学位論文要旨



No 118819
著者(漢字) 前田,幸重
著者(英字)
著者(カナ) マエダ,ユキエ
標題(和) 250MeV偏極中性子-重陽子弾性散乱による三体力の研究
標題(洋) Study of Three Nucleon Force Effects via the n+d Elastic Scattering at 250MeV
報告番号 118819
報告番号 甲18819
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4472号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 教授 久保野,茂
 東京大学 教授 小池,康郎
 東京大学 教授 後藤,彰
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

核子-核子間 (NN) 相互作用を用いて原子核の現象を説明することは少数多体系物理の重要な課題の一つである。その中で最も単純な系である三核子系は、理論的にはFaddeev方程式を解くことにより厳密に扱うことができる。よって現実的なNN相互作用を取り入れたFaddeev理論計算と実験値との比較を行い、この両者の値に差が見られた場合、その差は二核子間力の高次項である三体力の効果によるものと考えることができる。

三体力 (three-nucleon-force : 3NF) とは、NN相互作用の組合せでは表現できない力のことで、その主な寄与はFig.1のように2π交換により中間状態としてΔ粒子を励起するものと考えられている。これは藤田-宮沢型[1]と呼ばれる三体力である。理論計算に良く取り入れられている三体カモデルとしては、2π交換による中間状態として具体的な描像を仮定しない Tucson-Melboume (TM) 型三体力[2]などがある。

我々は中間エネルギー領域における三体力の検証を目的として、初めにEd=270MeV(核子あたり135MeV)における重陽子-陽子弾性散乱の測定を行った[3, 4, 5]。これらの実験では微分散乱断面積及び様々なスピン観測量の角分布が測定され、実験結果は Faddeev 理論計算と比較された。微分散乱断面積に注目すると、後方角度において二体力のみを考慮した Faddeev 理論計算は実験値を大きく下回った。しかしこの実験値と理論値の差は計算に三体力を取り入れることによって説明された。この結果により、中間エネルギー領域での三核子系の弾性散乱測定が三体力研究に於ける良いプローブであることを示された。

但し上記の比較は、d+p散乱の実験値とd+n散乱の理論値との間で行われている。これはクーロン力を含んだ Faddieev 計算を収束させるのが困難なためである。中間エネルギー領域におけるクーロン効果の大きさの問題については未だ答えは出ていない。故に三体力の効果をより正確に評価するためには、クーロン力が働かない三核子系における実験を行い、クーロン力による不定性の無い理論と実験の比較を行うことが大変重要である。

そこで我々は偏極中性子ビームを用いた中性子-重陽子弾性散乱実験を行い、微分散乱断面積とベクトル偏極分解能の角分布を測定した。重心系で10度〜180度という広い角度範囲を覆うために、我々は前方散乱と後方散乱で異なる実験手法を取り入れた。以下の章でまず実験方法について述べ、次に実験結果と理論計算との比較を行う。

中性子-重陽子弾性散乱実験

後方角度の実験は大阪大学核物理センター(R-CNP)に我々が建設した、(n,p)実験施設[7] (Fig.2) に於いて行った。

我々はまず偏極陽子ビームを250MeVまで加速し (n, p) 実験施設までトランスポートした。そして真空の中性子生成散乱槽内に設置した580mg/cm2厚の7Li標的に陽子ビームを照射し、0°における7Li(p, n)7Be (ground state+0.4MeV)反応を用いて偏極中性子ビームを生成した。この反応の重心系0°での微分散乱断面積は広いビームエネルギー範囲に渡り一定で(dσ/dΩ)cm=27.0±O.8mb/srであることが知られている[8]。生成した中性子ビームの偏極度は7Li(p, n)反応の偏極移行量DNN [9]の値を使って決定された。

生成された中性子ビームは7Li標的より1m下流に設置された重陽子標的上に照射された。入射陽子ビーム強度250nAで実験を行ったので、重陽子標的上での中性子ビーム強度は2×106cps/cm2、また中性子ビームの偏極度は約0.16であった。

重陽子標的として我々は重陽子化ポリエチレン(CD2) [10]を使用した。また標的はターゲットチェンバー(TGC)と呼ばれるMWDC内に、ワイヤー面で標的を1枚ずつ挟むように設置した。これにより反跳重陽子の飛跡情報から反応標的面を決定できるため、厚い1枚の標的を使用する場合に比べ標的内でのエネルギー損失によるエネルギー分解能の悪化を小さくすることが可能となった。またTGC下流にフロントエンドチェンバー(FEC)と呼ばれるもう1つのMWDCを設置し、TGCとFECによる反跳重陽子の飛跡情報から2H(n, d)反応の散乱角度を決定した。

反跳重陽子はさらに大口径磁気スペクトロメーター(LAS)により運動量分析された後、焦点面検出器により検出された。

前方角度の実験はRCNPの中性子 TOF (time-of-flight) 実験施設[11]にて行った (Fig. 3)。偏極中性子ビームは、後方散乱実験時と同様、7Li(p, n)7Be反応を用いて生成された。生成された中性子ビームは2m下流に設置された重陽子標的上に照射された。散乱した中性子は70m下流に設置された中性子検出器NPOLII[12]により検出され、飛行時間測定法によりエネルギーが決定された。

重陽子標的として重陽子化液体シンチレータBC537を使用し、反跳重陽子を標的自身で検出してコインシデンス測定を行った。入射粒子によりシンチレータからの出力シグナルの波形が異なることを利用した nγ-discrimination 法をシンチレータ標的から得られる信号に対して適用した。これにより、シンチレータ標的に入射する中性子ビームによるイベントとγ線によるイベントを選別し、バックグラウンドを大きく減少させた。

結果

Figure 4に微分散乱断面積及びベクトル偏極分解能の結果を Faddeev 理論計算とともに示した。薄いバンドは現実的核力 (CDBonn, AV18, Nijmegen I, II, 93) のみを用いた計算、濃いバンドはこれにTM-3NFを採り入れたを示す。実線はAV18とUrbana IX 3NFを用いた計算、破線はCDBonnとTM'-3NFを用いた計算を示す。また、同じ250MeVで行われたp+d弾性散乱[14]の結果を白丸で示した。

断面積に関しては、三体力を取り入れることにより理論は実験を良く再現するようになるが、120度より後方では理論はまだ実験を過小評価している。この差を説明できる要因として、相対論効果[15, 16]及び2π交換以外のπ-ρやρ-ρ交換型の三体力の効果が考えられる。そこで、相対論効果を取り入れた Faddeev 計算との比較、及びπ, ρ, ω及びσメソン交換を取り入れた三体力計算[17]との比較も行った。相対論効果により180度付近での実験と計算の一致は改善されたが、中間角度領域には相対論効果はほとんど現れず、理論は依然として実験値を大きく過小評価している。また、η+dとp+dの実験値の間には統計誤差以上の差が見られた。

ベクトル偏極分解能に関しては実験値の統計誤差が大きいため、理論計算との比較から三体力効果に関して議論を行うのは難しい。しかしn+dとp+dの結果は誤差の範囲でほぼ一致した。この両方のデータに対し、どの計算も120度近辺の角度分布を再現できていない。

断面積に関しては、n+dとp+dの実験値の直接比較を行い、中間エネルギー領域で初めて、クーロン効果に関する考察を行った Figure 5にn+dとp+dの断面積の比を取った値を示した。図には実験結果と共に、クーロン力を近似的に取り入れた計算を示した。図の角分布より、実験結果及び理論双方に、興味深い振動構造が現れることが分かった。比の1からのズレの大きさは、理論の予測は実験値を大きく下回るが、角分布の様子は実験を非常に良く再現する。

藤田-宮沢型三体力のファインマンダイアグラム

(n, p)実験施設の概念図。

NTOF実験施設の概念図。

250MeV n+d弾性散乱における微分散乱断面積(黒丸が後方散乱実験の結果、黒四角が前方散乱実験の結果)。同じ250MeVで行われたp+d弾性散乱の結果は白丸で示した。理論計算の詳細は本文参照。

n+d弾性散乱とp+d弾性散乱の断面積の比。実線はCDBonnを用いたFaddeev計算の散乱振幅に近似的にクーロン力を取り入れてp+d弾性散乱の断面積を求めた場合の理論計算。

J. Fujita, and H. Miyazawa, Prog. Theor. Phys. 17, 360 (1957).S. A. Coon et al., Nucl. Phys. A317, 249 (1979).N. Sakamoto et al., Phys. Lett. B 367, 60 (1996).H. Sakai et al., Phys. Rev. Lett. 84, 5288 (2000).K. Sekiguchi et al., submitted to Phys. Rev. C.Y. Koike, private communication., N. Sakamoto et al., Phys. Lett. B 367, 60 (1996).K. Yako et al., Nucl. Phys. A684, 563c(2001).T. N. Taddeucci et al., Phys. Rev. C 41, 2548 (1990).T. Wakasa et al., Phys. Rev. C 51, R2871 (1995).Y. Maeda et al., Nucl. Instrum. Meth. A 490, 518 (2002).H. Sakai et al., Nucl. Instrum. Meth. A 369, 120 (1996).T. Wakasa et al., Nucl. Instrum.Meth. A 404, 355 (1998).H. Kamada, private communication.K. Hatanaka et al., Phys. Rev. C 66, 044002 (2002).H. Rohdjeβ et al., Phys. Rev. C 57, 2111 (1998).H. Witala et al., Phys. Rev. C 57, 2111 (1998).A. Deltuva, R. Machleidt, and P. U. Sauer, Phys. Rev. C 68, 024005 (2003).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、大阪大学核物理センター (RCNP) において、スピン偏極したエネルギー250MeVの中性子を発生させて重陽子標的を照射し、広い角度範囲で弾性散乱微分断面積を測定して、核力における三体力の寄与について研究した結果をまとめたものである。

第1章には、研究の背景と目的が述べられている。核子と重陽子の弾性散乱微分断面積において三体力の効果が現れることについては、論文申請者が所属する実験グループによって行われた先行実験、d+p弾性散乱実験と、三体力を取り入れた理論計算(Faddeev 理論)との比較によって明確に示された。すなわち、三体力を入れないと理論計算は後方散乱断面積を過小評価するが、三体力を入れると実験データと良い一致を示す。但し、前方散乱では三体力を入れても実験と理論に不一致が見られた。その原因は、実際に理論で計算しているのはp+d散乱ではなくてn+d散乱であるため(Faddeev 計算ではクーロン力を取り入れることが困難)と考えられた。そこで、論文申請者らはn+d散乱実験を行い、クーロン力による不定性なしに実験と理論とを直接比較することをめざした。

測定は、前方角度と後方角度とで、別々の実験装置を用いて行われた。第2章に、RCNPの (n, p) 施設で行われた後方角度の測定の詳細が述べられている。250MeVの偏極陽子ビームで7Li標的を照射し、偏極中性子ビームを生成した。次にこの中性子を7Li標的より1m下流に設置した重陽子化ポリエチレン標的に照射し、散乱された反跳重陽子を大口径磁気スペクトロメーター (LAS) の焦点面検出器で検出した。

第3章には、前方角度の測定の詳細が述べられている。前方角度の実験はRCNPの中性子TOF (time-of-flight) 実験施設において次の手順で行われた。中性子ビームは、後方散乱の場合と同様、陽子ビームを7Li標的に照射して作られた。生成された中性子ビームで2m下流に設置された重陽子標的(重陽子化液体シンチレータ)を照射し、散乱した中性子を70m下流に設置した中性子検出器で検出した。標的と検出器との飛行時間差の測定から、中性子のエネルギーを決定し、弾性散乱事象を選別した。

第4章では、微分散乱断面積とベクトル偏極分解能の測定結果が、統計誤差および系統誤差の評価とともにまとめられている。

第5章では、測定結果と理論計算の比較が論じられ、第6章で論文のまとめと結論が述べられている。三体力を取り入れると、理論計算結果は実験値に近づく。しかし、120度よりも後方角度では、理論計算結果は実験値をほぼ2倍過小評価していることが見いだされた。先に行われたd+p実験では、後方角度のすべての範囲で理論と実験が良く一致していたのに、n+d実験で不一致を示すのはなぜだろうか。

その原因としては、d+p実験の時の衝突エネルギーが核子あたり135MeVであったのに対し、今回の実験が(種々の実験的制約等から)250MeVと高いエネルギーで行われた為、相対論効果が顕著になったことが考えられる。そこで、相対論効果を取り入れた Faddeev 計算との比較を行った。相対論効果により180度付近での実験と計算の不一致は改善されたが、中間角度領域には相対論効果はほとんど現れず、理論は依然として実験値を大きく過小評価している。また、別途行われたエネルギー250MeVの陽子と重陽子の散乱p+dと、今回のn+dの実験値を比較すると、両者の間に統計誤差以上の差が見られたが、理論が実験を過小評価しているという点ではp+dでも同様であった。135MeVで三体力を入れた理論と実験が良い一致を示し、250MeVでは理論が実験を過小評価している原因の解明は、今後の課題である。

この研究は、三体力の理解に欠くことの出来ないn+d弾性散乱の良質のデータを、中間エネルギー領域で世界で初めて収集した点で、高く評価できる。研究はRCNPにおける24名の研究者との共同研究であるが、重陽子標的の作成、データ収集、データ解析及び解釈に関して、論文申請者本人の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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