学位論文要旨



No 118822
著者(漢字) 松本,宗久
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ムネヒサ
標題(和) 擬一次元磁性体の相転移と新奇な量子磁性
標題(洋) Phase Transitions and Novel Quantum Nature of Quasi-One-Dimensional Magnets
報告番号 118822
報告番号 甲18822
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4475号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 宮下,精二
内容要旨 要旨を表示する

擬一次元量子スピン系の基底状態における相転移を連続時間ループアルゴリズムによる量子モンテカルロ法により解析する。擬一次元系とは一次元鎖を弱く結合した模型であり、厳密な意味では空間的異方性の非常に強い高次元系である。本論文では擬一次元系として二次元正方格子上で弱く結合した反強磁性ハイゼンベルグ鎖の量子相転移の解析、および関連する系として有限本数の一次元鎖を結合した梯子系の基底状態相図の決定と鎖の本数無限大の極限における二次元正方格子上の擬一次元系との対応の議論を行う。また三次元単純立方格子上で弱く結合した反強磁性ハイゼンベルグ鎖の相転移、不純物効果の解析を行う。

純粋な一次元系に関しては、量子ゆらぎの引き起こす様々な驚くべき現象が近年興味を集めてきた。一次元反強磁性量子スピン鎖におけるハルデンギャップはその例であり、スピンの大きさが整数のスピン鎖では基底状態の上にギャップが開いており、半整数の大きさを持つスピン鎖ではギャップが閉じるということが知られている。1983年に理論的に予想された当初、スピンの大きさにより現象が定性的に違うということが統計力学で信じられている普遍性の概念と一見相入れないことから大きな驚きと共に受け止められたが、スピンの大きさ1の整数スピン模型のシミュレーションで有限の大きさのギャップが求められ、また一次元反強磁性量子スピン鎖と考えられる物質が合成され励起ギャップが実験で観測されるに至って予想の正しかったことが確立された。一次元量子系には適用可能な理論手法やシミュレーションのアルゴリズムが多く、それらを駆使してハルデンギャップに関連する一次元系の研究は徹底的に行なわれ、今日ほぼ理解が得られている。一方整数スピンを持つ擬一次元系に関しては、鎖間相互作用が十分弱ければ一次元のハルデンギャップを持つ状態(これをハルデン状態という)から摂動的につながった基底状態が実現していることが明らかにされた[1]。これは不純物のない均一系の場合であるが、ハルデン状態に非磁性不純物をドープしたランダム系には磁性が現れる、すなわち長距離秩序が存在することが知られている。この現象を不純物誘起反強磁性といい、量子ゆらぎとランダムネスの相乗効果により現れた新奇な現象である。長距離秩序は一次元系では存在しえないことが知られており、不純物誘起反強磁性状態は一次元の基底状態からの摂動では扱えない。この現象の解析には鎖間相互作用の非摂動的な扱いが不可欠である。本研究では量子モンテカルロ法によりこれが可能になる。一次元系で有効な厳密対角化や密度行列繰り込み群などの計算手法が高次元系において計算機資源の厳しい制約や原理的な困難に直面するのと比べると、量子モンテカルロ法はこの系に対して有効なほとんど唯一の手法とも言える。

二次元正方格子上で弱く結合したスピン1反強磁性ハイゼンベルグ鎖の量子相転移において、扱う模型は二次元正方格子上で平行に並んだスピン1量子反強磁性ハイゼンベルグ鎖を鎖間相互作用J'で結合した系である。鎖内にはボンド交替があり、弱いボンドJwと強いボンドJの二種が交互に配列している。ボンド交替の強さは両者の比α=Jw/Jで指定され、また系全体のボンドの強さは鎖内の強い方のボンドを単位として (J=1) 規格化されている。また隣接する鎖間で強い方のボンドが平行に並ぶかジグザグに並ぶかで正方格子上のボンド交替に関して二種類の模型を考察した。前者を columnar、後者を staggered ボンド交替と称する。格子を図1に示す。

この模型を記述するパラメータは鎖内のボンド交替と鎖間相互作用の強さである。いくつかの点に対しては基底状態はよく理解されている。鎖間の結合が切れているJ'=0のとき、ボンド交替が最大の状態α=0におけるダイマー状態とボンド交替のないα=1のハルデン状態の間に量子相転移が存在することは一次元系の研究で知られている。一方鎖間相互作用の強さをゼロから無限大まで動かすと、一次元鎖のダイマー状態またはハルデン状態と等方的な二次元系の反強磁性基底状態の間に量子相転移がある[1]。これらの点を含む相の境界を有限温度、有限サイズの系における相関長、ギャップ、帯磁率の計算と有限サイズスケーリング解析を用い高精度で決定し、量子相転移の universality class は三次元の古典ハイゼンベルグ模型のものと一致することを確認した[2,3]。結果の基底状態相図を図2に示す。

擬一次元系の先行研究[1,4,5]には、鎖間相互作用を平均場近似で扱って単一の鎖を厳密対角化で解くもの[1]やハルデン状態から出発した摂動級数展開により臨界点を決めるもの[4]の他に、量子モンテカルロ法により求めた帯磁率の温度依存性からギャップの大きさがゼロとなる臨界点を決めるもの[5]がある。本研究で用いている量子モンテカルロ法は数値的に厳密であり、平均場近似[1]や摂動的手法[4]と比べると、多体効果をいかなる近似もなしに非摂動的に取り入れた相転移の解析を行なえた点が特徴である。また有限サイズスケーリング解析を用いて基底状態、サイズ無限大の極限を系統的に求めることが出来るので、[5]よりも直接的に臨界点を決定し相転移の普遍性を議論することができる。さらに基底状態相図を全パラメータ領域に渡って網羅し、二次元系においてギャップを持つ相が一つにつながることを示したのは本研究が最初である。

本研究で扱う二つ目の模型として、梯子系の基底状態の解析と二次元との対応を議論した。二次元正方格子上の模型と同様、columnar と staggered の二種類のボンド交替を持つ模型を考察した。これまでに議論されたスピン1ハルデン状態とスピン1/2二本鎖梯子の対応[6]に注目し、鎖の本数を一般化した梯子にも一次元鎖との対応を拡張しようという動機に基づき、反強磁性模型において相関が強いと期待される対角線上のスピンを合成して一次元鎖へのマッピングを導入した。これを図3(a)に示す。スピン1/2のn本鎖で鎖の本数nを2≦n≦6までとった模型の相図を決定し、二次元系との対応を議論した。スピン1の模型についても同様な解析を行なった。

模型を記述するパラメータは鎖方向の結合の強さJx、鎖間方向の結合の強さJy、および鎖内のボンド交替の強さαである。特に相図については鎖内と鎖間の空間的異方性を記述するパラメータR=Jy/ (Jx+Jy) を定義し、相関長のパラメータ依存性およびサイズ依存性から熱力学極限において相関長の発散する点として (α,R) 空間内で臨界点を求めた。スピン1/2六本鎖 staggered ボンド交替梯子の結果を図3(a)に示す。一次元スピン3鎖へのマッピングを行ない、すでによく知られているボンド交替鎖の相図および valence-bond solid 描像[7]を適用することでこの六本鎖梯子の相図は自然に理解できる。合成スピン鎖に対するひねり演算子秩序変数[8]の計算結果はこの描像を強く支持している。

また鎖の本数無限大の極限における二次元正方格子上の擬一次元系の相図との対応を考察した。長距離秩序相が現れないことが知られている一次元系の相図と長距離秩序相を持つ二次元系の相図が、梯子の鎖の本数を増やすことでどのように対応するかに注目した。図4のように臨界点の分布を鎖の本数の逆数に対してプロットすると、二次元の反強磁性相は梯子系の臨界点の集積する領域として現れることが分かった。

最後に三次元単純立方格子上の擬一次元系に対して特に実験との対応と二次元との違いに注目して不純物効果の解析を行なった。二次元正方格子上のハルデン相に対しては、我々の決定したハルデン状態の相内の一点α=1, J'=0.04においてサイト希釈系の大規模並列計算によるシミュレーションと解析を行なった。これにより自発交番磁化が有限になることを確認し、その不純物濃度依存性を決定した。また局所的な帯磁率の空間分布とバルクの帯磁率の温度依存性の結果から、系全体の磁化に寄与する実効スピンが希釈されたサイトの両隣に valence bond の対をなくした自由なスピンとして現れ、それらの間に長距離相関が存在して反強磁性長距離秩序が保たれることを明らかにした[9]。三次元系でもシナリオは本質的に同じと期待されるが、希釈サイトの隣に現れる実効スピン間にはたらく相互作用が三次元的なため、転移温度が有限になり不純物誘起長距離秩序相を担う相互作用のエネルギースケールを直接見ることができるのが特徴である。二次元の基底状態における不純物誘起自発交番磁化、三次元の不純物誘起ネール温度のふるまいを図5に示す。ネール温度の希釈濃度依存性の原点近辺の依存性は、実効スピン間の相互作用が距離に関して指数関数的に減衰する性質を持ち、希釈サイト間で valence bond の敷き詰められた状態が相互作用を媒介するという描像を支持する。

二次元正方格子上で結合したスピン1反強磁性ハイゼンベルグ鎖の格子。(a)columnarボンド交替(b)staggeredボンド交替

二次元正方格子上で結合したスピン1反強磁性ハイゼンベルグ鎖の基底状態相図。(a)columnarボンド交替(b)staggeredボンド交替

(a)梯子系から一次元鎖へのマッピング。梯子系を対角線上に位置するサイト上で合成したスピン間に実効的な相互作用の入った一次元スピン鎖と理解する。(b)スピン1/2六本鎖staggeredボンド交替梯子の基底状態相図。相図中の指数はマップされたスピン3一次元鎖のvalence-bond solid描像[7]に基づく。

(a)スピン1/2および(b)スピン1 staggeredボンド交替梯子の相図の中でalpha=1線上の臨界点の分布の鎖の本数nの逆数に対する依存性。1/n=0線の上には二次元の臨界点がプロットされている。鎖の本数が無限大の極限で梯子系の臨界点が二次元の反強磁性相に対応するパラメータ領域を埋め尽くす。

(a)二次元正方格子上の擬一次元系の基底状態ハルデン相における不純物誘起反強磁性。自発交番磁化のサイト希釈濃度依存性[9]を示す。左下の曲線がハルデン相α=1, J'=0.04における希釈、右上の曲線は反強磁性相α=1, J'=1における希釈を表す。(b)三次元単純立方格子上の擬一次元系の基底状態ハルデン相における不純物誘起反強磁性。ネール温度のサイト希釈濃度依存性を示す。

T. Sakai and M. Takahashi: J. Phys. Soc. Jpn. 58, 3131 (1989).M. Matsumoto, C. Yasuda, S. Todo, and H. Takayama: Phys. Rev. B 65, 014407 (2002).M. Matsumoto, C. Yasuda, S. Todo, and H. Takayama: to be published in Computer Simulation Studies in Condensed-Matter Physics XVI, ed D. P. Landau, S. P. Lewis, and H.-B. Schuettler (Springer Verlag, Heidelberg, Berlin, 2003).A. Koga and N. Kawakami: Phys. Rev. B 61, 6133 (2000).Y. J. Kim and R. J. Birgeneau: Phys. Rev. B 62, 6378 (2000).S. R. White, Phys. Rev. B 53, 52 (1996).I. Affleck, T. Kennedy, E. H. Lieb, and H. Tasaki: Phys. Rev. Lett. 59, 799 (1987).M. Nakamura and S. Todo: Phys. Rev. Lett. 89, 077204 (2002).C. Yasuda, S. Todo, M. Matsumoto, and H. Takayama: Phys. Rev. B 64, 092405 (2001).
審査要旨 要旨を表示する

低次元量子スピン系において、スピン間相互作用により長距離秩序が生じることが多くあるが、結晶構造やスピンの大きさによっては長距離秩序が生じずに、スピン液体状態と呼ばれる状態が実現することがある。この場合、スピン波などの低エネルギー励起は存在せず、基底状態からの励起には有限のエネルギーギャップを持つことが知られている。このような状態はスピンギャップ状態と呼ばれている。スピンギャップ状態は、初めS=1の1次元鎖についてHaldaneによって予想されたが、その後スピンギャップの存在は厳密に解けるモデルや数値計算によって確かめられた。またS=1/2の系でも、格子形が梯子型であればスピンギャップを持つことがわかっている。これらの状態は、valence bond solid (VBS) または、ダイマー状態というもので理解される。つまり、すべてのスピンが隣接のスピンと対をつくり、その2つのスピンが一重項を形成した状態が基底状態となっていると考えられる。この場合、明らかに長距離秩序は存在せず、励起スペクトルにギャップがある。

本研究では、このようなスピンギャップ状態がいくつかの格子上で実現するかどうかについて、連続時間ループアルゴリズムによる量子モンテカルロ法という数値計算、および解析的な解釈によって詳しく調べたものである。その結果、いくつかの量子相転移を見出し、1次元系と擬1次元系との関係を明らかにした。

本論文の第一章は序、第二章では正方格子状に結合した1次元スピン鎖について研究の結果が述べられている。モデルとしては、2種類の交換相互作用の大きさを持つボンドが交互に現れる1次元鎖が、2次元的に結合しているものを考えた。まず数値計算によって、このモデルでの基底状態の相図を明らかにし、量子相転移での臨界指数を有限サイズスケーリングによって求めた。その結果、量子相転移の universality class が3次元古典ハイゼンベルグモデルのものと一致することを結論した。またスピンギャップを持つ相が1つにつながっているということを議論した。次の第三章では、スピン梯子系に対する結果および、それの解析がなされている。相関長の発散する点、および「ひねり演算子秩序変数」を数値的に調べることにより、基底状態での臨界点が得られ、相図を決定した。さらに物理的描像を明らかにするために、対角線上のスピンを合成して作られるスピンを考え、その合成スピンのなす1次元有効モデルを導入した。この新しい観点によると、導入された1次元鎖におけるVBS描像を考えることができ、数値的に得られた相図が自然に理解できることを示した。また、スピン梯子の横の本数を増やして行った場合に、どのように2次元系に移行して行くかについて考察を加えた。第四章では不純物効果について調べ、不純物によって誘起される長距離秩序の発現という現象を得た。第五章はまとめと将来の課題に当てられている。

以上のように、本論文は1次元および擬1次元のスピン系に関して系統的に調べることによって、いくつかの興味深い知見を与えている。とくに、新しい観点からのスピンギャップ描像を得たこと、および梯子型1次元系から2次元系への移行について興味深い可能性を指摘したことが高く評価される。本論文の内容の一部は、英文雑誌に掲載済である。また本研究は高山一教授、安田千寿氏、藤堂眞治氏、中村正明氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値計算を行い、理論を構築したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断された。以上をもって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位を授与するにふさわしいものであると認定した。

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