げられる)の効果をより直接的に観測することのできる格好の系である。先程と同様に図(d)のような勾配磁場を十字路構造中に導入すると、負の曲がり抵抗は磁場勾配の向きによって、一方では負の方向へさらに助長され、また他方では抑制されて正の値へと変化した。また空間変調磁場をまたぐ二端子抵抗(電極2-4間)は変調磁場の大きさとともに増加した。以上の振る舞いを理解するためにビリヤードモデルにより透過率のシミュレーションを行った。図(d)のような勾配磁場中では、snake 軌道は図(b)の電極1から3に伝播するため、1から3への透過率は増加する。一方、逆向きの3から1へは減少する。また、電極2及び4から放射された電子は十字路構造中の磁気バリアにより電極1の方へ曲げられ、直進の透過率は減少する。求めた透過率を Landauer-Buttiker 公式により抵抗に換算し、実験で観測した振る舞いをほぼ再現できた。

普遍的コンダクタンス揺らぎ

二次元電子系細線の長さが位相緩和長(電子の波動関数の位相が保たれる距離)程度になると、磁場及びフェルミエネルギーの変化に対して、再現性のある抵抗揺らぎを生じる。コンダクタンスの揺らぎの二乗平均は試料のサイズや不純物配置に依らずe2/h程度と普遍的な値をとる。この普遍的コンダクタンス揺らぎはAl'tshuler-Lee-Stone らにより理論的に予測され、拡散的な金属細線においても観測されている。絶対零度におけるコンダクダンス揺らぎの大きさは位相緩和長とサンプル長さの比および、系のユニバーサリティークラスによって決まる。磁場により系の時間反転対称性が破れるとゼロ磁場の値に比べて揺らぎの大きさは減少する。これはダイアグラムの手法では cooperon の寄与が磁場により抑制されることに対応する。一様磁場の場合と同様に図(d)のような勾配磁場の変化に対しても再現性のあるコンダクタンス揺らぎを観測した。一様磁場の場合と勾配磁場の場合を比較すると、より低温で揺らぎの大きさに変化が生じた。勾配磁場は場所によって正負の磁場を持ちそれを囲むようなパスを貫く磁束は正負でキャンセルしゼロ付近で揺らぐ。cooperon の寄与はパスを貫く磁束が量子磁束より十分大きくなると抑制されるが、このような状況では cooperon もコンダクタンス揺らぎに寄与するため、勾配磁場による抵抗揺らぎがより低温で大きくなったと考えられる。

量子ホール効果

整数量子ホール効果は、強磁場下二次元電子系で観測され、ホール抵抗がh/e2の単位で量子化され、縦抵抗がゼロになる現象であるが、その本質は非局在状態がランダムポテンシャルにより広がった Landau 準位の中心のみに存在し、その周りの状態は全て局在していることにある。エッジチャネル描像ではネットの電流は試料の端付近の電子状態が担っており、それぞれの端を逆向きに伝播するエッジ状態が十分隔離されると、後方散乱が抑制され抵抗はゼロになる。ところが、フェルミエネルギーが Landau 準位の中心をよぎるとバルクの非局在状態を介して逆向きに後方散乱され、有限の抵抗を生じる。そこで磁性体の漏れ磁場を利用してチャネルの中央付近に磁場の空間的な揺らぎを導入した。空間変調磁場は磁気長に比べてゆっくり変化しているので、Landau 準位は各々の場所で外部磁場による一様成分と漏れ磁場による空間変調成分の和で決まる。そのため、非局在状態はバルク全体には広がらず、チャネルの中央付近の磁気構造にブロックされる。空間変調磁場は、いわば、非局在状態の磁気バリアとして働く。そのため、量子ホール遷移領域の有限抵抗は変調磁場の弱い場合に比べて強く抑制される。また、温度上昇とともに磁気バリアをまたいだ遷移が可能となるため、熱活性的に抵抗は増加する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。第1章はイントロダクションであり、変調磁場下での電子輸送、試料境界での拡散的散乱、負の曲げ抵抗、普遍的コンダクタンス揺らぎ、量子ホール効果などの本論文の基礎となる現象についてそれぞれ説明が行われ、さらに研究の動機が記されている。第2章は狭いチャネルをもつ半導体ヘテロ構造二次元電子系試料の上に磁性体をのせた試料構造についての説明と、磁性体の漏れ磁場を用いて二次元電子系に空間磁場変調を与える手法についての説明が行われている。第3章が本論文の中心で、4つのテーマに対する実験結果と考察が行われている。最後に第4章で本研究のまとめが述べられている。

空間変調磁場下におかれた二次元電子系においては、垂直磁場の符号が変わる境界線に沿って電子が蛇行しながら運動する状態 (snake state) が存在することが、古典的考察から予想されている。これまで一次元周期変調磁場下での研究が盛んに行われ、正の磁気抵抗効果が snake state に基づいて説明されている。本論文では、より直接的な知見を得るために、微細加工技術を駆使して作製された幅の狭い二次元チャネル(1500nmまたは1800mn)の中心上にさらに狭い幅 (500nm) をもつ磁性体細線を一本のせた試料が用いられている。磁性体細線からの漏れ磁場によってチャネル中心付近に作られた snake state において、電流は磁場勾配に垂直な一方の方向に流れるためにチャネル方向に対する対称性が破られる。これに関連した二つの現象が報告されている。一つは、チャネルを流れる電流の向きによって抵抗に違いが現れる現象である。同様な実験はBath大グループによってすでに報告されているが、本論文では電流依存性に関する詳細な測定を行い、妥当と思われる試料境界での拡散的散乱に着目した解釈を行っている。チャネルの端部では snake state による電流を打ち消す向きに電流が流れていると考えられるが、この部分では大きな境界散乱が存在する。本論文では、snake state がない場合における電流電圧特性から境界散乱の電流に対する依存性を調べ、それに基づき snake state が存在する場合のチャネル抵抗の電流方向に対する異方性の説明を行っている。

snake state に関連したもう一つの実験が、snake state をもつチャネルと磁性体をのせていない同じ幅のチャネルを直交させた十字接合を含む試料で行われた。十字接合においては電子の弾道性に起因する負の曲げ抵抗が存在することが知られているが、本論文では、勾配磁場の向き(snake state の電流の向き)によって負の曲げ抵抗が増大したり抑制されたりすることと、勾配磁場領域をまたぐ二端子抵抗が磁気バリア効果で増大することが観測された。これらの実験結果を再現するために電極間の透過率に対する計算が古典的なビリヤードモデルに基づき行われ、Landauer-Buttiker 公式より空間変調磁場による抵抗変化に換算された。計算結果は実験結果よりも若干大きいものの、不純物散乱や十字部分の角が多少丸みを持つことなどを考慮するとコンシステントであった。

さらに本論文では、普遍的コンダクタンス揺らぎと量子ホール効果に関する実験が行われている。普遍的コンダクタンスの揺らぎの測定では、100mK前後の低温領域において、勾配磁場下での揺らぎの大きさが一様磁場下でのそれよりも大きくなることが観測され、それに対する考察が行われているが、勾配磁場下と一様磁場下での結果に違いが見られない試料もあった。また、量子ホール効果の実験では、遷移領域において空間変調磁場による対偶抵抗の抑制が観測された。この結果は、チャネル中心でランダウ準位充填率が空間変化するために非局在状態がチャネル全体に広がれず、後方散乱が抑制された結果として理解される。

以上、本論文では、微小磁性体/半導体二次元電子系複合構造試料を用いて勾配磁場中の電子輸送に関する4つのテーマに対する研究が行われた。試料作成および磁場方位を制御した極低温下での電気伝導測定は、いずれも高度な技術を要するものである。また、実験結果に対する考察も様々な視点から適切に行われており、論文提出者の力量が博士に適うものと判断できる。

なお,本論文は家泰弘氏、勝本信吾氏、遠藤彰氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究計画の立案、試料作成および電気伝導測定の遂行、実験結果の解析・考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

しがたって、審査委員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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