学位論文要旨



No 118816
著者(漢字) 日影,千秋
著者(英字)
著者(カナ) ヒカゲ,チアキ
標題(和) 高次統計量を用いた宇宙大規模構造の非ガウス性の定量的解析
標題(洋) Higher-order Statistics as a probe of Non-Gaussianity in Large Scale Structure
報告番号 118816
報告番号 甲18816
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4469号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 柴田,大
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 黒田,和明
 東京大学 助教授 松尾,泰
 東京大学 助教授 土居,守
内容要旨 要旨を表示する

宇宙を探索する上で、伝統的かつ標準的な方法のひとつは、銀河の分布を調べることである。銀河は、銀河群、銀河団、超銀河団といったように様々な階層にわたって群れ集まった構造をなしていることは知られていたが、1980年代後半、Harvard Smithsonian Center for Astrophysics (CfA)により、銀河のほとんどないヴォイドの周りを尾根状に連なるように分布するフィラメンタリー状の銀河分布構造が発見された。数十から百 Mpc の宇宙論的スケールをもつこの構造は、「宇宙の大構造」とよばれている。現在稼働中(2000年4月から2005年夏までの予定)の Sloan Digital Sky Survey (SDSS) は、全天の4分の1を覆う広領域サーベイ計画であり、3次元的な大構造に関する詳細な解析を可能とする。

標準的な構造形成モデルによると、宇宙初期の小振幅のゆらぎが、宇宙膨張のもとで重力によって成長し、ゆらぎの大きい場所に集まったガスが輻射エネルギーの放出によって冷えて銀河が生まれ、宇宙大構造として現在観測されていると考えられる。したがって、大構造の観測は、宇宙初期の密度ゆらぎ分布の統計を知るために、また、宇宙論パラメターを制限するツールのひとつとしても使われる。また、銀河やクエーサーの位置、スペクトル、光度、形状、色に関する大容量のデータベースは、天体の生成・進化を探る基礎となる。

宇宙人構造の解析に、これまで最もよく用いられる手法は、2点相関関数や、そのフーリエ変換であるパワースペクトルを使った2点統計の解析である。2点統計は非常に単純で分かりやすい統計量であり、東辻・木原(1969)によって初めて銀河分布の2点相関関数が測られて以来、分布の集団的性質を探る基本的な手法として広く使われてきた。

しかし、2点統計だけで宇宙大構造の全てを記述することはできるかというと、そうではない。標準的な構造形成モデルで考えられている宇宙初期の小振幅のゆらぎは、大数の法則によってガウシアン統計に従うため、2点統計だけでゆらぎの性質を完全に記述できる。しかし、現在観測される宇宙の大構造は、非線形な重力進化によって、また、銀河の形成過程の複雑性に伴うダークマターのゆらぎと銀河分布のゆらぎとの間の不定性(バイアス)によって、ガウス統計からずれている(重力またはバイアスの線形性は、非ガウス性を生じない)。この非ガウス的性質は、2点統計では無視されているフーリエ位相のモード間の相関によって決まるが、この位相相関こそが、ヴォイドやグレートウォール、フィラメンタリーといった豊かな宇宙大構造の配位情報を担っている(図1参照)。

2点統計は重力やバイアスに伴う非ガウス的性質、あるいは構造の配位情報を捉えることはできず、より高次の統計量を用いた複合的な視点から見なければ、大構造の解析として不十分である。つまり、2点統計において、バイアスの不定性は除いて標準的な構造形成モデル(宇宙項入りの冷たい暗黒物質モデル、以下LCDMとする)と合致するが、より高次の統計量を用いたときにLCDMの予言と一致するかどうかは全く別の問題である。

そこで本研究では、二種類の高次統計量、ミンコフスキー汎関数と位相和の分布関数、を使い、SDSS銀河分布のデータに応用して、宇宙大構造の非ガウス性の定量的な解析を行った。これらの高次統計量に関して、SDSSデータの統計的信頼性、標準的な構造形成モデル(初期分布のガウス性とLCDMモデル)との一致性、銀河の明るさや形態の違いによるバイアスの影響の大きさを調べた。そのために、まず、SDSS銀河分布を1等級ごとの明るさに分け、各等級内で均質なサンプルを作った。次に観測的な影響を考慮して、各サンプルに対して、サーベイ領域の体積および形状、データ点の総個数が等しく、特異速度に伴う赤方偏移のずれの影響を考慮した擬似サンプルをN体シミュレーションから作り、比較するという手法をとった。

ミンコフスキー汎関数は、並行・回転移動の不変性、加法性、連続性を満たす、構造の形状やトポロジー情報の完備な集合であり、3次元構造では、体積、表面積、平均曲率、オイラー曲率がある。閾値υδ。以上の密度ゆらぎをもつ領域に関して各ミンコフスキー汎関数を計算し、υδの関数として示したのが図2である。

光度の違うサンプル間で違いがほとんど見られない、少なくともミンコフスキー汎関数の誤差の範囲内で一致している、ことから、銀河バイアスの非線形性や確率的性質がもたらす影響は小さいと考えられる。この結果は、2点統計に見られる、銀河の明るさや形態による違いは、(ミンコフスキー汎関数には反映されない)バイアスの線形性によるものであることを示唆する。また、標準的なLCDMモデルの予言と観測がよく合致していることから、ミンコフスキー汎関数においてもLCDMが妥当な宇宙モデルであることを示している。

もうひとつの高次統計量、位相和の確率分布は、フーリエ位相の値から位相相関の大きさを特徴づけることに成功した初めての統計量である(松原 2003)。位相値は、2πの循環性による不定性を含む上、座標系の原点の位置によって変わる性質をもっているため、扱いは困難である。しかし、3つ以上の閉じた波数ベクトルの位相の和については、原点の位置に不変であることに着目し、位相和に関する分布関数の非一様性を調べることで、位相相関の大きさを測れることがわかった(松原 2003)。私は、位相和分布関数の研究をさらに推し進め、宇宙大構造のN体シミュレーションに応用した。その結果、位相の相関は、データ領域の体積が小さいほど、またスケールの大きなゆらぎほど強くなるという他の統計量には見られない特徴を備えていることがわかった。さらに、位相和の分布関数を使って、SDSS銀河のサンプルに応用し、大構造の位相相関を初めて測った(図3)。

その結果、位相相関に関しても、銀河の光度によらず、LCDMモデルの予言とよく一致しており、銀河バイアスの非線形性、確率的性質の影響が小さいことがわかった。

2点統計だけでなく、ミンコフスキー汎関数や位相相関による構造および位相情報の統計に関してもLCDMモデルと矛盾しない結果が得られたことで、宇宙の大構造は、“真の意味”で、標準的な構造形成モデルを支持することがわかった。

左図は、宇宙大構造のN体シミュレーション(1辺300Mpc/h)の個数密度分布(2563のメッシュ)のスライス地図。左図の分布に関して、振幅成分を保持し、位相成分をランダムにすると構造がなくなってしまう(中央の図)。一方、振幅成分は一定にし、位相成分を保持した場合(右図)、コントラストは弱いが、構造の配位情報は保たれている。

等級の異なる3つのSDSS銀河分布のサンプル (C : -21<Mr<-20、D : -20<Mr<-19, E : -19<Mr<-18, MrはSDSS望遠鏡のrバンドでの絶対等級)と、宇宙項入り(LCDM)、宇宙項なし(SCDM)の冷たい暗黒物質モデルに基づくN体シミュレーションから作成した擬似カタログに対して、4つのミンコフスキー汎関数を比較したものである。暗黒物質に関するミンコフスキー汎関数の現象論的モデル(Lognormal)も合わせて表示した。各パネルはυδ、以上の密度ゆらぎをもつ領域に関する、全体積(左上)、全表面積(右上)、表面全体で積分した平均曲率(左下)、表面全体で積分したガウス曲率(右下)を、それぞれ、データ領域の総体積で割ったものを表す。誤差棒は、擬似カタログから見積もったサンプルバリアンスを表す。

位相和分布の非一様性の大きさ(位相相関の強さ)を表すファクターp(3)のスケール依存性について、SDSS銀河の各等級のサンプルと、擬似カタログとを比較したもの。擬似カタログは、宇宙項入り(LCDM)、宇宙項なし(SCDM)、開いた宇宙(OCDM)の冷たい暗黒物質モデルに基づくN体シミュレーションから作られたもので、誤差棒は、擬似カタログから見積もったサンプルバリアンスを表す。

審査要旨 要旨を表示する

現在稼働中(稼働期間2000年〜2005年)の Sloan Digital Sky Survey(SDSS) は、全天のおよそ4分の1、銀河の数にしておよそ100万個の3次元宇宙地図を作る壮大な計画であり、宇宙の大構造の詳細な解析を可能とする。宇宙の大構造の観測は、宇宙初期の密度ゆらぎ分布の統計を調べる上で、また、宇宙論的パラメータへの制限をする手段として、さらには銀河の生成・進化を探る糸口として大変重要である。

宇宙の大構造の解析には、これまではもっとも基本的統計量である1点確率密度関数や2点相関関数を用いた解析が詳細に行なわれてきた。しかし、現在観測される宇宙の大構造は、非線形な重力進化によって、また銀河の形成過程の複雑性に伴う暗黒物質と銀河分布の密度ゆらぎとの問の不一致(銀河バイアス)によって、ガウス統計から大きくずれた分布であることが示唆されてきた。この非ガウス性は、1、2点統計だけからでは完全に記述することはできない。例えば、大構造に特徴的なボイド構造、シート状やフィラメンタリー状の構造は、1、2点統計量からでは区別できない集団的性質であり、より高次の情報を含む統計量を使った解析が必要になる。本研究では、2種類の高次統計量-ミンコフスキー汎関数と位相和の分布関数-を用いてSDSS銀河データを解析し、宇宙の大構造の非ガウス性を明らかにしている。

論文は8章からなる。第1章では宇宙の大構造に対するこれまでの解析の歴史および本研究の紹介が述べられている。第2章では標準的な宇宙の構造形成理論モデルが説明されている。第3章ではSDSS計画に関する概要、データ取得法および本研究において用いられたデータについて述べられている。第4章から6章において、本論文の主要な解析結果が説明されている。そして、7章では結果に対する考察がなされ、8章で全体の結果がまとめられている。

4章で示された第一の解析結果は、ミンコフスキー汎関数を用いた結果である。ミンコフスキー汎関数は、並行・回転移動の不変性、加法性、連続性を満たす、構造の形状やトポロジー情報の完備な集合であり、空間3次元の場合には体積、表面積、平均曲率、オイラー曲率がある。これら4つの量が、相対密度で定義した閾値以上の密度をもつ領域でそれぞれ計算され、閾値とともにどのように変化するかがSDSS銀河データに対して調べられている。その結果、SDSSカタログの統計的信頼性、および現在標準的な構造形成モデルであるガウス統計に従う初期分布から進化した宇宙項入りの冷たい暗黒物質モデル(LCDMモデル)の予測する結果との一致が明らかにされた。さらに、サーベイ領域の体積と形状、およびデータ点の総個数が等しく、また特異速度に伴う赤方偏移のずれの影響を考慮した擬似サンプルをN体シミュレーションから作成し、理論的予言と観測結果とを比較している。その結果、大構造の非ガウス性は非線形重力による影響が卓越しており、標準モデルから予測される非ガウス性と矛盾しないことが明らかにされている。

5章、6章では、位相和の確率分布を用いた第二の解析結果が示されている。位相和の確率分布は、フーリエ位相の値から位相相関の大きさを特徴づけることに成功した初めての統計量である。まず5章では、位相和分布関数の基本的性質を詳細に理解するため、宇宙の大構造のN体シミュレーション結果の解析に適用している。その結果、位相の相関は、データ領域の体積が小さいほど、またスケールの大きな密度ゆらぎに対してほど強くなるという、他の統計量には見られない特徴を備えていることが明らかにされている。

6章では、SDSS銀河データに対して位相和の分布関数を世界で初めて解析している。そして、大構造の位相相関の強さをさまざまなスケールで計測された結果が提示されている。そして、位相相関についても、銀河の光度によらず、LCDMモデルの予測する結果とよく一致することが明らかにされている。

本研究結果は、1、2点統計量だけでなく、ミンコフスキー汎関数や位相情報の統計に関してもLCDMモデルと矛盾しない結果を示すことで、宇宙の大構造は標準的な構造形成モデルを一層支持することを明らかにしている。よって、本論文の価値は高いと判断する。

なお、本論文に紹介された研究は、主として名古屋大学松原隆彦氏との共同研究で行なわれたものであるが、論文提出者が主体となってデータ解析を行なっており、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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